(弁護士と医師) 百物語をするらしい。
荘園主か、或いは「荘園主の言伝」という体で何かと伝達事項を伝えてくるナイチンゲール、それか、何かとイベントを好むような招待客(サバイバー)が言い出したのかもしれないが、兎に角、そういう催しを近々開催するという通知があった。どこで使われたのを集めて来たのか、三本の古めかしい(そして使いさしの)蝋燭が同封された通知によると、一人一つ以上「怪談話」をして、その度に、蝋燭に着けた火を吹き消すという趣向の、東方に伝わる夏払いの儀式だということだったが、要はデカメロン的な催しということだ。「最後の試合」が終わるその時まで、この荘園に閉じ込められて「試合の再現」を繰り返す自分たちの境遇を、中世諸都市で猛威を振るったペストによって別荘地に閉じ込められた当代貴族たちになぞらえて、暇な時間を紛らわせようということだろう。
通知文を読んだライリーの感想としては(しょうもない催しを好む連中も居るものだな)ということだったが、参加によって特典(ボーナス)があると書き添えられていたことあり、その感想とは裏腹に通知の時点からライリーは参加するつもりで心構えをし、日頃からストックしている話題の種の中から、それらしい話に発展できそうなものを頭の中でピックアップしてそれとなく手帳に備忘するような支度もしていた。この儀式なんだか余興なんだかで主眼となる「ストーリーを語る」ということは、弁舌を主たる業務とする彼にとっては大した労苦でもなく、また「試合の再現」の中で何かと協力を強いられる以上、こういった、それも参加にあたってのハードルが(彼の中では)低い方の催しにはできるだけ顔を出し、その場で何かと顔を売っておくことが肝要であるとも彼は考えていた。
開催通知に記された時間に、開催場所である娯楽室に入った時、普段は(「娯楽室」という名の通りの使われ方をしていることもあって)煙草やら葉巻やら得体の知れないものの煙でけぶっていることが多いところ、今回は雰囲気づくりの為か一層照明を絞られて、あまり遠くまで見通しの聞かないような薄暗いその部屋の中で、ライリーは思いの他、サバイバーの面々が集まっていることに若干驚き――集まった面子の中には、まず社交というものに参加することのない納棺師や、ここにきてから誰も彼が「喋る」という場面を見たことがないポストマンまでが、通知に同封されていた蝋燭を手に握り締めてやってきて、普段はボードゲームのプレイヤーや酔客に供されている娯楽室の椅子に所在の無さそうに腰を下ろしながら、自分の手にある蝋燭を気まずそうにじっと見つめていた――それから、(この分ならそう何度も登壇する必要もないだろう)と、やや肩透かしを食らうような心地ながらに安心した。
「語りたいことがある時には、蝋燭に灯りを付けて、我々に知らしめてくれ。」
その時不意に、右側から、賢しらな女の声を囁くように吹き込まれたライリーが、出し抜けな接触に肩を強張らせながら、流石に警戒めいた刺々しい視線をそちらに向けると、そこには山羊の角を生やした不気味なフードをすっぽりと被る、赤毛の女がいた。祭司だ。サンダルを普段履きにしているから、ひたひたというあまり耳に残らない(耳に残ったとて不気味な印象を受ける)足音をしており、雑踏の中で、しかも普段目にしない面子に気取られている状態では、接近に気付かなかった。その女がそこにいると気付くと後から、彼女が平生から身に纏っている、まるで雨季を迎えた沼の淵に立たされている時のような湿気たぬかるみの臭いが、うっすらと鼻先にまで漂ってくるような心地がした。
「ところで、マッチは持っているかしら?」
「……そうか、それはどうも。」
ライリーは思わずつっけんどんに言い捨てるような口ぶりにならないように、彼なりに注意をしつつ――日常生活であればこのような得体の知れない、神が決めた土地に暮らすことも出来ずに、よそを転々としてモノをたかるような寄生虫じみた連中からの評判等は全くどうでもよく、何となれば下手を打ってこういう連中と付き合いを持ってしまう方が、得てして厄介ごとに発展するというのが彼の知る常識であったが、しかし常識がひっくり返り、試合での死者があっさり生き返って食卓に着いているこの荘園では、こういった得体の知れない出所の連中とも、何かと協力をし合わなければいけない――当たり障りのない謝意を述べ、彼女から続けられた質問には、ポケットに入れていたマッチを取り出して振って見せることで言葉にせず断る。そして、祭司が何を考えているのか今一つ掴めない、陰気な艶っぽさのある唇で弧を描いて、愛想というには得体の知れない笑顔のまま通り過ぎていき、また新たにやってきた参加者に伝達事項を伝えるのを見送ってから、ライリーはうんざりとしたような溜息を吐き、近くにあった空席に腰を下ろした。
