れおなゆ七年後シリーズ~January 30th~ 今日一日でたくさんの人から貰った祝いの言葉にプレゼント、賢汰さんが作ってくれた好物ばかりが並んだ夕飯に、深幸さんが買ってきてくれたケーキ。
これ以上ないくらい充実した時間を過ごしておいて贅沢な話だけど、今年の誕生日終了まであと僅かというところでパズルに欠けたピースがあるような物足りなさを感じていた。
バンド内のメンバーにとっては恒例となった、涼さん主催のバースデーパーティーを終えてリビングから自室へ戻る途中。
元々寄る予定だった場所の前で足を止める。
夕飯のご馳走を食うだけ食って、去り際にちらっとこっちを見たくらいで何も言わずにさっさとリビングから出てった奴の部屋だ。
ドアがほんの少し開いてるのに気づいて、首を傾ける。
こんな夜更けに、珍しい。
賢汰さんが掃除して換気のために開けてある、とかならたまにあるけど。あと考えられるのはにゃんこたろうのトイレ戻り待ち、とか?
まさか倒れてるとかないよな、と怖くなりながら一応ノックをして呼びかけてみる。
「……那由多?」
返答がないことに焦って「ちょっと入るぞ」と、ドアをぐっと押し開けた。作業中だったのか、机に向かう那由多の背中が見える。
「いるなら返事くらいしろって」
安堵を含んだため息混じりに文句を言ってやってから耳のイヤホンに気づいて、反応がなかったのはそのせいかと納得した。
ふいに那由多が振り返って、椅子がギッと音を立てる。
いつの間にか部屋にいるこっちの存在をやっと認識したようだったけど、向こうは片耳のイヤホンを外しただけで何も言おうとはしない。
「ノックしたし声もかけたからな。一応」
黙って勝手に入ってきたと思われるのも癪だったからそう念を押して、「作業、まだかかりそうなのか?」と改めて訊ねる。
「もう少しで終わる」
答えてまた作業を再開した那由多は、外したイヤホンをつけ直さず机の端に置いた。
「何聴いてたんだ?」
机に転がったそれを手に取ると、机脇のベッドに腰かけて耳に詰め込む。フォークギターの奏でる、静かな音色が心地良い。
「いいな、これ」
目を閉じて聴き入りながら、その場にごろんと横になる。気持ちが通じ合って以来、こうして部屋を訪ねる機会そのものは増えた。
とはいえ、互いにいつも暇なわけじゃない。特にこいつは、一旦作業に没頭すると酷い時は平気で何日も部屋から出てこないし。
忙しさの度合い、的なのを見計らってたまに様子を見に来るようにはしてたけど。
薄く瞳を開くと、手を伸ばせば触れられそうなほど近くに那由多がいる。
……〝もう少し〟、とか言ってたな。
結局いつまでも終わらなくて、おやすみを言って部屋に戻るなんてザラにあることだ。
でも今日は、できるだけ長く一緒にいたい。
もっと欲を言えば、触れたいとも思う。
そのまま本当に手を伸ばしかけてしまって、ハッと我に返る。
作業の邪魔しに来たんじゃないだろ、と自身に言い聞かせながら首を横に振った。こんなタイミングで、妙な気分になるのは避けたい。とりあえず身体を起こしてベッドから立ち上がると、棚に並んでるCDでも眺めてやり過ごすことにした。棚の上段部分、トレーにずらりと並べられたシルバーアクセサリーに目をやる。
しばらく見てなかったうちにまた少し数が増えた気がするとか、これは俺が前にあげたやつだったよなとか。そんな風に思いを馳せてるうちにふと、一つだけ他とは違った雰囲気の指輪があるのに気づく。他と比べてそこまでごつくないし、だからといって細すぎるわけじゃない。那由多が持ってる指輪にしては装飾もわりと控えめなデザインで、何となく目が離せなかった。
「なぁ。指輪、ちょっと試しにつけてみてもいいか?」
振り返りまではせずとも一瞥程度は寄越して気にする素振りを見せた指輪の持ち主から、「好きにしろ」と許可が下りる。
珍しい、とでも思ったんだろうか。
