陽だまりのあなた休日出勤で家主が家を空けている時間を狙って、手間のかかる家事を片付けていた。コンロ周りの掃除、アイロンがけに寝具の洗濯。
手間はかかるが、面倒だとは思わない。
かつての恋人との生活を知っている友人たちからは、まるで家政婦だとかダメ男製造機とか散々言われてきたが、今は決して尽くしているだけではない。ちゃんと成長させている。
春田さんはまだまだ、まだまだまだまだダメなところがいっぱいだ。でも少しずつ進歩してはいるのだ。帰ったらまずスーツを脱いでハンガーにかけるようになったし、時々皿も洗うようになった。週に3日は自分で起きるようになったし、ゴミ出しは全部やってくれている。まあ、分別してるのは俺だけど。
『進歩した』の基準が甘すぎる気もするが、そこは惚れた欲目だ。
一通り家事を済ませてから、干していた洗濯物を取りこみにかかる。カラリと乾いた洗濯物は気持ちいい。タオルや自分の服を洗濯バサミから外して、最後に春田さんの服も外して取り込む。そっと顔を寄せれば、お日様のいい香りがした気がした。
燦々と降り注ぐ陽の光は心地いいが、3件も詰まった内見で走り回っている春田さんには敵にしか思えないだろう。疲れて帰ってくる彼のために、今夜は好物の唐揚げにしようかと考えた。
「あれ?」
綺麗に畳んだタオルを脱衣場のラタンの籠に収めようとしてふと気付いた。
少ない。8枚はあるはずのフェイスタオルが半分しかない。すぐに目星はついた。きっと春田さんの部屋だ。ものぐさな彼は風呂上がりにろくに髪も乾かさず、首にだらしなくフェイスタオルをかけて寝室へと上がってしまうから。きっとそのままポイっと床にでも放っているはずだ。
「…ったく」
春田さんにもプライバシーというものが(一応は)あるから入らないようにしていたが、今日という今日は入るしかない。風呂上がりに濡れた髪で過ごすなんてごめんだ。
洗濯カゴを脇に抱えて、ため息をつきながら階段を登った。
「失礼します…」
彼氏の部屋に入るというだけで、これから面接でもするのかというように緊張してかしこまっていた。
「やっぱり」
タオルはすぐに見つかった。ベッドの横に小さな山が出来上がっている。ため息をつきながら拾い上げると、何枚かは湿っていて思わず舌打ちをした。しかもその山を崩すと片方行方不明になっていた靴下の片割れが3つも見つかったて、きっとそのへんの小学生だって春田さんよりちゃんとしてるとぶつぶつ文句を言ってしまう。
あ、よく見たら枕の上にもよれよれのタオルが敷かれている。こいつ髪濡れたまま寝ようとしたな。進歩してるなんて褒めたのは撤回だ。ちょっとむかつきながら洗濯物をカゴに突っ込んでいく。
「これで終了…と」
想像以上に山盛りになったカゴを抱えて部屋を出ようとして、立ち止まった。
彼氏の部屋。春田さんの空気、春田さんの匂い。このまま出るなんてもったいない。ちょっと幸せに浸るくらい、許してくれるだろう。
「…軽く掃除でもしといてあげようかな」
誰が聞いているわけでもないのに、言い訳をして踵を返した。春田さんがいないと独り言が多くなって嫌になる。
まずは開けっ放しのクローゼットから。床にこぼれ落ちているくしゃくしゃの服を拾い上げては顔をしかめる。
なんだこのダサいTシャツ。半袖のTシャツに長袖のTシャツ重ねているように見せた、レイヤード風のものだ。変な英語が書かれているし、しかも同系色。…まじダセえ。いつか捨ててやる。
左胸に春田と刺繍された白地に紺色のラインが入ったこれは体操服だろう。33にもなってまだ中学だか高校だかの体操服をとっているなんて。捨てられない性格だから部屋が片付かないのだ。ため息をつきながら、そんな春田さんにちょっと感謝している自分がいた。
だって、想像するだけで楽しいじゃないか。学生のころの春田さんはどんな感じだったのかなって。部活はなに?彼女はいた?制服は学ランかな?考えるだけでドキドキしてしまって、無意識に体操服をぎゅっと抱きしめていた。もっと早く会えたらあなたに甘酸っぱい初恋をしたのかななんて、いや8歳差は犯罪だろなんて、一人で考えて一人でツッコんでにやけてしまう。
「なにやってんだよ」
口元にはまだにやけが残ったまま、体操服を畳んで衣類ケースの一番奥へ収める。代わりに、この時期に着そうな麻のシャツや半袖のTシャツを綺麗にたたみ直して手前へ。3分の1の確率で現れるダサい服は、どんどん奥へ。
一通り並び替えて立ち上がった時、俺が選んだ黒のロングカーディガンとTシャツとジーンズが、きちんと畳まれて衣類ケースの天面に置かれているのに気付いた。隣には、「牧のこと恥ずかしくないから」と言ってくれたあの時に照れ隠しで被せられた帽子も。
