「やっほーじいさん!」
にこっと笑って構って構ってするウェンティを、鍾離は鬱陶しいというように払いのけつつ、ウェンティに説教をする。
そんな場面が日常化しており、他の皆もまたか、と言ったように視線を送った。
「呑兵衛詩人、何しに来たんだ」
「勿論鍾離に会いに♡」
少し頬を染めつつ笑うウェンティは傍から見ても可愛い。それを無表情で返す鍾離はなかなかのものである。
「本音は」
「本音も何も、これが本音なんだけどな〜。あ、でもお酒は欲しい♡」
「それが本音だろうに」
えへっ、と誤魔化すように笑う彼にゴスッと手刀を鍾離は決める。相変わらずだなぁ、と眺めていると、ウェンティがこちらに気付いたらしい。パァッと顔を輝かせると、旅人〜!と抱き着いてきた。
「わぁっ!?ウェンティ!?」
「久しぶりだね旅人!元気だった?」
ぎゅうぎゅうと抱き締められて少し苦しい。セシリアの花とりんごの香りがするなぁと現実逃避していると、べりっとウェンティが剥がされた。見てみると首根っこを掴んでいる鍾離がおり、引き剥がしてくれたらしい。
「お前、誰にでも抱きつくのはよさないか」
「む、誰にでもじゃないよ!君と旅人だけ!」
ねー?と笑うウェンティと、不機嫌そうなオーラを漂わせる鍾離に苦笑する。
「ねえ、これから鍾離とご飯食べに行くんだけど一緒にどう?」
「おい、いつそんな話が決まった」
「今」
「お前……」
来るよね?と首を傾げるウェンティに、残念だけど、と言葉を返す。
「パイモンを待たせてるから……」
「あれ、そういえばいないね?」
はた、と気がついた彼に今は別行動しているのだと答える。
「じゃあ合流して一緒にどう?」
「ううん、この後も予定あるんだ。また今度ね」
そっか残念、としょんぽりしている彼と、そのやり取りを見守っていた鍾離に手を振ってその場を離れる。きっとこの後何だかんだ二人で食事をするのだろう。
少し歩くと、見知らぬ誰かが噂話をしているのを耳にした。
「最近鍾離先生に付き纏っているあの子、脈なしだって気付かないのかしら」
「あの優しい鍾離先生が塩対応なの相当なのにね」
「何時までも付き纏われて可哀想に」
それは逆だ、と心の中で返す。
自分は知っている。あの二人は実は両片想いであり、鍾離の方もなかなかである、と。
さっきだって、ウェンティが自分に抱きついただけでかなり不機嫌そうにしていたではないか。
「独占欲凄そうだもんなぁ、先生」
はぁ、とため息をついて先程の二人と、それから周りからの評価を思い出して。
余計なことにならなければ良いのだけれど、と薄暗い曇り空を見上げて、もう一度深くため息をついた。
「いい加減、鍾離先生に付き纏うのをやめたらいかが?」
唐突に言われた言葉にきょとんとする。
今日も今日とて彼に会いに行こう、と璃月の街並みを歩いていると、目の前に立ち塞がった女性に突然言われた。
「えっと……君は誰?」
「私が誰かなんてどうでもいいの。アナタが鍾離先生に付き纏っているのが問題なのよ」
「付き纏う」
はて、と首を傾げると、苛立ったようにその女性は声を荒げた。
「鍾離先生はお優しいから、何も言わないだろうけれど!ハッキリ言って迷惑でしょう!脈もないのに、鬱陶しいったらないわ!」
やけにハッキリと物を言う子だ。今の子は凄いなぁと思いつつ、こんな道のど真ん中でやらないで欲しいなぁと他人事のように思う。先程からあちらこちらからの視線が痛いったらない。大人しく話を聞いてはいるが、あまりよろしくはない。それに、まあ一応いい気はしないのであって。
「あの、」
「鍾離先生が言わないから、私が言ってあげるわ!もう彼に付き纏わないで!」
おお、言い切ったな、と感心してしまった。彼女も言い切ってやった、とドヤ顔だ。いやそれはいいんだけど。
「鍾離は、嫌な事は嫌だと言うと思うけど……」
「はぁ!?」
彼ははっきりと物を言うタイプだ。自分相手なら特に。嫌な事なら言葉で、時には拳も使いながらはっきりと意志を示す。だから彼が嫌がっているかどうかは心配していない。……鬱陶しがってはいるとは思うが。それでも止めないのは、彼が存外寂しがり屋だと知っているから。自分も彼にくっつくの好きだし。
……ただ。
「そうか、周りにはあまりよく思われないか……」
