⑤
翌朝六時三十分。
新一はフロントにいた。
昨日、VIP対応のお客様である降谷零にモーニングコールを半ば強引に約束させられたからだ。
降谷の部屋を出た後フロントに戻ると諸伏が心配そうな顔をして待っていた。
「工藤、大丈夫だった?」
一連の流れを悟られまいと大丈夫だと嘘をついた。
新一は人生で一度もモーニングコールをしたことがない。
ホテルの全体研修の時にはモーニングコールのサービスは当ホテルでは実施していないと言っていたし、実際に諸伏のそばで研修していた時もモーニングコールと呼ばれる行為は一度もなかった。
モーニングコールをしてくれと言われてもどのように声をかけて良いのかわからない。
「はぁ…」
誰もいないフロントでため息をつき、モーニングコールの時間を待っているとバックヤードから女性スタッフ達の声が聞こえてきた。
「スイートルームの王子様、見た?」
「見た見た!01号室でしょ?すっごいイケメンだったよね!」
「あの顔でおはようって言われて落ちない女はいないって感じだったよね!」
「わかる〜!」
スイートルームの01号室ということは、どうやら降谷の話で盛り上がっているらしい。
何がスイートルームの王子様だ。
あんなに狡猾で、ずるい男のどこに惹かれるんだ。
おはようと言われるどころか今からそのコールをかけるのは俺なんだけど。
フロントにあるデジタル時計はまもなく七時になろうとしていた。
新一は深呼吸をして受話器を取り、2501号室の内線電話をかける。
呼び出し音から三コール目を鳴らしたところで受話器から音が聞こえた。
「ふ、…降谷さん。おはようございます。」
とりあえず朝の挨拶をしてみたが、モーニングコールはこんな感じだろうか。
新一は少し緊張した声で話すと、ワンテンポ遅れて『ん…おはよ…工藤くん』と返事が返ってきた。
昨日のような聞きやすくはっきりした声ではなく、寝起きなのか掠れていて少し低めの声。
こんな声を女性スタッフ達は聞きたいのだろうか。
「あ、あの…モーニングコールしたので切ってもいいですか?」
『えー…もう少しだけ声聞かせてよ』
「そう言われましても…」
降谷は寝起きだが、新一は勤務中だ。
と言っても、このモーニングコールも仕事のうちと言われたらそれまでだけど。
『うぅん…』
「そろそろ仕事があるので」
『じゃあ…朝ごはん、持ってきてよ』
新一が働く米花セントラルホテルでは朝食をお客様の部屋に運ぶルームサービスがある。
それはVIP対応のお客様も例外ではない。
「わかりました」
本来は朝食サービスは事前予約が必要だが、VIP客のリクエストであれば断ることができない。
顧客満足や評判に関わるからだ。
この電話が終わったらレストランスタッフに声をかけて諸伏にも事情を伝えなければ…。
突然朝食を頼んだ男は目が覚めてきたのか嬉しそうな声で
『ありがとう。工藤くんが持ってきてね。』
と言って電話を切った。
電話をする前は緊張したけれど声を聞いたらなぜか安心してしまった。
掴みどころがなくて、わがままで、狡猾で、それでも甘えてくるのが上手くて。
心の底から信用できる人ではないのに。
新一は受話器を置くと、レストランスタッフがいる厨房へと向かった。