まとめて置かれたそのセットに、さてはこの人着回す気ないななんて思ったけど、俺が組み合わせたコーディネートを信じてくれている証のように思えて嬉しかった。いつかこのクローゼットを、俺の選んだ服でいっぱいにしたい。
せっかく長すぎる脚に謎のいい体を持っているのだから、春田さんにはかっこいい服を着てもらいたい。…それでモテたら、困るけど。
作りかけのゾイドのプラモデルの箱
しわだらけの週刊少年誌
枕元のバスケットボール型のクッション
今まで付き合った人の部屋の中で、一番幼くて一番汚い。でも一番好きだと思った。
「あとは大丈夫かな」
衣類を片付けて、散らかりっぱなしの漫画を本棚に収めて、プラモデルの埃を軽く払って終了。仕上げにざっと見回して目についたのはプラスチックのゴミ箱。蓋が浮き上がるほどゴミが溢れている。週に2回でいいから下まで捨てに来いとあれほど言っているのに。洗濯カゴと一緒に持っておりてやろうとしたが、蓋を外して中身を見て硬直した。
「なん、だ…これ…」
ぞんざいに突っ込まれたDVDと、それを包んでいたであろう透明なフィルム。裸の男性同士が抱き合ってこちらに挑発的な視線を向けてくる表紙には見覚えがあった。ゲイなら知らない人はいない有名な男優の人気作だ。そしてよく見れば、その下には0.03mmと大きく書かれた小さな箱。
ノンケの春田さんならまずお世話になるはずのないDVDと封切られていないコンドーム。そんなものがゴミ箱に突っ込まれている理由が、悲しいかな手に取るように分かってしまった。
彼は俺と体の関係を持とうと努力してくれたのだろう。コンドームまで買って準備してくれた。本番の前にまずはゲイポルノで慣れようと、わざわざ購入して観てみた。そして、自分には無理だと悟った。あとはゴミ箱に放るだけ。
「あー…」
勘の良すぎる自分が嫌になる。ため息なのか嗚咽なのか、よく分からない声が出た。
潮時だろうか。
彼氏の部屋で浮かれていた自分は、たった一瞬目に入ってしまった光景によって崖の底へと叩き落とされた。
春田さんの部屋で春田さんの匂いを胸いっぱいに吸い込んでいるのに、心はどうしようもないほど彼を遠くに感じていた。
ーーーーーーーーーーーーー
型の古い洗濯機がガラガラと唸りを上げて回転しているが、心の中は驚くほど静かだった。
やはり女性がいいのだろう。
物心ついたころから男性にしか関心を抱けなかった自分には、女性の曲線や柔らかさの魅力がわからない。ロリ巨乳が好きだと公言する彼を笑っていたが、世間から笑われるのは男の体に欲情する自分の方だ。
春田さんは名前の通り、春の陽だまりのような人。 そんな彼を自分は仄暗く生きづらいマイノリティーの道に引きずり下ろそうとしている。
家族は?子供は?世間の目は?好きなだけでは解決できない問題で押しつぶされそうになる。こんな苦しい思いを、春田さんにまで背負わせるのか?
恋に夢中で、好きで好きでたまらなくて、春田さんと一緒なら陽だまりの中を歩けるなんて夢を見ていたんだ。
「…全然かわいくねえな」
寄りかかった洗面台の鏡に映る自分は、誰がどう見ても男。
もっと柔らかければ。もっと背が低ければ。無い物ねだりばかりで苦笑が漏れた。
自分は女になりたいわけじゃない。春田さんに愛されたいだけなのに。
うつむけば、2本の歯ブラシの隣で並ぶ2本の髭剃りが目に入った。昨日までなら『本当に春田さんと同棲してるんだ』なんて実感して嬉しくなっていたはずのその光景が、今では容赦なく心を切り刻む。
泣きそうな顔をした自分の頬を撫でると、今朝剃ったばかりのヒゲが手のひらをチクチクと刺した。どちらかと言えばヒゲは濃いほうだ。春田さんは顔立ちはすっきりしていて体毛も薄くて、綺麗な男性という言葉がよく似合う。それに比べて自分は、どちらかと言えば濃い顔立ちに濃い体毛。剃っていても少し時間が経てばヒゲが目立つ。
気づけばフォームもつけずに、髭剃りを頬に走らせていた。
もっと薄ければ。もっと可愛ければ、綺麗だったら。
もっと、もっと、もっと
「いっ!…てぇ」
熱と痛みに驚いて髭剃りを落とす。鏡に映る自分の頬には、赤い線が走っていた。
洗面台にポタリと血が落ちて、それを薄めるように透明な大粒の雫が何滴も降り注いだ。
…馬鹿みたいだ。
俺の悲しみなんて知らない洗濯機はいつのまにかその回転を止め、無機質な電子音で終了を告げていた。
ーーーーーーーーーーーーー
「ただいまー」
「おかえりなさい」
「まーきー!つーかーれーたー!今日の飯何ー?」
「唐揚げですよ」
最後くらい豪勢にしようと思って、とは口に出さなかった。背中にのしかかる重みと体温、そして大好きな匂い。ポスティングで歩き回ったせいかほんのり汗の匂いもして、否が応でも胸はドキドキと音を立てた。未練タラタラな自分に嫌気がさす。
「まじ!?やった!俺今日ご飯大盛りね!」
子供のようにはしゃぐ春田さんの声が大好きなのに、今はその声を聞くだけで泣いてしまいそうだった。
