雪は懇々と降り駸々と積もる。
いつか訪れたノースメイアの雪景色と比べれば見劣りするものの、例年の東京の積雪量を遥かに超えた雪はあっという間に街中を白く染めていく。慣れない雪道に足を取られながら、悠は待ち合わせに遅れぬようにと急ぎ足でトウマの自宅へと向かっていた。
チャイムを押せば、十数秒後に扉は開かれる。悠と大差ない時間に室内へ招かれたのか、家主であるトウマの代わりに鼻先が赤く染まっている虎於に迎え入れられて玄関に足を踏み入れた。瞬間、ふわっと食欲を唆る香りが鼻を掠める。
「ごめん、もう始めちゃってた?」
「 いいや、まだだよ。ミナからちょっと遅れそうだって連絡きたからさ、鍋はもう煮込んでる最中だったし今のうちに簡単なつまみでも作っちまおうかと思って。腹減ってるなら先につまんどくか?」
「へーき、それよりオレも何か手伝えることある?」
「いいよ、ハルはお客さんなんだからトラと座ってな」
リビングへ続くドアを潜ると、ソファの前に置かれたローテーブルは炬燵に様変わりしており、テーブルの中央ではぐつぐつと鍋が音を立てていた。トウマはキッチンへと向かい、冷蔵庫の中身をあれこれ取り出していた。
「は〜、こたつ最高。あったまる…このまま寝そう…」
「おい、悠。ここまで来ておいてなんだそれは」
こたつで温まりながら虎於が用意してくれていたオレンジジュースを一口。ふうっと息をつくと、隣の虎於は呆れたように肩をすくめてみせた。悠の正面ではトウマが鍋の蓋を開けて中身を確認しているところだった。
「お、いい感じに煮えてるな。ほら、トラもそろそろ準備してくれ」
「ああ」
虎於はすっと立ち上がるとキッチンへと足を向けた。その背中を見送りながら、悠はまた一口オレンジジュースを啜った。虎於がキッチンに立っているのを見るのは初めてではないが、普段とは少し違う雰囲気になんだか不思議な心地になる。そういえば、同年代の和泉三月と親睦を深めているうちに料理にハマりはじめたとか言っていたっけ。
「トラ、これもう出していいか?」
「ああ、そっちは俺がやる」
「ん? ああ、じゃあ頼む」
二人の会話を聞きながらぼんやりとしているとチャイムの鳴る音がリビングまで届いた。
「お、ミナも来たな」
トウマが玄関へ向かうのとほぼ同時に、廊下から穏やかな声が聞こえてくる。
「おじゃまします。」
「いらっしゃい、ハルももう来てるよ。お疲れさん!」
リビングへやってきた巳波はこたつの天板に並べられた料理の数々を目にして感嘆の声を上げた。
「わあ、美味しそう」
「だろ?」
「私、このためにお腹空かせてきたんです。楽しみ」
「はは、いいね。じゃあ四人揃ったし、そろそろ乾杯といくか」
四人が炬燵を囲んだところで、トウマがグラスを掲げた。
「じゃあ、今年も一年お疲れ様でした。乾杯!」
「乾杯」
「乾杯!」
「ふふ、お疲れ様です…乾杯」
チンッとグラスのぶつかる小気味良い音が部屋に響く。そのまま一口煽ると冷たい液体が喉を通っていった。
「は〜、美味しい。やっぱ寒い日は鍋と酒だよな」
「なにかっこつけてんだ、飲めるようになってそんなに経ってないだろう?」
「狗丸さん、このお肉もう食べてもいいですか?」
「ああ」
わいわいと騒ぎつつ、鍋をつつきながら酒も進んでいくと話題は仕事の話やプライベートな話へと変わっていく。ŹOOĻとしての活動も変わりなく続けてはいるものの、何年も活動を続けていればやはり単独での仕事も増えてくるわけで。皆がそれぞれの近況を聞きたがっていた。
「ハルは最近どんな感じだ? ドラマの撮影とか大変だろ」
「ああ、でも楽しいよ。役作りとか色々考えるのが面白いっていうか……巳波は?」
「私は舞台の稽古がもうじき終わりますから、しばらくは公演で全国を回ることになりそうです」
「へえ、巳波は主役だったか。すごいな」
「おかげさまで、なかなかプレッシャーもあるんですが……その分やり甲斐はありますね」
当分四人揃って鍋をつつくことも難しそうだなと、どこかしんみりとした雰囲気の中。寂しさを素直に口に出せないまま、四人は沈黙を誤魔化すために各々の酒を流し込んでいくのだった。
そうしているうちに鍋の中はすっかり空になる。しめの雑炊まで平らげたところで、酔いの回った頭で誰かがふと口を開く。
「……なんか寂しいよな」
