『オオカミ少年の物語』全4章(うち本編2章)「あの星を見ると、なぜだかとても恋しい気持ちになるんだ。」
1. 夢の章 ~エモクトロ~
砂漠の中にぽつんと、町がありました。その町にはいつも退屈そうにしている少年がいて、毎日何もない砂漠をふらふらと散歩していました。
ある日、その町外れの砂漠に赤い飛行機が不時着していました。少年がそっと近寄ると、飛行機のそばで大人の男の人が困った様子で、ぼんやりとパイプを吸っていました。少年はあまりにもびっくりしてしまったので、目を見開いたまま動けませんでした。その大人はやっと少年に気がつき言いました。
「君はこのあたりに住んでいるのかい?近くに、飛行機の整備ができるところはないかな?」
少年は首を縦に振ったり横に振ったりしながら、だんだんとわくわくしてきました。もしかしたら、この人は僕をこの町から連れ出してくれるかもしれない。
少年はその飛行機乗りから、様々な旅の思い出を聞きました。少年はそのお返しに、いつも想像している自分だけの星の話をしました。その星は子ども一人が暮らすのにぴったりの広さで、お気に入りのバラの花が一輪咲いていて、僕はギターを弾いていて…
そうして二人はいつも砂漠で待ち合わせをして、お互いの壮大な物語を楽しみ、大切な時を過ごしていました。
しかし、とうとう飛行機乗りとお別れの時が来てしまいました。彼の友人たちが懸命に探したおかげで、飛行機乗りは無事に故郷の国へ帰ることができそうでした。彼はにこにこと嬉しそうに、少年に別れを告げました。
少年は飛行機乗りに、僕も一緒に連れて行って、一生ここから出られないんだ、と言いました。飛行機乗りは少年をなだめて、こう言いました。
「また、どこかで会おう。もちろん、この町じゃないどこかでね。君は立派なパイロットになって、世界中を飛び回る。そのとき再会するまで、このスカーフを君にやろう。」
少年は俯きながらも、小さくうなずいてスカーフを受け取りました。彼をこれ以上困らせたくなかったからです。本当はついて行きたい気持ちでいっぱいでした。
みるみる小さくなってゆく赤い飛行機を、少年は胸を締め付けられる思いで見送りました。
それから、数年が過ぎました。そして少年はまだ、町から出られませんでした。
「あの人から、どうやったら飛行機乗りになれるのか、聞いておけばよかった。」少年は途方に暮れました。彼の住む町はあまりに小さすぎて、飛行機も、飛行場もありませんでした。飛行機乗りになるための手がかりが、何もなかったのです。
飛行機乗りに出会った日から、少年は当てもない散歩をやめて、彼と出会った場所に、飛行機の墜落した場所に向かうのが日課になっていました。もしかしたらあの時のように、赤い塊が黒い煙をゆらゆらと漂わせているのではないかと思いました。参ったなあ、と独り言をいいながらパイプをくわえて立っている男の人がいるのではないかと思いました。
でもいつも少年は、何もない砂漠を見渡してがっかりするだけでした。
その日も何もない地平線を見渡したあと、まっすぐ町へ帰るつもりでした。ため息をついて振り向くと、砂漠の中を何か動くものが見えました。
「君、毎日ここへ来るね。何か捜し物かい?」
それは黄色い蛇でした。ちろちろと舌を動かしながらすばやく近づいてくるので、少年は思わず身じろぎしました。
「毎日毎日、地面を見渡して空を見上げて、君の熱心さには感服したよ。本当さ。何か願い事を一つ、叶えてやろう」
少年はわけが分かりませんでしたが、おずおずと尋ねました。
「会いたい人がいるんだ。その人にここに来てもらうことって、できる?」
「それは無理なお願いだな」蛇は少し幻滅したように言いました。
「君以外の他者、生きている命を動かすことはできない。自分以外の生き物ってのは、ままならないものさ。君はそんなものをずっと待っていたのかい?」
少年は蛇の言い方があまりにもひどいので、少しむっとして、反論してやりたくなりました。
「そんなんじゃない。僕はずっと、自分の星を見上げてたんだ。僕だけの夢の惑星があるんだよ。」
「じゃあ、そこに行けばいい。ぴったりの願い事じゃないか。」
少年はまだ少し、蛇を疑っていましたが、この町からようやく出られることで何かが報われるような気がしてきました。蛇が少し尾をくねらせると、いつの間にか少年と同じくらいの背丈の、黒髪の男の子が立っていました。その子は何も言わず、少年と向かい合わせに立って、何かを待っているようでした。
蛇は品定めするように舌をちろちろ向けながら、少年に問いかけました。