「てか珍しいね。先に風呂入ってんの」
春田さんの指がパジャマの裾をくいっと引っ張る。いつもなら料理の匂いが髪やパジャマにつくのが嫌で晩御飯の後に風呂に入るが、今日は泣き腫らしてぐしゃぐしゃな顔を洗い流そうと先に入ったのだった。
「シャンプーの匂いする…」
春田さんは髪に顔を埋めて笑っていた。数時間前に散々泣いたのに、またツンと鼻の奥が熱くなる。
「か、帰ったらまずジャケット脱ぐ!それからご飯!ったく、ようやくできるようになったと思ったのにこの人は…」
いつもなら返ってくるはずの言い訳や悪態が一言もない。心配になって振り向けば、春田さんは俺を凝視していた。
「牧…?ほっぺたどうした?」
ひんやりした手が頬を包み込んだ。心が温かい人の手は冷たいという話はどうやら本当らしい。その冷たさは、未だ熱を孕んだ裂傷を癒してくれた。
「ああ、カミソリ負けです」
「え?でも朝はなかったじゃん。それになんか目も赤いし…」
よく見てくれてるんだなと嬉しくなる自分を戒めるように、体の影で手の甲をつねった。
「剃り残しが気になって、つい」
手が滑りましたと笑う俺を、まるで自分の頬を切ったかのように顔を歪めて見下ろす春田さん。優しい彼は人の痛みを拾い上げてしまうらしい。申し訳なくなって俯いていた俺の肩を、春田さんは慰めるようにぽんぽんとたたく。
「絆創膏貼らねえと。ちょっと待ってろよ、救急箱取ってくるから」
「いいですよ絆創膏なんて。だいたい、場所わかるんですか?」
「え?えーと…」
春田さんは固まる。底抜けに優しくても生活力は皆無だから、救急箱のありかなんて知るはずもない。家のほとんどを知り尽くしている俺ですらまだお目にかかっていないのだ。
それでも諦めの悪い春田さんは、リビングのチェストを片っ端からひっくり返し、開きという開きを全て開けては救急箱を探す。誰が片付けると思っているのだ。
「ない!あ〜もう俺コンビニに買いに行ってくる!」
「…は?絆創膏のためだけに?」
「ん?他になんか欲しいもんある?」
「そうじゃなくて…こんな怪我、大したことないですから」
「大したことあるだろ。傷が残ったらどうすんだよ」
その顔は至極真剣だった。見ていられなくてつい目をそらす。
「別に残ったって気にしませんよ。俺、男ですし」
「…なんだよそれ。男とか女とか、今そんなの関係ねえだろ」
春田さんがこんなに怒っているのを見たのは、きっと初めてだ。俺は言葉を失って、いつのまにか春田さんに手を掴まれソファに座らされていた。
「待ってろよ、コンビニ行ってくるから」
「はい」
「逃げんなよ」
「逃げませんよ」
「絶対だぞ!?」
「分かったから!ほら行くならさっさと行く!」
一日中歩き回って疲れてお腹も空いているだろうに。たった一筋の傷のためだけに春田さんはコンビニへ走っていった。
怪我の功名だなんて思った俺を、愛されていると感じてしまった俺を、春田さんは許してくれるだろうか。
春田さんはものの5分で帰ってきた。一番近いコンビニでも、往復で歩いて15分はかかるのに。全力疾走したのか、テープが貼られた絆創膏の小さな箱を握って息を切らしている。
ひっくり返されたチェストを床に座って片付けていた俺に気づくと、バツが悪そうに「後で俺がやるから」と言ってまたソファに座らされた。
「牧、ちょっと横向いて」
「自分で貼れますよ」
「俺がやりてーの」
春田さんは剥離紙を片方だけ剥がして、恐る恐るガーゼの部分を傷に当てる。もう片方の剥離紙を剥がしているところはよく見えなかったが、「あれ、くっついちゃった」と焦った声が聞こえてきて笑った。くっついたテープ同士を剥がすのに苦戦しているらしく、春田さんは一人で百面相。絆創膏一枚貼るのに何分かかっているのか。
「ほんと不器用ですね」
「うっせ!ほら、完成」
「ありがとうございます」
「…あ、待って。忘れもん」
絆創膏の上から、そっと口付けられた。
「…は、早く治るおまじない」
そう言って照れくさそうに笑うから、心の箍が外れてしまった。
「…!ばかっ…!」
「え!?え、ごめん!そんな嫌だった!?」
急に溢れ出した涙で視界が曇った。淡い水彩画のように春田さんの顔も滲んで見える。
「どうしてこんなに構うんですか!こんな傷一つで…!」
溢れ出る涙を袖で乱暴に拭えば、その手は春田さんに捕まえられて広い胸へ抱きしめられた。
「…牧はすぐ我慢しちゃうけどさ、俺はやなんだよ。風邪引いた時もそうだけど人の迷惑とか考える前に頼れって。痛いから助けてって言えよ」
つむじにキスが落ちた。普段ほとんど自分からキスしないくせに、今日はものの2分で2回もキスをくれた。
「それと、これは個人的にやだっつーか…傷残したくないんだよ。…牧の顔、綺麗なんだから」
綺麗?俺が?
