早朝新しい大地が発見されれば、パーティを組んで探索する。数日かかる場合はもちろん野営があるのだが、飛空艇での便利な暮らしの合間に行う野営はキャンプのようで楽しいとティーダは考えていた。
眠らない街ザナルカンドで暮らしていた子供時代、夏になると所属チームのサマーキャンプが行われていたのを思い出す。ティーダは毎年それを楽しみにしていた。同年代の友人たちと夜更かしして良いのはもちろん、家ではなく自然の中で寝泊まりするという非日常が単純に楽しかったのだ。
それに、キャンプの間はみんな等しく両親から引き離されていたため、自分が普段感じている疎外感や違和感から一時的に逃げられたのも覚えている。もちろんアーロンに育てられたことが嫌なわけではない、寡黙で正体不明、何を考えているのか全くわからない養父との暮らしも、思い返せばそれなりに楽しかった。
野営の朝のことである。
聞いたこともないような鳥の鳴き声でティーダは目を覚ました。テントの中の仲間たちはまだ毛布にくるまったまま安らかに寝息を立てている。
なんとなく視界に入ったアーロンの毛布だけが、小さく畳まれていることに気付いた。スピラで旅をしていた間もふらりといなくなることが良くあったのを思い出すととても懐かしくなる。
朝の透明な空気も相まって、郷愁にも似た感覚に襲われたティーダは、仲間を起こさぬようにそっとテントから抜け出した。
日差しは既に眩しくなりかけている。片手でそれを遮るようにしながら辺りを見渡せば、少し離れた木にもたれかかるように立っている赤い衣が見えた。
そっと近づけば煙のにおいがする、どうやらこの不良養父は朝の一服の時間だったらしい。
「朝からそんなん吸って、美味いのかよ?それに健康に悪いだろ」
後ろから声を掛ければ、じろりとサングラス越しの隻眼がこちらに向かって動いた。
「一度死んだ体だ、今更どうなる」
朝から不機嫌そうな声だが、これが普段通りであることが分からぬほど二人の中は浅くない。
「ここから戻ったら、生き返るかもよ?」
「残念だが、それは無い。お前は元の世界でもちゃんと生きているが、俺は違うんだ。せいぜい好きに過ごしてやるさ」
そう断言されると寂しかった。全てが終わったらまたアーロンが光の粒になって消えていくところを見なければならないのかと思うとティーダは無性に切ない気持ちになる。あの時はこのあと自分が消えてしまうという問題も同時に降りかかっていたけれど、今は自分にユウナとの未来があることを知っていた。
だからこの世界の終わりこそが、アーロンやジェクトとの別れのやり直しなのだと、いつもティーダの心の何処かに引っ掛かっていた。そして、その不安をどうやって解消したら良いかも分からないままだった。
「まだ出発まで随分時間があるぞ。俺に構わずまだ寝ていたらどうだ?」
話は終わったとばかりにまた新しい煙草に火を付ける。吸い殻は胸元から取り出した携帯灰皿に捨てるのが、妙に律儀なアーロンらしいとティーダは思った。
確かにこのまま寝袋に戻っても良かったのだが、朝の冷たい空気はとても気持ちが良いのも確かだ。それに、ティーダはアーロンと何故かもっと話したかった。大人数での行動だからこそ、二人きりで話すチャンスが珍しかったのかもしれない。
あのさ、とティーダは切り出した。
「もし、もしさ。この世界の問題がぜーんぶ解決したら…異界に行っちゃうのかよ」
「さあな。異界という所がどんな所なのか、エボンの教えが嘘だった今、想像もつかん」
「確かに」
異界、という場所は魔物にならずに死んだ人間しか到達できないところだと聞かされていたが、それさえもエボンの教えであったのだ。エボンの教えのまやかしで作り上げられた死の螺旋は自分たちの手で打ち倒した、だから信じる必要はない。それに、グアドサラムにある異界もまた、死んだ人に会える場所であって死んだ人がいる場所だとはティーダには思えなかった。
「もしかして、普通に生活出来たりして?」
死んだ人たちが生前と変わらぬ生活を送る異界という場所を想像してみる。ティーダにはそこが、なんとなく夢のザナルカンドに似ているような気がした。
「ってことはさ、オレの母さんも…そこで暮らしてんのかな」
幼い自分を残して死んでしまった母を思い出す。この世界で母親の思い出を共有できる相手は父親と、それから当時突如現れたこの男しかいない。
だが、肝心のアーロンは無表情のまま何処か遠くを見つめるようにしながら、またいつもと同じように煙草を咥えていた。
「グアドサラムの異界で、オレ母さんに会ったんだよ。あの時オヤジには会えなかったけど」
「まぁそうだろう。あの時ジェクトは異界には行っていなかったからな」
そうだ、この男は異界には立ち入らなかったのだ。あの時は知らなかったが、幻光虫と妄執だけで出来た死人の体はあの場所との相性がかなり悪かったのだろう。思い返してみればひどく苦しそうだったかもしれない。
「でももうオヤジも異界に行けるんだろ?母さんと再会すんのかな」
そう口に出しながらも、ティーダはこの世界がしばらく続けば良いと心から願った。まだ行かないでほしい、と。だけど、もしかしたらその分だけ、母親の元にジェクトが帰るのも遅れるのかもしれない。
「母さん、ずっとオヤジのこと待ってたもんな…死んじゃうぐらい、待ってたんだよな…」
声に出すと、恋を知った今なら母親の気持ちがどうしようもなくわかるような気がした。愛しい存在をいきなり奪われるのはあまりにも恐ろしい。だからこそ、異界という場所でいつかまた幸せに暮らせるようになればいいと思った。
「もし会えたら、母さん喜ぶだろうなぁ」
「…そう、だな」
アーロンにしては少しはっきりしないその返事は、顔を背けられていたため、一体どんな表情で発せられたのかは分からなかった。
だがきっと、友との再会を心待ちにしたのはアーロンも同じなのだ。複雑な思いがあるのかもしれない。
ティーダだって、本当はこの世界での父親との時間を嬉しいものだと思っているのだから。だがそんなこと、恥ずかしくてアーロンにも知られたくなかった。
「でもあんなクソオヤジのどこが良いのかわっかんねぇけどさ」
趣味悪いっつーの、とぼやけば、くしゃりと前髪の辺りを握り込むように撫でられた。
「なんだよ、子供扱いすんな」
その手を振り払えば、片手を懐にしまったままアーロンはゆっくりと歩き出した。吐き出された煙が青い空にゆっくりと溶けてゆく。
「そろそろみんな起きてくるんじゃないか?今日の朝食当番はお前だろう」
「そうだよ!すげー美味い飯作るから、飯までもう吸うなよな!」
不味くなったら許さない、と言いながら煙草を取り上げた。こんなことを許されるのは自分しかいない、とティーダは思っている。
その証拠に、アーロンは怒ることもなく笑った。
「全く…お前には敵わんな」
そう言って小さく微笑む顔が好きだった。ひとりぼっちになってしまったティーダの側に必ず居てくれた男はこんなにも歳をとってしまったけれど、それでもその笑顔はずっと変わらない。
早朝の青い空に、アーロンの赤い服はよく映えていた。