紫煙の替わりにキャンディを「君は煙草を吸うのかい?」
「あ? だからなんだよ」
吸血鬼退治人の懐に突然転がり込んできた変なやつ。
真祖にして無敵とはついて回る噂話に過ぎず、実態はただのクソ雑魚だったこいつ、吸血鬼ドラルク。
ロナ戦の原稿が思うように行かず、事務所の窓を開けて紫煙を燻らせていたら、出かけていたらしく扉を開けるなり意外そうな顔で声をかけられる。
「別に深い意味はないけどね。君から煙草の臭いがしたことはなかったから」
「あぁ……。別に、常に吸うほどヘビースモーカーじゃねぇよ。こう……、原稿が進まなかったり、本業がうまくいかなかったときに……」
そこまでしゃべって、別にこいつに話すことじゃないと、唐突に思い出す。
「って、どうでもいいだろ。どうせ煙いだの臭いだのってすぐ死ぬんだからさっさとあっち行ってろ」
外に向かって煙を吐きつつ手でしっしっと追いやる仕草を見せると、ドラ公は口をへの字に曲げる。
「んまー失礼な子! そんな子は今日のからあげ半減祭りだ!」
「は!? 待てお前、それはダメだろ!?」
まさか夕飯を人質に取られるとは思わず、勢い余って手の中の煙草を握りつぶしてしまう。
「ヌヌヌヌ、ヌンヌヌヌヌ!」
「えー、変わりに食べたいって? ジョンも最近ふくふくしてきてるからダメだよ。ロナルド君も! 食べたかったら、そんなものふかしてないでさっさと原稿終わらせたまえ」
じゃあね、と手をひらひら振りつつそそくさと自宅の方へ引っ込んでしまった。
「…ックソ」
言いなりになるのは癪だがからあげは絶対食べたいので、諦めて原稿に向かうことにした。
どうにかきりのいいところまで原稿を進めて自宅に入ると、生姜と醤油のいい匂いが漂ってくる。
「あ、終わった? もうできるから手を洗っておいで」
「……お前は俺の母親か」
「なにー?」
「なんでもねぇよ!」
あまりにもやりとりが家庭染みていて、思わず脱力しながらも洗面台に向かう。
背後から聞こえてくるキャッキャとした笑い声に、そういえば他人の声や気配が気にならなくなったのはいつからかとぼんやりと考えていた。
「それにしても、君、本当に煙草はやめたほうがいいと思うがね」
「……なんだよ、さっきからやけに煙草にこだわるじゃねぇか。いいだろ、臭くて死んでないんだから」
お前には実害を被ってないだろうと言外に滲ませれば、違う違うと首を振られた。
「それは人の体には良くないものだろう? それに煙草は五感も鈍らせるからね、やめたほうが今日のからあげ、もっと美味しく感じたと思うよ」
「……本当か?」
体に悪いことなんか百も承知だとあしらうつもりで話半分で聞いていたが、最後の言葉には引っかかる。
「私は煙草なんて吸ったことはないからわからないけど、そういう話はよく聞くよ」
「ふーん……」
今でもそこらへんに売ってるよりよっぽど美味いのにな。
箸で掴んだ、外はサクサク中はふわふわジューシーなからあげをまじまじと見やる。
いや、これは別にこいつの料理を褒めてるわけじゃないけど!!
「そうだロナルド君!」
「……あ?」
より美味しくなるからあげを想像していたら、唐突に横で大声を出される。
ほんのちょっとだけ驚いてしまって、ころりとからあげがテーブルに落ちる。
なんなんだ一体。
「君、禁煙しなよ」
「は? なんで……」
「ご飯が美味しくなるって言っただろう。食べたくないかい? もーっと美味しいご飯」
「う……」
美味い飯は確かにあまりにも魅力的で、俺はつい目の前のクソ雑魚の思いつきに乗ってしまったのだった。
禁煙といっても、本当にたまに口に含める程度だったので、箱を捨てて変わりに飴やキャラメルを持ち歩くことで割とすんなりと達成することはできた。
まぁ、時たま口寂しい時にテーブルに置かれた生キャラメルの出どころには頭が上がらないのだが。
「さて、禁煙を頑張ったロナルド君へのご褒美ご飯は〜?」
「……」
「じゃーん! カレーをかけたオムライス! オムカレーだ!!」
散々勿体ぶって出された料理は、その苛立ちを吹き飛ばすに充分すぎた。
「おお!」
「ヌー!!」
「さぁ、たーんと召し上がれ!」
喜びはしゃぐジョンにもスプーンを渡しながらドラ公が言う。
「じゃあ……いただきます」
手を合わせてから口に入れると、今までと同じカレーのはずなのに、色々な風味が舌に広がった。
「う、うめぇ……!? なんだこれ!?」
「ふふ、だから言ったじゃないか」
得意げに呟いて、目の前で食事を頬張る俺たちを見ていたドラ公が指をくるりと回す。
「煙草で鈍っていた味覚が本来の性能を取り戻したんだ。そのカレーだってスパイスから作っているからね、それぞれの香りがすごいだろう?」
何もかもがこいつの言う通りなのは癪だったが、それすらも許してしまうくらいに本当に食事が美味しく感じて、口に運ぶ手が止まらなかった。
その様子を見ているドラ公も何だか嬉しそうで、なんていうか、こういうのは悪くないな、と思った。
それと同時に、何かむずかゆい気持ちが込み上げてきたんだが、それの正体に気付くのは、また別の話だった。