それは良くない。彼は今鍾離として生活している。先生として慕われている。それを邪魔する気は、自分にはない。
「ちょっと、一人で何ブツブツ言って、」
「分かったよ」
「!?」
「もう鍾離には付き纏わない」
「な、」
「それでいい?」
にこっ、と笑うと、彼女は驚いた表情を浮かべたあと、勝ち誇った表情を浮かべた。
「わ、分かればいいのよ……」
「話はこれで終わり?じゃあ、ボクいく」
ね、とこの場を去ろうとしたところで、がっしりと頭を掴まれた。手や腕じゃない、頭である。それはもうがっしりと。片手で。
掴まれたまま、その手の持ち主である人物にそっと視線を向けた。
「ひぇっ」
そして思わず悲鳴が出た。
それはそれは見たこともない笑顔を浮かべた鍾離が、ぎちりとこちらの頭を掴んだまま立っていたからである。目が笑ってない。そんな表情もできたの君怖ァ……。
「面白い話をしているな。俺も混ぜてもらえるだろうか」
「鍾離先生!」
先程の表情は何処へやら。恋する乙女の顔をした女性が嬉しそうに鍾離の名前を呼んでいる。彼かなりキレてるっぽいけど、良くその顔出来るなぁと頭を掴まれながら思った。いわゆる現実逃避というやつかもしれない。というより頭痛い。
「俺の名前が出ていたようだが?」
「そうなのです。最近彼に付き纏われて迷惑をしていたでしょう?ですから、鍾離先生に付き纏うな、と注意していたのです」
「ほう」
「先生はお優しいですから。でも、嫌な事は嫌だと言わないと」
散々な言われようだなぁ、と内心しょぼんとする。でもそれより何より力が更に込められて頭が痛い。潰す気か、とぺちぺち手を叩くと少し力が緩んだ。違うよ離してほしいんだけど。
「なるほど」
ふむ、と彼は一つ頷くと、ことりと首を傾げた。
「……しかし、誰が迷惑していると?」
「…………え?あの、鍾離先生が、」
「はて、迷惑しているといった覚えがないが」
「……、あ、あの」
いや、圧が強い。スッと目を細めて無表情で問い質すように言葉を発する彼に、女性はもう真っ青だ。
「彼は大切な友人だ。鬱陶しいと思ったことはあるが、迷惑だと思ったことはない。俺がいつ、そのように言ったのか気になるところだが」
「わ、わたしは……」
「鍾離」
彼は良くも悪くも容赦がない。真っ青どころか真っ白になりそうな彼女を見て、彼の名を呼ぶ。
黙っていろというような彼の視線にじっと見返すと、ひとつ溜息をついて彼女を見た。
「貴女が心配してくれていたのは分かった。しかし、それは全く持って無用だ」
良いだろうか、と静かに言い聞かせる言葉。しかしそれは彼女にとっては突き放されたも同然だった。
青白い顔のままこくこくと頷いた女性を見て、では、と一言告げると、彼は踵を返す。ボクの頭を掴んだまま。いや、あの、離してほしいんだけど。歩きづらい、と伝えると、彼はやっと手を放したかと思いきやこちらの腕を掴む。
「えええ今度は何」
「お前には話すことが山程ある。着いてこい」
「君ボクに対して雑なんだよ!もう少し丁寧に扱ってよ!」
こちらの文句も何のその、煩い、と一言行ったっきりこちらを振り返ることもなく彼は歩き続けた。
そうして連れてかれたのは彼の家で。付いて早々、何故かボクは正座をしていた。目の前には椅子にゆったりと足を組んで座る元岩王帝君様が降臨している。どうしてこうなったんだろう。ボク悪いことしてないよね今回。
「あの、帰っていい……?」
「バルバトス」
恐る恐る聞いた言葉には返事をせず、彼は低い低い声で話し始めた。
「……今後会いに来ないとは、どういうつもりだ?」
「はい?」
何の話だろう。唐突に言われた話に首を傾げると、恍けるなと怒られてしまった。
「先程、もう会いにこないと言っていただろう」
「…………付き纏わないって話?」
「そうだ」
「会いに来ないとは言ってないつもりだけど……」
こっそり人目に着かないように会いに来ようとは思っていたし、と言おうとしたが彼に遮られる。
「何故」
「え?」
言いたいことが分からず首を傾げる。彼は一体何を言いたいんだろう。
「他人から会いに来るなと言われれば、お前は会いに来なくなるのか」
「……?」
「その程度の想いか」
少し失望した物言いにムッとする。その程度とはどういうことか。
「ちょっと、それは無いんじゃないの?」
「……そうか?」
