【レ×ラ】兄心 早朝は、時間を潰すのにめぼしい店もなく、レイジロウはいつも適当なベンチに座って愛しのあの子を待った。
大きく膨れた髪の毛先を、視界の端で捉える。『あぁ、ラッキーだ』と思うのは、既に駆け出した後だ。
「ラッキー!!」
「声デカ! レイジロウ、ストップストップ!」
ラッキーは、大小様々な鳥が逃げ出す羽音を聞いた。
僅か数秒の間に、見かけによらず猪突猛進なところがある兄は、シュンとしてしまっている。
「あんま勢いつけられるとさ、こけそうになるから……」
「ラッキー……!」
レイジロウの背中に両腕を回し、ポンポンと軽く叩く。即座に抱き返されて、締め落とされそうになった。
「そ、そろそろ行こうよ……」
あからさまに不満そうに、レイジロウは腕を緩める。この出会い頭の抱擁は、レイジロウにとって必要不可欠な儀式らしい。
「今日は何する?」
「とりあえず今日は二人でゆっくりしたいかなぁ。明日は色んな所に行こう。あ、予定も今日一緒に考えよう! ホテルに行く前に行きたい所はある? 必要なものは揃ってると思うけど……」
「うーん……来る時通った公園が、散歩してる犬がいっぱい居て面白そうだった!」
「じゃあ僕たちも散歩しようか。今日のホテルはね、ラッキーも絶対気に入るよ。どんな部屋かは……」
徐々にヒートアップするレイジロウ。あまりの熱中ぶりに、車に轢かれたりしないか心配になる。
「あれ、ラッキー?」
レイジロウの声ではない。確かに聞いたことはあるが、忘れかけていて、誰かもすぐに思い出せないくらいの相手だった。
「あ、あぁ!」
顔を見れば、自分とどういう繋がりかが分かり、声のトーンが上がる。早押しクイズに正解した心境に近いだろう。そんなもの、ラッキーはやったこともないが。
彼女は、ラッキーの中学時代の同級生だ。ついでに、元・彼女という肩書きもある。
「何、その思い出した! って顔~。傷付く」
「ごめ……」
久々に会った元カノは、前よりも髪の色が明るい。進学で別々になり、疎遠になった彼女。
キスすらしなかった。放課後になれば速やかに帰らなければならなかったから、二人きりになる機会もなかったからだ。
顔を合わせれば必ず話しかけてくれる彼女の存在は、ラッキーの薄暗い日々に少しだけ差し込む光だった。
恋愛感情は抱けなかったし、あまりに陽気な彼女とのちぐはぐ感は否めなかったが、良き思い出だ。
「ラッキーも泊まりの帰り? その子友達? めっちゃイケメンじゃん」
彼女に遭遇して初めて、ラッキーはレイジロウを見た。俯き気味に、口をきゅっと閉じている。
相変わらずの人見知りに、ラッキーは思わずフッと笑ってしまった。
「これから出掛けるんだよ。なっ!」
レイジロウの肩に手を置く。恐る恐るといった様子で、レイジロウが顔を上げる。
「こんな早くから登山でもすんの? まぁ、またLINEするからー」
「うん、それじゃ」
手を振り、再び歩こうとレイジロウに視線を向ける。
「ぁ……ラッキー?」
「ん?」
「ご飯、はデリバリーにしようと思って、ラッキーの好きそうな店、たくさんブックマークしておいたけど、今お腹減ってたら何か買って行く?」
先程と比べて、見るからに歯切れが悪い。
レイジロウは会話が上手い方ではなく、話題の切り替えが突飛なのは通常運転だけれど、こんな絞り出したような話し方はそうそうしない。
「レイジロウ、具合悪いんじゃないか? それともまた疲れてるのに無理してる?」
「え……」
レイジロウの額に触ったら、熱はなさそうだ。
しかし、寄り道や買い物をしている場合でもないだろう。
ラッキーは迎えを呼ぼうとしたが、レイジロウは、体調不良が知れたら病院に連行されて遊べなくなると嫌がり、ホテルでは大人しくするから歩いて行こうと懇願した。
最初はなんでもないとしらを切ろうとしていたのに、「体調が悪くなることはしないから明日まで一緒に居て」とすがり付いてくる。
切実にも程があるレイジロウに、ラッキーはつい折れた。
ラッキーにだって、なかなか会えないレイジロウと一緒に居たい気持ちは少なからずある。
薬と飲み物を買い、ホテルに向かう。
思いの外遠く、途中でタクシーを拾った。ラッキーは何度も大丈夫かと尋ねたが、その度にレイジロウは大丈夫と律儀に答えた。
ラッキーが自分でもしつこいなと思いかけても、当のレイジロウはうんざりとはかけ離れた表情をしていた。
ふにゃふにゃに綻んだ顔に、仮病の二文字が浮かぶ。とはいえ仮病をしても損しかないのだから、不思議な話だ。
ラッキーを喜ばせたくて、グランドピアノ付きの部屋を選んだ。
ピアノは手付かずで、レイジロウはラッキーによってベッドから動けなくされていた。
本当に体調不良ではなかったが、昼はステーキ重を一重しか食べれなかった。
ラッキーは胃に優しいものを勧めてきた。しかしレイジロウは胃が強いから、実際に体調を崩して肉を食べても平気である。
隣のベッドを見る。満腹になったからか、ラッキーがうとうとしながら寝そべっている。
ラッキー、大切な弟。
レイジロウにとって、ラッキーの兄である事実は涙が出そうに幸福で、世界中に彼は僕の弟だと発表したいくらいだった。
誇らしかったのに、あの彼女に会ってからなんの自慢にもならないもので得意になっていた気にさせられてしまう。
ラッキー、あの人は誰? どうして連絡を取り合うの?
