フレ鯖の斎藤一さんと新米マスター藤丸立香の話 並行世界と言うものがある。
この世界は無数のページが綴じられた本のようなものだと考えたとする。例えばこの世界の一枚隣のページでは世界は何もかも一緒だが、ただ一つ誰か一人の靴下の色だけが違う。次のページでは同じ者の靴下と靴の色が違うのだ。そう言った少しずつだが確かに差異のある世界が無数に存在している。
ページを捲れば捲るほどその差異は確かに広がるのだ。
それは即ち、自分のマスターたる藤丸立香が少女の世界もある。と言うことだ。
街のあちこちで深紅の炎と黒煙が上がっているのが見える。遠くの景色でビルや近代的な鉄橋が見えることから恐らく現代の日本なのだろうと推察された。
空は夜空が広がっている。だがその濃紺の空に向けて大蛇の様な禍々しい色の煙と不吉な赤い星の様に無数の火の粉が上がっていた。地上ではあちこちの建物から火の手が煌々と噴き上がり平和な夜を赤々と侵食している。詳細は不明だが何らかの大災害が発生しているのだろうと推察された。
そんな禍々しい緋に染められた夜空の世界でセイバー、斎藤一は並行世界の藤丸立香に召喚されていた。
自分のマスター、藤丸立香はまだ年若く少年から青年に移ろいつつあるような年齢の男だ。その癖数多の死線をくぐり抜けてきても尚折れず、真っ直ぐにキラキラと光を受けて輝く名刀の様な目をしている。
しかし目の前にいる夕焼け色の髪をした少女はまだあどけない顔立ちをしていた。戦う覚悟など何もない、どこから見ても普通の少女であった。
「本当に出来た……!」
自分の手の甲で仄かに赤く光る令呪と、召喚された斎藤の姿を見比べて少女は大袈裟に感動している。
斎藤にも詳しいシステムは分からない。彼がマスターから説明されたのは藤丸立香と並行世界の藤丸立香達(!)が何らかの契約を結ぶと相手が登録しているサーヴァントをどれでも一騎召喚して加勢させることが可能と言うのだ。
確かに自分のマスターも常に誰かしらを召喚して戦闘に参加させてはいる。その召喚術で難局を打破出来たのは一度や二度ではない。自分達サーヴァントにとっても頼もしいシステムだ。
そしてそれは自分達も例外ではない。並行世界の藤丸立香に助けを求められたら自分達も加勢に行かなければならないのだ。その助太刀行為を斎藤と同じカルデアに所属しているサーヴァント達はこっそり「出稼ぎ」と呼んでいる。
少女の背後でゆらめいた影に斎藤が気づく。心臓も脳もないような骸骨が不気味に動き、西洋剣を構えている。
スケルトンだ。
そう思うより早く斎藤は少女の背後にいるその骸骨の化け物を一刀両断する。歯ごたえが全く感じられないほど弱い。
この世界の記憶にはないが記録では見たことがある。恐らく斎藤が召喚されたこの場所は藤丸立香の長い旅の始まり、冬木の地であろう。
「……」
これからこの目の前の少女は想像を絶するような酷い地獄が待っている。
そんな哀れな彼女に何か言おうとしたが、斎藤にはかけてやれる言葉が浮かばない。
この少女は藤丸立香ではあるが自分のマスターではない。
言ってやれる言葉なんか何もなかった。
「戦場で惚けるのはやめましょうや」
気の利いた言葉を言わない代わりに、にっこり笑ってたしなめると少女は呆気にとられた様子で斎藤を見上げる。
「先輩、この人すごく強いです」
マシュが感嘆と共に少女に告げる。彼女も自分のカルデアにいるマシュとは違い、まだ全体的に表情が固く初々しい。
マシュの言葉にこくこくと少女が頷く。二人の頬が赤いのはあちこちに上がる火の手に頬が照らされているからだけではないだろう。
それは純粋に斎藤に対する敬意と好意の眼差しだ。
遊び人を自称する斎藤にとって、年若い乙女二人が自分に向けるキラキラとした憧憬の眼差しは嫌いではない。
むしろ大好きだ。
その為、斎藤は大変気を良くした。
「無敵の剣、見せてやるよ」
自慢の紺のコートをわざとらしく熱風に翻し、斎藤は襲いかかってくるであろうスケルトンの前に颯爽と立つ。
それがセイバー、斎藤一と藤丸立香の出会いであった。
〜〜中略〜〜
※※※
新米少女マスター、藤丸立香はわからない
赤毛の少女、藤丸立香は訳も分からないまま人類最後のマスターなる存在になってしまった。
なんか良く分からない内に拉致同然の状態でこのカルデアに連れて来られ、なんか良く分からない内に居眠りして会場を追い出され、なんか良く分からない内にカルデアが大変な事になってしまった。
