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    はち/八朔

    @midnight_2456

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    POIPOI 17

    はち/八朔

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    一桁も二桁も大して違いはない話。
    なんでも許せるかた向け。

    ピーナッツバター・ジェリーラブ さて、まず目の前に幼女がいるという話から始めなければならない。

     大きく潤んだ瞳、やわらかそうな丸い頬、癖のないさらさらの髪、小さく短い手足に身体。まごうことなき幼女である。
     どうしてその幼女がオズの腕に抱かれてフィガロの部屋に運ばれてきたのか疑問は尽きないが、それはともかくとして。
     問題は、その幼女が賢者にそっくりという点である。

     ――ていうかこの子、賢者様だよね?

    「……おまえそういう趣味あったの?」
    「何の話だ」

     もちろん冗談だ。千年の付き合いで一度も通じたためしはないが。しかし数年前までよく目にしていた光景だ。
     ちょっと、ほんのちょっと、勘ぐったところはある。もちろん冗談だ。

    「……部屋で泣いていた」

     賢者の部屋の前をたまたま通りかかったところ、中ですすり泣きが聞こえて不審に思い、扉を開けたら、賢者によく似た子どもがぶかぶかの服に埋もれて泣いていたのだという。
     子どもには記憶がなく、オズを見た最初の一言は「おかあさん」。「おまえの母親ではない」と真面目に答えた結果、更に泣かれたそうだ。

    「……ちょっと待ってこの服はどうしたの?」
    「縮めて着せた」

     元に戻った彼女に真実は隠しておこうと心に留める。知らないうちにオズに着せ替えさせられていた賢者(子どものすがた)は大人しく腕に収まりながら、不安そうに辺りを見回している。毛先にわだかまるまじないの残滓が散っては消えていくのが見えた。

    「何かの呪いだね」
    「……媒介らしいものが落ちていた」
    「なんだった?」
    「玩具箱だ。魔力は残っていなかったが」
    「ジョークグッズの一種か。その箱はどうしたの」
    「ファウストに渡した」
    「なんて言ってた?」
    「解くのは難しくないが、材料が足らないので東の国に取ってくると」

     彼が動いているなら今日中にでも呪いは解けるだろう。フィガロが解くことも可能ではあるが、ここは専門家に任せるに限る。小さくなった賢者を任務に連れていくことはできないが今日1日くらいは何とでもなるだろう。万事解決だ。
     ――で。

    「それで、なんで俺のとこに連れてきたの」
    「……子どもはすぐ熱を出す」
    「見た感じ、元気そうだけど」
    「……喋らない」
    「確かに大人しいね。呪いのせいかな。ちょっと診てみようか。賢者様、おいで」

     ルチルやミチルが小さかった頃を思い出しつつ、柔和な微笑みを意識して両手を広げる。てっきりはにかみつつも手を伸ばしてくれるものと思っていたが、賢者はフィガロを避けるようにオズにすがりついた。……怯えられている? まさか。
     しかしフィガロが手を伸ばすとオズの服を掴む手に力が籠る。「……怖がらせるな」してない。睨むな。怖いのはおまえの顔のほうだよ。

     注射も持っていないのに、子どもに拒まれたのは久しぶりだった。仏頂面なオズよりよほど子ども受けするタイプだと自負していたのだが。アーサーだっていつもフィガロが来るたびはしゃぎ倒して疲れて熱を出しオズがもう来るないやアーサーの熱を何とかしてから帰れと苦言を呈するところまでワンセットだったのに。というか。

    「なんでそんな懐かれてるの?」
    「知るか」
    「賢者様、俺のほうが優しそうでしょ? ……えっなんで泣きそうなの」

     手を離したら死ぬと言わんばかりのしがみつきようだ。ふくふくした指は、ぎゅうぎゅうに力を込めて、オズのコートに皺を刻もうとしている。正直言うと、ちょっと、いや、かなりショックだ。子どもに、それも賢者にここまで拒まれるなんて。
     小さい頃の彼女はよほど人見知りだったのか母親がそんなにオズに似ているのか。いっそ髪を伸ばしてみるかと考えるフィガロの前で、オズが賢者を見下ろした。子どもの潤んだ瞳に見上げられ、ややたじろぎながらゆっくりオズは言った。

