切符1990年 6月 9日(土曜日)
学校から少し離れた小さな公園は、遊具が少ない事もあり子供には不人気で、利用者は散歩途中のお年寄りが偶に居る程度。だからこそ、ヤクザの息子の天生目聖司と同年代に敵の多い鬼島空良が来るには丁度良く、飽きるまで話し込むのに打って付けの場所であった。いつもなら一度家へ帰ってから再び集まるのだが、今日は半日の学校帰りに寄り道をしていた。
「それでさ、空良」
「ん? うん」
木陰の下、適当に話題を振りながらチラリと隣に座る親友を伺う。天生目が一方的に話し続けるのは良くある事だが、鬼島の様子が朝からおかしい。どういう訳だか、何かを言おうとしては、止めて、考えて、を繰り返していて、いつも以上に言葉少く相槌を打つ。
天生目はこれ程悩む親友を見た事が無かった。
鬼島空良とは、相手が誰でも関係無く喧嘩で解決しようとする、典型的な拳で語るタイプの人間だ、と天生目は幼いながらも見て理解してる。
そんな鬼島がずっと何を悩んでいるのか。
どうしたの?、と聞いていいのかすら分からず、かと言って探る事も出来ずに、無難な話題を適当に話しては様子を伺っていた。
「天生目」
「なに?」
どうでもいい話と話の間、ふと鬼島に呼ばれて顔を向ける。真っ直ぐとした力強い目に睨まれて、つい身構えてしまう。殴られそうな目付きに緊張が走るが、この表情は単に緊張しているだけだと直ぐに分かった。だが、一瞬安堵するも鬼島に釣られて、結局、心が休まりはしなかった。
「これ」
「なぁに?」
鬼島はポケットから出した何かを、グイッと天生目へ押し付ける。受け取ると半折にした茶封筒で、長い事ポケットの中に入れていたのだろう、寄れてあちこち折れ曲がっていた。
中身が気になり皺を伸ばしながら開くと、紙切れが何枚か見える。破らない様に気を付けて引っ張り出し、お世辞にも綺麗とは程遠い子供の字を目にした途端、天生目の鼓動が再び早くなる。
「……きょう、たんじょう日だろ」
ポツリとした鬼島には珍しい力無い声だったが、天生目は書かれた字から目が離せない。
「おれ、こづかいとかないし、プレゼント買えないから、そんなもんしか……」
徐々に弱まる言葉にも反応出来ず、天生目は真っ白になりそうな頭を必死に動かしていた。
『一日 いっしょ けん』
ドキドキを抑えようとして呼吸が荒くなる。信じられないプレゼントに、思わず手が震えた。
「空良」
「おう」
音がしそうな程ゆっくりと首を動かすと、不安気な顔をしていた鬼島が見えた。
「一日って書いてある。一日って、一日?」
目を瞬いて、当たり前の質問を口走る。鬼島が僅かに眉を寄せたが、気にもならなかった。
「一日って朝、昼、夜だよ? ほんと? ほんとのほんと? 今使ったら、明日の今までずっといっしょ?」
「……お、おう」
興奮のまま身を乗り出して詰め寄れば、眉間の皺を深めた鬼島が気圧された様子で首を縦に振る。
「一日……」
手作りのチケットに視線を戻し、呟きながら身を引くと、夢みたいな宝を穴が開く程見詰める。
「あ、天生目?」
鬼島の心配そうな声も聞こえない天生目の脳が、漸く現実に追い付いて唇が小さく震えた。
「……ゃ」
「や?」
「やったぁー!!」
「うお?!」
爆発した喜びで鬼島へ抱きつくと二人で芝生に倒れ込む。
「もう! なんだよ?!」
「あっはははは! やった! やった!」
抗議の声をものともせず、天生目は回した腕に力を込めて顔を寄せた。大の字で転がった鬼島は顔を顰めたが、引き剥がそうとせずされるがまま転がっている。
「やった空良! すごい! すごいよこれ! ありがとう!」
「そうか……良かったな……」
「えへへへへ」
天生目はモゾモゾと体を動かし、ぐったりした鬼島の肩を枕にして仰向けになると、両手で空へ掲げた。
「べつに、そんなすごいモンじゃねぇだろ」
おれがあげたけど、とぼやく鬼島に天生目はチケットに向けていた輝く目と笑顔を向ける。
「だって、これがあれば空良とお泊りができるんだよ!」
言われた鬼島が、はたと考えると気が付いた様に目を瞬いた。
「たしかに……!」
「ふふっ。ぼくの家に来る? 空良の家行っていい? それとも、いっしょにりょこーとかも楽しいね。夏休みでしょ、冬休みと春休み。あと、クリスマスと、お正月。あと、ぼくと空良のたんじょう日も」
満面の笑みでお泊まり計画を練っていた天生目が、突然ガバリと体を起こしてチケットを凝視する。
「……天生目?」
思わぬ気付きに全身を血が駆け巡り、顔が熱くなる。
「……空良、僕、すごいことに気づいちゃった」
生唾を飲み込んで徐に鬼島を振り返る。
「これをいっぱい、いっぱいふやして大人になって使えば、大人の空良とずっといっしょにいられるってことでしょ!?」
「……いや、勝手にふやすなよ!」
一瞬感心しかけた鬼島が慌てて起き上がる。天生目はプクリと頬を膨らませて、恨めし気に視線を送った。
「だって五枚なんて少なすぎるよ。一年は長いんだから、この百倍はないと」
「…………一年が何日かわすれたけど、そんなにはぜってぇいらねぇだろ」
天生目の我儘に鬼島が呆れた声を上げる。
