【ジェリーフィッシュが解ける頃】Ⅳ 自分の頬に触れたまま静かに泣くその人をただ見守る事しかできなかった。
「すまない」
時折落ちる雫に気がつかなければ泣いているのかも分からない程に静かに泣くその人は今どんな顔でその雫を零しているのだろう。
なんと声をかけたらいいのかそもそも声をかけてもいいのか
こんな時、きっと名前を呼ぶだけでも何か、
何か目の前のこの人の涙を違うものにしてあげれたんじゃないのかと
そう思うのは傲慢なのだろうか
*****
「エレン」
講義の終わりを告げるチャイムの音が鳴り、静かだった教室内が波の様にざわつき生徒たちが散り散りに教室から出て行く中まったく動く様子も見せずぼんやりとした表情のまま固まっているエレンに隣に座って同じ講義を受けていたアルミンは心配の眼差しを彼に向けながら恐る恐る肩をポンとたたいてもう一度名前を呼んだ。
「エレン」
「……、どした?」
小さく跳ねるような反応をして自分のほうを見ると小声でそう言ってきたエレンにアルミンは「どうしたじゃないよ」と言いながら呆れたように息をはいた。
「何がだよ」
意味が分からないというような表情をするエレンを見てアルミンはもう一度ため息を出すと
「もう講義は終わったよ」
アルミンの言葉にエレンは驚きの声を短く上げた後、まわりをきょろきょろと見渡す。他の生徒達によって埋まっていた席がほとんど空席になっているのを見て「マジか」と口からこぼれた。
「途中ノート取ってる気配がしないと思って見てみたらシャーペン持ったまま動かないんだもん。目開けて寝てるのかと思ったよ」
「そんな器用な事できるかよ」
エレンはそう言った後出しっぱなしの筆記具とノートをカバンの中にしまうとスマホを取り出して時間を確認した。
「お前次の講義は?」
「まだ全然余裕エレンは?」
「同じく」
そう答えてエレンは背もたれに重心を乗せるとふぅと息をはいた。
「何かあったの?」
「え?」
「実はさ、今日朝会った時からどこかぼんやりしてるなって思ってたんだよね」
「オレが?」
アルミンはこくりとうなづくと
「ミカサも言ってただろう?」
「あいつはいっつもそんな事言うから聞き流してる」
「もう」
困ったように眉をハの字にして苦笑して見せたアルミンは首を傾げるようにエレンの顔を見て
「夜更かししたって感じじゃなさそうだね」
静かに聞いてきたアルミンをエレンはちらりと目だけ動かして見た後正面を向いて顎を手に乗せながら
「お前はそういうとこ勘が鋭いよな」
「そうでもないよ。エレンとはなんだかんだで、付き合いが長いから」
そう言ってふっと正面を見て視線を遠くへ流すアルミンをちらりと見やっていると
「それで」
「へ?」
「エレンのぼんやりの原因。教えてくれるのかな?」
改めて聞いてきたアルミンにエレンは頬杖をしていた姿勢を正して再び重心を背もたれに持ってくると
「ずっと見てたミンスタの写真があるんだけど」
「あぁ、お昼によく更新してるかどうか見てたやつ?」
「そう」
「それがどうかしたの?」
「昨日その投稿者と一緒に飯食ったんだ」
「………は?」
突然の報告にアルミンは一瞬エレンの言った事が理解できなかった。
「投稿者と一緒に、ごはん…?」
「何日か前から現れるんじゃねぇかって所を大学終わりとかバイト終わりにうろついてたんだけど、昨日やっとその人見つけてさ声かけて―」
「ちょ、ちょっと待って」
一旦ストップをかけてきたアルミンに「どした?」とエレンは首を傾げる。
どうしたじゃないよ。とアルミンは心の中で叫びながら
