【嫌な奴/三浦×和也】まずいピラフの朝、駅弁と車窓 妙に気怠いというか、眠気が酷かった。
どうせ和也もあと数時間は帰ってこないから、買い物を済ませておきたかったのに。気持ちに反して俺はソファーに沈む。
次に目を開けた時には、和也が一人であたふたしていた。
「……変な顔」
俺の声に反応し、和也はまじまじと顔を見てくる。こうも熱烈な視線は、そうそう浴びれるもんじゃない。
「君……名前は?」
「はぁ?」
そこで俺は、違和感に気付いた。子供の声と、手に纏わりつく鬱陶しい袖。姿見には、俺を小さくしたような子供が映っている。丁度、和也に出会った頃の俺が。
「……三浦恵一」
続けた言葉は、少しの悪戯心だった。
「なぁ、兄ちゃんだれ?」
こういうのを、鳩が豆鉄砲を喰らったような……と言うんだろうか。和也は頭を抱え、俺は笑いを堪えるのに必死だった。
「す、少し電話を……」
俺の質問には答えずに、和也は携帯を持って自室に引っ込んだ。こっそりつけて聞き耳を立てると、何やら愉快な話になっている。
「本当に、三浦に隠し子は居ないのか? いや、ふざけてなんか……」
多分、相手は小野寺だろう。
喧嘩別れっぽくなっていたのにこんな電話をしなきゃならないなんて、さぞ気まずい筈だ。まあ、原因の半分は俺にもあるからあまり面白がるのも良くない。
「待っ……! はぁ」
可哀想に、会話を打ち切られてしまった。俺はそそくさと和也の部屋から離れ、居間に戻る。
とぼとぼ歩いてくる和也に、大人しく待っていた風を装って駆け寄った。
「兄ちゃん、ここどこ? なんで俺ここに居んの?」
和也のシャツを掴んで揺らし、質問責めにしてやる。和也は、俺が身も心も子供になったと信じきっている。
なら、この状況をとことん楽しんでやろうじゃないか。
大きな大きなため息が、居間に響き渡った。
和也は簡単に自己紹介をし、俺の手足や身長をメジャーで測り、勝手に外に出るなと念押しをして出掛けていった。
そういえば、今の俺の服は、子供の俺にはデカすぎる。
三十分くらいして、和也は大きめの袋を片手に帰ってきた。よくCMをやっている子供用品の店のロゴが、和也には異常に不似合いだ。
「とりあえずこの中から選んで、君の部屋はそっちだから、そこで着替えて……」
散々場違い感を味わって疲れたのか、吹き出しそうな俺に怒りもしない。玄関で何かしている和也を置いて、俺は勝手知ったる自分の部屋へと向かう。
シャツやズボンに下着、羽織るものが何着ずつかあり、随分早く揃えたもんだと感心する。……いや、選んだのは店員だろう。
和也がこんな、愛する我が子に着せるような服を俺に選ぶわけがない。俺が和也だったら、もっと変な格好をさせようとする。
「……ん? なんだこのシャツ」
目についた悪趣味なTシャツをやけくそ気味に着て、下にジャージを履く。
確か、宇宙人と人間の子供が仲良くなって、宇宙人を自転車のカゴに乗せて空を飛ぶ……というストーリーの映画に登場する宇宙人がプリントされている。
着替え終わると、和也は台所で袋ラーメンを煮ていた。俺が買い出しをし損なったから、冷蔵庫にはろくな食材がない。
座って待っていろと言われたので座っていると、先に俺の前にラーメン丼が置かれる。ラーメンには卵やハム、野菜が乗っている。
素の袋ラーメンを鍋から直接食うんだとばかり思っていた俺は、わりと面食らった。
「先に食べてて良かったのに」
出た、その台詞。和也は俺の向かいに座った。
「悪いね、こんなものしかなくて」
それに関しては俺のせいだ。しかし、今日の和也はやけに優しい。いくら俺でも、子供相手だからだろうか。
こいつは変に常識や体裁に囚われているから、子供に辛く当たるなんて絶対にしないだろうし。
「いや、美味しい……」
「そう」
普段の俺が美味しいと言ったって、「お前は僕が作れば泥団子でも喜ぶんだろう?」と一笑に付されそうだ。……流石にここまで酷くはないか?