それは自分でもそう思う。ギター演奏の妨げになってしまうからと、元々あまりつける機会のないアクセサリーだ。
落とさないように利き手の指でつまんで慎重に持ち上げて、ちょうどその指輪が通りそうな太さの指を探して身につけてみる。
手のひらを広げ少し上に掲げてひとしきり眺めていると、だんだん恥ずかしさでむず痒い気分になってきた。
あんまり慣れないことするもんじゃないなと、指にぴったりはまったそれを外してしまおうと反対側の手で指を包み込んでぐっと力を込めた。
「……ん?」
二度、三度と同じように試してみても、やっぱり外れない。ちょうどその時、作業を終えたのか椅子から立ち上がった那由多と目が合う。一瞬だけ慌てたけど、ひとまず有識者を頼ってみることにした。
「悪い、那由多。外れなくなったんだけど、どうしたらいいんだ? これ」
面倒くさそうにため息をついたそいつは、それでも「見せろ」と手を差し出してくる。素直にそこへ左手を置くと、指輪に視線を落とした那由多はそのまま黙り込んでしまった。
長すぎる間を疑問に思いながら指を改めて確認して、無意識にはめていたのが左手の薬指だった事実にようやく気がつく。
「いや、ちが……! これは、その。入りそうなのがこの指だったってだけで深い意味は」
「どうでもいい。ンなこと気にしてねえ」
実際にそんなつもりがなかったとはいえ、話途中で遮るようにどうでもいいなんて言われたらさすがにムッとなる。ていうか、じゃあさっきの間は何だったんだよ。それから那由多もいろんな角度で外そうと試みてたけど、これはもう素手じゃ難しいのかもしれない。
……それにしても。こいつの方から手を握られて指を触られるなんてことはまずないから、妙に新鮮だ。くすぐったい感じなのに、触れる場所によってはゾクッとしたりで戸惑ってしまう。
「やっぱり、他に別の外す方法……」
「めんどくせえ。返さなくていいから、後で外したきゃ外せ」
沈黙に耐えかねて切り出した俺に素っ気なく言った那由多は、パッと手を離した。
「そういうわけにもいかないだろ。お前の指輪なんだし」
反論に対して「いいって言ってんだろうが」と吐き捨てた那由多は、苛立った様子でベッドに腰かけた。かと思えば、まるで昂った感情を抑えようとしてるみたいに小さく息を吐く。
「また、同じ指輪を買えばいいだけの話だ」
思いがけない一言に、目を見開いた。
「……俺とお揃いになる、って分かってて言ってるか? それ」
聞きつつそいつのすぐ隣に座って、じっと顔を覗き込んだ。ベッドに手を置いて体重をかけたせいか、ぎしりと軋む音が部屋に響く。
すると答えの代わりとでも言いたげにまっすぐ見つめ返してくるから、普段から可愛げなんてものは持ち合わせてないこいつがやけに可愛く見えてきてしまう。
いつもならこのままキスする空気だけど、今日は絶対にそれだけで止まれそうになくてグッと気持ちにブレーキをかける。ただこんな日だし手を握るくらいは許して欲しい、と那由多の左手を手に取った。
……時々、本当に時々だけど。
左手の薬指に、俺から贈った指輪がはめられてることがある。もしかしたら今日はつけてくれてるかも、なんて淡い期待は、空っぽの薬指を見せつけられて秒で打ち砕かれた。
残念には思ったものの、それはそれで気まぐれなところがこいつらしい。
何の気なしに薬指の付け根あたりを親指の腹で軽くなぞってみると、触れられた箇所に反応して那由多の手がぴくりと跳ねた。もしかしたらこいつもさっきの俺と同じように、くすぐったいだけじゃない感覚に陥ったのかもしれない。そんな想像をしただけで、もっと触れたい衝動に駆られそうになる。
「……っ、おい」
振り払われて離れていきそうになったそいつの手を、とっさに追いかけて掴み引き戻す。まだ離したくなくて思わずとった行動だったけど、不快にさせるのはもちろん本意じゃない。嫌なら構わずまた同じように振り払うはずだと力を抜いてみても、単に驚いただけだったのか一向にその意思は感じられなかった。このまま握ってても構わない、ってことなんだろう。……多分。