「君の両親は君を忘れ、代わりにこの少年が君の居場所で生きることになる。君はそれでもいいんだね?」
少年はこれ以上考えると決めるのをためらってしまいそうだったので、あまり深く考えないようにして小さく頷きました。それから蛇と黒髪の男の子に挨拶をして、少年は目をつむりました。
少年の体は星にたどり着く前に燃え尽きてしまい、魂だけがぐんぐんと宇宙へ昇っていきました。少年の魂はもう一度だけ地球を振り返り、赤い飛行機が飛んでいないか確かめましたが、やはり何も見当たりませんでした。
あの飛行機乗りはどこにいるのでしょう。
友人たちと楽しく食事をとっているのかもしれません。大切な家族に旅の思い出話を聞かせているのかもしれません。もしかしたら、何か悲しい勘違いで撃ち落とされてしまったのかもしれません。
少年が彼の姿をもう一度目にすることは、ついにありませんでした。
2. オオカミの章 ~オルタナティブロック~
小さな小さな惑星にどこからか魂が流れ、不時着するようにその星に落ちました。魂はさわさわと寄せ集まり少年の姿になると、自分の周りをおそるおそる見渡しました。
彼は、記憶を失っていました。
その星にはギターやら、バラの入ったガラスケースやらが、散らばるように落ちていました。羊もいました。
ふと少年は、自分の首に何かが巻き付いているのに気づきました。それは赤いスカーフでした。
「何か、大切な約束があった気がするんだけど…」
少年は不思議に思いながら、けれどもそのスカーフがとても大切なものだった気がして、きゅっとしっかり結び直しました。
宇宙の遠くに目をこらすと、小石のように小さな青い星が見えました。少年はなんとなくその星が気になって、おーいと呼びかけてみましたが、どこからも返事はありませんでした。
ラジオがざりざりと鳴っていました。
3. 羊の章 ~ゾディアックオラクル~
あるとき、羊飼いとたくさんの羊たちが、少年の星を訪れたことがありました。がらんがらんとけたたましくベルを鳴らしながら、羊飼いはたしなめるように言いました。
「その羊、僕のとこのだよ」
羊飼いは、少年の星になぜか住み続けている1頭の羊を指さしていました。
少年は丁寧に、この羊はどこから来たかわからない、もうずっと前からこの星にいるようだ、もしあなたの所有する羊だったならすぐに返す、ということを説明しました。羊飼いはふむと呟いて羊の瞳をじっと見つめましたが、やがて態度を改めて言いました。
「これは失礼、たしかにこの羊、僕のとこのじゃないな。健康で、穏やかで、若く聞き分けのいい羊だ。こんなやつは見たことがない。羊はたいてい怯えた目をして、頼りなげにしているものだよ。こいつは違う、とてもいい羊だ。君、大切な羊だったんじゃないのかい。」
羊飼いの言葉に戸惑いながら、少年は言い訳するように言いました。
「もともとここにいたんだ、僕がここに来る前から…だから、なぜそんな羊がいるのかなんて知らないよ。」
「そうか。ならこの羊はこのまま、この星で暮らす方がいいな。きっとその方が幸せだろう。」
羊飼いはそう言いながらもしばらく羨ましそうにしていましたが、移動の準備をすると、またがらんがらんとベルを鳴らして歩き出しました。
少し遠くから羊飼いは振り向き、言いました。
「君、とても大切なことを忘れているんじゃないのかい。」
4. 冠の章 ~ドリームゲイザー~
砂漠の中にぽつんと、町がありました。いつだったか、その町で羊が1頭いなくなったことがありました。
その羊は大変に手がかけられていて、町の財産の一つになっていました。住人たちは大騒ぎして羊を探しましたが、とうとうその1頭は見つかりませんでした。
黒髪の少年がくすくす笑いながら大慌ての大人たちを見ていると、ふと声がしました。
「あまり勝手なことをするんじゃないよ。」それは、あの黄色い蛇でした。
少年はふと真面目な顔になって、頭にのせた冠をまっすぐ立て直して言いました。
「だって、あの子がいなくなったのに気づく人は誰もいないなんて、寂しいじゃありませんか。せめてこの町から大切なものが失われたことだけでも、間接的に、みんなには知って欲しかったんです。」
黒髪の少年は毎日、星を見上げるのが好きでした。彼には遠い宇宙の向こうに、知り合いがいたからです。少年はその知り合いに語りかけるように、両手を広げて空を見上げて言いました。
「あなたは、とうとうずっと遠くの星へ行ってしまった。あなたの憧れた惑星は、どれほど素晴らしいところでしたか。あなたは幸せに暮らしていますか。
あなたは退屈と言ったけれど、僕はこの町が好きです。あなたにも、幸せが訪れていますように。」
おしまい