    「この者は、……おまえに酷いことはしない」

     だいじょうぶだ。ぎこちなく頭を撫でるさまは、幼子を拾ったばかりの頃手つきに似ている。幼子が育つにつれて段々慣れていったはずが、ふわふわのちいさな女の子が相手だからなのか、賢者が相手だからなのか。
     不器用だがそれなりに年季の入った宥めに一応効果はあったらしく、賢者はゆっくりオズの服から両手を離し、厚手のコートには小さな指の型がふたつしっかり残った。椅子に座った賢者は、それでもまだ不安そうに視線をきょろきょろさせている。ここに来てからの記憶がないのなら、落ち着かないのは当然だろう。ましてや周囲は知らない人間ばかり。こんなにちいさな子どもが怖がっても仕方がない。
     この子はまだ、フィガロを知らない賢者なのだ。

    「こんにちは」

     努めてやさしく声をかけると賢者の瞳がおそるおそるフィガロを映した。澄みきったチェスナットブラウンはまだ怯えの色を残していたけれど、存外しっかりした声で「こんにちは」と返した。良い子だ。きっと両親も良い人間だったのだろう。

    「名前を教えてくれる?」
    「……あきらです。まさき、あきら」
    「そう、晶。さっきはびっくりさせちゃってごめんね。俺はお医者さんだよ。今からきみに悪いところがないか知りたいんだ。痛いことも怖いこともしないから安心して」

     注射も持ってないよ。両手を広げてアピールするとともに、視線を合わせてゆっくり話しかけると、ちいさな肩のこわばりが少しほどけた。「ごめんね」と断って、手を首元に近づける。一瞬身体がびくりとしたけれど、賢者は唇を引き結んで動かなかった。触診したほうが状態は分かりやすいが、これ以上嫌われたくないのもあって、こっそり魔法を使って調べることにした。

     身体に異常なし、健康優良。まだ緊張しているのか脈が平均より速いくらい。喋らないのはこの頃の性格なのだろう。誰隔てなく話しかける彼女の気性は、成長するにつれて培われたのかもしれない。
     記憶喪失以外は問題なし、ファウストが戻ってきて呪いを解くまで誰かに遊んでもらうかお昼寝してもらって、できるだけ北の三人、特にミスラとオーエンには見つけられないようにして――そう言いかけて盛大な腹の虫に邪魔された。

     長寿の魔法使いは生理的な欲求に馴染みが薄い。特に食欲。つい何百年か前はマナ石で済ませることも多かったので、身体が空腹を訴えることは滅多にない。魔法舎に住んでネロの食事を知ったせいか、近頃は規則正しい食事を待ち望むようになったけれど、ここまで主張が激しいわけじゃない。オズも一緒だろう。

     つまり、空腹の虫が暴れているのはひとり。可哀想なことに、虫の飼い主は耳まで真っ赤になって唇を震わせている。ちょっと頬をつついたら涙が零れそうだ。
     どうやら賢者は、お腹空いたと無邪気に言えるような子どもではなかったらしい。ならば、聞こえなかったふりをするのが得策なのだが、残念なことに我が弟弟子はそういう空気を読むすべにはちっとも長けていない。数年子育てをしていたからといって、幼子の心情を読み取るのが得意なわけでもなかった。

     フィガロは先んじて手を打つことにした。おおよそ返答の予想はつくが、賢者に泣かれるのは御免被りたい。
     腹が減ったのか。そうオズが尋ねる前に、フィガロはさっと割り込んだ。
     
