カクテル大人数を乗せて、今日も飛空艇は安息の地を飛んでいた。普段は歳の近い仲間たちと一緒に過ごしているティーダだったが、最近はある目的のために小さなバーに通っている。
居住区に走る長い廊下を足取りも軽く進めば、この世界で出会った大勢の仲間たちとすれ違う。そのまま、廊下の突き当たりにあるいつのまにか飛空艇の一角に出来たバーの扉に手をかけた。
セブンスヘヴンと銘打たれた店の主はティファだ、元の世界でもバーで看板娘をしていたらしい。もちろん彼女は強い戦闘力を誇る頼もしい仲間だから、いつも店にいる訳ではなく、時折、本当に趣味としてここでバーテンダーとしての腕を振るっているのだった。
今日も店を開けるという事だったので、ティーダは約束を取り付けたのである。
「こんばんは!」
鉄板と皮を合わせたような独特の重たいドアを開ければ、少しだけ絞られた照明に照らされた店内が現れた。
カウンター内で氷を削っている女性こそが、ティファである。ティーダとはさほど年齢は変わらなかったが、スラム街でバーテンダーをしていたこともあり、酒の席での振る舞いについてはかなり落ち着いていた。
「ティーダ!ちょうど良かった!今ね、アーロンも来てるの」
片手を上げて挨拶する姿に、健全な男子としてはつい豊満な胸に目がいきそうになる。オレにはユウナがいるんだ、とティーダは心の中で呪文のように呟きながら、何とか視線を外せば、確かにカウンターには赤い衣を纏った養父のような関係のアーロンがどっしりと座り込んでいるのだった。
「うわ、アーロン…なんでいんだよ?」
「随分なご挨拶だな、見ての通り俺はここで酒を飲んでいるだけだが?お前こそ、未成年のくせに何の用だ」
ザナルカンドで暮らしていた頃、建前上チームに所属している手前大っぴらに飲酒できなかったティーダは確かにこういった店に足を踏み入れることはほとんどなかった。もっと若者向けの騒がしい店ならともかく、酒を楽しむだけの大人の店は、ほぼ経験がないと言っても過言ではない。
だが、想像通りのバーという空間で一人、グラスを傾けるアーロンの姿はあまりにもその場に馴染んでいた。
ティーダにとってそれは、相手が自分とは違う大人の男なのだと思い知らされる瞬間の一つであり、子供の頃どうにか孤独を埋めるために早く追いつきたいと願い続けたその背中を思い知らされるようで少し苦手だった。
だけどもう子供ではないし、そもそもこの店にだって自分で選んで足を運んでいるのだから、コンプレックスを感じさせられる謂れなどない。
「確かにおっさんがバーで酒飲んでるの、違和感ねぇけどさ…」
アーロンの方に寄りながら、口を開いていつもの調子で話しかけた。
「しかも煙草吸ってるし…」
グラスと反対の手には煙草があり、ゆっくりと煙を天井の方へと昇らせていた。部分的な照明のおかげで天に昇る煌めきのようにも見える煙は、普段なら煙たくて臭いだけなのにこの空間ではどうにも神聖なものに見えた。
「飛空艇の中は喫煙できる場所が少ないからな」
だが、愛煙家なこの男はそんな風情よりも、吸いたい時に吸えることに重点を置いているようである。
「自分の部屋は?」
問いかけると、さもうまそうな顔をしてたっぷりと一服してから、この男は答えるのであった。
「ジェクトが押し掛けてきて、うるさくてかなわん。ここを開けてくれて本当にありがたい、酒も美味いしな」
アーロンの言葉にティファがありがとうございます、と笑った。
そのスマートなやりとりに、大人の空間を感じまた少し悔しくなる。だから、ちょっとした仕返しのつもりでアーロンの隣のカウンターに腰掛けて、丸い氷の上に琥珀色の液体が注がれたグラスを無理やり取り上げた。
「一口ちょーだい?」
掲げて見せれば、サングラス越しにひどく訝しげな視線が落とされる。そのひどく鬱陶しそうな顔はやけに懐かしい、子供の頃から付かず離れずそばに居たこの男はこんな目をするくせに絶対にティーダを見捨てることはなかった。
「ジェクトのようになっても良いのなら、俺は止めないが」
「別に親父みたいに死ぬほど飲まねーし」
ティーダの言葉にふん、と返事にならない返事を返すとアーロンはまた紫煙を燻りだす。
ゆっくりと吐き出される煙は、ザナルカンドで微かに嗅いだものとは違う気がした。この世界で手に入る煙草とは何かが違うのかもしれない。
じろり、とサングラス越しに一つだけの瞳で睨まれて、ティーダは自分がグラスを奪い取ったままぼんやりとそれを見つめていたことに気づいた。
慌てて強いアルコール臭を放つそれを口に含めば、苦味と突き抜けるような衝撃が喉と鼻を焼く。ザナルカンドで悪戯程度に仲間内で飲んでいたジュースのようなものとはあまりにも違う蒸留酒の感覚に一瞬で頭がくらくらとした。
「うえ〜!まっず!!」
「お子様にはわからん味だろう」
「ちぇっ」
アーロンがグラスを持ち直すと、カランと音を立てて氷が揺れる。そのまま親指と人差し指で挟んだ煙草を口元に近付ける仕草がティーダの目には懐かしく映った。
吸い方は人それぞれで、一度身についたものはあまり変わらない。映画やドラマでよく見るような人差し指と中指で挟むような煙草の吸い方とは少し違うその仕草は、あまり上品とは言えないのだろう。だけどティーダにはそれこそがアーロンのイメージだった。
