その視線は誰のモノ? 「まただよ」
五条は高専の廊下で立ち止まりガラス窓越しに外を見ながら苦々しく呟いた。
アイマスクを通しての視線の先には現在絶賛交際中の伊地知潔高が自前のスマホを見ている姿
最近五条がよく見かけるようになった姿だ。
以前は気にもならなかった。それがいつからだったか、高専でその姿を見つけたと思うとスマホを見ているという恰好がやたらと目につくようになった。
画面を見ている時はどことなく機嫌がよさそうに見えたので五条は純粋に気になって
「最近スマホよく見てるけど何見てんの?」
何気なく聞けば伊地知はびくりと肩を震わした後「そ、そうですかね?前と変わらないと思いますよ」
どことなくはぐらかされたような気分がしたが、その時はそこまで気にはしていなかった。
思えば五条の中でまさかそんな事は、という高を括っていた部分があったのだろう。
その質問をした日から伊地知は五条の目につかないようにこそこそとスマホを見るようになった。
本人は気づかれていないと思っているようだったが、そんなわけが無い。
誰を相手にしてると思ってるんだ、僕だぞ?
五条はそんな風に思いながらも、伊地知がいったい何を見ているのかはわからないままだった。
もう一度本人に聞けばいい話だったが、自分の中に浮かんだとある可能性が五条の動きを止めていた。
もしかしたら、浮気をしているのかもしれない。
そんな考えが浮かんだ時五条は「いやいやいや」声に出しながら首をぶんぶんと横に振った。
伊地知が?あの伊地知がか?僕と付き合っているのにそんな事するか?
そんな風に思った後に、だったら何故スマホを見る機会が増えたんだ?と頭の中で自問自答していく
たまたま目につくようになっただけだろ
いや明らかに増えているし、質問してからはコソコソするようになった。
でも家に遊びに来たり泊まりにきてる時はそんな様子は無いだろ
そりゃ僕に万が一覗かれでもしたらって思ってるんじゃないか
いっそ勝手に見てしまおうか
そんな考えがよぎった後、五条は馬鹿野郎と自分を殴った、頭の中で
恋人だからって超えてはいけない境界線がある。それに勝手に見た事がバレたらそれこそ絶対引かれる。それは嫌だ。絶対嫌だ。
そんな風にぐるぐると自分の中で巡り溜まっていくもやもやを抱えていたある日、五条は見てしまった。
いつものようにこっそりとスマホを見ている伊地知の、その表情が嬉しそうに微笑み、あまつさえどこか照れくさそうに頬を赤らめていた瞬間を――
「伊地知」
気がつけば声を掛けてその手首を掴んで伊地知を引っ張っていた。
びっくりした表情で自分の名前を呼ぶ声を無視してずんずんと廊下を進んで使われていない空き教室に入ると鍵を閉める。
「二人っきりだね」
にこりと微笑んでそう言えば、血の気の引いた表情で自分と距離を取るように後ずさる伊地知
さっき見た表情とは天と地の差のようだと思いながら五条は一歩近づいた。
さっきの伊地知は
さっきのあの表情は
まるで恋をしているような顔をしていた。
「ねぇ、スマホでいったい何見てるの?」
「え?」
途端にぎくりと肩を上げる伊地知に五条は眉を寄せる。
「前にも聞いた事あるよね?その時何でもないって言ってたけどあれからお前僕に隠れてコソコソ見てたでしょ?知ってるよ。ていうかあれで隠してたつもりなら、お前相当下手くそだから」
言いながら少しだけ語気が強くなっていってるなと五条は一旦深呼吸をする。伊地知はそわそわとどこか落ち着かないといった様子で胸の前で両手をすり合わせていた。
「見せてくれとは言わない。僕こういうの初めてだからさ、正直どう対応したらいいのかわかんないけど、でも変に嘘つかれるほうが嫌だからはっきり言って欲しいんだよね。伊地知、お前誰と浮気してんの?」
「……え」
ひくっと相手の口端が歪む、あぁ胸が苦しいと五条はぼんやり思いながら溜まったものを吐き出すように問いかけた。
「僕よりもそいつのほうがいいって思うようになった?僕に足らないトコがあった?不満とか?あるだろうね、そりゃもういっぱい、それとも僕に隠れてするって事に楽しみを感じてたとか?あるいは――」
「ちょ、ちょっと待ってください」
慌てた様子で遮ってきた伊地知を見る。
「浮気なんてしてる訳ないじゃないですかッ」
後ずさっていた分を戻すように伊地知は五条の前に歩を進めて叫ぶように否定した。
「じゃあスマホで何見てたか僕に言えるの?」
そう聞くと、途端に表情が固まる「それ、は」口ごもる伊地知に五条は、ほらねとため息を吐いて目を伏せた。
「仕事の事じゃないっていうのはわかるよ」
表情を見てればそれははっきりとしていた。
あんな風に嬉しそうに、楽しそうに、恋してるみたいに
そんな表情にさせていたのは、いったい誰なんだ。
「…………わかりました」
少しだけ震えた声、取り出したスマホを操作して、伊地知は五条の前にその画面が見えるように差し出した。
「これが、答えです」
五条は差し出された画面を見て、目を見開いた。
そこには自分の、五条悟の寝顔が撮られた写真が表示されていた。
「何、これ」
「貴方の、寝顔です…」
「いや、それは見てわかるけど、なんでこんなの――」
視線を上げると五条はさらにびっくりした。
伊地知の顔は真っ赤になっていてその色は耳まで染まりそうな勢いだった。
「この前泊まった際に、勝手に撮ったんです」
すいませんと小さく謝った後、伊地知がぽつぽつと喋ってくれた真相はこう、
付き合いたての頃は五条さんは必ず自分より後に寝て先に起きていた。
けれどそれがだんだんと起きる時間が同じぐらいになり、最近では自分が起きてもまだ寝ているという時を見かける事が何度かあって、そんな時にもしかしたらと好奇心がてら試しに写真を撮ってみたら起きなかったので、そこから何度かこっそり撮ってみるようになった。
「貴方が、その、気を許してくれるようになったといいますか、その、私に対しての無意識の警戒心を解いてくれたのかなとか思うと、その嬉しくて」
そう言うともう一度すいませんと伊地知は謝った。耳のてっぺんまで真っ赤になっていた。
「え、じゃあ、これを毎回」五条は不意に思い出す、スマホの画面に向けていた伊地知の表情を「見てたのかお前は」
嬉しそうに
楽しそうに
恋を、しているような
そんな表情を見せていた
その先にいたのは―――
「これは、ちゃんと消します」
これ以上は泣き出しそうな、そんな雰囲気を漂わせながら伊地知は持っていたスマホの画面に指をタップしようとした寸前、五条がそれを阻止した。
「ごめん、疑ったりして」
「いえ、元はといえば私が勝手に写真なんか撮ったのが悪かったんです」
「ねぇ、さっき何度かこっそり撮ったって言ってたけど他にもあるの?僕の寝顔撮ったやつ」
問いかけると気まずそうに視線を横へ流した伊地知に「あるんだね」
うなずく伊地知を五条は今すぐ抱きしめてキスしたくなったが我慢した。
「今日ウチに来てよ」すっと視線を合わせうように五条は身をかがめる「その時に全部見せて、あと疑っちゃった事ちゃんと謝らせて」
五条がそう言うと伊地知は困ったように視線を左右に動かしたが、少し落ち着いた後
「……あの、また連絡します」
「うん、待ってる」
我慢ができなくて結局ほんのちょっとだけ、五条は伊地知の頬にキスをした。