    「オズ、俺パンケーキが食べたいんだけど」
    「おまえに作る義理はない」





     ――これはなんだ。
     街が灰になろうと大地が裂けようと動じなかった心は、確かに戸惑っていた。

    「賢者様、散歩に行かないか? 綺麗なお花畑があるんだ」
    「高いところは好き?低いところは?どっちも好きなら、空から飛び降りてみるのはどう?」
    「絵本は好きですか? もしよかったら、一緒に読みませんか?」

     中央の騎士と西の学者と南の教師がいっせいに話しかけてくる。オズに、ではなく、オズのコートに隠れた子どもに。

    「……」

     彼らの誘いに子どもは答えない。びくりと身体を跳ねさせたかと思えば、背中に頭をぐりぐり押し付ける。痛くはないがくすぐったいのでやめさせた。言ってもあとでまたやるだろうが。アーサーより余程大人しいが、子どもは大抵利かん気だ。
     一向に顔を見せようとしない賢者に、カインとルチルが困ったように顔を見合わせた。

    「絵本はあまり好きじゃないんでしょうか」
    「外もあんまり好きじゃないかもしれないな」
    「賢者様、ずっとかくれんぼしてる! それともにらめっこ? 笑ったら負け?」
    「ムル。賢者様が出てこられませんから、覗き込むのはおよしなさい」
    「次はスノウ様とホワイト様と、ブラッドリーの番ですよ」
    「引っ張んな中央のちいせえの……俺様はやんねえっつうの!」

     食堂には魔法使いたちが列を成している。彼らが向かう先にはオズとその背に隠れる賢者。既に出番が終わった魔法使いたち(「俺の顔は、子どもにはやはり怖いかもしれないな」「クロエ、次は『オズ様の膝の上』の歌にしよう」「それ『オズ様の腕の中』とどう違うの……?」)は席について事の成り行きを見守っている。

     ――呪いにより子どもになった賢者は、かなりの人見知りだった。
     なぜかオズに懐き、フィガロにも多少慣れたようだが、事情を知った魔法使いに話しかけられるたびにオズのコートに潜りこんでしまう。引っ張りだそうとすると泣きそうな気配がするので仕方なくそのままにさせた。

     ――知らない場所でひとりぼっちじゃ心細いもんね。ちょっとでも安心させてあげたいな。

     そんなクロエの一言をきっかけに、魔法使いたちは、手を変え品を変え、賢者にあれこれ構っているのだった。
     ……オズのコートに隠れたままなので、オズも一緒に構われた状態になっているのだが、誰も気に留める者はいない。

    「けーんじゃちゃん!我らと一緒に遊ぼうぞ」
    「我ら一番歳が近いからの。お兄ちゃまと呼んでもよいのじゃぞ」
    「よく言うぜ、一番歳の差あるくせによ」
    「ぬいぐるみは好きかの」
    「おもちゃもあるぞ」

     ブラッドリーの呟きを無視して、双子がオズの両脇から話しかける。昔アーサーへ土産を持って城に押しかけて来たことを思い出した。アーサーは跳ねて喜んでいたが、賢者はまたも背中をぐりぐりするだけだった。

    「うむむ、手強いのう」
    「オズにはこんなに懐いとるのにのう」
    「賢者様のお気持ちは、分かる気がします。オズ様の背中はとても安心できますから」

     胸がこそばゆくなるようなアーサーの笑顔に、「母親だと思ってるんじゃない?」とフィガロが水を差した。

    「最初にオズを見たとき、お母さんって呼んだみたいだし」
    「あー髪長いもんね」
    「昔は可愛かったもんね」
    「母さまじゃ!」
    「母さま!」
    「母親ではない」

     腕をとろうとする手を振り払う。こうるさい文句を投げかけてくる双子と入れ替わるようにして、シノがヒースクリフの手を引いて進み出た。

    「次はヒースの番だ」
    「お、俺?」
    「おまえに見惚れない子どもは居なかった。賢者だっておまえに懐く」

     どういう自信だよ、とぼやきながらもヒースクリフがコートを覗き込むようにして屈む。
    「こんにちは」と優しく掛けられた声に、おそるおそる賢者が顔を出した。微笑むヒースクリフを見て、目を見開く。「……こんにちは」挨拶を返してもらったヒースクリフが、顔を明るくした。「賢者様!」しかし彼が話しかける前に、賢者は再びコートの中に引っ込んでしまった。貴公子が目に見えて落ち込み、シノがオズを睨んだ。