「そもそもどうしてその投稿者の人の事気が付けたの?ミンスタに自撮りがあったの?」
「いやあの人一切自撮りは載せてない」
「じゃあなんで?」
「これがほんとすげぇ偶然なんだけど前に帰りに雨降ってきて雨宿りしてた所で出会った人がその投稿者だったんだよ」
「なんでそれがわかったのさ?」
「その時に撮った写真をミンスタに載せてたから、ほら前にオレが昼飯食った後に食堂飛び出した時あったじゃん?」
言われてアルミンは思い出す。
「あぁあの時…え?もしかしてあの時飛び出したのって」
「偶然出会った場所にすぐに行ったんだけど、まぁさすがにいないわなっていう事をその場に着いて気が付いた。我ながら馬鹿な事やったなぁって今となっては思ってる」
そう言ってはは、と自分自身に呆れるように笑いをこぼすエレンにアルミンは猪突猛進だなぁと思いながら
「えっと、じゃあ自分の近くにいるという確信が持てた写真を見た君は、その雨宿りの時に出会った場所に行ったけど会えなくて、その日からその辺りをうろついて投稿者を探してた。って事?」
「おう」
そういう事だというように短く返事をしうなづいたエレンにアルミンは「はは、なるほど」と少しだけ震える声で返しながら
なんだろう執念にも似た感じ。ちょっと、いや相手からしてみたら写真ひとつでそこまで探されるなんて怖いと思う。思うよ!エレンッと心の中で叫んだ。
「あの、さ僕が言うのもなんだけどそのまま押し通してご飯一緒に行くとか、相手のほうにしたらちょっと、その強引が過ぎるような…」
「いや、飯食おうって言ってきたのはあっちだけど」
「へ?」
てっきりエレンが見つけた勢いでそのまま誘ったものだと思っていたアルミンは思わぬ事実を聞かされ拍子抜けした声が出た。
「エレンが誘ったんじゃないの?」
「いいや、向こうが飯食いながら話そうって」
「そう、なんだ」
「まぁその前に全速力で逃げられたからすぐに追いかけたんだけど」
「なんで!そこから!ごはん食べる流れになるんだよッ」
わからないよッという衝動のままに机にはんこを押すように拳を叩き落したアルミンにまだ教室に残っていた数人の生徒が何事かと視線を向けた。
「アルミン声がでけぇよ」
「ご、ごめん…つい」
「いきなりどうしたんだよ」
「いや、なんかよく流れが、そう流れがうまくつかめてなくて」
そう言って考え込むように小さく唸るアルミンにエレンもつられるように首を傾げて
「オレはさぁただ単にその人の名前が知りたかったんだよ。でも、その人全然教えてくれなくてさ」
「名前…?」
「ミンスタで名乗ってた名前はイニシャルらしくて思いつく名前言ってみたんだけどどれも違うって言われたし」
「イニシャルって?」
「あれ?言った事無かったっけ?ミンスタの名前はL。それがイニシャルらしい」
「L……」
そういやLのつく名前調べようと思ってすっかり忘れてたなとエレンは思いながら何故自分が今の今までそれを忘れていたのか、その原因はすぐに見当がついた。
*****
頬に触れられたままの手、顔は伏せられて表情は見えず、静かな時間がどれほど経過したのかもうわからないなと思い始めた頃合だった。
触れていた手が離れすくっとその人物が立ち上がったかと思うと
「帰る」
「は?」
いうや否や自分を押しのけるようにして個室を出て行った相手にエレンは驚きで声も出ず動きもせず固まっていると、スパンと個室の扉が勢いよく開く音がして
「これで払っておいてくれ釣りはいらん、今回の、駄賃だ」
そう言ってスパンと締まった扉を呆然と眺めていたエレンは「ふぁッ!?」と我に返って個室から飛び出しても時すでに遅し