「あのさ、那由多」
話を切り出してから、繋いだ手に少しだけ力を込める。
「前に話したこと、お前はもう忘れたかもしれないけど。俺はやっぱり誕生日にこうやってお前と過ごす時間は欲しいと思ってて」
〝祝いの言葉もプレゼントも、お前と過ごす時間さえもらえるなら何もいらない〟
いつかこいつに、そう告げたことがあった。
「だから、また来年も……」
「テメェはいつもゴチャゴチャとうるせえ。一度言われりゃ覚えんだよ」
遠回しな言い方に、意味を理解するのに少しの時間が必要だった。
……ちゃんと覚えてる、ってことだよな。
那由多なりの不器用な伝え方を察した途端、時間差で頬がじわじわと熱を帯びてくる。
たまらなく愛おしさが込み上げてきて、歯止めがきかない。
手を握るくらいで満足、なんて嘘ばっかりだ。……結局こうして、唇を重ねずにはいられなくなってるんだから。
「お前ってほんと……、分かりにくい」
触れるだけのキスをした後で、小さく呟く。
可愛いと口走りかけたのを寸前で照れが出て言い換えてしまう俺も大概、素直じゃないけど。
キスだけで止まらなくなる、とはよく言ったもので。あと少し、もう少しと唇以外にも額や瞼に口づけていくうちに足りなくなってきて、首筋まで下がってキスを落とす。
大抵このタイミングで一回は引き剥がされることが多いのに、抵抗しないどころか今日は何故か受け入れ態勢な雰囲気さえ感じる。いいのか? と疑い半分で、だけど止められなくて、肩を掴んだそのままの勢いでベッドに押し倒した。
「……美園。待……っ、」
待て、と言いかけたのかは、那由多の開いた唇の隙間に舌を滑り込ませて塞いでしまったので分からない。
湿った音が立つほどに深く舌を絡めるキスは、触れるだけのキスとは違ってどうしてもその先の行為を想起させるものだ。
「ん、ぅ……」
くぐもった声が、那由多の口から漏れ出る。理性のタガが外れて、何もかもの手順をすっ飛ばしそうになるのを必死で耐えた。いつの間にか離れてしまっていた手を繋ぎ直して、自分の手の指を那由多の指に絡める。服に手をかけようとした時、そこでやっと軽く胸を押し返される感覚があって一度唇を離す。
「……っ、あのな」
さすがにここで止めるなよ、と文句が出そうになったところで、那由多が部屋の入口へ顔を向けたのに気づいた。視線を追った先に少しだけ開いたままになってるドアを確認して、思いきり脱力する。訪ねてきた時にはもうその状態だったから何となくそのままにしてたけど、そういえばそうだった。
こっちがどいても全く動こうとしない那由多にイラッとしつつ、閉めに行けばいいんだろと立ち上がる。
「暖房の効きだって悪くなるのに、何で開けっぱなしになんか……」
ぶつぶつと文句を言ってる途中で、あることに気づいて言葉を失う。もし本当にそうだとしたら、特に意味はないと思ってた全てに合点がいく。
いつかの誕生日に伝えた言葉を、こいつは忘れてなかった。
パーティーをさっさと抜けてしまう間際にほんの一瞬だけ送られた気がした視線も、小さく開けられたドアの隙間も。
言葉はなくても行動の一つ一つ、那由多にとってちゃんと意味があったなら。
自分の左手薬指に目を向けて、さすがに指輪は偶然だろうけど。と思わず笑みをこぼして振り返る。
「これ、返さなくていいんだよな」
確認の意味も込めて、外れなくなってしまったそれをあえて那由多に指し示した。
眉を寄せて「しつけえ」と返したそいつの微かに赤みを帯びた耳元へ、小さく感謝の言葉を囁く。さっさと閉めてこいと無言の圧力で睨んでくる那由多は、照れ隠しですら可愛げがない。
それでも、ドアを閉じると同時に欠けていたピースが埋まっていくのを確かに感じた。