「それで、お前は何をしにきたんだ?」
長い煙を吐き出した後にそう問いかけられる。煙がティーダにぶつからないように逆方向の斜め下に吐き出す仕草も、かつて彼の家で見た姿と何も変わらない。
「ああ、ティファからシェイカーの使い方習ってんの」
「カクテルを作りたいのか?」
「そ!ほら前にさ、うちで見た映画にあったじゃん?カクテル作るのがうまくてモテて成功する映画!オレも出来たらモッテモテじゃん!と思ったわけ!」
「…確か成功しなかったんじゃなかったか?」
「へ?そだっけ?」
他愛ない話のつもりだった、このままいつものようにカウンターに入れてもらい、今日は計量カップをうまく持つコツを聞こうと思っていたのだが。
「まぁどっちでもいいが。ティーダお前、モテたいのか?」
アーロンが片方の眉を吊り上げるようにしながら問い掛けてくる。この表情をするときの彼は、ひどく意地が悪いことをティーダは本能的に悟っていた。
「そりゃザナルカンド・エイブスのエースとしてはさ、女の子にキャーキャー言われたいじゃん?」
「ほう…、ブラスカに伝えておこう」
ニヤリ、と笑う仕草に恋人の父親の恐ろしさをティーダは感じた。スピラに伝わる彼の偉業と旅の間のスフィアしか知らないまま、この世界で初めて対面した男、ブラスカ。彼はどうにも誰よりも厄介だと思っていた実父と養父を、意のままに操ることが出来るようにティーダの目には見えていた。
「待って待って!!そういうんじゃねーから!!」
慌てて否定すれば、ティファの穏やかな声がカウンターの中から響く。
「ふふ、ユウナにかっこいいところ見せたいんだって」
「ティファ〜…」
助け舟を出されたと思うが、それはそれで恥ずかしい気がした。さらに羞恥を感じることさえも予見されていたのか、赤い飲み物がテーブルの上に差し出される。
「とりあえずほら、これでも飲んで」
お店のロゴの入った赤いコースターの上に置かれた赤いソーダ水のようなそれは、隣の男よりも華やかな色をしている。添えられた渦を巻くようにカットされたレモンの皮がかなり特徴的だった。
「これは?」
「シャーリーテンプルっていうんだ。ノンアルコールだから安心してねアーロン」
「俺は別に心配などしてないが…確かに、こんな子供のうちから酒浸りになって、父親のようになられては困るのでな」
「なるワケねーだろ!」
言い返すとアーロンが声を上げて笑う。子供扱いしやがって、とティーダが思ったそのとき、重たいはずのドアがいとも簡単に開かれた。
「やってっか〜?」
陽気な掠れ声が広いとは言えない店内に響き渡る。
「あー!アーロンこんなところにいたのかよ!探したんだぜぇ?」
どかどかと裸足のくせにうるさい足音を立てて現れたジェクトは、ティーダとは反対側のアーロンの隣に当たり前のように腰掛ける。
肩を抱くように絡まれて、アーロンが酷く迷惑そうに呟いた。
「クソッ、見つかったか…噂をすればなんとやら、というやつだな…」
吐き捨てるような言葉と共に、忌々しげに煙草を吸う姿が酷くくたびれたおっさんに見えるとティーダは深く思う。正直35歳に見えないこの養父の10年前の姿は年相応の青年だった。たった10年でこんな姿にしてしまったのは自分が迷惑をかけたからだろうか、などと思わないこともないティーダだったが、その真実は分かりそうにもない。ただ、原因の一端にこの父親の存在があるのではないかとも思った。
「へへ、生意気にジェクトさんちのお坊ちゃんまでいらっしゃるじゃねぇか!どうした?アーロンに社会勉強させてもらってんのか?」
仰反るようにしながら、ジェクトがいつもの口調で話しかけてくる。
「そんなんじゃねーよバカオヤジ!」
父親と分かり合える気がしたのは、シンの中だけだったのかもしれない。この不思議な世界で共に暮らす父親は、相変わらず腹の立つの存在だった。もちろん、子供の頃の怒りは自分のつまらない意地もあったのだと理解しているつもりだし、本来ならもう二度と会話することすら叶わなかったのだから、この世界がいかに奇跡のようなものなのだと、わからないほどティーダは子供ではないのだが。
赤いソーダに口をつければ、ザクロのシロップが甘酸っぱく弾けた。
「よぉティファちゃん、素敵なお店だなァ?どら、いっちょジェクト様がカクテル作ってやろうか?」
ジェクトの軽薄そうな声により、バーに漂っていた大人の時間がガラガラと音を立てて崩れていくようだ。だが、ティファは嬉しそうに「いいの?」なんて返事をしているから、ティーダは頬杖をついて吐き捨てるように言った。
「アンタに出来んのかよ」
「そりゃもう映画『カクテル』みてぇに他の客を沸かしてたわけよ、ガッハッハ!」
ジェクトはシェイカーを振るうような仕草をしながら、得意げに笑う。
部屋の中の空気が凍りついたのは、言うまでもないだろう。そして、ジェクトにはその空気の変化に全く気付かなかった事も。
「やはり、お前たちは親子だな」
「アーロン、それは言わないで…」
妙に納得した顔のアーロンに、がっくりと項垂れることしかできなかった。