テーブルに置かれた皺の無いお札を眺めながら、さっきまでその人が触れていた頬の場所に自分の指を当ててみた。
夢でも見ていたかのような気分になって、エレンは置かれたお札を使って支払いはせずそれは自分の財布に入れて持ち帰った。
*****
「ねぇエレン」
「んぁ?」
またぼんやりとしていたエレンだったが今度はすぐにアルミンの声に反応を示して顔を向けた。
「僕も、機会があったら見てみたいなその、ミンスタの人」
「急にどうした?」
「いや、なんか…エレンの話を聞いて面白そうな人だなって興味が湧いたというか」
「めずらしいなお前がそんな風に言うなんて、オレも会いたいとは思うよ。でも連絡先聞いてなくて」
そう言ってエレンは後悔を吐き出すように深いため息をひとつ、頬杖をついて遠くに視線を流した。
「それじゃあ、また探すの?」
静かに問いかけてきたアルミンにエレンはふっと目を少し伏せるように視線を落とした後
「わかんねぇ、でも会いたいとは思ってるし」
そこまで言って視線をゆっくりと上げながら
「会えるような気がする」
そう言って無自覚に瞳の中に光を宿すエレンの姿をアルミンは隣で戸惑うような表情で見た後、ふいっと視線を外した。
******
「リーヴァーイッ」
後方からスキップするように会社の廊下を歩くリヴァイに近づいたハンジは彼の横に並ぶと肩を組むように腕を回した。
「おっはよぉ昨日の事どういう結果になったのか聞こうと思って、もうお昼休憩入っても大丈夫っしょ?今日は弁当か?それともコンビニ?とにかく一緒に食べようじゃないか。そして私に話を聞かせろッもう今日は朝からそれが楽しみだったんだよん」
そう言いながらハンジはいつものように不機嫌そうな声が返ってくるだろうと予想していたがその予想ははずれて相手は何も言ってこないので顔を覗き込んでみて驚いた。
「ちょ、どうしたの、あんた」
見るからに覇気の無い顔をしたリヴァイにハンジはびっくりして立ち塞がるように前に立てば歩みを止めたリヴァイはゆらぁっと顔と視線を上げて
「おぅハンジじゃねぇか」
「え、今気が付いたの?私の存在に?」
「何言ってるんだ。お前の存在にはもう長い事気が付いているぞ」
「おい、まだ会って秒な感じだけどそれでも昨日明らかに何かがあったことがわかる」
「昨日?あぁ昨日は今日の前日だな」
「エルヴィンを呼ぼう」
「久しぶりだなハンジ、早速だが煙草吸ってもいいか?」
「ここは禁煙だって前に言っただろう。君もそろそろ煙と少し距離を置いたらどうだい?」
「君に言われると耳が痛いな。ところでこれはどういう状況だ?」
キリの良い所まで資料を仕上げてから昼食に行こうと思っていたエルヴィンの携帯がスーツの胸ポケットの中で震え表示された人物の名前を確認して電話に出てみれば
『昼休憩の時間だな。私の職場で待ってるぞ』
ハンジの不躾ともいえる言葉に返す暇もなく電話は切られ、エルヴィンはやれやれと思いながら休憩に入る旨をその場にいた人達にちに伝えるとハンジがいる部屋へと向かった。
室内には自分に背を向けた状態で丸椅子に座っているリヴァイとその正面に向かい合うように背もたれ付きの椅子に座っているハンジがおり
「いらっしゃーい、早かったね」
ひらひらと手を振った後に入れ入れと手招くハンジと銅像のように動く気配の無いリヴァイを交互に見やりながらエルヴィンは先程のどの言葉を口に出したのだった。
「今、違うトコの手伝いかなんかやってるんだって?」
「あぁ、だが昨日の時点でそれは終わった」
