ワカメとポンコツを夕日に染めてみたかった。※悪ポン一話にある空中エスケープを採用してますが、自覚症状がだいぶあるバルバロスなので、時系列はわりと最近と思っていただければ。
傾く太陽が空を橙に染める時刻。
キュアノエイデスを一望できる大聖堂の頂上――高くそびえ立つ塔に、神を讃える場所には似つかわしくない風貌の男がいた。
本来なら長く狭い螺旋階段を上らなくては辿り着けない塔のバルコニーだが、魔術師である男には関係ない。
〈煉獄〉の通り名を持つ魔術師――バルバロスは、影さえ繋がればどこへでも行けるのだから。
しかし、なぜこんな場所にいるのかといえば、他の街から派遣されたらしい好戦派の聖騎士と出会ってしまい、戦闘を回避したためだった。元来のバルバロスなら面倒な相手は亜空間送りにしているところだ。最近それをしないのは、自分が護衛している少女が聖騎士長を務めているからである。揉め事を起こすと雇い主の悪友にも殴られるだろう。
そんな訳で空間転移と飛行魔術を使い、ちょうど着地できたのがこの場所だった。
「高えな、ここ」
夕日に照らされるキュアノエイデスの街並みを眺め、ぽつりと呟いた。街を一望できる高さは、教会の権力を象徴するかの如くだ。小さく見える通行人は、家に帰るか夕飯の買い出しか。あるいはこれから呑みにでも行くのだろう。
街の上空にはちぎれた綿菓子のような雲が流れ、色を映して幻想的な空模様を作っている。鮮やかな色彩がどうにも眩しく、バルバロスは目を細めた。
今まで、こんなふうにじっくりと夕焼けを見たことはなかったと思う。目の前に広がる景色を少なからず良いなと感じて――そんな感性を持つ自分がいる事実に驚いた。
「魔術師」である身には不要なはずだが――他人に指摘された通り「人」として丸くなってきているのだとは、当の本人は気づいていない。
橙から赤へと色が変わりつつある空に、聖騎士長である少女の髪色が重なった。教会でまだ書類仕事に追われているはずだ。
手伝ってくれる者は増えたが、仕事量は多いらしく根詰めているのが分かる。休暇も、三騎士が揃って進言しなければ取ろうとしないほどだ。
息抜きにどこか行きたいと頼まれたなら、バルバロスだって影で連れて行くくらいはする。移動時間など無いに等しいから僅かな休憩時でも大丈夫だ。しかし、真面目すぎるせいなのか、そんな頼みをされたことはまだ無いのだった。
――誘えば、来んのかな。
ぼんやりと柄にもないことを思う。それから、この場所へ誘うにしてもどう言うんだよと疑問が浮かんだ。単純に伝えたらいいだけの話だが、そうできるのなら、きっと今まで交わした会話は拗れずに済んでいただろう。
人知れず吐き出したため息は、穏やかな風に溶けていく。
『バルバロス』
不意に名前を呼ばれて、傍から見たら滑稽なくらいにバルバロスの体が揺れた。
今まさに考えていた件の人物、シャスティルの声である。繋いでいる影から呼びかけてきたのだ。
「い、いきなりなんだよポンコツ!」
『どうして慌ててるんだ……? 取り込み中だったか?』
「慌ててなんかいねえし取り込み中でもねえよ」
『そうか? ……なら、少し頼みがあって』
シャスティルは遠慮がちに言葉を区切った。
『あとひと息で書類が片付きそうなんだ。でも気分転換をしたくて。ちょっとだけ話し相手になってくれると助かる』
職務中なら毅然と振舞うはずのシャスティルだが、その声には疲労が感じられた。
「あー。話し相手は、できなくはねえけど」
先ほど、誘えば来るだろうかと考えていたのを思い出し、バルバロスは口ごもる。このまま影を通して会話だけというのはやっぱり惜しい気がしたのだ。
「お前さ、高いところ平気だっけ」
『ずいぶん唐突だな……平気だよ。苦手だったらあなたの影を足場にして大きな敵と戦うなんてできないし』
答えて、シャスティルはこちらの返事を待つように黙った。沈黙に急かされている心地になって、バルバロスは焦る。
「なんだっけ。ほら、あれだ、ポンコツと煙は高いところに上るとか言うだろ」
『いや聞いたことないぞっ』