人理修復もレイシフトも意味はやっと分かるが、未だに仕組みがちんぷんかんぷんである。
正直言って現状共に戦ってくれる英霊の名前すら満足に覚えられない。
と言うか明らかに外国人なのになんで日本語が通じるのかさえ立香にはよく分かっていないのだ。自分達は一体何語で話しているのだろうか。全くもって謎である。
令呪のシステムも召喚システムも今着ているカルデア制服の礼装スキルだってよく分からない。
サーヴァントがよくわからないまま回復したり、強化されるのは便利だ。しかしその仕組みを全く理解しないまま便利なものとして使っている。
魔術も戦術も、何もかもが立香には分からない。
だが分からないなりに体を張って頑張っているつもりではある。知恵も知識もないなら気合と根性で体を張るしかない、と言うのは立香の持論であった。
「立香ちゃんさー、他にもいっぱい頼れるサーヴァントはいるんだよ?人ってかもう妖精とか神様とか、そう言うめちゃくちゃ強いサーヴァントなんてたくさんいるし。わざわざ僕みたいなマイナー剣士なんてこんなに毎回呼ばなくてもいいじゃない?」
困ったようにそう笑ってセイバー斎藤一は肩を竦める。
ここは二回目のレイシフト先だ。西暦1431年のフランスの青い空の下、そんな斎藤を立香は困惑しながら見つめ返す。
斎藤一は立香のサーヴァントではない。これも仕組みは全く分からないが、彼は平行世界にいる藤丸立香のサーヴァントで、召喚すると立香に助太刀してくれるそうだ。
立香にとって、いやカルデアにとってはとても頼もしい存在であった。
そんな頼もしい存在に何故自分なんかを毎回呼び出すのかと言われても立香も困ってしまう。
けれど斎藤が困っていそうなのも確かであった。
「すみません、事ある度に毎回呼び出してしまって」
殊勝に頭を下げる立香に慌てて斎藤が否定する。
「いや迷惑ではないよ? こっちもお礼は貰えてるんだからそこは気にしなくていいの。ただ僕は単体宝具セイバーだから周回には向かないし、例えばモルガンさんみたいな全体宝具バーサーカーの方が仕事が早いんじゃないかなって思うの」
また良く分からない単語が斎藤の口から出てきた。単体宝具、全体宝具って何だ。
宝具という名前は立香も知っている。サーヴァントのみんなが持っている凄い必殺技のことだ。
バーサーカーも分かる。うちにもヘラクレスと言う大きいバーサーカーがいる。ヘラクレスと言う名前も有名だから知っている。具体的に何をした人なのかは分からないけど、すごく強い人だ。立香も小さい頃アニメ映画を見た記憶がある。とっても強くてすごいヒーローだった。
それに多分とても優しい人だ。それは立香にだって分かる。それは分かる。分かるんだけど。
立香は言葉に詰まって俯いた。
「……斎藤さんは日本の人だし、男の人で、スーツ着てるから、なんか……頼りやすくて」
立香の拙い説明に斎藤は鋭い目つきを真ん丸くした。
「あー……? そう言うこと?」
頬を人差し指の爪で引っ掻きながら斎藤は納得したように小さく頷いた。
なんとこの拙い説明で通じたらしい。流石斎藤さんは何でも分かってくれる、と立香は思わず安堵の息を漏らした。
「……言葉、通じるし……」
ヘラクレスを思い出しながら立香は言いにくそうに続けて答えた。
ヘラクレスが優しい人なのは立香にだって分かるし、意思疎通も何となく出来てはいる。だが会話が成立しないのは困る。困るというか本当に通じているのか心細い。
「ああ〜……」
さらに大きく納得の声を上げる斎藤に、こくこくと立香は頷いてみせる。
立香にしてみれば拉致同然に異国の地に連れて来られて、かろうじて言葉は伝わるが全く聞き慣れない専門用語の海の中で溺れるように毎日過ごしているのだ。
それも外国人ばかりのカルデアの中で、である。
ずらりと並べられたフレンドの一覧をぱっと見た時、そこに斎藤一という、現代でも一般的な名前と見慣れたコートにスーツ姿の男がいた時の安堵感は立香には言い表せなかった。
他の日本人サーヴァントが駄目と言う訳ではない。だが明らかに男性名なのに見た目が美少女だとか、和服姿のいかにも武士であったり忍者らしい姿であるよりはコートかスーツ姿の斎藤の方が日常的に見慣れている分頼りやすかった。
口にしてみれば、ただそれだけのことなのである。
ただ立香にはもう一つだけ理由があった。それは斎藤には言えない理由である。
それは初めて斎藤を召喚した日のことだ。