昔の恋人に睦言で囁かれたことはあったが、ノンケの春田さんの口からそんな言葉が飛び出すなんて思っていなくて、動揺してしまった。だからつい、口走ってしまった。
「じゃあ春田さんは、
俺を抱けますか」
言うつもりなんてなかったのに。本当に、言うつもりなんてみじんもなかったのに。
「…え?」
春田さんは俺の両肩を掴んで、真正面から俺の泣き顔を凝視していた。
ああ…困ってる。きっと俺を傷つけないように頭の中で言葉を選んでいる。
「じょ、冗談ですよ!まったく春田さんはすぐ騙され…」
「冗談じゃねえだろ」
背中に感じる衝撃。泣き腫らした目に突き刺さる照明。俺はソファに押し倒されていた。
「離してください。冗談が過ぎたのは謝りますから」
「あの時だって、風呂に飛び込んできたのだって冗談じゃなかったじゃねえか!なんでそうやって隠すんだよ。ちゃんと言ってくんなきゃ俺分かんねえよ!」
「分からなくていいんです。分からない方が、春田さんは幸せです」
「なんだよ俺の幸せって…!なあ、なんでそんなに追い詰められてるんだ?俺のせいなら教えろよ…また気づかずにお前のこと傷つけるの嫌なんだよ」
春田さんまで泣き出しそうだった。俺はまた優しい春田さんを苦しめてしまった。
「…春田さんの部屋で見たんです。ゴミ箱の中」
感情を押し殺して淡々と言ったはずが、責めるような女々しい声が出た。ひゅ、と息を飲む音が聞こえた。
「覗くつもりなんてなくて、ただタオルを探しに行っただけで…ついでにゴミも捨てとこうと思って、それで…」
言葉が嗚咽に変わった時、春田さんにきつく抱きしめられた。
「牧…ごめんな」
「謝らないでください。…観たんでしょう?あのDVD。気持ち悪かったんでしょう!?」
自分の言葉が自分の心をえぐった。
こんなの自殺行為だ。自爆だ。自ら死刑台に立つなんて馬鹿げたこと、どうしてしてしまったのか。
「同性愛者の牧にこんなこと言うの最低だって思う。…でも、ごめん。俺はああいうビデオ見ても、全然いいと思えなかった」
最低だって思ってるなら言うなよ。嘘がつけない春田さんは優しいけど、時にその素直さは残酷だ。
男同士が全然いいと思えなかったって、それって、つまり最後通告じゃないか。俺には望みがないってことじゃないか。
「春田さんが嫌なら、セックスなんてしなくていいから…触ったりしないし、してほしいとかも言わないから、だから…そばにいちゃだめですか…っ」
情けない。あまりに情けなくて涙が止まらなかった。今までなら、体の相性が合わなければそれでさよならで済んだ。そして次の相手を探す。それだけで済んだのに。お前はドライだねとかつれないねとか言われる側だったのに。
それがどうだ。春田さんを諦められなくて、この先一生、人肌の温もりに触れられないのだとしても春田さんだけは手放したくないと心が叫んでいた。
「なんでそうなるんだよ。牧はエリートで頭いいはずなのに、俺のことになるとお馬鹿さんだな」
額にキスされて、それだけで体が震えた。春田さんは俺に体重を預けてぎゅっと抱きしめてくれた。
「正直男の体で興奮するのは無理だったよ。でも、さ。牧のことを手放すなんてもっと無理だ。…それに、DVD止めてから牧のこと考えたら、すっげー興奮したの」
優しいだけではない声が耳をくすぐる。普段はふわふわと浮ついて砂糖のように甘い春田さんの声は、確かに大人の男の匂いをまとっていた。
「牧はさ、どんな声で喘ぐの?どこ触られるのが好きなの?どんな風に抱かれたいの?俺のこと考えて抜いたりするの?」
「はるた、さ…」
一つ質問するたびに、耳にキスが降る。強いアルコールが回ったかのように頬も首を耳も熱い。
「ゲイのAV観てもだめだったから、たぶん俺は今後もゲイにはなれないよ。でも牧を好きになった。だから、俺は男が好きなんじゃなくて牧のことが好きなんだと思う」
なんて殺し文句だ。これを無自覚でやっているのだからたちが悪い。
春田さんの瞳に映る自分は、ぽろぽろと涙を流していた。
「あ〜もう!うまく言えねえ!泣かせたくないのに…ごめんな牧ぃ…俺の言いたいこと分かった…?」
不安げな顔で首を傾げる春田さんを見つめ返す。
「分かんないですよ。…言ってよ春田さん、俺を抱けるって」
「俺は牧を抱けるよ。いや、抱きたいんだ」
ためらうどころか即答だった。普段優柔不断なくせに、こんな時だけかっこよく決断してくれるなんてずるい。
「俺AVじゃダメだったからさ、牧が教えてくれない?」
「はる、た…さん」
「牧が俺にされたいこと、全部教えてよ」
甘い声が耳を犯した。
ーーーーーーーーーーー
手を引かれてやってきた春田さんの寝室。昼間はここで絶望の淵に立っていたのに、今では幸せの絶頂にいる。
多少片付けたとはいえ、色濃い生活感の溢れる部屋でこれから抱かれるという生々しさに身震いした。
「来いよ、牧」
腰掛けた春田さんに促されてベッドに膝を乗せると、ギシッと安っぽいスプリングの音が響いた。
遮光カーテンも閉めて真っ暗にしてくださいというお願いは却下され、レースカーテン越しに月の光が春田さんと俺を照らしている。高鳴る鼓動を落ち着かせようと下を向いて深呼吸してる俺の前で、春田さんはジャケットを脱ぎ始めた。ネクタイを解く音、シャツを床に落とす音。ガチャガチャとベルトを外す忙しない音。わずかに視界に映るスラックスも脱ぎ捨てると、春田さんの眩しいほど白い太ももが目を焦がした。
ゆるく前を膨らませた下着を見ていられなくて顔を上げると、春田さんは俺をぎゅっと抱きしめた。厚みのある胸板と太い腕に抱かれて、思わず熱っぽいため息が出た。
筋トレしてるところなんて見たことないのに、この謎のいい体。男らしい筋肉と白く滑らかな肌が、いつも清潔なスーツの下に隠れていると思うとクラクラした。
「牧も脱がせていい?」
「いいですけど…本当に俺なんかで興奮できるんですか?」
「はい出ましたー、牧の『俺なんか』。なんかって言うの禁止な」
「は、はぐらかさないでください!」
「はぐらかしてねーよ。俺は牧のこと考えるだけで興奮したよ。さっきなんて、お前の口からせ…せ、セックスなんて言葉が出ただけでかなりぐっときたし」
「中学生かよ。…言っときますけど、脱いだら実は巨乳でしたなんてことないですからね」
「いや当たり前だわ、そっちの方が萎えるわ!俺は巨根の牧くんを抱くの!」