    「ヒースの何が不満なんだ」
    「私に言うな」
    「今のは不満ってわけじゃなさそうだったけどな」
     
     苦笑しながらそう口を挟むのはネロだった。彼の手の皿から、パンケーキのあまい香りがただよっている。この料理人が、賢者が足に抱きついて離れず動けないでいたオズを見かねて、代わりに作ると申し出たのだ。
     お待ちどうさん、と慣れた手つきでテーブルに皿を置く。かぐわしい匂いにつられたのか、不思議そうに顔を覗かせた賢者が、皿を見て目を輝かせた。

    「……くまさん!」

     先程までの出不精は何だったのかと首を捻るほど素早い速度で賢者がテーブルに駆け寄った。雪兎を見つけたときのアーサーにも引けをとらない。星が瞬くような瞳でパンケーキを穴が空くほど見つめ、おそるおそるネロを伺う。

    「もらっても、いいんですか?」
    「ああ、いっぱい食えよ」

     つたない手付きで椅子によじ登ろうとするので、抱き上げて座らせてやる。皿の上のパンケーキを見て、子どもはまた歓声を上げた。くまの形を象ったパンケーキにはたっぷりの生クリームと色とりどりのフルーツが添えられている。
     オズもバターを焦がさずにパンケーキを作れるようになったが、ネロの場合は見た目にも気を配っている。こうした子どもへの気遣いはオズにはないものだ。
     「ネロ、オレも食べたい」「はいはい用意してるよ。食べたいやつはこっち来な」短時間で魔法使いたちの分も仕上げていたらしい。嬉しそうに皿を携えたリケとミチルが、賢者の隣と向かいに座った。

    「賢者様、お隣いいですか?」
    「僕とミチルも一緒に食べてもいいですか?」
    「うん!」

     年がさほど離れていないからか、はたまたパンケーキに夢中になっているのか、賢者の返事も明るい。たどたどしい手でナイフとフォークを握ろうとするのを、横から止めた。
     なるべく形を崩さぬように端から切り分けてやり、呑み込みやすい大きさの一片を子ども用のフォークに突き刺してから渡す。「えっそこまで?」「オズちゃんたら過保護……」双子の呟きは幸か不幸か耳には届かない。
     子どもが大きく口を開け、パンケーキを食べようとした、そのときだった。

     背後から突然出現した扉から這い出た手が、賢者を中へ引き摺りこんだ。

    「賢者!?」
    「賢者様!?」
    「……!」

     気の緩みだったとしか言いようがない。殺意や敵意ならばすぐさま反撃できたのだが、そのどちらでもなかった。だから反応が遅れたのだ。
     こんな大掛かりな移動空間魔法を扱えるのは、オズのほかはひとりしか居ない。
     急いで魔力の経路を辿る。食堂の外、廊下、扉は談話室に続いている。
     案の定。オズの脳裏に、手にぶらさげた賢者を覗き込みながら首を傾げるミスラが映った。
     
    『賢者様、なんか小さくないですか?』

     宙に浮いた賢者は何が起こったのか理解できていないのか、きょとんと目を瞬かせている。そんな賢者の襟首を掴んだミスラはその顔をしげしげと見つめながらなおも首を捻っていた。
     
    『……まあ、ちょうどいいです。枕にしたら、早く眠れそうですし』

     瞬間、オズは談話室に移動した。扉など出す必要もない。オズ同様にすぐに後を追いかけてきた双子が、猫のように捕えられた賢者を見て眉を吊り上げる。
     三人に気付いたミスラが、心底嫌そうに顔を顰めた。