「お、ちょうどいいタイミング!じゃあ少し気持ちに余裕ができたって事でいいのかな?」
「まぁ、そうだな」
エルヴィンの返事にハンジはパンッ手のひらを胸の前で勢いよく合わせると
「実はさ、リヴァイがエレンに会ったんだ」
「なんだって?」
ハンジの言葉にエルヴィンはリヴァイを見る。床を見つめるように顔を伏せたまま反応が無いリヴァイに首を小さく傾げながら二人の間、三角形のような形になるようにその場に立つとどちらでも答えてかまわないように質問を投げかけた。
「彼もこの時代にいたのか。いつ出会った?」
質問に答えたのはハンジだった。
「最初に出会ったのはもう何日か前の事なんだけど」
「私には一切報告なしか」
「君どっかのプロジェクトの手伝いで忙しかったんだろ?終わったらちゃんと報告するつもりでいたんだよ。リヴァイは」
ハンジの言葉にエルヴィンは目線だけ動かしリヴァイを見る。今の所顔が見えずつむじがはっきりと見える姿勢をじっと見つめながら
「しかし、当の本人の今の状態…いったい何があった」
「それが私にもわかんないんだよねぇ、昨日の夜にいきなり電話かかってきたと思ったらどうも向こうから声かけられたらしくて」
「エレンから、という事は彼の記憶は」
「いやぁ違う違う。残念ながら記憶は一切なし!彼はねリヴァイのミンスタを見て、声をかけてきたらしい」
「なんと」
短く小さく感嘆の声を上げたエルヴィンは話の続きをハンジに視線で促した。
「だけど、急な出会いと声かけにテンパったリヴァイはエレンから逃走、その後どこかしらで私に電話してきてその状況を話している中、エレンに見つかり電話はそこで終了。なので今日はその後の展開を聞こうと声をかけてみればご覧のあり様」
肩を大きくすかしてまったくという風に手のひらを天井へ向けてみせるハンジにエルヴィンは「なるほど」と返すと
「現状から察するに良くない事が起きたと考えるのが妥当だろうな」
「ま、私もそう思う」
ここまで一切会話に入ってこず微動だにしないリヴァイにエルヴィンは腰を垂直に曲げる様にしてリヴァイの顔を覗き込んだ。
「リヴァイ、私だ。私がわかるか」
そう言葉を投げかけるとゆらぁっと顔が動いてリヴァイの視界にエルヴィンの顔が映った。
「……おぉエルヴィン、お前どうした?プロジェクトは順調か?」
「昨日で抜けれたよ。順調に進んでいるので私はお役御免だ」
「そうか、よかったじゃねぇか。ここ最近忙しそうで心配してたんだぜ」
「それはありがたい言葉だが、今日にいたっては私より君のほうが心配だ。やけに覇気が無い。お前らしくもない」
「何言ってやがる。俺はもともとこんな感じだ」
すっと腰を伸ばし「ふむ」とまっすぐに視線を見据えるエルヴィンにハンジは「どうよ?」と聞けば
「煙草が吸いたいな」
「こんの、ヘビースモーカーめ」
「リヴァイ、吸ってもいいか」
「好きにしろ」
「ここは私の職場だぞ、権限は私にある!」
そう言って怒った表情を見せるハンジに「わかっている」と静かにエルヴィンは答えて
「今のはどういう反応をするか試しに言ってみただけだ」
「なんだよそれ」
「リヴァイもあまり煙草を好かない人間だ。私が吸おうとすると必ずひとつかふたつ小言を言ってくるが今日はそれが無い」
「それで何がわかる?」
「特に、彼の意識がどこかへ飛んでるというぐらいしか」
「それは今見てわかってる状況じゃん」
「リヴァイ何があった。エレンと何かあったんだろう?」
エルヴィンが頭上からそう問いかければ肩が小さく震える様に反応したのが見えたのでエルヴィンは続けざまに