これから愛し合おうというのに、ムードもへったくれもない。でも幸せだった。
長い指がパジャマのボタンを一つ一つ外していく。先ほどは絆創膏一枚貼るのにあれほど時間をかけていたというのに、あの不器用さが嘘のように一瞬でシャツを奪われた。「きれー」とにやけた春田さんの唇に、「馬鹿じゃないんですか」とにやけながらキスをする。
「俺汗くさいけど許してな。今シャワー浴びに行く余裕ない」
「大丈夫ですよ。俺、春田さんの匂い好きです」
「あーもうマジ、今のグッときた」
春田さんは噛み付くようにキスをして俺を押し倒した。
「ん…」
その唇はゆっくりと首へと下りて、舐めて濡らしては吸い上げる。跡つけないでくださいなんて言う余裕がないほど気持ちよかった。ちゅ、ちゅ、とリップ音を響かせて、今度は鎖骨へ。
「牧の肌はどっこもきれーだなあ…」
胸元を見つめてとろりと頬を緩ませていた春田さんの顔は、絆創膏が貼られた俺の顔を見た途端に、痛みを覚えたかのように悲しみに染まった。
「ごめんな、傷つけて」
「なんで謝るんですか。これは俺の自業自得ですよ」
「いいや、ちゃんと好きだって伝えられなかった俺のせいだよ」
「いいんですよもう。…春田さんになら、傷つけられたっていいから」
「ばか。少しは優しくさせろよ」
春田さんは困ったように眉をハの字にして微笑んだ。優しくさせろという言葉通り、花びらが舞い落ちるような軽やかさで頬や額にキスが降り注ぐ。
「…ね、春田さん、触って。俺もう我慢できない」
大きな手を握って、自分の胸へと導いた。春田さんは少し驚いていたけど、「俺も我慢できない」と言って胸をそっと撫でた。
「はあ…」
恋い焦がれた人の手が、自分の肌に触れている。その事実だけで体は熱を増して、乳首はツンと立ち上がった。
女性のように柔らかくもない胸板を、春田さんは飽きもせず撫でては揉みしだく。
「…触らせといてなんですけど、胸板なんて触って、萎えませんか…?」
「まさか。他の男にこんなことすんのはごめんだけど、牧の体だからさ、やらしーって思うし触りてーっ思う」
俺の心配を振り払うように、弧を描いたままの唇が乳首に触れた。すぐに濡れた舌が伸びてきて、ちろちろと小刻みに舐め上げる。
「ここ触られるのすき?」
「ん…すき、好きです」
分厚い唇に挟まれるだけで腰が浮くほど気持ちよかった。追い込むようにちゅう…と吸い上げられると、甲高い喘ぎ声が漏れてしまって慌てて口を覆った。
「なに今の」
「…!ごめん、なさい」
「いやなんで謝んだよ。今の声めちゃくちゃエロいから、もっと聞かせて」
震える脇腹をくすぐるような優しさで撫でられた。濡れた乳首を再び口内に捕らえられて、下の上で飴玉のように転がされる。泣きじゃくるような喘ぎ声が出るたび、春田さんは「かわいいよ」と言って安心させてくれた。
真っ赤に染まるまで舌で愛撫された。熱い口内から解放されると、空気にさらされただけで快感が走っておかしくなりそうだった。
「気持ちよかった?めちゃくちゃ立ってるけど」
春田さんの指が大きなしみの出来たボクサーパンツのゴムに引っかかる。最後の砦を崩しにかかっていた。
「ま、って、ほんと待って!暗くして…!」
「だめ。俺萎えたりしないから全部見せろよ」
抵抗も虚しく下着をずり降ろされた。腹につくほどそそり立った幹が、ゴムに引っかかってぶるんと跳ね上がる。先走りが腹にぽたぽた散る様まで、春田さんは目を丸くしてその光景を見ていた。
「…すげえ。本当にでかいんだな」
「…っ!は、るたさん!見ないで!」
隠そうとした両手は春田さんの大きな右手に捕まえられた。
「大丈夫、大丈夫。牧、怖くない。痛いことなんてしねえから」
春田さんは大人の顔をして、まるで生娘に手解くかのように優しい声で語りかけてきた。痛みなんて怖くない。怖いのは、春田さんに『気持ち悪い』と思われることだ。
ぎゅっとつむっていたまぶたを開く。視界には、春田さんはいなかった。
やはり無理だったのだ。いくら優しい春田さんでも、無理なものは無理なのだ。自分と同じ性器を持つ男を抱くなんて。
ぼやける視界の中、春田さんを見つけたのは自分の股の間だった。
…嘘だ、まさか、そんな。
「や、やめて!離し、て…っ、春田さん!!無理だって!」
「やだ。無理じゃねえもん」
先端にキスされただけで達してしまうかと思った。丸い部分を舌が這い、たっぷりの唾液で濡らされ、たった一瞬で熱い口内へ飲み込まれた。
「あ、あぅ…う、ん…!」
嘘だ。こんなの都合のいい夢だ。ノンケの春田さんが、俺の男性器を口で愛してくれているなんて。夢だと思おうとしても、部屋中に響くじゅぷじゅぷというはしたない水音が俺を現実に引き戻す。
熱くとろみのある唾液の中で泳がされ、かと思えばきつく吸い上げられる。張り詰めた陰嚢を指先で揉みしだいたり、裏筋を舌先がなぞったり。
男同士だから、気持ちいい場所は熟知していて当然かもしれない。でもこんなにうまいなんて想定外だ。
「も、無理しないで、はるた…さん…」
「やりたくてやってんの。牧を気持ちよくさせたいの」
「やだ、こんなの…だめだから…!」
「牧は気持ちよくねーの?」
そんな風に聞かれては、正直に「気持ちいいです…」と答えるしかない。くすくす笑ったのか、春田さんの喉の奥が震えた。
もっと不器用で乱暴だと思っていたのに、甘やかすように優しく丁寧に触れてくれる。とことん春田さんらしいと思った。きっと今までの恋人にも、こんな風に触れていたのだろう。
…初めては春田さんが良かったな。春田さんしか知らない体なら良かったのに。湧き上がる鬱々とした思いを感じ取ったのか、春田さんは俺の尻をピシャリと叩いた。
「集中しろよ。他のことなんか考えんな。俺が抱いてんだから」
胸のざわつきは春田さんの男らしい声にかき消される。春田さんに嫉妬されるのは気持ちいいなと最近気づいた。意地悪するように歯が表面をくすぐる。そのスリルにすら心は歓喜していた。
「春田さん、だけです…春田さんだけがすきです…っ」
「ん…いい子」
「っ!?あ、だめ…それ、やぁ…!」
思わず浮き上がる腰を、春田さんの手がベッドへ押し付ける。顔を前後に動かされ、喉の奥に招かれる。強すぎる快感に体を震わせ、春田さんの口の中で果てていた。
「ん…」
「吐き出して!てぃ、ティッシュどこ…!?」
涙目で枕元を探る俺の耳に、ゴクンと大きな音が音が届く。この人、飲んだのか…?
