〝非売品〟(弁レオ) 「自分の工場」で生産した上等な布を展示する生きたマネキンとして、様々な柄の物を織り合わせたベストにジャケットにスラックスを着こなしている時の復讐者は、それ以外の衣装を着せられているときよりも、幾分理性的に見えた。普段が特別狂乱しているというわけではなく、その衣装を着せられているときの彼は、半面を生々しく覆う火傷の痕もなければ、ホラー映画の怪物役のような怪しい仮面で顔を覆い隠しているわけでもなく、明るい茶色の髪と口髭は油をつけて整えられて、きちんと被った帽子の下にある緑の目は、憎しみに濁るでもなく、むしろ、日々を慈しむようにきれいに澄んでおり、随分と真人間らしく、道を踏み外していないように見えたということだ。
その衣装を着せられて試合に出てくるような時のレオは、大抵まともに試合をしようとはせず、サバイバーの解読を眺めるばかりであった。彼の娘が試合の面子に居るような時は、娘の方が年甲斐もなく(あの娘は、あれでいて二十歳を超えている)寄り付いてくるのを、まるきり5歳かそこらの子供を扱うかのように抱き上げてあやしたりして過ごしていた。本人曰く、「この衣装を汚すのはどうにも気が引ける」ということらしい。レオのともすればハンターとしては怠慢な態度に対して、荘園主がペナルティを課したというような話も無い。
そんな彼が着こなしているベストに金のチェーンで、さながら懐中時計のように肌身離さず、といった具合に引っ掻けられている磨き上げられた金のロケットが放つ輝きに目を刺された、と言うように顔を顰めていたライリーは、「その衣装は、〝非売品〟と言ったっけか」と、暗号機を解読していく手を止めないまま、つい考え事が口をついて出た、という風に呟いた。小屋の外で盛んに雪を投げ合っているサバイバー同士の戯れから着せられているその衣装を守るため、そこから距離を置いて小屋の中に居り、小屋で解読を進めているライリーを攻撃するでもなく、他のサバイバーが解読しているのを眺めるのと同じようなやり方でただ眺めていたレオは、ライリーの零したその独り言を、自分への声掛けと受け取り、髭と揃いの色の明るい茶色をして、整えられている眉を困惑するように微かに上げながら、「あぁ」とだけ返事をすると、首に巻いている上等なマフラーに施された刺繍――製作者である彼の娘の顔と名前が刺繍されている――を庇うように、大きな手の平で擦った。
〝非売品〟。それこそが、彼が今着せられている衣装に題された名前である。荘園主が何かにつけてハンターにサバイバーにと贈りつける衣装の中には、それを着用すると、さながら何らかの薬でも盛られたかのように人格に影響をきたし、振る舞いがまるきり別人のようになるものがある。しかし、それを着せられている時のレオの受け答えや振る舞いから察するに、〝非売品〟はどうやら、着用者の人格に作用するような怪しい、もとい「設定」込の衣装であるようには見えなかった。「遡及」というタグを付けられたその衣装は、過去に、彼の人生で有り得た可能性の一つであるらしい。だが、仮にそうであったのならば、レオがこの荘園を訪れることはなかっただろう。それは、ライリーにとっても同じことだった。
過去には確かに存在した、しかし結局選ばれなかった可能性について後から掘り返してどうこう言うことは、文学と同じだけ実のないことだとライリーは考えている。夢を見る程度のことは良いだろう。だが、それに浸る程愚かなことはない。所詮夢は夢であって、その中で生きることはできやしないのだから。
「お前は〝それ〟を売って、あの工場を買ったんだな。」
無論、それは自分が言えたことではないということはライリーも理解していた。何せ、彼が元々所有しており、〝非売品〟に用いられた上等な布地を生産する可能性があったあの紡績工場から武器生産への転換を判断したのは、他でもない、ライリーがそうするように「助言」をしたからだ。その上で――レオが辿った末路と、そうでなければ彼が生きたのかもしれない、幸福らしい未来を見た上で――ライリーは、そこに何ら罪悪感らしいものを感じることは無かったし、自己弁護の必要も感じなかった。
恋と戦争においてはあらゆることが正当化される、という格言がある。俺は戦略を練り、この男は、自分の判断で、今自分が着せられているような、まあ見事な布製品を生み出したかもしれない紡績工場を売り払い、あの軍需工場を買ったのだ。その判断が〝非売品〟を売り払うことに繋がることを、当時のあいつは、正しく理解していなかったとは言えるかもしれないが。
残り1台だった暗号機がライリーの手によって上がり、けたたましいサイレンが試合のフィールドに鳴り響いたが、ライリーがそれを聞き届けることはなかった。前後して、何かが重い音と共に彼の後頭部にめり込み、彼はそのまま前のめりになって、暗号機の上に崩れるようにダウンする。
その拍子にヒビの入った眼鏡越しに見るライリーのひび割れた視界では、あの衣装を着せられている時の、まるで「幸福な生活を実際に送っている」かのように穏やかであったレオの表情がどうなっているかを見ることはできなかった。しかし、目だけでも必死に上を見遣り、レオの持っている糸巻き棒にべっとりと、そしてまぎれもなく自分の血が付いている様をはっきりとその目に見ると、ライリーは激しく痛む頭を抱えるように床の上に横たわりながら、はっきりと、それでいて、いくらか満足気に口角を上げた。