精霊祭年に一度の大祭へ残すところ1ヶ月を切り、街全体が準備に向けてにわかに慌ただしくなっている頃。宿屋の店主は祭り中の食材等の仕入れのために予約で埋まった宿帳を確認のために開いていた。
この人は魚がダメだから肉に変更し、コチラは昨年生まれたお子さん連れだから〜…昨今の物価高は頭に痛いが、とはいえ質を下げたくはない。どうすべきかとウンウン唸りながらもアレコレ書き付けて行けば、廊下をドタバタと駆ける足音が近付いてくる。
バターン!
「お父さん!今年はあの人は来る!!」
何事かと顔を上げる間もなく飛び込んで来た娘からの質問に目を白黒させる店主。
「あの人ってどのお人だい」
「あの人だよ真っ黒で背の高くってガタイの良いイケメン!!」
はて?と思案しなんとはなしに当たりをつける。
「あのガラの悪い」
「そう!その人!来る!」
娘の言う人物には心当たりがある。
ここ数年祭りに来るためにこの宿へ1週間泊まっていく冒険者だという男。
確認のためにペラリと宿帳をめくれば1年前の自分の字で祭りの日に件の男の名前で1週間の予約が記してある。キチンと予約代金も置いていく気前の良い男は宿にとってはありがたい存在だ。
「何事も無ければ来られるんじゃないか」
冒険者という生業であれば、保証は無い。
そもこの祭り自体もかの職業向けの祭りという側面がある以上、宿屋を生業としていて知らぬわけじゃなかろう。
やったーと歓声を上げる娘を五月蝿いと窘めつつ、あの客が来るようになってもう5年が経ったのかと思い出す。あの客が宿に来た最初の年にはまだ小さな幼子だった娘も、今じゃこの有り様だ。
客の出払った時間帯とはいえ、縦にスラリと伸びた身体でピョンピョン跳ねればバタバタと騒々しい。
「で?あのお客様がなんなんだい」
問いにパチリと瞬いた娘が頬を赤く染めてくねくねと身を捩りだす。
「今年は一緒に祭りを廻りませんかって誘おうと思って…」
ぽっ
ぽっじゃないんだよ、ぽっじゃ。
なんてことだと痛む頭を押さえて呻く。娘があのお客様に憧れのような感情を抱いているのは知っていたが、ここまでとは
「いいかい、あの人はこの祭りに来るんだ。毎年必ず。忘れられない人が居るんだろうよ。やめときな」
「なにさ相手がそういう相手と決まったわけじゃなし、そうであれ忘れるには新しい恋って言うじゃないの!」
「お前じゃ役不足だろうよ」
はぁと溜息と共に言えばきいい!と奇声を上げて今度は母親の元に走っていく。まったく、こんな子供を彼の人が相手になんかするわけないだろうに。
祭りの名は精霊祭。
気まぐれな精霊が界と界を繋ぐと言われる日に別の界へ渡った誰かに想いを届けるため、祭りの最終日に灯籠を川に流す。
この街では帰ってこない冒険者も死んだのではなく界を渡ったのだと言われている。違うどこかの世界で元気にやっているのだと。
だからその日に想いを灯籠に託し流すのだ。
あの男は、そんな日に必ず訪れる。
毎年、必ずーーー
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祭り終わりの朝ー
宿の前を掃き清める主人が近付く足音に顔を上げる。
朝靄を割って現れた黒い男の姿に、男の気持ちを思って苦笑する。
「お帰りなさい」
声を掛ければチラと向く視線。
「お戻りになって良うございました」
続く言葉に舌打ちが返る。
男の望みがどうであれ、上客は居てほしいものだ。
「来年も予約しますか」
「…ああ」
娘よ、どれだけ頑張っても無駄なのだ。
この男の心は界の向こうに渡っている。心以外も渡せるのはいつになるだろう。
この街の宿は必ず先払いだ。
毎年界の向こうに渡って帰って来ない客がいる。男の望みをお相手が叶える日が来るだろうか。
なんとなく、お相手も随分強情そうな気配があると感じる。
長く耐えてくださいよ。
経営者は時に非情だ。
どうせ男の願いが変わることも無いだろう。沢山の人と関わる仕事だからこそわかる。
いずれ娘もわかる日が来るだろう。
振られて泣いた娘が来年こそはと拳を握っていた姿を思い出す。
「わからないうちは、まだまだ…」
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