「…にが。いやでもすげえな。牧のだから全然やじゃない。恋の力って偉大だわ。苦いけど」
一人感心した様子で目を輝かせているのがおかしくて、目尻に涙を溜めたまま笑ってしまった。
「もう!本当デリカシーないな」
抱きついてキスをすると、春田さんの口の中は確かに苦かった。フェラされた後にキスするのは気持ち悪くて好きじゃなかったけど、春田さんとキスしたくて我慢できなかった。確かに、恋の力は偉大だ。
春田さんが息継ぎの合間に「えっろ…」とため息のように漏らすのも嬉しかった。
「ね、ね…牧。俺もう下めちゃくちゃパンパンなんだけど」
ゴリ、と自身に擦り付けられたぬるつく固い感触に息を飲む。春田さんはいつのまにかトランクスを脱ぎすてて、そそり立った幹を月の光の下にさらしていた。
赤く脈打つ男性の象徴。以前、スウェット越しにそのシルエットだけは見てしまったことがある。その時からうすうす気づいてはいたが、大きい。完全に立ち上がったそれは想像を遥かに超える質量だった。
春田さんの前で巨根などと啖呵を切ったあの時の自分を殴りたい。
「くそ…全然期待してなかったのに」
「期待ってさ、つまり俺のこれのこと想像したりしてたわけ?牧くんのえっち〜」
くそ、にやにや笑うその顔すら好きだ。
「しましたよ!何度も何度もあんたに抱いてもらうところを想像してました!これで満足ですか!?」
売り言葉に買い言葉。春田さんがぽかんと口を開けて言葉を失ってからようやく、自分がとんでもないことを口走ったことに気がついた。顔を見ていられなくて思わずぎゅっと抱きつく。春田さんの赤くなった頬に、同じく赤い自分の頬をすり寄せた。
「だから…早くください」
「ん…たくさんやるよ。でもちゃんと慣らしてからな」
「慣らさなくていいです。だって」
さすがにアナルに触るの気持ち悪いでしょ、という声は女々しくは震えていた。
「じゃ見せてみろよ」
「は?」
肉食動物のよう鋭い瞳に射抜かれ、とっさに逃げようとしたがあっさり捕らえられた。四つん這いにされて尻だけを高く掲げられ、あまりの羞恥に枕を投げつけたが失敗に終わる。
「や、やめろって!春田さん!!」
「やば。何これえっろ…」
疼く蕾に痛いほどの視線を感じて、顔から火が出そうだった。
「すっげー綺麗なピンク色してんのな。お、ひくひくしてる」
つんつんと指先がいたずらするように入り口を突ついて、それだけの些細な刺激にも甘えるようにひくついてしまう。
「っ〜…!?こ、声に出すな!ほんっとデリカシー…!
「めっちゃ締まり良さそう。早くぐちゃぐちゃにしてえ…」
こんな雄の欲にまみれた言葉が彼の甘い唇で紡がれるなんて。恋愛経験も性の経験も決して乏しい方じゃないのに、それでも、こんなに体の芯を震わせる色気に満ちた声を聞いたのは初めてだ。
「…春田さんので、ぐちゃぐちゃにしてください」
「ばか、煽んなよ」
どこから取り出したのか、春田さんはローションのボトルを傾けて後孔に垂らした。冷たさにきゅんと反応してしまうのが恥ずかしい。
「そんなもの、いつ買ってたんですか…」
羞恥を隠すように、努めて平坦な声で話しかける。
「ネットであのDVD買った時一緒に。俺だっていろいろ調べたんだぞ?牧のこと抱きたくて抱きたくて仕方なかったんだから」
俺の恥じらいを汲み取ってか、春田さんも日常会話でもするかのように落ち着いた声で話した。ローションをまとった人差し指の腹が入口をくるくる撫でる感覚に震えてしまう。
「…気持ち悪かったら、すぐやめてくださいね」
「気持ち悪いなんて思うわけないじゃん。お前が思ってるより、俺お前のことめちゃくちゃ好きだよ」
優しい告白の後、ゆっくりと指先が挿入された。
「ん…っ」
「熱っつ…すげえ熱いな、牧の中」
第一関節まで入れて、緩やかに前後に動かされる。ごく浅い挿入なのに体は敏感に反応し、もっと奥へ飲み込もうとうねった。それに気づいたのか、春田さんは付け根まで挿入してくれた。
「あ…あ、…っん」
太い関節が窄まりをゆっくりと行き来する。
「はる、たさん…」
「なに?痛い?」
春田さんは枕に顔を埋める俺に顔を寄せた。
「ううん…。春田さんの、ゆび…きもちいです…」
「…かーわいい、牧」
春田さんのほんのり赤い目尻がとろんと下がる。ついばむようにちゅ、ちゅとキスをくれるあんたこそかわいいよ。なんて言ってやらないけど。
水音を立てながら、2本、3本と徐々に指が増えていく。頑なだった入り口は時間をかけてふやけるほど甘くて溶かされ、けれど締め付ける力は何倍にも増す。はしたない体だという自覚はあった。
「あ…っ!?」
指先がかすめたその場所。甲高い悲鳴に春田さんは指を止める。
「牧…?」
「ちが、ちがう…なんでもない、から!」
「うそつき。ここ牧のきもちいーとこなんだろ?」
四葉のクローバーを見つけた子供のような顔で、でも情欲に濡れた声で春田さんは微笑んだ。
「俺ちゃんと勉強したんだぞ。なんて言うんだっけ?…まえたちせん?」
「ちが、ぜんりつせんです!」