当たり障りのない会話が続く。食べ終わり、テレビを観ている時も。
夜も遅くなり、和也が欠伸をする。一回寝たからか、俺は全く眠くなかった。
「そろそろ寝ようか。君はさっきの部屋に……」
テレビを消してさっさと退散しようとする和也の裾を引っ張ってやると、服がビンッと伸びる。
「一緒に寝てもいい?」
こんなこと、わざわざ聞いたことなんかない。いつも無理矢理一緒に寝ている。
今日は和也と風呂に入るチャンスも蹴ったし、ソファーで引っ付きもしなかった。添い寝くらい望んだって罰は当たらないだろう。
「あ、ああ……いい、よ?」
声も顔もひきつり過ぎだ。
後ろではなく、和也の前に寝そべった。小さいのも悪くない。布団を剥がずとも目の前に和也の寝顔があって、一晩中眺めていた。
立ち上がろうとする和也の服を掴む。勝手に目覚ましを止めてみたが、和也はギリギリで起きた。
「起きたのか……僕はもう行くよ。腹が減ったら冷凍食品があるからそれを食べててくれ」
支度をしながら、火を使うなだの外に出るなだのと母親みたいに慌ただしくしている。
怪しまれないように素直に見送り、冷凍庫を開ける。端にあった袋をつまむと、皿に中身を出す。
五年生の時、和也と飼育係をやったっけ。和也はうさぎを触るにもおっかなびっくりで、これはうさぎの餌に似ている。
ピーピーと鳴っているレンジの蓋を開ける。
「まずい」
ピラフはやはりまずくて、好きになれない味だ。
どういう風のふきまわしか、帰ってきた和也は俺を夕飯の買い出しに誘った。動機がどうあれ、和也に誘われて断る理由は俺にはない。
近頃の子供服は洒落ている。子供らしからぬジャケットを羽織ると、思いの外すました風になる。
便利な立地のお陰で、久々のドライブは十分にも満たなかった。
惣菜や飲み物を物色し、冷凍食品のコーナーで和也は立ち止まる。
「僕はここに居るから、お菓子でも見てきたら」
まさか置き去りにする気じゃないだろうなと嫌な記憶が過ったが、和也は更に捲し立てる。
「欲しいものがあったらカゴに入れて。絶対自分のポケットに入れたりなんかしたら駄目だ。いいね?」
いつの話を掘り返すんだ、こいつは……。
微妙な心境が、じわじわとなんともいえなくなってくる。俺に無関心なくせに、あんな些細な出来事を。
どんどんカゴを重くしている和也は、俺を置いて立ち去りそうもない。菓子が欲しいわけでもなかったが、隣の隣の棚に移動する。
適当に取ると酒のアテにしかならないから、一旦戻して今度は無難なスナック菓子にした。
「それだけでいいの? 毎日は来ないからもっと買っておいたら」
「いい、これで」
和也の姿を見つけて安堵した自分が可哀想になる。和也に嫌われている事実が、結局俺の中では一番強固な和也の感情だ。
『でもな和也。俺は何度お前に捨てられたって逃がしてやらない。しつこく追い回してやるさ』
俺はてっきりこう思っていた。女に和也をくれてやった日には、一生取り返せないと。
取り越し苦労と呼ばざるを得ない。和也なんか、女の方から愛想を尽かすだろう。
「俺がやろうか?」
「いやっ! 君は座って……痛!」
危ない手付きで包丁を使い、案の定怪我をしている。なんなら二回目だ。
元から料理が得意ではなさそうだったが、悪化している。俺が毎日やっている影響もあるだろうか。
米の炊き忘れでまた焦り、水切り棚にぶつかった。勉強や仕事以外でのポンコツぶりが加速している。
「俺、いつもやってるからさ」
実際、これくらいの時には既に俺が家事を担当していたから嘘ではない。和也よりは上手く出来るだろう。