正しくは馬鹿と煙は、である。まあ、正しく言ったとしても明らかに言葉の選択を間違っていることに変わりはないのだが。しょうもない物言いを他の誰かが聞いていたなら、お前の方がポンコツでは? と思われても仕方がない。
「とにかくだ! 平気なんだな? で、俺は今その高いところにいる」
『う、うん? えーと、具体的にはどこなんだ?』
「大聖堂のてっぺんって言えばいいのかここ。螺旋階段上った先の」
無理やり会話の軌道修正を図り、バルバロスはもう一言つけ加えた。
「空がすげえ色してっから、お前もこっち来たら?」
『そんなところにいたのか……ああ、部屋の窓からも夕焼けの色が入ってきているよ。でも、まだ職務中だしな』
だよな、とバルバロスは冷静になる。この生真面目な少女のことだ、仕事が残っている状態で執務室を抜け出すのは気まずいのだろう。
どうにかこうにか伝えられたと安心した分、落胆が胸にのしかかった。
『……そうだな。十分だけなら、行ってみようかな』
「はあー? なんだよ来るのかよ。だったら紛らわしい言い方しないで最初から来るって言えよ」
『私そんなに悪い言い方したかっ?』
シャスティルの返事を受け、つい捲くし立ててしまった。なんかもう気分の高低差が激しくて自分でもサッパリわかんねえなとバルバロスは思ったが、とりあえずやることは決まった。
「そういうわけじゃねえよ。ちっ、ほら通れるように影開いてやったぞ」
ならどういうわけなんだ……と困惑が聞こえてきたが、もうバルバロスには些末なことであった。
程なくして、影から礼服姿のシャスティルが現れる。その顔には予想通り疲労が滲んでいた。もしかしたら、バルバロスとの会話の疲れも足されているのかもしれないが。
影から出たシャスティルは、まず凝り固まった体をほぐすように伸びをした。それからバルバロスの隣に立ち、バルコニーの手すりを掴んで感嘆の声を上げる。
「わあ、すごいな! 見事な夕焼けだ。街も、ここからこんなふうに見えるなんて」
「なんだ? 聖騎士のくせに来たことねえの」
「ずいぶん前に一度だけ来たことはあるけれど、日中だったし」
シャスティルの声色や表情から、はしゃいでいる様子が分かる。身を乗り出して街を眺める姿は、責務を背負う聖騎士長ではなく年相応の少女だった。
「落ちるなよ」
「いくら私でも落ちない……と思う」
「自信なさげに言うんじゃねえ」
落ちたとしても魔術でなんとかなるが、さすがに肝が冷えるので勘弁してほしい。
シャスティルはバルコニーを回り、景色を楽しんでいた。来た直後より表情が明るくなって、疲労の色もいくらか和らいだようだった。
それを見てほっとしている自分に気づいてしまい、バルバロスはどうにも恥ずかしくなり目を逸らす。
一周して戻ってきたシャスティルに、目を逸らしたまま、ふと訊ねてみた。
「なあ」
「うん?」
「夕焼けって普通の人間なら綺麗だって思うもんなのか」
「えっ。うーん……どうだろう? そう思う人は多いんじゃないかと思うが……滅多に見られないものというわけではないし、人によっては気に留めていないかもしれない」
「ふーん」
「でも、そうだな」
シャスティルは少し考えてから続ける。
「私自身は……あなたに見せてもらったこの夕焼けが、今まで見た景色のなによりも美しいと思えるよ」
つい、逸らしていた目を向けてしまう。
シャスティルは穏やかに微笑んでいた。
緋色の髪と瞳を、夕日でなお紅く染めあげて。
風を受けた髪が光を反射してなびいている。
強く焼きつくような鮮やかな姿に、バルバロスは息を呑んだ。
「あなたはどう思う?」
何気ない問いだった。ただ夕焼けの感想を求めるだけの、少女の興味だ。だというのに、声を出すことを喉の詰まるような感覚が邪魔してくる。
それでもバルバロスは、シャスティルを見て言った。
「……綺麗、なんじゃねえの」
素っ気ない態度を装い、逃げるようにすぐ視線を逸らしてしまうが――果たして本当は「何」に対する言葉だったのか。
「ふふっ、そうか」
再び街を見下ろす少女には、先ほどの言葉の行方など分かるはずもない。
頬の火照りを夕日のせいにした魔術師だけが、その答えを知っていた。
2022.2.10