お昼のワカメとポンコツ。※無計画に会話させてったら、悪ポン時期(夜会後~エルフの里前)くらいの雰囲気になった、ような気がする。
時刻が正午をまわる頃。
給湯室で昼食前の手洗いを済ませてきた少女は、いつもよりすっきりしている執務机を見て、どうやらご満悦のようである。
今日は書類の量が比較的少なく、はかどった分の束は先ほど三騎士の一人が持って行った。机の端に寄せた残りの書類は、午後からゆっくりやっても勤務時間内に余裕で捌ける程度だろう。
机の上には他に、小間使いが執務室を出る前に淹れた紅茶と、紙袋が置いてある。
椅子に腰かけた少女は、書類仕事で凝り固まった体をほぐそうと、両手を上げて伸びをした。
直後――その腹から「ぐきゅぅ~~」と、ずいぶん間の抜けた音が鳴る。
影から様子を観察していた魔術師は、滑稽な響きに耐えきれずケラケラと笑い声を上げた。
『お前、なんだよその音。飼ってる腹の虫までポンコツなのか?』
「ば、バルバロス! 聞いてたのかっ」
名前を呼ばれ、バルバロスは影から姿を現す。
空腹の音を聞かれた少女、シャスティルのうろたえる様子の愉快なことといったら。
「もう少し慎ましやかな音にしとけ?」
「そっ、そんなの自分でどうこうできるわけないだろうっ」
もう! とむくれるシャスティルは、気を取り直すように一口、紅茶を飲んだ。
それから紙袋を引き寄せ、開けようとしたところで――こちらに緋色の瞳を向けて、訊ねてくる。
「そういうあなたは、もう昼食は済んだのか?」
「昼食? 食ってねえけど」
「なら、これからか」
「飯なんて腹減ったときに食えばいいだろ」
「……そんなだから不健康そうな顔色に拍車がかかるんだぞ」
「あん? 俺が健康だろうが不健康だろうが、てめえには関係ねえだろ」
関係ない。そう返すと、シャスティルはなんだか困ったような表情を寄越した。
――なんでそんな顔すんだ?
他人の健康などどうして気にするんだろうとバルバロスは疑問を抱く。
そもそも、魔術師は自身の身体操作を自在にして長生きできるよう学び、実践する。多少、不摂生してようが些末というものだ。
まだなにか言いたげなシャスティルだったが、思い出したように手元の紙袋を開けがさがさと鳴らす。
「そうだ。最近噂になっている、大通りで人気の店があって……」
出てきた手が掴んでいたのは、香ばしいバターの匂いを纏ったパンだった。
「朝、買ってきたんだ」
「ああ……転びそうになったり、犬に吠えられまくったりしながら歩いてったあの店か」
「ま、まあ、そうだな。というか、見てたのかっ」
「そりゃあ、いつもと違う行動とってりゃ、一応」
忙しいシャスティルが、仕事前にどこかへ出かけるなど珍しいことだった。気になって念のため影から様子を窺っていたが、まさかパン屋へ行くだなんて想像しなかった。
「あなたも一つ、どうだ? 二種類あるから」
「いや別に、いらねえって」
「食べたほうがいいぞ昼食」
「腹減ってない。つーか、二種類食べたいから買ったんだろ? 一つ俺が食ったら楽しみ減るじゃねえか」
空腹を感じてはいないのだが、入らないこともない。
でも、とシャスティルの普段の昼食を振り返る。巡回があったり、大量の書類があったりと、特に忙しい日は軽めで済ますことが多い。だから、本気で要らないというよりも。
――余裕があるなら、わざわざ買いに行ったんだし食べたいものを一人で食べたらいい。
とバルバロスは思ったのだが。
シャスティルは目を瞬かせ、それからなぜだか少し笑って、「そうか、楽しみが減る、か」と言葉を繰り返す。
「だったら、こうしようか」
シャスティルが、手にしたパンを半分にちぎる。
「二種類ともはんぶんこにして食べたら、どちらも味わえるし」
今度は、バルバロスが目を瞬かせる番だった。
はんぶんこ。
言葉通り、見ての通りの「半分こ」、である。もちろん意味くらいわかる。わかるのだが――今まで生きてきて、したこと、されたことがあっただろうかと振り返れば、そのような機会は記憶になかった、と思う。だから、どう反応したらいいのか、咄嗟に考えが及ばなかった。
それが目の前の少女が相手となれば、なおさら。
差し出されたパンは中にはなにも入っていないようだが、バターの香りがふんわりと部屋に漂い、バルバロスにも届いた。
パンと、真っ直ぐこちらを見て微笑んでいる少女を、しばらく見比べて。
「はあ……しょうがねえな」
魔術を仕込んでいるため常に着けっぱなしにしている手袋を外して、バルバロスは折れることにした。ここまでさせておいて受け取らないのは居心地が悪い。
手渡したシャスティルのほうは、いただきますと礼儀正しく挨拶をして、それからパンをかじった。咀嚼をし、ほどなくして一言。
「うん、おいしい!」
満足そうに頬張る姿は、聖騎士長や教会責任者といった大層な肩書とはまるで無縁そうな、その辺にいる一般人の少女と変わりない。話題のものをただ楽しもうとする、普通の少女だ。
もらってしまったし食べる他ない、とバルバロスも一口かじる。甘さよりも塩気が効いており、香りの通りバターの風味を生かしたパンだった。
「……まあまあ、なんじゃねえか」
噂になるだけあって、確かにおいしい。軽めの食感で進みやすく、ついついもう一つ食べたくなりそうな。
けれど正直には言えず、素っ気なく返してしまう。
それでもシャスティルは前向きに受け止めたらしく、ほっと安心した表情を見せた。
「口に合ったならよかった。……その、やっぱりちょっと押しつけがましいことをしてしまったかな、と」
「今さら、だろ」
もらってしまったし、食べてしまったし、なんだか悔しいがおいしいとも思ってしまったので、それに関してはもう文句などない。
「気にすんな」
そうつけ加えたら、シャスティルが不思議そうな顔を向けてくるものだから、バルバロスは訝しんだ。
「あ? なんだよ」
「いや、今日のあなたからは、意外な言葉が聞けるな、と」
どういう意味だ、と返す前にシャスティルが続ける。
「いろいろ売ってて悩んでしまったから、次は別のを買いたいな。そうだ、あなたがよければなのだが……また一緒に食べてくれないか?」
どうやら、他にも食べ比べをしてみたいらしい。確かに、一つ一つまともに食べていては大変だとは思うが。
また一緒に、という誘いに妙なむず痒さを感じて、視線が泳ぐ。
しかも、頭の中に断る言葉が浮かばなかったことに、バルバロスは戸惑った。内心では少し焦りながら、そんな自分を取り繕うように答える。
「じゃあ、今日みたいにきちんと昼休憩確保できるように、ポンコツやらかさねえで仕事しろよな」
ポンコツやってどれだけ時間無駄にしてると思ってんだ? と続けたら、シャスティルは渋い顔をした。
「うっ。それは、なんとかするよ。だから約束だぞ?」
「へいへい」
聖騎士が、たかが食べ物のこととはいえ魔術師と「約束」だなんて妙な話である。その取るに足らないような約束をまんざらでもないと思ったのは、パンがわりと旨くて気が緩んでしまったから仕方ない。仕方ないことなのだ。
頭の中で巡る言い訳じみた考えを、バルバロスは残りの一口と共に飲み込むことにする。
それを見計らったように、シャスティルから二つ目の、はんぶんこのパンが差し出されたのだった。
2022.5.15