成歩堂の右手の中指には、見てそれとわかる立派なペンだこがある。
「ひどいたこだな」
「うん......ああ、これ」
ソファに並んで座っていた成歩堂は、右手をひらりとシーリングライトに翳しながら言った。
「おまえのせいだよ」
「えっ」
預かり知らぬ責任の所在が自分にあるだなんて突然言われて動揺する。そもそも、成歩堂のペンだこに私が気付いたのはつい最近の話で、その原因が私にあると言われても困る。心当たりなど無い。
「......明らかな冤罪だ。私は何もしていない」
口を尖らせて異議を挟むと、成歩堂は呆れとも慈しみともつかないやさしい顔をして、それからふっと笑った。
「おまえね、ぼくがなんの努力もなしに弁護士になんてなれたと思う」
大きな手のひらが柔軟に形を変えて、無骨な五指が滑らかに折りたたまれる。
「これはいわば証明だ。ぼくが費やしたエネルギー、時間、情熱、きみに辿り着くプロセスの一切合切、」
軽く握った拳を見つめながら、成歩堂は歌うように嘯いた。やがて言葉を切ると拳を解いて、最後に私の手を取った。
「それから、愛の」
その柔らかな言葉が耳に届いた途端に、わけもわからず、胸の底がぐっと苦しくなって思わず俯いた。この感情の名前を私は知らない。
部屋に沈黙が降りて、自分の心臓の在り処を強く意識する。成歩堂の熱くておおきな手のひらはいまだ私の手を捕まえたまま、力が緩む気配もない。
不意に、黙り込む私に注がれていた視線が逸れたのを感じて顔を上げる。ソファの背に体を沈ませながら、成歩堂は事も無げにつぶやいた。
「まあ、そもそもぼくの基礎学力なんてたかが知れてたからね。あの頃はとにかくがむしゃらに量をこなすしかなかったんだよ」
ああ、けろりとした顔で、なんでもない事のようにキミは言う。
そもそも論文式なんてさ、この時代に手書きでやるイミがわかんないよな、と不満げにぼやく成歩堂の横顔から目が離せない。
「キミは......」
「ん」
何か言わなくては、という焦りが私の口を逸らせた。次の言葉が継げず再び黙り込んだ私を、黒曜石のような瞳が見ている。ひとつの言葉も聞き零すつもりのない、真摯で真っ直ぐな目だった。
「キミは、もしかして、私を愛しているのか」
言い切ったところで、自分の口走った言葉の意味に気づき、ぶわりと背中に汗が滲む。違う。こんなことを言うつもりではなかった。
体温が一気に上がって、繋がれた手の温度がもうわからなくなる。顔がひどく熱い。
「違う、間違えた、そうではなく、」
「バカ言うなよ」
みっともなく焦る私を眺めながら、成歩堂は楽しそうにからからと笑って、私の手をぐっと引き寄せてキスを落とした。
「今更もう、愛なんて言葉ひとつで片付くわけないだろ」