それでも変わらず膨れっ面を止めないでいると、鬼島は面倒臭そうに溜息を吐くと頭をガシガシと掻いた。
「しかたねぇな」
言うと自分のランドセルを開けて、ノートと筆箱を取り出す。何をやり始めたのかと、きょとんと見守る天生目の前で、何かしらを書くとビリビリとノートの頁を破り始めた。
そして、不恰好なチケットを一枚作り天生目に差し出す。
「コレは、持ってるだけでゆーこーだから」
手天生目はの中の新しいチケットを目を見開いて見詰めた。心臓が煩く音を立てて、顔がどんどん熱くなる。
「空良! 大好き!」
「うお!」
目の前の親友へ、体当たりの勢いで抱き付くと二人は再び芝生に転がる。不満を叫ぶ鬼島の声等お構い無しに、笑いながら腕に力を込めた。
宝を無くさぬ様にしっかりと手に収める為に。
『おとな に なっても ずっと いっしょ けん』
※※※
1999年 6月 9日(水曜日)
面倒な集まりに付き合わされた苛立ちも、親友のアパートに着く頃にはすっかり忘れ、天生目聖司は浮ついた足取りで階段を登っていた。
「僕だよ、空良。開けてくれよ」
インターホンを鳴らして声を掛けると、扉の向こうで人の動く音がした。
「天生目?」
部屋の主の鬼島空良が扉を開けて不思議そうな顔をするので、満面の笑みで応えると僅かに眉を寄せた。
「あーきらっ」
「ぅお?!」
玄関に立つ鬼島に向かい、勢い良く天生目が抱き付く。扉の閉まる音を聞きながら、倒れる事無く支える体に擦り寄って、天生目は鬼島の首元に顔を埋め深く呼吸をした。
「こんな時間に何の用だ」
チラリと横目で伺うと、怪訝だが心配そうな表情があり思わず微笑む。
「空良、僕今日誕生日だよ」
「知ってる。……酔ってんな? 酒クセェ」
「酔ってない酔ってない」
「チッ。酔ってるヤツはそう言うんだよ」
「酔ってないってばー」
言って足だけで行儀悪く靴を脱ぎ散らかす。居座る気が伝わったのか、鬼島は天生目を引き摺って戻ろうとした。だが動きにくかった様で、軽々と姫抱きにするとベッドの上まで移動し、足の間に天生目を下ろす。モゾモゾと良い位置を探し当てて落ち着いた天生目は、ご機嫌に笑みを浮かべた。
「ねぇ、空良。ちょーだい?」
「あ?」
「いつもの。ちょーだい?」
暖かな体温に擦り寄り甘えた声を出すと、鬼島が首をかしげる。
「コレのことか?」
鬼島が天生目を抱えたまま容赦無く体を倒して机へと腕を伸ばすので、胸板に押し潰された天生目が嬉しげに呻く。鬼島は手にした茶封筒を天生目に差し出した。
「そう、それ」
受け取った天生目は一層笑を深めると、封筒に軽く口付けてから中身を確かめる。
「やっと手に入った」
紙に書かれた文字は小学生の頃に比べ、それなりに丁寧になり漢字も増えた。毎年お馴染みの貴重なチケットに天生目は目を輝かせる。
「まったく、もっと早くもらえるはずだったのに。つまらない会合で、すっかり遅くなっちまった」
「つまんねぇ会合って、おまえの誕生日会だろ?」
「まあ、そうなんだけどさ」
愚痴を口にするも、手に入った嬉しさが声や表情から溢れる。いつもと同じ枚数を数えながら、いつ使おうかと思いを馳せた。
「もっとマシなモンでなくて良いのか?」
呆れと戸惑いの混じる顔の鬼島が天生目を見下ろしている。
「何言ってるんだい。キミの人生の一部をもらえるんだ。こんな価値のあるプレゼント、他にないよ」
喜びのまま答えるが、鬼島は胡乱気に眉を顰めて溜め息を吐いた。
「大げさな野郎だな」
「本心だよ?」
疑う鬼島にウインクを送り、再びチケットを見詰める。何度も何度も数えつつ、毎年思う唯一の不満を問い掛けた。
「なあなあ、毎年手作りするの大変だろう? やっぱり、印刷して大量生産しようぜ?」
「しねぇ」
「つれないなぁ」
分かりきっていたが、取り付く島も無い程に素っ気無く断られ、天生目は大袈裟に肩を竦める。チケットに視線を戻すと、不意に鬼島が呟いた。
「……前に別のをやっただろ、だから離れたりしねぇよ」
ぱちりと瞬く目で鬼島を見詰め、天生目が小さく笑う。
「わかってるさ。でも」
天生目の片手が頬を撫でて首筋へ。黒革のチョーカーを一撫でする。
「君を縛る物は、多いに越したことはないだろ?」
言って首との隙間に指を差し込み、軽く引いてから指を抜いた。
「縛る、か……」
どこか考える様に溢す鬼島と同じタイミングで、天生目は欠伸が漏れた。
「じゃあ、あきら。さっそく一枚」
「あ? 泊まってくのか?」
鬼島の言葉に天生目は首を振ると、温かな胸に凭れ掛かる。
「まさか。こんなところじゃ、ねむれないよ。ホテル、いこーぜ」
「今にも寝そうなやつが、何言ってやがる」
ほろ酔い気分に鬼島の心地良い体温が相俟って、眠気を誘う。
「だいじょぶ、おきてる」
起きていたいと言う思いとは裏腹に、瞼はゆっくりと重くなり、意識が微睡み始める。
「……ダメじゃねぇか」
鬼島の諦めた声や寝かされる揺れに、一瞬の覚醒はあったが目は閉じたまま。
「そうだな。あと二年したら、おまえを縛るモンはめてやるよ」
優しい声と左の指に触れる感触を感じながら、天生目は夢へと落ちていった。