    「なんですか、揃いも揃って」
    「ミスラ、賢者ちゃんを離すのじゃ!」
    「は? 嫌ですけど」
    「おぬしが枕にしたら今の賢者ちゃん潰れるじゃろうが!」
    「ちゃんと元通りにしますよ」
    「「そういうことじゃないの!」」

     やりとりの半分も分かっていなかっただろうが、危機的状況に陥ったことだけは理解したらしい。賢者の顔がみるみるうちに歪み、ひくっと肩が跳ねる。大粒の涙が零れるのとわあんと泣き声が上がるのは同時だった。ミスラがぎょっと目を見開く。

    「えっ、なんで泣くんです。お腹でも減ってるんですか」 
    「〈ヴォクスノク〉」

     細く鋭い雷がミスラの肩を直撃した。痛みに顔を歪めたミスラが賢者を手離す。床に落ちかけた子どもを魔法で引き寄せて抱き上げた。賢者に累が及ばぬよう、攻撃魔法は避けたかったのだが、やむを得ない。
     わんわん泣いて抱きついてくる小さな背中を撫でつつ、肩を抑えてこちらを睨むミスラを冷たく見返す。

    「ちょっと、その人返してください」
    「断る」
    「……賢者様、こっち来てくださいよ。あなたがいないと眠れないんです」

     不機嫌な声を向けられても、いつもなら顔を引き攣らせつつも、賢者はミスラの手を取ったのだろう。だが腕の中の子どもはヒッと悲鳴を上げてオズに縋りついた。首が絞められているがこの際どうでもいい。ミスラの瞳がますます機嫌を損ねた。

    「俺よりオズの方がいいっていうんですか」
    「まあ今の賢者ちゃんはねえ」
    「お母さん恋しいからねえ」
    「母親ではない」
    「どうでもいいです。とりあえず、オズを殺せばいいんでしょう?」

     現した水晶の髑髏の目に殺気が光る。渦巻く魔力に反射で杖を出しかけ、止めた。片手に抱えたぬくもりが震えている。杖を握っていては背中を撫でてやることもできない。

    「戦うのはいかん!」
    「ますます嫌われて一緒に眠ってもらえなくなるぞ!」
    「賢者ちゃんに懐いてもらいたいなら、優しくしないと」
    「そうそう、好きなものをあげたり好きなことをしたりするんじゃ」
    「……好きなもの?」
     
     これ以上暴れさせないためか、宥めに掛かった双子の言葉にミスラが反応した。膨れ上がる殺気が止まり、徐々に消えていく。
     ミスラが気怠げな眼差しでじい、と賢者を見つめる。そして「ああ」と何かに納得した口でそのまま呪文を唱えた。
     ぼふん、と気の抜けるような音とともに煙がミスラを取り巻く。驚いて振り返った賢者が、そこから現れたものを見とめ、目を見開いた。

    「……ねこさん!!」

     止める間もなかった。腕から飛び降りた賢者が、パンケーキの比ではない速度でミスラ――赤毛の猫となったミスラに駆け寄っていく。雪熊を見つけた時のアーサーのはしゃぎようを思い出して、オズは遠い目をした。障害物さえ突き破るような、躊躇のない走りっぷりがそっくりだ。

    「どうです、俺のほうがあなたを満足させられますよ」
    「しゃべってる!かわいい!」
    「そうでしょう。特別に撫でていいですよ」
    「わあい!」

     ふふん、と満足げに伸びた背中をふっくらした指が撫でる。年齢にしては繊細な手つきだ。ちいさな友人に対する触れ合い方は、昔から変わっていないようだった。

    「あっいいなー! ミスラ、ちっちゃい賢者様に構ってもらえてる!」
    「その姿なら賢者様を怖がらせずに済むね。素晴らしい思いつきだ」
    「折角ですから、私たちも存分に愛でていただきましょうか」
    「えっ、あっ、えーっと……よし、俺も!」
    「「我らもー!」」

