反転ピ救弟vs通常ピ救兄
世界は変わり果てた。かつて戦った大魔王の手によって、自分がいる世界も、ピーチ姫がいる世界までも変わってしまった。
見知ったお客さんが敵になっている恐怖。少しずつすり減っていく味方の痛々しさ。ただ姫をもう一度でも助けたい、皆を守りたいと立ち上がり続けている自分の身体も、限界が近いのは分かっている。度重なる連戦で、疲労がずっと溜まっている。ただの一端の商人がこんなに前に出るのはおかしいと思っているが、それでも立ち続けなければいけない理由があった。
……悔しい事に、自分も嘗ては操られていた身。なんの奇跡か……いや、周りの助けがあり、今こうして自分を取り戻して戦えているが。弟はまだ、敵の手中にあった。罠にかかってしまったのが全てだが、そう後悔していられるほど時間は待ってくれない。一度敵に堕ちてしまったからには、どうしてもお偉いさんの監視はついているが。少々向こうは自分を過大評価しているのか、一番の戦力としても捉えられていた。
弟も、自分と同じ一端の商人。少しがめつい、心優しい生意気な弟。戦闘員には向かないでいてほしかったが、やはりそれでも……あの子の才能は、戦闘員としても優秀すぎた。普段は新商品開発といった方面で活躍している、人を支えるために使われている才能が。今は人を傷つける為だけの才能となっている。
幸か不幸か、自分達は人を殺めるところまでは行かなかった。精々、人を片っ端から捕らえるか、無力化するかだった。……今も、弟がかつての自分と同じ役回りをしているかは分からないが。だが、例え弟が人を手にかけてしまっていても。後戻り出来ないくらいの罪を背負っていても、必ず連れ戻す。弟の罪は、自分も背負う。未然に防げなかった私の責任でもあるからだ。
「……ぁれぇ? にいちゃんだあ」
「…………ああ、そうだな」
会いたくは、なかったが。こんな形で再会などしたくなかった。
戦場には不似合いなくらいの蕩けた笑みを浮かべ、ルイージはこちらへ向き直る。当然、スコップを握りしめた状態で。私が付けてしまった首輪もつけたまま、へにゃへにゃと嬉しそうに笑っている。今のルイージはただ洗脳された影響で性格が異なると、頭では分かっているのだが。それでも、他ならぬ自分のせいで、見ているだけでも痛々しいような人間になってしまっているのが辛い。あの子の被虐性を強めてしまったのは、あの時の自分のせいだ。
「にいちゃん……? なんでそっちにいるの?」
「……それは、お互い様だろう。とは言っても……私は、お前を連れ戻しに来た訳なのだが」
「……なにいってるの? つれもどす? おれ、にいちゃんのいってること、わかんないよ……」
困った顔で、私を見つめてくる。
……そうだろうな。私だってそうだった。あの大魔王の下、命令に従うことに何の疑問も持たなかったのだから。
「ねえにいちゃん、どうして? なんで? おれをおいてくの……? やだよ……」
「置いていかないさ」
「……っ、そんな優しさ、いらない!! いつものように、おれのことおこってよ! しかってよ! ぐずでのろまなおれは、にいちゃんがいないと、なんもできないからぁ……っ、だから、はやくぅ……!」
「そんな事、私には出来ない。お前は一人でも生きていける子だろう? 愚図でノロマなんかじゃない」
「う、ぅううゔぅ……!」
怒りと悲しみがごちゃ混ぜになっているのだろう、ルイージは震えながら泣き出した。しかしそれでも、自分と同じ戦闘員として戦っていたのだ。油断すれば、間違いなく狩られる。ルイージには、それをするだけの実力が備わっている。
ルイージは何か、意を決したのか。泣きながらも、顔を覆っていた手をゆっくりと外して。私を強く、睨みつけた。
「……分かったぁ……」
「っ!」
「おまえ、おれからにいちゃんをとったんだな? にいちゃんにひどいことして、奪ったんだな? ゆるさない、ぜったいにゆるさない」
「……奪ったも何も、私がお前の兄ちゃんなんだがな……!」
「嘘だ!! 信じない、そんな嘘っぱち信じない!!」