直接聞けたらどんなにいいだろう。受け入れられないことがある限り、無理だ。
一つでも祝福できない答えがあったなら。
ラッキーは、目を閉じて寝息を立てている。
無意識に、ベッドサイドに置かれたスマートフォンを掴んだ。
緑のアイコンのアプリを押し、友達リストに指を滑らせる。
ラッキーが友達に追加している女なんか少なくて、レイジロウはすぐに今朝の彼女を見つけた。
「………………」
画面から、加工された自撮りアイコンが消える。
ドッと息苦しさが襲い、這いずるように隣のベッドに移動した。
僕はなんて欲張りなんだろう。ラッキーに好かれたい。好かれる兄になりたい。
レイジロウの行動には、そんな下心が常に潜んでいる。
傍に居られるだけで満足するべきなのに、願望ばかり立派だ。
「ラッキー……」
半開きの唇に、レイジロウの声が吸い込まれる。
柔らかさが怖かった。ラッキーの壊れそうな部分に舌を伸ばした自分が。
「レイジ、ロ?」
胸に乗った頭の、髪を指で弄ぶ。さらさらとすぐに落ちて、ラッキーにはない感触だ。
「ラッキー、一緒に寝てもいい?」
「……うん」
レイジロウが思う以上に、ラッキーは大人びてしまっていた。
昔のように一人寝を嫌うレイジロウを寝かしつけて、子供のふりをする。
子供っぽく振る舞う違和感を初めて覚えたレイジロウは、小さな身体に似合わない母親にも似たラッキーの振る舞いに、何故ああしていられたのだろうと、気付いてしまった。
ラッキーの、底知れない謎に。
近頃、ラッキーはレイジロウがLINEを20件ほど送れば返信してくる。
レイジロウには嬉しい変化だったが、やはりラッキーの声は毎日でも聞きたい。
「もしもし、ラッキー?」
ラッキーが出てくれる確率が高い時間帯は、とうに把握している。
今日あった出来事を話したり、ラッキーには何があったのか聞いていると、余裕で数十分は経つ。
話しながら、ラッキーは何度かあくびをした。
「そろそろ寝よっか。ねぇラッキー」
「ん?」
「大好きだよ」
なんて重いんだろうと、電話の向こうのラッキーに想いを馳せる。
喉に重々しく貼り付いて剥がれた言葉は、ずっとレイジロウの中にあった。
吐き出しても注ぎ足されて、ドクンドクンと脈打っている。
苦しいといえば苦しいが、ただの苦痛ではない。
それはきっと、ラッキーがレイジロウを見て、レイジロウに応えてくれるからだ。
ラッキーがどこに居るかも知らずに一人で抱えたのなら、こんなものはレイジロウを貫く棘に過ぎない。
ラッキーは、おやすみと言って通話を切った。吃りながら、画面を二、三度叩いて。
「かわいい……」
余裕綽々とした自分に、レイジロウは驚いた。
レイジロウにとって、ラッキーは可愛いなんて生易しいものではなかった。
ラッキーはレイジロウを安心させてくれる。レイジロウがラッキーを愛でるとなると、何かが逆転している。
「あぁー……そうかぁ、これが……」
ラッキーが愛しい。甘やかしたい。
好かれる為に、ではなく。ラッキーを愛でたいから、ラッキーを愛でる。
レイジロウは、両手で頬を叩いた。
「頑張らないと……」
掌には、やけに熱い体温が伝わった。