     いつの間にか追いかけてきたらしい西の魔法使いたちが次々と猫に変わっていく。流れに乗じて双子も黒猫に化けた。増えた猫に賢者はきゃあきゃあとはしゃぐ。

    「オズちゃんも!」
    「ほらオズちゃんも!」

     双子の呼びかけに、賢者がじいと見上げてくる。本人の意識はないだろうが、まるで期待の眼差しに見えてくる。まるで以前、賢者がどうしてもと懇願したときのような。
     ――1度きりだと言ったのだが。
     オズは大きく溜息を吐き、呪文を唱えた。


     
     その後、東の国から帰還したファウストは、談話室で大量の猫に囲まれてすやすや眠る賢者を発見し、起こすか寝かせるか盛大に悩む羽目になったのだった。





     賢者の頭が、階段を昇るたびにぐらぐらと揺れている。
     オズは足を止め、子どもの頭を肩に固定した。魔法なら一瞬で部屋に行けるのに、夜は足で移動するしかない。なんとも不便だった。
     ようやく部屋に辿り着き、片手で灯りをつけ、ブランケットをめくる。起こさぬようにそっと横たえると、寝心地のいい場所を探すように賢者がもぞもぞと身体をよじった。
     よほど疲れたのだろう。夕食まで猫になった魔法使いと戯れ、先程まで魔法使いたちと遊んでいたのだ。人見知りはすっかり鳴りを潜め、人の姿に戻った魔法使いたちに怯えることもなくなった。
     それでも、子どもはなぜかオズのところへ戻ってくる。先程も目をこすりながらオズのズボンを引っ張って、眠気を訴えた。

     ――呪いを解くのは本人も体力を消費する。今日は疲れているようだから、寝かせてあげるといい。

     そんな東の教師の気遣いにより、未だ子どもの姿の賢者は、待ち望んだベッドにようやく入れたというのに、息を吹きかけたら閉じてしまいそうな瞼を懸命に開けようとしている。

    「……眠いなら、眠るといい」
    「……いなく、ならない?」
    「ここにいる。おまえが眠るまで」

     ブランケットをかけ、上から一定の間隔で撫でてやる。昔興奮したアーサーを宥めるのに使ったやり方だった。賢者も例に漏れず、段々と瞼が降りていく。
     ――そのまま寝かせるつもりだったのに、やすらかなその顔を見つめているうちに、ぽつんと口から疑問が零れていた。

    「……似ているのか」
    「……?」
    「おまえの母親に。私は似ているのか」

     この部屋で初めて子どもに出会ったとき、第一声が「おかあさん」だった。この世界でオズを母親に間違える子どもなど居ないだろう。よほど似ているか、よほど心細かったのか。
     うつらうつらと上下していた瞼が少しだけ開いて、オズを見上げた。

    「ぜんぜん」
    「………………」
    「あきらのおかあさんは、あきらににてるもん」
    「………………」
    「でも、あきらのなまえ、よんでくれたから」

     吐息混じりの囁きに、オズは手を止めた。

     ――この部屋で初めて子どもに出会ったとき。彼女は泣いていた。ひどく心細そうな顔をしていた。それは以前談話室で、「名前を呼んでほしい」とオズに請うたときの彼女に似ていた。
     だから、思わずオズは呼んでいた。晶、と。
     子どもは泣くのを止めた。目を見開いて、オズに手を伸ばした。縋るような手を取って、オズは子どもを抱きあげた。

    「みんな、けんじゃって、しらないひとの、なまえでよぶの…………こわかった」
    「けど、みんなやさしかった……いっぱい、あそんで、くれた」

     ぽつ、ぽつと夢うつつに言葉が落ちていく。オズは息を詰めて、子どもの声を聞き洩らさまいとしていた。

    「おずは、なまえ、よんでくれたから」
    「あきらって……よんで、くれた、……から……」

     子どもの声が規則正しい寝息に変わった。オズは身体の力を抜き、穏やかな寝顔を見つめる。

     この世界でただひとりの異邦人。突然与えられた賢者という役目。その名の意味を理解していなくても、まったく知らない者に役目を押し付けられるのは、きっと恐ろしかっただろう。
     それは、子どもでなくても同じことだ。
     今の彼女はその役目を果たそうと懸命に努めている。時に顔を俯かせながらも、前に進むことを諦めない。
     だからこそ、オズは呼ぶ。彼女が彼女らしくいられるように、役目ではないその名を。