ルイージの背負っているリュックからガシャガシャと音が鳴り、“あの時”の私がよく見ていた戦闘兵器が飛び出す。それらはまるでルイージを守るように蠢いていた。
アレの恐ろしさはよく分かっている。何が仕込まれているか分からない以上、下手に素手で叩き落とす真似はやめた方がいいだろう。何とか持ち去ってこれたあの子のツルハシが、こんなところで役立つとは。
「返せ、返せよ、返せッ!! おれの、おれの神様を、返せよクソ野郎!!」
「それは出来ない約束だ。……帰るぞ、ルイージ」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇえええええええッ!! もういい、にいちゃんの偽物野郎はおれが殺すッ!! 何が何でも絶対に殺す!! 何処に逃げようと地の果てまで追いかけてやる!! おれの、おれのにいちゃんを奪った、侮辱した!! 沢山苦しめてから殺してやる!!」
随分と熱烈で、背筋が思わず凍る。しかしそれでも、私はやらなくてはならない。
例え、互いがどれだけ傷つく事になろうと。意味などない不毛な戦いになろうと。絶対に、二人で生きて帰る。その為に、私は今此処に立っているのだから。何があっても、諦めない。諦めてたまるものか。
どんなに長い夜があろうと、必ず日は再び昇る。
「にいちゃんを、返せド畜生がぁあああああああああ!!」
「俺の弟は、何が何でも返してもらう。とっとと起きてもらおうか!!」
ルイージ。
もう一度、もう一度だけでいい。
二度と兄だと呼んでくれなくていい。二度と俺を信じてくれなくても構わない。
それでも……どうか駄目で最低な兄である俺に、力を貸してくれ。
そう願いながら、あの子のもう一つの武器であるツルハシを握りしめた。
反転ピ救兄vs通常ピ救弟
あの城から命からがら逃げ出し、変わってしまった世界で戦い続けて早数週間。大魔王の罠にかかり、そこで見事なまでに操られた俺と兄貴は、大魔王の命令であの姫がいる世界も、自分たちが住む世界も徹底的に荒らしていった。戦いはまだ終わっておらず、復興どころの話じゃない。
俺は頭が割れるような痛みに耐えながら、何とか監視の目を掻い潜って城を抜け出した。残念な事に兄貴の居場所はその当時は分からず、兄貴と一緒に城を抜け出す事は叶わなかったが。何とか姫の軍隊の下で保護を受け、監視されながらも戦場に赴いている。恐らく洗脳の後遺症である頭痛も発作も、今はだいぶ落ち着いた。姫の部下曰く、それは第三者の介入なしで洗脳を振り解いた事による症状だとのこと。戦闘が激化してる現状、完全な治療が出来ず申し訳ないと謝っていたが。それを責めたところで何も変わらない。それに、自分の“それ”を治す手段があるのならば、兄貴の洗脳を解く手段があると同じ事。だからそれは、兄貴を連れ戻す時に使ってほしいと願った。
痛いのは嫌いだ。争いも好きじゃない。だけど、兄貴を連れ戻す為には戦わねばならない。当然、商人としてのスキルをふんだんに使い、味方を助けることも忘れない。今は誰かに文句を言っている場合ではないのだから。少しでも自分が生きられる要素を増やす為に、人を助けているだけだ。
……それが、もっともらしい建前なのも分かっている。本当は、自分と兄貴が傷つけてしまった分の罪滅ぼしがしたいだけだ。兄貴は今もなお敵の中。どれほどの悪事に手を染めてしまったかはもう分からない。でも自分だって潔白じゃない。兄貴と同じように手を汚した。
許されようとは思わない。ただの自己満足だ。ただの偽善だ。
それでも、こうしてないと自分を保てる気がしなかったのだ。また兄貴と出会った時、今の自分のままでいられる自信がなかった。
そして、その努力は俺の願い通り、身を結んだ。
「……見つけたぞ」
「……まさか、そっちから来てくれるとはなあ」
あの優しい柔和な雰囲気なんて初めからなかったかのような、鋭い気迫。紛れもない、自分の兄がそこにいた。
「随分と長い散歩をしてくれたな。楽しかったか?」
「そりゃもう。最高で最悪だったよ」
「……帰るぞ。今ならその行為を見逃してやってもいい」