だが和也は譲らなかった。俺はハラハラしながら行く末を見守る。
目玉焼き、ウィンナー、トースト、サラダ。朝飯のようなメニューになった。
夜型生活が癖になり、今夜も俺は眠る和也を見ている。首の皮膚を吸うと呻いたが、起きる気配はない。
「君、ここら辺の子?」
「……引っ越してきたんだ。そこのマンション」
午後の外出を許可されて、近くの公園に来た、とある日。近くに住んでいるであろう子供に声を掛けられた。
「へぇーっ。お金持ちなの?」
「父ちゃんは高校の先生だけど、よく分かんないな」
視界の隅に、見覚えのある車。
「あっ、帰ってきた。おーい、父ちゃーん!」
子供に手を振り、車に乗り込む。運転席には、しかめっ面の和也が居た。
「誰がいつお前の父親になったって……?」
暫く経ち、俺は和也と新幹線に乗っていた。小さい和也と大人の俺が、並んで座っている。
和也は俺と違い、記憶も子供に戻っていた。
誘拐犯扱いされないように細心の注意を払いつつ、小野寺の協力を得て和也を関西の実家に連れていく流れに漕ぎ着けた。
小さな口は、駅で買ってやった弁当をもぐもぐと咀嚼する。
慌てて詰めた荷物は少ない。和也が俺に買った子供服が大半を占めた。
体が大人に戻った日、寝ていたら手足が伸びる感覚がして、急いで服を脱いだ。
全裸で立ち尽くす俺に、和也は「何やってんだ」と冷たい視線を寄越した。
「……ん? もう腹いっぱいか?」
「うん……」
「ほら、食ってやる」
和也が遠慮がちに俺に弁当を差し出す。
「ごめんなさい、せっかくくれたのに」
「いーや、体が小さいから仕方ない。気にするな」
大体、俺の方がお前に無礼を働いている。例えばこの駅弁のように担いで……という話はやめておこう。
終着駅に到着し、だいぶ昔のメモを頼りに目的地へと辿り着いた。
老けた母親よりも、新しい父親の年寄り具合に仰天する和也が可笑しかった。
俺はホテルにでも泊まる予定だったが、和也の母親が泊まっていけというので好意に甘えることにする。
なんと、和也を風呂にも入れた。これまでの人生が虚しくなってくる懐かれっぷりだ。
「お前、一人で寝られるのか?」
「……おじさんが寂しくて一人で寝られないんでしょ」
俺をからかう和也は、無邪気で小生意気で可愛らしい。つい頬擦りをすると、和也は髭を痛がった。
「俺にも息子が居て、和也っていうんだ」
「僕と同じ?」
なんの曇りもない目で、「どんな子なの?」と聞いてくる。生きていたらこの小さな和也と同じくらいの、俺の息子。どんな子に育っただろう。
「いつも悪さばかりして、喧嘩でもするのか毎日怪我をしてる」
「えぇ?」
俺が布団に入ると、和也は足をじたばたさせてはしゃぐ。
二度あった修学旅行の時、こうしてしまいたかった。でもきっと和也は、優しいふりをして俺を追い払うんだ。
次の日、和也は裸に布切れを纏って寝そべっていた。
「お前、親父さんを見て目ぇひんむいて……ふふっ……」
帰りの新幹線。俺があまりに笑うから、和也はムッとして言った。
「でも今は、母さんの気持ちが分からなくもない」
「へぇ」
「僕も女だったら、お前か年寄りなら年寄りの方を結婚相手に選ぶ」
渾身の毒舌に、いっそ誇らしげですらある。最近こいつは子供っぽくなってきた。
俺ももう、傷付くところか笑うところか分からない。
「明日は仕事に行けないと思え」
「自分勝手な奴」
脛を蹴られる。缶の中でビールが揺蕩う。
電話で小野寺は、和也に悪いことをしたと詫びていた。俺はそれを和也に伝えてやろうとはどうしても思えない。
和也は、つまらなさそうに暗いトンネルの風景を眺めている。