歌姫に一目惚れある昼時。下町の中心であり、生活水を支える水道魔導器の周りに出来た人集り。その日は天気が良く、弾ける水滴が太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
昼食の材料を買い終えて帰路に着いていたユーリは、その人集りにフッと足を止める。
「なんだ?」
人集りにしては静かなのを不思議思ったユーリの耳に、水道魔導器から吹き出す水の音と、リズムに乗った優しい声が聞こえた。
「歌?」
人集りでありながら、皆口を閉じて聞き入ってしまう程の歌とはどんなものなのか。普段音楽という芸術に触れることがないユーリだったが、この時ばかりは好奇心が擽られた。
人だかりへ足を進めると、平均より高めの身長を活かして中心を人々の頭上から覗き込む。
「へぇ」
人だかりの中心には、ユーリと同じ長さと髪色を持った小柄な女性が、水道魔導器の縁に腰掛け楽器で弾き語っていた。ユーリには楽器の知識もない。しかし、彼女の優しい歌声にとても合っているような気がした。
彼女の足元には小さな看板のような物が立て掛けられている。
「#アン#ね・・・」
彼女の本名か、それとも芸名か・・・真相は分からないまま歌は進む。
下町で暮らすのは苦労の連続だ。厳しい税の取り立て、貴族たちからは見下された扱い・・・色々な理由でその日を生きるのが精一杯だった。それでもユーリにとってはこの下町が、この町の人々が故郷である。だからこそ、無茶を強いる上の者達から皆を守れたら、とこの町の用心棒を買って出ている。それは時に牢獄に連行されるような事も。腹も立つ、悔しい思いもする・・・それでもユーリは戦うことで皆を守る道を選んだ。
「・・・こういうのも、いいもんだな」
歌で腹は膨れない、税の額が下がったりなくなるわけでも、理不尽なことがなくなるわけでもない。それでも確かに、彼女の歌声は下町の空に広がっている。それは人々の疲れた心に寄り添うようで、撫でるようで、明日を待つような・・・そんな優しい歌。
#アン#という女性は、そうやって誰かの心を守っているのかもしれない。
「こういうやり方もあるんだな」
自分にはとても向かない、とユーリは肩を竦めて小さく笑った。
太陽はステージライトのように彼女を輝かせた。何の変哲もない見慣れたはず水道魔導器の広場は大きなステージ。
いつしかユーリも人集りに馴染んで彼女を熱く見つめていた。辺りは歌と奏でるリズム、そして水音しか聞こえない。
今この瞬間・・・世界は彼女のものだった。
ーーー
「ありがとうございました!」
女性の元気な声に、ユーリは聴き入って閉じていた目をあける。歌い終わったであろう彼女は頭を下げていた。止まっていた時間が動き出したかのように、人集りが一斉に拍手をしている。ユーリも食材の入った紙袋を抱えた腕を、空いる手で叩くことで拍手の代わりを送った。
「よかった!」
「ありがとう!」
「これ上げるからもう1曲歌って!」
今まで黙っていた分だ、と言わんばかりに観客たちが一斉に喋り出す。彼女に握手を求める者もいた。
「良かったぜ!」
胸から喉を伝って溢れ出した言葉だった。この喧騒では聞こえないだろう、とその場を去ろうと思っていたユーリの姿を、彼女の視線がとらえる。
「ありがとう!」
少し恥ずかしそうに、でも心から嬉しいというような笑みで彼女はユーリに手を振った。
その瞬間、心臓にトスっ!と何かが刺さる様な音が、どこかでした気がする。