催眠症候群「キバナ、準備出来たぜ」
すぐに眠っても良い格好でそう言ってダンデはパタンとベッドに横になった。
今からダンデに催眠術を掛ける。もちろんダンデは了承済みだ。というのも、ここ最近ダンデにとって俺さまの催眠術はリラックス方法の一つになっている。その為眠りが浅いと感じたり疲労を自覚した時には俺さまに催眠術を掛けて欲しいと頼んだ。弱った時に頼れる恋人…ダンデからの信頼を感じて俺さまは密かにグッと来ている。
忙しいとはいえダンデにだって休憩時間はあるし、ちゃんと夜には家に帰るようにしている。けれど疲労が抜け切らない。つまるところ休むところを休みきれないのだ。思考の三割は休めていたとて思考の七割は次の予定新しい戦略手持ちの育成その他諸々、止まる事なく脳みそは回っている。そこで俺さまの催眠術が呼び出される。催眠術には「集中の為に思考を制限する」手法もある。つまり今回の目的は俺さまが催眠術でダンデの思考の十割を休息に集中出来るように声を掛けて誘導するということだ。
ダンデの頬を撫でると肌が乾燥しているような気がする。折角のお泊まりデート、もう少し色めいた展開を期待しないでも無いが疲れた恋人を労わりたいという気持ちもあってご期待通りに催眠術を振る舞うことにした。
「じゃ、深呼吸からな。…息、吸って」
もはや慣れた手順。俺さまの言葉に合わせて目を閉じたまま、はぁと深く息を吐きながら手脚の力を抜いていくダンデ。それを見下ろしながら俺さまはうっそりと笑う。ダンデに見えないのを良い事に俺さまは欲望を隠す事なく牙を晒した。
もうダンデは俺さまが指を鳴らすだけで深い催眠状態にまで落とし込む事が出来る。それでもこうして定期的に丁寧に工程を踏んで落ち方を復習する事は大切だ。ただでさえ道を間違えるのが得意なダンデだから、何度繰り返したってやり過ぎなんてことは無い。
眠るように目を閉じたダンデを見下ろして注意深く様子を観察する。瞼の内側、わずかに眼球が動く。眼球彷徨とかいう一つの目安で、意識が覚醒から催眠状態に切り替わった時の反応らしい。
「力が抜けると、体が重く感じるな …体が重い 」
体の内側に思考を向けて脱力感を意識するように誘導する。ダンデの指先が僅かに震えるが目が開く様子はない。
「もっと重くなる ベッドに沈んでく ずーん て」
張り詰めた風船から空気が抜けるみたいに、ダンデが息を吐き出す。ベッドに沈んで、もっと沈んで、深く深く落ちていくイメージ。落ちて落ちて、ダンデの意識の底、無意識にまで辿り着く。
「すごーく安心して 力が抜けて きもちいい ゆっくりして、のんびりして 何にも考えないでいられるよ」
連日の仕事で凝り固まった頭をあたためて弛緩させるように丁寧に撫でる。手足の力も抜いて、頭の力も抜いて、すっかりリラックスといった状態だ。
すっかりくったり脱力したダンデの妨げにならない様にそぅっと息を吐きながら、俺さまはその愛おしい無力な恋人を見下ろした。かぁわいい、と囁く声音で呟く。
「催眠術 きもちいいな もっときもちよくなりたいよな ダンデは キバナの催眠術が好き 」
指を鳴らすとダンデのまつ毛が僅かに揺れる。疵一つないダンデの無意識という聖域に俺さまの爪痕を残す。
人間は概ね気持ちいいことが好きだ。俺さまとダンデにとってポケモンバトルは言わずもがな。気持ちいいことは好きで、もっとしたくなるもの。だからダンデが催眠術を好きになればもっとしたくなるのは当然。
気持ちいいことは好き。催眠術は気持ちいい。催眠術が好き。だからもっとしたい。至極簡単な話だ。
好きな事を繰り返して、上達して、もっと悦くなる。だからもっと好きになる。それは、俺さまも。
「みっつ、数えて手を叩いたら目が覚めるよ」
どんな事が出来るのか、どこまで出来るのか。さて今日は何をしようか。
「目が覚めたら、キバナにキスして」
催眠術から覚めた後の為の暗示を無意識下にそっと滑り込ませる。
「キスしたら、すごく幸せになる うれしくて ぽかぽかして もっとしたくなる」
あどけない表情のダンデ。眠たいのだろう、高い体温を感じさせる色付いた唇はふっくらとやわらかそうで見ているだけじゃ物足りない。
「キスする度 キスする程、しあわせになる どんどんしあわせになっちゃう」
じゃあ、試してみようか。
目が覚めたらダンデはこの催眠状態で聞いた言葉は覚えていない。けどすごく気持ちが良かったことは覚えていられる。目が覚めたら頭がさっぱりしてすごくスッキリしている。そう囁いて、いくよ と前置きしてから手を叩いた。
「っ、ぉわ」
寝入りばなを起こされたみたいにビクって肩を震わせてダンデが目を覚ます。何度か目を瞬かせて、はぁーと感心したみたいに深く息を吐き出した。
「ど? 少しはリラックス出来た?」
「あぁ…、すごく休まったぜ。ありがとうキバナ」
そう言って上体を起こし、ごく自然にダンデは俺さまを引き寄せて頬にお礼のキスをした。どういたしまして、と言う俺さまにまたキスを一つ。二つ。ついばむ様に何度も唇が当てられる。
「んふふ、くすぐったい。なぁにダンデ」
「…ん、ぅん…、…キバナ、ん…、…?」
ダンデの声の輪郭がぼんやりと滲んだ。幸福感を注がれてふやふや緩んだ脳みそがほどけて蕩けるのが見てとれる。かわいい。なおも繰り返されるキスから戯れにふいと顔を逸らしてベッドにぱたんと倒れ込むと、俺さまを追いかけるようにダンデが真上にのし掛かった。
俺さまを見下ろす金の目が、とろんと潤む。酩酊したみたいに胡乱な視線が縋る様に俺さまを見つめる。
「きば…、キバナ…キス、してい…? もっと、…キス」
「どうぞ? いくらでもキスして、ダンデ♡」
脳みそを絡め取る多幸感から逃れられなくなったダンデがそれでも律儀に俺さまに伺いを立てるから、望む所と甘ったれた声で誘う。俺さまの誘惑にダンデは嬉しそうにだらしなく唇を緩めた。
ちゅ、と可愛らしいリップ音を立てて唇に唇が触れる。それだけでダンデがふるりと身体を震わせた。頭のてっぺんからじわぁとうなじに、背筋に腰に、細波みたいな震えがつたい降りる。
あついくらいのダンデの体温が薄い皮膚越しに伝わり、それが何度も触れては離れてまた触れた。喉の奥を震わせて鼻にかかった声を漏らしながら幸福に弛緩したダンデの身体が次第に俺さまの上にしなだれかかって来るのが心地良い。
「ダぁンデ?」
返事は無い。代わりに深く穏やかな呼吸が紡がれる、ささやかな空気の震えだけが聞こえてきた。すっかり幸せに酔ってしまったのか、ダンデは虚な目で身動き一つ取れなくなっている。ふふと笑ってその身体を抱き締めた。折角のお泊まりデート、この位の甘さは強請っても致し方あるまい。
疲れた恋人を癒しつつ、俺さまの欲望も満たして、結果オーライ。それでは夜も更けたところで。
「おやすみ」
パチン と指を鳴らした。
終