話の舞台は……海底火山の場所を考えたらあり得ないのですが、港のイメージは瀬戸内海。海の直ぐそばに山や傾斜のある町並みが広がる。温泉もあることを考えると、鞆の浦がイメージが近い……?
でもモデルになった島は沖縄にあったり(人魚関連)、東京にあったり(全滅した島)。
人魚の悲しい恋物語……と思いきや狂気の物語。(一方的に)恋した人間と永く一緒に居たいがため、心配して様子を見に来た親兄弟(人魚)を殺してその肉を夫に食べさせて不老不死にしていた、人魚の狂気の愛。
洞窟の方の人魚塚は彼女に殺された人魚達の痛みと苦しみ、悲しみが渦巻いている。
【久我さん】
男も惚れる豪快豪胆な海の男。変人とも言われるがおおよそ人から好かれるタイプ。
28の時に自殺しようと島を訪れる。生まれも育ちも地元という割に親類がいないようなので、親兄弟を失うような出来事があったのかも。その際何故花を持ってたのかというと、島民への慰霊と「これからは俺も島で眠るんでよろしく」との挨拶的な意味合いでなんとなく持ってたようです。
報われないことを承知の上で人生のすべてを一途に矢尾さんに捧げた、顔に似合わず純愛純情男。見た目が実年齢よりかなり若い。気が若いうえに無意識に矢尾さんに少しでも釣り合いたいと思っているから。
役所を通したマスコミ(唐次)の上陸許可にあっさりOKしていたのは、その時点で既に矢尾さんが島を出てくれていたからです。
最期の数日は、ふたりだけで五十年分の想いや思い出を語り合う、久我さんにとって、とても穏やかで幸せな日々でした。
【矢尾さん】
名前は八百比丘尼(やおびくに)から。八百だと正体バレバレだし八尾だと九尾さまとかぶるので矢尾。
人外や、ノンケだった男まで魅了した魔性の男。もちろん本人にはその自覚はない。
人魚とは成り行きで夫婦となったが(たぶん人魚の圧がすごかった)家族としての愛情はあった。
明治前半生まれの貧しい村育ちなので字は書けませんが、久我さんがたくさん本を持ってくるので勉強し、ある程度読むことは可能。編集部に届いた切手のない封筒は、久我さんが用意しようとして投函前に力尽きたので、矢尾さんが引き継いで投函したもの。
ラストは久我さんの遺体と共に島に戻ったと思われます(戻るあたりまでは九尾さまが眷属やら遣ってフォローしてくれそうです)が、普通の人間に戻り、なおかつ五十年間久我さんに護られてぬくぬく暮らしてしまった彼では、九尾さまの言った通り島で長くは生きていけません。久我さんの生き様見てるので自殺はしませんが、無理に生き延びようともしません。
久我さんが亡くなる前に、こんなやり取りがありました。
「久我……俺は不老不死ではなくなったらしい」
「な、なに!?本当か!?」
「ああ……。だから俺もそう長くないうちに死ぬ」
「……おい、そりゃあ……」
「……だが、俺は死んでも間違いなく地獄行きだ。お前の所に辿り着けるのかどうかもわからない。……それでもお前は、俺を……待っていてくれるか?」
「…………っ!!…………馬鹿言うな。俺たちは相棒だろう?……お前が地獄行きだってんなら、俺はその入り口でお前を待っていてやる。お前のいない天国なんかより、お前と歩む地獄の方がずっといい」
幸せは、ひとそれぞれ。