反射的につっこんでしまい、「やっぱきもちいいとこだったじゃん」と春田さんは色っぽく笑った。
そこからはもう春田さんの独壇場だった。 3本の指の腹で容赦なく前立腺をくすぐられ、こねまわされ、むせび泣くほど喘いだ。
長い指が隘路を行き来する時のぬるま湯に浸かるような快感と、指先が前立腺をくすぐる時の脊髄を走り抜けるような快感。男とするのが初めてだなんて信じられないくらい、春田さんは俺の体を溶かしていた。
「はるたさん、も、もう…欲しいです…!早く入れて…!」
「くそ、えろすぎんだろ」
じゅぶっと音を立てて指が抜け出る。満たしてくれるものを失った蕾はぽっかりと開いて、涙を零すように温まったローションを流していた。
「はやく、春田さん…」
「待てって…!俺も今すぐぶちこみたいけど、ちゃんと着けてからな」
「コンドームないんでしょう?生でいいから」
待ちきれなくて背中をベッドに預けて脚を開けば、春田さんの顔は真っ赤に染まった。
「え?いいの!?…いやいやじゃなくて!ちゃんとあるから!」
「え?でも捨てたんじゃ…」
「あれはサイズ間違えたから捨てただけ。ちゃんとこっちにあるよ」
XLサイズと書かれた箱を差し出されて目眩がした。こんな爽やかで純朴そうな顔しといて、下は凶器とかなんだよそのギャップ。エロい。
春田さんはもたもたとフィルムを千切ると、先端に被せた。しかしぬるつくラテックスに指を滑らして、ぺちょっと太ももに落としてしまう。
「あれこれどっちが表…?」
拾い上げた薄ピンクのそれを目の前でぶら下げて顔をしかめる春田さんに思わず笑ってしまった。
「わ〜もう、全然かっこつかねえ!…ほんとはさ、めちゃめちゃ緊張してんの」
「そんな風に見えなかったですけど、なんで?」
「そりゃ緊張するだろ。好きなやつのこと、本当に抱けんだもん」
あ、かわいい。
頬を膨らませて言われた言葉に胸が高鳴った。
「…着けてあげます」
「え、まじ?」
「大サービスです」
手のひらを添えたそれは、ずっしりと重く火傷しそうなほど熱い。俺のことを考えてこんなに固くしてくれたのだと思うと、勝手に後孔が疼いた。箱から一枚新しいフィルムを取り出して、封切ろうとしたがやめた。
「…やっぱり、着ける前に少し触ってもいいですか?俺も春田さんのこと気持ちよくしたいです」
後孔は今すぐにでも春田さんが欲しいと疼いているが、少しだけ我慢。春田さんは顔を真っ赤にしてこくこく頷いた。
「すご…」
綺麗な顔に似合わない、凶悪なほど大きな熱のかたまり。長さも径もあるそれを手を筒にして下から上へと優しく扱けば、春田さんは吐息を漏らすように喘いだ。
「くそ…本当、どんだけいい体してるんですか」
先走りでぬるつく幹に頬ずりする俺を、春田さんは真っ赤な顔で見つめている。
根元を人差し指と親指で締め付けにながら手のひらを先端に当ててくるくると動かせば、たまらないといった様子で腰が浮き上がる。手のひらを濡らした透明な液体を舐めると、苦いようなしょっぱいような味が口に広がった。決して美味しくはないそれを喜んで飲み干す。ゴクリと生唾を飲む正直な姿がかわいくて咥えてやろうとすると、肩を掴まれて押し倒された。
「それはダメ!ダメっつーかめちゃくちゃフェラしてほしいけど、今咥えられたら一瞬でイく自信ある!」
「はは、なんですかそれ」
早漏かよなんて笑っていられたのは一瞬。ベッドに押し倒されて、いつのまにかコンドームをかぶせた硬い先端がぬるぬると入り口に擦りつけられる。
「初めてなんだから、牧の中でイかせてよ」
「…はい」
とくんとくんと心臓が高鳴る。ふたりとも緊張に言葉を失って、静かすぎて春田さんの鼓動まで聞こえそうだった。
「あ…牧、どんな体勢が楽?」
下半身は今にも爆発しそうなほど張り詰めているくせに、いじらしく俺の体を気遣う。優しすぎて思わず笑ってしまった。
「楽なのは後ろからですけど、春田さんの顔が見えないのはいやです」
「んなこと言われたら、前からするしかないじゃん。俺も牧の顔見たいもん」
照れくさそうに目尻にしわを作る彼が愛おしい。左腕で太ももを抱いて、右手を幹に添えて、春田さんは俺を見つめた。
「いれるよ」
「はい」
固く太い楔が、括約筋をこじ開けて侵入してきた。視界に火花が散る。
「あ…っ、くぅ…!!」
ゆっくりゆっくりと中を押し広げて奥を目指すそれを無意識に締め付けてしまう。そのたび春田さんは「深呼吸して」「いい子だな、牧」となだめるように甘い言葉をくれる。徐々に体のこわばりが解け、自ら春田さんを迎え入れるように体を開いていた。
陰嚢にシャリ、と春田さんの下生えが当たる感覚で、全てが収まったのだと知った。
「入ったよ、牧」
かすかな痛みと内臓を押し上げるような苦しさ、そして泣きたくなるほどの多幸感が俺を包んでいた。
「やばい…天国みてぇ…」
なんだよその感想とか、天国行ったことあんのかよとか、ツッコミはたくさん浮かぶけど声にはならない。
「やっと春田さんのものになれた…」
