ガーシュウィンと秋葉原
20世紀初頭の産業技術の発展は社会情勢や人々の生活のみならず、思想や文化にも大きく影響を及ぼした。写真が発展した故に絵画独自の表現の模索が始まったように、電子楽器や録音技術の進歩は音楽とは何かという思索を人類にもたらした。しかしこうして生まれた実験音楽は、ジョン・ゲージの4分33秒のように誰もが名前を知っているにも関わらず演奏機会は非常に限られている楽曲も少なくない。音楽や映像のように上演・再生されない限り存在できない芸術にとって、そこにどのような意味があるのか?
芸術が方法論や哲学に傾倒していく流れの一方で、日用品のように消費する芸術、自らは主役にならず、何かの背景として生み出されるBGMが隆盛し、今や市場規模や経済規模ではむしろ後者の方が大きくなりつつある。カメラ付きスマートフォンの普及により、自分で撮影したビデオに音楽をつけたいユーザーが増えるにつれ、この市場は今後も広がり続けるであろう。
この大きな二つの流れに抗った例として、19世紀前半に活躍したアメリカの作曲家等を挙げたい。彼らは哲学に逃げることなく、それ単体で感動を伝えることを諦めず、違う文化を持つ人々の民族的なモチーフを古典的な西洋音楽に融合させた。その手法は彼らより半世紀も前に活躍したロシア五人組の流れをくみ、保守的なクラシックの楽壇では既に盛りを過ぎていたが、異文化の音楽を融合させてみたい情熱がこれらの流れの強さに優った。ガーシュウィンの楽曲はその最高傑作であるが、これは才能もさることながら、彼自身に黒人の音楽に対する強い関心があったことが奏功した結果だろう。聴衆は、演奏を聴くたびにその音楽家の情熱に心を打たれるのである。それは、自分が感動したものを聴衆にも聞いてほしい、と願うオタクの心理に近いかも知れない。
全く異なる分野ではあるが、90年代以降のオタク文化の隆盛に同じ傾向を感じる。ジャパニメーションは子供の見るものだ、と高尚な芸術に重きを置く声が世界に溢れる中で、日本ではかなり早い時期から大人を視聴者に想定したアニメ・漫画作りが行われてきた。それは、秋葉原がまだ電気回路素子やパソコン部品を買いに行く街だった時代から、堂々とアニメ絵を表通りに展示し始めた秋葉原の特異性にも通じる。武骨なPCショップと萌え絵が交互に並ぶからこそ、そのどちらにもそこに集う人の愛情を感じて惹かれるのだ。秋葉原は何でも貪欲に吸収して発展してきた結果、現在は後者により比重が重い構成になり、かつての異文化を貪欲に飲み込む熱量は薄れているように思われる。しかし、この街を長らえさせてきた原動力が、作り手の感動を伝えたい情熱であることは、今も変わらない。
芸術にはどんな形があっても良いが、自分が何かを選ぶとしたら、私は愛ゆえに表現する立場を貫きたいと願う。
本文総文字数 1173字
註・参考文献
森山直人編『近現代の芸術史 文学上演篇 Ⅱ メディア社会における「芸術」の行方』、藝術学舎、2014年