衣替え「あー、そろそろ衣替えの季節かぁ」
「は?なに?」
「ほらあれ、おまえ見たがってたろ」
冬が近づいてきた。ビルの合間を吹き抜く風は上着がなければなかなかつらい。今日は友人を訪ねてめったには足を踏み入れないNYの街へと降り立った。さすがは世界有数の大都市。人はわんさかいるしビルはそこら中にそびえ立っているしありえないぐらい物価が高い。片田舎では絶対に見られない風景だ。
そして密かに楽しみにしていたのはこの街の一番の見どころといってもいいあの親愛なる隣人だ。もしかしたら街を駆けまわるあの蜘蛛を見られるかもしれないとずっと期待していた。そしてその期待はあっさりと現実になる。
友人が指さした方向には人の合間を縫って走ってくる人影があった。よく見てみるとそれはテレビで見たままのスパイダーマンの姿だ。俺は初めての生のヒーローに歓喜の声をあげる。
「すげえ!本物だ!まじで普通にいるんだ!」
「よかったな、ずっと会いたがってたもんな」
「ニューヨーカーと違って俺たちはヒーローなんてめったに見られないんだよ。というかなんだよ衣替えって」
「ん?ああ、よく見てみ」
言われたとおり近づいてくる人影を見る。細長いシルエットはテレビで見たとおりだが今目の前で走っている蜘蛛は少し違った。親愛なる隣人はニット帽子を被りオレンジ色のベストを着ている。
「服?」
「そ。寒くなってくると着だすんだ。俺らニューヨーカーには衣替えの合図ってこと」
よおスパイディ!と隣の友人は片手をあげて気楽にヒーローに挨拶をする。やあ、とスパイダーマンも手を上げて答える。親愛なる隣人の二つ名は嘘じゃないということか。まじまじとヒーローを見ていると彼は急に立ち止まった。
「君観光で来たの?」
「え、あ、そうだけど」
「やっぱり。ずいぶんあったかそうな恰好してるもんね。僕も寒くてクローゼットから引っ張り出してきたんだ」
おかげでちょっと虫食いがあるんだよね、とスパイダーマンはベストのすそを掴む。目の前で動画でしか見たことのない人物がくるくると動き回っているのはなんだか不思議な気分だ。
「この街の皆、寒くなってきても平気で薄着でいるからさあ。僕なんて真っ先にあったかい服着ちゃうのに。周りに合わせようかなーと思っても皆なかなか衣替えしないんだ」
「ああそれは、」
「おっと無駄話しすぎた。じゃあね、NYを楽しんで!」
そう言うとスパイダーマンはまた通りをさっそうと走り抜けしばらくするとビルの合間をスイングしながら消えていった。
「親愛なる隣人か。なんか妙に納得した」
「はは、だろ。俺らの親愛なるヒーローだよ」
衣替えの基準になってるヒーローなんて聞いたことがないが不思議と腑に落ちる。要はただただ愛されてるだけなのだ。この街の親愛なる隣人は。
「ちょっとうらやましいなニューヨーカー」
「住むにはだいぶ大変だけどな、犯罪多いし」
たしかに、と笑って通りを歩く住民達を見る。彼らも明日には暖かい服装に身を包み始めるんだろう。その風景を想像して思わずまた笑った。