    「……いい夢を、晶」

     今のオズに祝福の魔法は使えない。だからこれはただの祈りに過ぎない。
     けれどせめて、彼女がやすらかに眠れるように――呼吸に合わせるようにして、子どもの頭を撫で続けた。





    「大変、ご迷惑をおかけしました……」

     幼女化騒動から三日。解呪が成功し、魔法舎には元に戻った晶の姿があった。念のための休日を置いて、今日はようやく任務に復帰できたのだった。

    「迷惑なんてことはない。無事に戻ってなによりだ」
    「子どもの頃の賢者様も、とても可愛らしかったですよ」
    「昨日のことは覚えていらっしゃるんですか?」
    「それがあまり……なんだかすごくいい夢をみた気はするんですけど」
     
     子どもになっていた時の記憶は、さっぱりと抜け落ちていた。美味しいものを食べて、優しく撫でられて、ふわふわのもふもふに囲まれた、そんな朧げな感覚だけが残っている。
     魔法使いたちによれば、子どもの晶は随分人見知りだったようだ。誘っても誘っても振られるのは新鮮な経験でしたと西の魔法使いに笑顔で語られ、ヒースを袖にしたんだぞとシノに不満そうに訴えられた。話を聞けば聞くほど申し訳なく、穴に入ってしまいたくなる。
    (昔の私、猫とばっかり遊んでたって母さんが言ってたな……)
     本日の任務担当である中央の魔法使いたちがまったくいつもどおりなのが救いだ。そのひとり、今日も今日とて口数が少ない魔法使いに、晶は声を掛けた。

    「オズ、ずっと面倒みてくれてたんですよね」
    「……礼を言われる所以はない」
    「それでも、言わせてください」

     この赤眼の魔法使いが一番甲斐甲斐しく世話をしていたのだと、双子が教えてくれた。
     曖昧な記憶に、怖い思い出はさほど残っていなかった。時折感じていた不安も、やさしい手が宥めてくれた。子どもの晶が怖くて恐ろしい思いをしないように、気を配っていてくれたに違いなかった。
    だから記憶の中の晶は、いつも安心していられたのだ。
     
    「ありがとうございます、オズ」
     
     オズは目を逸らして、何も言わなかった。ただ礼を受け取ってくれただけでも十分に思えて、晶は微笑んだ。
     
     よし、それじゃあ張り切って任務に行こう。そうカインが号令をかけたところで、晶ははたと思い出した。自室に依頼書を置いてきてしまった。久しぶりの任務だからか、すっかり感覚を忘れているようだった。

    「すみません、先にエレベーターに行っててくれますか?忘れ物をしたみたいで」
    「大丈夫です、お待ちしていますね」
    「慌てなくていいからな」
    「本当にすみません……!すぐ取ってきますから、っ、うわっ!?」

     突然、視界がぶれると同時に浮遊感に襲われ、晶は悲鳴を上げた。一段階高くなった視界に宙に浮いた足。身体のバランスをとるために支えを求めた手が、広い肩に着地する。自然、晶を見上げる赤い瞳と視線がかち合った。
    抱き上げた者も抱き上げられた者も、状況がよく呑み込めない顔をしている。

    「お、オズ……?」
    「……………?」
    「いやなぜって顔されても、こっちが聞きたいんですけど……!あの、もう子どもじゃないので、抱き上げてもらわなくても自分で階段くらい昇れますからっ」
    「……………」
    「ちょっ、考えるの面倒にならないでください!お、おろして、降ろしてくださいってば、オズ、オズー!!」

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