「ちょっと、急にしんみりしないでくださいよ」
「はは、でも……そうだな、昔は忙しいと言っても、ŹOOĻとしての仕事がメインだったから。こんなにバラバラに過ごす時間なんてなかったよな」
「……それは、まあ……そうでしょうね」
巳波も少し酔いが回ったのか、頬がほんのりと赤く染まっている。不意に沈黙が降りかけたところで、今度は虎於が小さく口を開いた。
「なあ、今からどこかへ行かないか?」
「はあ? 今から?」
突拍子もない提案に悠は目を丸くさせた。トウマと巳波も似たような顔をして虎於を注視している。しかし本人は至って真面目なようで。
「ああ、このまま解散するのも味気ない気がしてな。それに、せっかく四人揃ってるんだし」
「それはそうかもしれませんけど……でもどこに? 」
巳波の言葉に悠も頷く。トウマが何か思い立ったように声を上げた。
「あ、そうだ! 公園とかどうだ? この時間ならそんなに人もいないだろうし、寒いだろうけどきっちり着込めば問題ないだろ?」
「まあ、それでも良いけど……」
ちらりと悠がトウマと巳波を見遣ると二人は顔を見合わせ頷いた。どうやら異論はないらしい。
「よし、決まりだな」
そうと決まれば、と虎於は嬉々としてグラスに残っていた酒を呷った。冬はまだ始まったばかりとはいえ雪の積もった夜はの屋外は冷える。四人はこたつから抜け出すと防寒着に着替えて外へ出た。吹き付ける風が酒で火照った頬を容赦なく冷ましていく。冷たい空気にさらされながらも、四人は公園までの道のりを進んでいく。さくさくと雪を踏み締める音が耳に心地良い。
公園に近づくにつれ、まばらな街灯の下を歩く人の姿が増えてきた。それでも大きな道から外れて中に入ってしまえば人影も疎らだ。公園内を照らすのはぼんやりとした頼りない明かりだけで、その頼りない光に雪が反射して幻想的な景色を作り出している。昼間には賑わっているはずの広場にも今は四人の他には誰もいないようだった。
「うわ、貸し切りじゃん」
「いいじゃないですか、貸し切り。思う存分遊べますよ」
広場の真ん中で立ち止まった悠がくるりと辺りを見回す。遊具にも雪が降り積もっていて、遊ぶとなるとズボンが犠牲になってしまいそうな有様だった。
「懐かしいな、前も一回四人で公園来たことあったろ」
「ああ、虎於とトウマがずーっとブランコ漕いでた日だろ? オレが乗り方教えたからさ、なんか気に入ってたよな」
「そんなこともありましたね。あのブランコ、今の御堂さんが乗ったら壊れてしまうかも」
「さすがにないだろ。とはいえ今は雪で使えそうにないからな……また乗りに来ればいいさ」
虎於の言葉に悠と巳波は顔を見合わせる。そしてどちらからともなく笑い合った。
「……なんだよ、いきなり」
「いや? ただ……変わってないなって、そう思っただけ。ははっ……!」
耐えきれずに悠が声を上げて笑ってみせると、虎於もふっと表情を緩める。その様子を巳波は静かに見守っていた。
「…変わったさ、少なくとも俺は。スカウトされたばかりの頃の俺に言ったら信じないだろうな、かっこ悪い、似合わないって」
「そうかな。オレからしたら虎於はかっこいいぜ、ブランコ漕いで、滑り台で遊んでても」
「……そうか?」
きょとんと目を瞬かせる虎於に悠はうん、と頷いてみせる。その反応を見ていたトウマが声をあげた。
「トラもハルにそう言われると照れるんだな」
「照れてない、驚いただけだ……まあ、昔は柄にもないことなんかするもんじゃないと思っていたからな……」
照れてふいと顔を背けた虎於の肩を巳波がぽんっと叩く。そしてそのまま悠へと向き直った。
「折角ですし、雪が積もっていないとできない遊びをしましょうか」
「いいじゃん、何やんの?」
首を傾げる悠に巳波は微笑んだ。
「そうですね。例えば、雪合戦とか」
「……乗った!」
三人が一斉に駆け寄って雪玉を作り始めるのを見て虎於も慌てて手に取った。そうしている内にも雪玉はどんどん大きくなっていく。三人はこいつら本気で当てにきそうだなと思いながらも、負けじと雪玉を大きくしていった。準備が整う頃にはそれなりに立派な大きさの塊が四つできていて、これではぶつけ合うどころか転がすので精一杯だろうと声を上げて笑って。結局その雪塊は雪だるまとしてベンチの側へ置いておくことになった。