黒い手が、自分に差し伸べられる。
きっと、あの手をもう一度取れば。兄に全てを与えてもらえる、兄が全てを導いてくれる。自分を的確に評価し、救い上げてくれるのだろう。その薄暗い悦びは、今だって身体に残っている。しっかりと覚えている。人を壊していく悦びも、兄に褒めてもらえる悦びも、全て。決して普通の兄弟では得られることのない悦楽を、もう一度与えてくれるのは分かっているが。
すぅ、と息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
何の為に自分が此処にいるのか。何の為に苦しんでまであそこを抜け出し、今もなお痛みに身を投じているのか。その理由は、あの時からずっと明白だ。
「やぁ〜だねっ」
「……は?」
べ、と舌を出し。目の前にいる兄を煽る。
頭の痛みは酷くなるが、それでも。今ならば、もう二度と自分を見失ったりしない自信があった。
「ふざけているのか? いい加減にしろ、俺の言うことが」
「聞かねぇよ。聞いたら聞いたで、きっと俺にとってはまた最高の日々が待ってるのは分かってる。一番分かってる」
兄に導かれ、兄の言う通りに全てこなす。そうして褒めてもらえる、まるで依存性の高いお菓子を与えてくれる日々が。あの日々だって、歪んでいようが狂っていようが幸せだったのには変わりない。だが、意地でも譲れないものが今の自分にはあった。
「……兄貴に導かれる日々も、好きだった。本当だ」
人としての尊厳を捨てても、決して見捨てたりせず。自分につけてくれた首輪を引いて、道を示してくれる。最高の、兄だった。
「…………でもなあ。それでもやっぱ、嫌なんだよ」
「何がだ」
「もし、もう一度そんな日常を送ろうもんなら。きっと俺は自分を許せなくなる」
嘗て、姫の部下が言っていた事を思い出す。
自分と兄貴にかかっていた魔術は、主に性格の反転。それに加えて、欲望の増幅であると。
それが事実ならば……きっと、あの時の自分だって、“あれ”を望んでいたのだ。そしてそれは、今の自分もそうで。兄貴はよく分かんねえけど、きっと心のどこかで何かを望んでいたんだろう。
望む分には構わない。自分だって強欲だから。
けれどその過程で、兄貴が一番したくもない事をしているのだけは許せない。何よりも、そんな兄貴に頼りきりな自分が嫌だった。
「一生、死ぬまで許せなくなる。だから……あー……つまりだな。反抗期、ってやつだよ」
「……ふざけるな!!」
兄が激昂する。
「いい加減にしろ。そうしてまた、俺の見えない所に行くつもりか? 無駄な危険に身を投じる気か? どれだけ俺をイラつかせれば済むんだ、愚弟が」
「はは、そりゃ確かに事実だな。でもこれが“俺”なんでね、謝らねえよ」
「お前は俺の後ろを着いてきていればいい。何も疑問に思わないで、俺の言う通りにしていればいい。何でそれが分からないんだ? 散々教えてやっただろ? 今更それを否定する気か?」
「ああ。否定する」
例えその日々が互いにとって最上の幸せでも、俺は兄貴のお荷物にはなりたくない。もう二度と、兄貴に頼りきりな自分にはなりたくない。
スコップをしっかりと握り直し、兄を睨む。
チャンスは恐らく、今しかない。この一回しかない。そんで、自分が死ぬのは絶対にダメだ。もし自分の手で弟が死んだと兄貴が知れば、一生兄貴は帰ってこなくなる。それだけは御免だ。だから、何が何でも二人で生きて帰らねばならない。
兄貴の罪も、俺が背負うから。もう兄貴が傷つかなくてもいいよう、今度は俺が守る番だ。今度は俺が、兄貴を助ける。救ってみせる。
例え光のない夜でも、星は必ず輝くのだから。
「今の“俺”を見ろよ、バカ兄貴!!」
「何時迄も減らず口を叩けると思うな、愚弟が!!」
もう一度でいい。もう一度だけでいい。
二度と弟だって呼ばれなくてもいい。二度と俺を頼ってくれなくても構わない。
だから、今だけは──どうか、愚かな弟である自分を、信じてくれ。
誰にも伝わりやしない願いを抱き、兄貴特製のスコップを強く、強く握りしめた。