緋色の炎があちこちで燻る街の中、颯爽とネイビーのコートを翻してあっと言う間に並居る敵を薙ぎ倒す斎藤の後ろ姿は今でも鮮やかに立香の脳裏に蘇る。
その颯爽とした背中に立香は思わず見惚れてしまったのだ。
「んじゃまあ、下がってな」
そう言って如何にも余裕ありげな笑みを浮かべながら鞘から刀を抜く。手にしたその二本の刀で軽やかに舞うように敵を翻弄し、敵の攻撃を軽々と躱して反対に敵の急所に深々と刃を突き立てた。
そんな斎藤の姿に立香は目を、心を奪われてしまったのである。
火の海となったカルデアで、立香は瓦礫の下敷きになったマシュの手を握り死を覚悟していたのだ。そんな立香にとって斎藤の存在はどれだけ救いになったのか分からない。
心細くて不安で押し潰されそうで、本当はすぐにでも逃げ出したかった。そんな時に斎藤は余裕の笑みさえ浮かべてあっさりと立香を救ってくれたのだ。
そのお陰で立香はこうして今も生きている。
どんな凄い神様よりどんな偉業を成した英雄より斎藤こそが立香にとってのヒーローであった。
そして立香はそんな斎藤にすっかり憧れに近い恋をしてしまっている。恋と言うよりもどちらかと言えばアイドルに対するファンのそれの方がしっくりくるだろう。
もちろん英霊は霊のようなもので、今を生きる者ではない事は立香だって理解している。まして斎藤は自分のカルデアのサーヴァントでさえない。
本気の恋は報われない。流石に分からない事尽くしの立香だってそこのところはちゃんと弁えている。
(好きです、なんて口が裂けても言えないけど)
内心はにかむ立香に斎藤は迷ったように視線を彷徨わせなから口を開いた。
「立香ちゃん……実はエミヤくんも日本人だし、むしろ僕より立香ちゃんと生きてる年代は近いというか、むしろ被ってるっていうか」
「えっ」
そうなのか。全然知らなかった。
だってエミヤさん何にも言ってくれなかったし。あんな白い髪にあんな褐色の肌してたら誰だって外国の人かなって思うじゃない。
そういやなんか煮物とか和食がやたら美味しくて日本の家庭料理が得意な人だなとは思っていた。
日本人なら当然か。
やはり立香には分からないことだらけである。
〜〜中略〜〜
※※※
斎藤一は何もできない
そして最終決戦が終わったと立香のカルデアから連絡が入った。
立香が最後にゲーティアとどう戦ったのか、斎藤は知らない。ただ、彼女も立香のファーストサーヴァントもあのドクターを含めたカルデアの皆が皆『最善を尽くした』のだと、そう悟った。
特別に繋いだというディスプレイのモニター越しに立香が映る。珍しく疲労の色が濃い。それでも何かを成し遂げた眼差しで斎藤の顔を見つめる。
最初に出会った少女の頃から、少し、いやずっと大人になった顔だと思うのは家庭教師の欲目であろうか。
「斎藤さん、勝ちました」
「うん、良かった。よく頑張ったね立香ちゃん」
「あのですね、斎藤さん。きっとこれが最後だと思うから思い切って言います。私、斎藤さんのことがずっと、一人の男の人として好きでした。初めて会った日からずっと。ありがとう、さようなら」
「───」
何を言ったら良いか分からない。
全てが終わったと思い込んでいる少女に、たった今自分に淡い恋心を打ち明けた少女に何が言える。
どんな顔で「お前の地獄はこれから始まるのだ」と言えるのだろうか。
お前はこれから大切な仲間をほとんど失う。そして生き残る為に、自分の世界を救う為に数多の異聞帯を、そこに住む人々を滅ぼす旅をするのだ。
そんな事どうして言えようか。
はにかむ立香に斎藤は今にも歪みそうな顔を取り繕い、へらりとぎこちなく笑った。
「……っありがとう立香ちゃん、もし困ったことがあったらいつでも僕を呼びな。僕はいつでも立香ちゃんのところに駆けつけて、守ってやっから」
そんな口約束の嘘に近い言葉でさえ、連れて逃げてやるとはどうしても言えなかった。
しかし立香は今にも消えそうに儚げに、しかしそれでも斎藤に微笑んで見せる。
「うん、ありがとう斎藤さん」
「───っ待って立香ちゃ!」
そこで無情にも通信は途絶えてしまった。
「クソっ!!」
横にあった壁を力の限り殴る。
何も出来ない。これから何が起こるのか分かっているのに自分には何も出来ない。
あの頃と同じだ。死地に向かう土方を止められなかった生前と何一つ変わらない。
何が英霊だ。結局、自分は彼女一人救えやしないのだ。
〜〜進捗ここまで〜〜