程なくして、どうやら本件の発起人であるらしい祭司が先頭を切り、それから、所謂怪談らしい怪談や自分の体験談、時に何を言いたいのかよくわからないような要領の得ない話を何人かが登壇して披露した。段々と各人が仕込んだ持ちネタも減り、薄暗い娯楽室の中で灯る蝋燭の数がまばらになり、まあそろそろ頃合いだろうと判断したライリーが、配られた二本目の蝋燭に火を点けたところで、その前の話者が語っている最中に蝋燭を付けていたらしいダイアー医師が、祭司からの指名を受けて、娯楽室に設けられた即席の演台に上がった。
「この世に本当に魂があるなら、愛は死によってさえも消えないのでしょう。」
その時に医師のした「怪談」というのは、だいたいがこうだ。彼女が医学生だった頃、女のくせに医師を志すような頭のいかれた連中はそう多くなかったから、受け入れ先の医者からは当然、この女は看護婦志望だろうとまっとうな理解をされて、彼女はもっぱら下働きの身分に甘んじていた。勤務時間後に交流を持った入院患者の少女から、赤い花を両親に渡すように依頼されたその日の晩、少女の容態は急変し昏睡状態に、当時の彼女は少女の依頼を忠実に遂行し、昨晩患者が庭で摘み取っていた血の吸ったように赤い花を両親に手渡した。その患者が手当ての甲斐なく死亡してから数日後、伝染病に罹患し重篤な状態となった両親が、同じ病院に運び込まれてきた。そこに起こった伝染は、病院に一人で置き去りにされていた彼女の恨みであったのか、或いは、愛情であったのか。
それらは特段、ライリーの琴線に触れるような話ではなかった。何となれば要領を得ない話だ。ただ、その話をしている最中、あの女が、何かを考え込むように目を伏せてから口にした「愛」というその言葉が、まるで針を呑み込んでしまったかのようにライリーの喉奥に引っかかり、絶えず不快感を催していた。「愛は死によってさえも消えないのでしょう」と、他でもない、この女が、よくもぬけぬけと、
「あっ、ライリーさん、大変!」
どす黒く渦巻く思考の外側から、いかにも無害そうな若い娘が息を切らして「火がズボンに移ってるわ!」と声を上げるのが聞こえた。自分が呼ばれたことに気付いてからようやく、ふと気付くと内側に籠り切っていた意識を外へ向けたライリーが状況を把握するよりも先に、火が燃え移ったらしい彼のズボンどころか、ライリーの顔に目掛けるような浅慮さで消火用のバケツの水をぶちまけて来たものが居り、ライリーの近くに座っていたサバイバーからは口々に苦情の声が上がった。一方で、たまたま消火用バケツの置かれていた壁際に座って参加していたらしいその男――本人は〝慈善家〟だと言い張っているが、その身なりや手癖からして、明らかに泥棒を商っていることがはっきりわかる――は「あっ、あのグズが、ぼんやりして、てめえのズボンを燃やしかけたのが悪い」「何ならクリーチャーは、お、お前らにとっての、おお、恩人だろう!? 感謝をしろ感謝を!」などと語気を荒げて抗弁しながら、毛の絡む汚い指で臆面なくライリーを指さしている。
そういったちょっとした騒ぎの全てを無視して演台を降り、職業的使命感に駆られているのか、並み居る人を手早く掻き分けてライリーの元までやってきた例の医師は、空になったバケツを片手にぎゃあぎゃあ騒いでいる泥棒に何かを言って懐中電灯を貸し出させると、ライリーの前に膝を着き、今しがた泥棒から取り上げた明かりで照らしながら、彼の「患部」と思われる腿の上を検分した。そして、消火済みの折れた蝋燭が転がっている彼のスラックスに若干焦げ目がついている程度で、蝋燭を持っていた彼の手にも、火傷のような怪我の見当たらないことを確認してから、「……よかった、ズボンがちょっと、焦げただけで済んだみたいですね。」と安堵するように言う。その時になってようやく、外で起きていることに理解が追い付き始めた彼は、今しがた自分が、火の点いた蝋燭を握り潰し、半分に折って取り落していたことに気が付いた。