代わりに出たのは、恋に恋する少女のような言葉だった。
「ばーか。お前に告白された時からずっと俺はお前のもんだし、お前は俺のもんだよ」
舌を絡めて深い深いキスをすれば、繋がっていない場所がないと錯覚するほど溶け合えた。春田さんの腰に脚を絡めると、中に入ったものがまた少し大きくなった気がした。
「はるたさん…動いて。春田さんの好きにして」
「もうちょっと慣らしてから…」
「嫌です。早くください」
春田さんの気遣いを無下にして、俺は続きをねだった。
「…!たく、ひんひん鳴いても知らないからな!」
「はは、鳴かせてみせろよ」
「望むところだ。…でも、痛かったらすぐ言えよ」
紳士的に気遣う言葉の直後に、彼は雄の顔になっていた。ゆっくり引いた腰が、ズンっ打ちつけられる。
「あぁっ!あ、あ…はぁ…っ!」
そこからはもう止まらなかった。春田さんの引き締まった腰はスプリングの弾みを使いながら滑らかにピストンを繰り返して俺を攻め立てる。
じゅぷ、ぐちゅ、じゅぽ。泥濘みを踏むような水音を響かせて、熱が後孔を犯していた。
「牧、まき…」
耳元で名前を呼ばれれば、腹の上で揺れる自身がピクンと反応してしまう。 恥じらいも捨てて震える手で自身を扱けば、すぐに春田さんの大きな手が重なって上下に擦り上げられた。
「んん…!ん、あ!」
「掘られながら自分でちんこ触るとか、エロすぎ」
直接的な言葉に顔が真っ赤になる。
「俺、えろい牧だーいすき」
「えろいえろいって、うるさい…!」
意識的に後ろを締め付けてやれば、春田さんは切なく眉根を寄せて喘いだ。その顔が色っぽすぎて、仕返しのつもりだったのに俺の方が真っ赤になってしまった。
「…やるじゃん。上等だよ」
汗で濡れた前髪をかきあげ、赤い舌が唇を舐めた。あ…かっこいい。
「く…!あ、はる、た…さん!」
膝を肩に抱え上げられ、真上から叩きこむような挿入。ギリギリまで抜いては最奥まで一気に打ち込まれ、あまりの快感に叫ぶように喘いだ。
行かないでというように入り口はぎゅっと締め付ける。応えるように奥まで挿入されて、宙ぶらりんなつま先がピンっと伸びた。
「まき、すっげえエロい…かわいい…」
眉間にしわを寄せて、頬を染めて、欲にまみれた顔で俺を見下ろす。春田さんのこんな顔を見られるのは世界で俺だけだ。
そんなことを考えていた時、深く挿入したまま中で揺らすような狭い感覚のピストンに切り替わった。これはまずいと、経験が警鐘を鳴らす。
「や、だめ…!それだめ、です…っ」
「ここ、さっき教えてくれた気持ちいいとこ?」
太く張り出した雁首が、一番いい場所をゴリゴリと擦り上げる。くそ、くそ、ノンケのくせきなんでこんなに上手いんだ。
快感で泣くなんて初めてだった。
「ひ、ひ…!あ、やらぁ…!」
「こら、脚閉じちゃだめだろ」
春田さんの両腕によって、閉じきっていた脚は左右に大きく開かされた。あまりのはしたなさに顔を覆っていると、なだめるように太ももの内側を優しくなでてくれた。無遠慮に攻めまくるかと思えばこうして甘やかされて、無自覚のテクニックに俺は虜になっていた。
でも俺ばかり気持ちいいのは嫌だった。
「も、もっとひどくしていいから…!春田さんが気持ちよくないと、おれ嫌です…!」
牧はいい子だな〜と言って春田さんはくしゃっと笑った。
「めちゃくちゃ気持ちいいよ?すっげえ締まりいいし、中とろっとろで最高…。それに牧がかわいい声出してんのが、一番腰にくる」
律儀に感想まで言ってくる春田さんは、俺が羞恥で震えていることになど気づいていないのだろう。
「好きだよ、牧。大好き…っ」
「すき、すきです、はるたさん…!」
ピストンが早まる。体重をかけて抱きしめながら、優しい手が頭を撫でてくれる。愛情と熱情の狭間で、獣の唸り声のような声と肉が激しくぶつかり合う音が耳を犯した。
「い…く、ィく…!」
「イッて、凌太」
「…っ!?あ、ぁ〜…!」
張り詰めた欲望を解放したのと、春田さんが俺の中で達したのはほぼ同時だった。
ーーーーーーーーーーーーーー
「まーきまきまきまき!牧!俺、風呂の湯入れれた!」
「あんたは五歳児か」
普通の成人ならできて当たり前のことを、彼はノーベル賞でも受賞したかのように誇らしげに言う。いつもなら「馬鹿じゃないですか」とつれなく返すのに、今日ばかりは「よくできました」と頭まで撫でてしまった。あ、ちょっとバカップルっぽいなと気付いて手を引っ込めようかとしたけど、撫でられている春田さんがくしゃっと幸せそうな笑顔で見上げてくるからやめられなくなってしまう。
どうせ洗わなきゃと剥いだシーツでだらしなく素肌を隠した自分と、下だけスウェットを履いた春田さん。そんな消えない夜の匂いが照れくさい。春田さんも照れているらしく、俺の肌から目をそらして寝癖のついた襟足をくしゃくしゃとかき混ぜている。
「…一緒に風呂入ろ。凌太」
「はい、創一さん」
カーテンを開けた窓からは温かい日の光が降り注ぐ。その陽だまりで微笑む彼の手を、ためらうことなく握った。