「向こうに何かしたのか、それともされたのか?どちらにしろ現状を正しく把握しておきたい。私にならすべてを話してくれるだろうリヴァイ?」
そう言って正面に立ち静かに屈むとリヴァイの顔をうかがうように覗けば視線が惑うように左右に何度か揺れた後ふっと瞼を伏せて
「………昨日、エレンと飯を食いに行ったんだ。名前を、あいつが俺の名前を知りたがって、でも教えるつもりは無かった。そのうち俺がヘマしてグラス倒しちまって、そしたらあいつが俺の隣に来たんだ。すげぇ近くであいつを見た瞬間に」
そう言って目元を手のひらで覆うように押さえるリヴァイにエルヴィンが小さく名前を呼びかけると
「…いてしまった」
「なんだって?」
小さな声にうまく聞き取れずエルヴィンは耳を近づけるように顔を寄せて聞き返せば、小さく舌打ちする音が聞こえた後
「泣いちまったんだよッあいつの前でッ」
急にフルボリュームで告げられエルヴィンは耳の奥にキーンとした余韻を残したまま立ち上がった。
そんな後ろ姿にハンジは「エルヴィン?」と名前を呼ぶと
「耳が痛い」
「だろうね」
ハンジからの短い笑いを背中で受けとめながらエルヴィンはリヴァイの様子を見つめる。
目元だけだったのが顔全体を覆い隠すようにして後悔を吐き出すように深いため息をつくリヴァイに声をかけようとする前に
「もしかして、エレンの前で泣いちゃった事が今君がそんなに落ち込んでいる原因なのかい?リヴァイ」
エルヴィンの腰を両手で掴んで右からひょっこりと顔を出すようにしてハンジはリヴァイに声をかけた。
「ハンジ、本人にとっては由々しき事態だったんだろう。あと腰を掴むのは止めなさい」
「別に馬鹿にしてるつもりはさらさら無いよ。エルヴィン良い腰してるね。掴み甲斐あるわ」
「褒めてくれるのは嬉しいがスーツが皺になる」
「単純に腰を掴むのいいんだ?」
「それは構わない」
言い切ったエルヴィンにハンジは「勇ましいな」と言いながら腰から手を離し顔だけひょこっとのぞかせた状態で
「なんで泣いちゃったの?きっかけとかあったりした?」
ハンジがそうリヴァイに問いかければ黙ったままだったがしばらくしてすぅと静かにリヴァイは息を吸うと
「わからねぇ…近くであいつの顔見たら…なんか泣けてきたんだよ」
ぶっきらぼうに答えたリヴァイにハンジは「なるほどねぇ」とシンプルに返しただけで
エルヴィンはちらりと後ろを振り返りハンジの様子をうかがえば、何か考え事に意識を向けてほうけるような表情を見せる彼女の姿に目を細めた後顔を正面に戻した。
「エレンはどんなリアクションしてた?」
再びのハンジからの問いかけに
「知らねぇ」
「知らない?なんで?」
「我に返った瞬間店を飛びだした」
リヴァイの言葉に「「は?」」とハンジとエルヴィンは綺麗にハモった声を出して
「店を飛び出したって、あんたまさかエレンを店に置きざりにして帰ったの?」
「ッ…でも金は払った!」
「いやそういう問題じゃなくね?」
ハンジのツッコみに手で覆っていた顔をすっと上げたリヴァイが何かを言う前にぱんッという何かが弾けるような音がして何事かとハンジは小さく仰け反った。
「なんの音?」
「私が手を叩いた音だ」
そう答えたリヴァイにハンジは腰からぬっと顔を出して見上げるようにエルヴィンを見ながら「なんで?」と問いかけた。
「このままいったら言い合いをすると思ってな、先に牽制した」
「なるほど」
「あと、すまないハンジ。私もイスに座りたいのだが」
「え?あぁそうだね。ごめん気が付かなかった」
ハンジはそう答えると椅子から立ち上がり簡易ベッドの下から予備の丸椅子を取り出し座高を伸ばすとエルヴィンに差し出した。