挑発するように笑う彼に、立ち上がってぐいと襟元を引っ張る。きちんと着られた服がよれるが知ったことか。
「大体、君を思って言ったんじゃないか」
「ほう?」
「ボクが、……まあその、付き纏っていたら周りがよく思わないらしいから?なら良くないかなって」
「周り」
「君、皆から先生って慕われてるんでしょ。悪い噂が立つのは、ボクも本意じゃない……わぁっ!?」
ぐいと彼の服を掴んでいた手を引っ張られ、バランスを崩す。とす、と彼の膝の上に座ったところで腰に手を回された。
「ちょっと!あぶな……っ!?」
文句を言おうと顔を上げたら、思いの外彼の顔が近くて息を呑む。
「なるほど、ようく分かった」
石珀を宿した瞳が鋭さを帯びる。怒りを、悲しみを、そして決意が混ざったような感情を感じた。
「……鍾離?」
「お前は良くも悪くも、やはり風だな」
「え?どういう……」
「自由にしておいても、と思っていたが」
「しょ、しょうり??」
「お前がその気なら、俺にも考えがある」
「え、なに………いたぁ!?」
不穏な空気に逃げようと仰け反ると、ぐいと襟元を引っ張られ首筋にがぶりと噛みつかれた。意外に歯が鋭く、肌に刺さり血が滲むのを感じる。
「ちょっとぉ!?なに!?」
「よし」
「よし、じゃないよ!いきなり噛んでどういうつもり!?」
「俺の所有印だ」
「……はぁ!?」
何勝手に、と睨みつけると、彼が目を細めて笑う。
「お前が周りの目を気にするのなら、周りが何も言えなくしてしまえばいい」
「……?」
「俺のものだと分かれば、周りがお前に何かを言ってくる事もあるまい。お前が他からちょっかいをかけられることもない。ふむ、一石二鳥だな。もっと早くすればよかった」
「な、なぁ………ッ!?」
君自分で何言ってるのか分かってる!?と叫ぶと、彼はことりと首を傾げた。
「分かっているが」
「だったら」
「油断しているとすり抜けるようだからな。しっかり捕まえておかねばと」
「は?」
「お前も俺を好いているのだろう?ならば、なんの問題もない」
違うか?と問われているのに、全く拒否の姿勢を受け入れる様子もない彼に、ひくりと顔がひきつる。
「なん、」
「これで、お前も普通に会いに来れるだろう?」
「……えーっと、ごめん。その為に、これを?」
「それ以外に何かあるか?」
なんとなく頭が痛くなってくる。この絶妙に話がすれ違う感。というより。
「君、もしかして、だけど。ボクのこと好きだったの……??」
「そうだが??」
「え?冗談じゃなく?」
「何故冗談にする必要がある。というより、知らなかったのか??」
「初耳ですけどぉ!?」
はて、言ったことなかったか。の顔に拳を入れたくなった自分は正常だと信じたい。
「だから会いにこないなんて言うお前にむかっ腹が立ってな」
「え、それで怒ってたの」
「他人から言われて会いにこなくなるなど、腹立たしいにも程がある」
なんというか。………その、
「……君、ボクのこと大好きじゃん……」
恥ずかしさに顔を覆うと、彼の笑う気配がする。耳まで真っ赤なのがバレてるだろうさ!
「そうだな。お前もだろう」
「……ソウデス」
「ならなんの問題もないな」
「……なにが?」
くつり、と喉で笑う気配がして思わず顔を上げる。
「わぁ」
なんて悪い顔だろう。ひくりと顔が引き攣った。
「お前が俺のものだ、と示せると思ってな」
「え、あの」
「……ああ、とても楽しみだ」
機嫌良く笑う彼から距離を取ろうとするが、腰に腕が回っているため動けない。どころか更に力を込められる始末。
逃さない、と言外に込められた行動にがくりと肩を落として、ただ少し満更でもないなと思いつつ、ぽすりと彼の方に頭を置いたのだった。
後日、璃月の街中を歩く二人の姿が見られたとか。その姿は今までに無いほど仲睦まじく、とうとう恋人が出来たのかと噂されたとか。想いを寄せていた者達が尋ねると、「今は恋人との逢瀬だから、また後日に」と言われ、撃沈したとか。
そんな噂で持ちきりになるほど、ある意味今日も璃月は平和なのだった。
「あの、腰に手、」
「ああ、歩きにくいか?繋いだほうが良いか」
「いや、そうじゃなく……恥ずかし……」
「何を今更。お前も人前で抱きついてくるだろうに」
「あれは勝手が違うというかぁ………ッ!!もういやこのじいさんんんんんんんん!!!!」