「すまない、ありがとう」
エルヴィンはハンジにお礼を言うと三角形になるようにリヴァイとハンジの間に椅子を持ってきて座った。
少しだけ軋む音が聞こえた中エルヴィンはリヴァイを見やる。顔は上げたが視線は床に向けられたまま顔色も良くはなかった。
ハンジは自分が座っていた椅子に戻ると背もたれに背中をくっつけて二、三度ゆらゆらと左右に意味もなく揺れる。
「そもそもなんだが」
エルヴィンはそう言いながらリヴァイを見、ハンジはその声の元エルヴィンへと顔を向けた。
「エレンは今何をしてるんだ?」
「あぁそれ私も知りたい。聞いたりしたの?」
ハンジはそう言って顔をリヴァイのほうへと向けて聞けば幾分体が斜めに傾いてきたように見えるリヴァイにそのうち倒れるとかないよなと心の中で呟いた。
「あいつは今大学生だ」
「へぇ~君の予想当たってたんだね。歳も聞いたりした?」
「二十歳だと」
「若いねぇ」
ハンジはそうかそうかと言いながらひじ掛けの上で頬杖をつくと今度はエルヴィンがリヴァイに質問を投げかけた。
「君の事はどこまで話したんだ?先程名前を教えたくないと君は言っていたが」
「名前は教えてない。前世の事ももちろん話してねぇしあいつには俺の年齢と普通の会社員だとだけ教えた」
「まるで情報戦のような会話をしていたんだな」
エルヴィンが少し冗談めかして言えば「そんなんじゃねぇよ」とリヴァイは力なく返した。
「そんなんでさぁ連絡先とか交換できたの?」
ハンジの質問にリヴァイは首を横に振った。
「え?じゃあエレンと確実に会える手立てはまだ無いって事じゃん。どうすんのさ次どうやって会うつもりなの?」
「……別に、次が無きゃいけねぇってわけでもねぇだろ」
リヴァイはそう言うと自分で言っときながら心苦しくなり無意識にスーツの襟をぐっと掴んだ。
「会いたくないの?」
「…わからねぇ」
それは今のリヴァイの素直な感情だった。
「まるで運命と言う名の夜行列車に皆で乗り合わせているような感じだな」
不意なエルヴィンの言葉にリヴァイは何言ってんだこいつという感情を素直に表情に出した。
「そんな顔をするな、ハンジは笑いをこらえるんじゃない」
エルヴィンの指摘に口をふにゃふにゃにして笑いをかみ殺していたハンジは「ご、め…フフ」とこぼすように謝った。
「ありえない話では無いだろう。私やリヴァイ、そして君。この三人が時を超えて再び出会えた事も運命という言葉以外に合うものは無いと思っているが」
「それは私も賛同する。それじゃあ君の言葉を受けて言うなれば我々が乗る運命の列車に今エレンは乗り込もうとしているか否かって感じなのかもね。それを手引きするのはリヴァイか―」
「彼は手引きなど無くても、むしろ入口が見つからなければ自ら列車の壁をぶち抜いてでも乗ってきそうだ」
エルヴィンの言葉にハンジは少し間をあけた後盛大に笑って
「それはありえるね。今頃彼はまたリヴァイを探し回っているかも。今度はどうする?私、三度目はあると思うな」
ハンジはそう言ってイスに座ったままリヴァイにずりずりと近づくと
「ま、何があっても私やエルヴィンが話を聞くから、大丈夫だよ」
「………たよりねぇな」
そう言いながらその目元が少しだけ柔らかく緩んだのをハンジは気づいてエルヴィンのほうに顔を向けるとウィンクをひとつ見せた後勢いよく床を蹴って
「運命の列車の行き先は自由だぁぁぁってね!」
ひゃっほーっとテンションを上げたまま勢いが良すぎたのか背もたれから壁に激突して室内に不似合いなほどの轟音が響いたのだった。