良守の受難4俺は帰宅して真っ先に兄貴の部屋へ向かった。
そして声もかけず襖を勢いよく開け放ち、兄貴の背に言葉を放つ。
「俺、夜行の仲間になる!!」
「……は?」
ゆっくり振り返った兄貴は、やや困惑した顔をしていた。
そして慌てたように立ち上がり、すっと俺を部屋へ引き入れて襖を閉めた。
「おまえ声デカすぎ」
「仲間になる!!」
「だから煩いっての」
シーッと人差し指を唇に当てられて怒られる。恐らくジジイの目を気にしているのだ。
もしこれが聞かれて困る内容なのだとしたら、この数日は一体なんのための時間だったのだろうか。
「で?急になに」
兄貴が畳にあぐらをかいて座ったので、俺も同じようにその場に腰掛けた。
「何じゃねえ。お前の誘いに乗ってやるって言ってんだよ」
「本気?」
「あぁ」
真っ直ぐ目を見て頷くと、兄貴の目付きに鋭さが増した。 しかしそれは瞬く間に悩ましげな微笑へと変わる。
「それは困る」
「えっ」
と、思った時には間合いを詰められていた。目の前に兄貴の着物が見え、驚いて体をそらすと固い壁に激突。痛みで怯んだ隙に、兄貴に肩を押されて床に倒された。
「困るんだよなぁ…」
見上げた先には貼り付けたような笑顔。「困る」と言いながらその苦労を楽しんでいる、そんな表情を浮かべていた。
しかしその目の奥に快はない。とても冷たく、それでいて燃えているようにも見える。
なんつーか、めんどくせぇことになった。しかもご丁寧に二人きりの結界に閉じ込められたらしい。
「退けよ兄貴」
「どうして気が変わった」
話してんのは俺だが???
鋭く睨んでも、こんな威嚇が効くタマじゃない。
「夜行に入りたい理由は?」
「なに。面接あんの」
「もちろん。俺、身内びいきしないから」
よく言うわ。だったら身内スカウトなんか辞めちまえ。
「つーか何で兄貴は俺に声を掛けたわけ?」
「普通、逆質問は最後にするんだけどな」
「でも聞く権利はあるだろ」
「まあ。それは平等に」
俺は今兄貴に押し倒されている、かなりやばい状況だ。体に触れられてないだけマシとおもうべきか。否、何をどう足掻こうが危機一髪である。首元にナイフを突きつけられている気分だ。回答を誤ったら即死亡してしまうほど。
「…俺と兄貴の答えは、繋がってんじゃないの」
兄貴が俺を夜行に入れたい理由。俺が探し求めていたパズルのピースは、影宮のおかげで見つかった。
「兄貴は、仲間には手ぇ出さねえって」
そう呟いた俺の口を、兄貴は手のひらで塞ぐ。
「誰から聞いたんだ」
その声は問いというよりも独り言に近い。あぁこれは真実だったのかと確信し、深いため息が零れた。
「ふがが」
「煩い」
むぎっ。鼻をつままれて、思わず顔をしかめる。
そんな俺を見て、兄貴は罰が悪そうに体を起こした。
「…バレちゃあ仕方がないよな」
手を挙げて降伏するかのような仕草は、どこか芝居がかっていて胡散臭い。
「結局てめーは何がしたかったんだ」
呆れた目付きで問いかけるも、肩を竦めて兄貴は何も言わない。せめて理由くらい教えてくれなきゃ俺の数週間は報われねえ。
だが、コイツはいつだって自分本位で俺の事なんて何も考えちゃいないらしい。
「正直、話したくない。逃がしてくんない?」
こんな薄っぺらな兄貴の苦笑に、心乱されてはいけない。
今兄貴の気持ちを汲んでしまったら二度と捕まらないに決まっている。みすみす見逃してたまるか。
そういう目をして真っ直ぐ見つめたら、兄貴は嘘くさい笑みを消した。
「残酷なやつ」
その一言を鼻で笑いたくなる。
「どっちが」
俺も体を起こして、兄貴と向き合った。
兄貴の結界の中はとても狭くて息苦しい。
それから少しの沈黙の後、観念した兄貴が話しを始めた。
「……俺はさ。どんなことがあっても、良守は俺の部下にはならないと思ってた」
「あ?」
確かに兄貴の言う通り。俺はどんなことがあっても兄貴の部下にはならないだろう。烏森云々を差し引いても、俺は誰かの下で働けるような性質じゃないし、そもそも兄貴の役に立てるとも思えない。
といあ兄貴は、はなっから俺の助けなんて必要としていないのである。だからこちらから手を差し伸べたところで、コイツは意地でも自分で何とかするに違いない。結局のところ墨村正守という男はひとりでなんでも出来てしまうのだから。
「俺なんか必要ないだろって顔してるな。お前は俺をどこか過大評価し過ぎじゃない?」
そうでもないさ。でもそうやってなんでも俺の考えを見透かされるのは気に食わないので、眉をひそめておく。こういう上から目線な兄貴の態度が、昔から大の苦手だった。
「つーか……最初から俺を仲間にしたいなんて思ってなかったろ」
「気づいてたんだ」
(やっぱり……)
兄貴の瞳を見ていられなくなった。理不尽な癖に、俺が悪いのだと丸め込まれそうな気がして、心がささくれ立つ。
俺を責める、その目付きが気に入らない。
いつだって勝手に思い込んで、思うままに突っ走って暴走してんのは兄貴のほうじゃねえか。
「良守、俺はね相当狡いやつなんだよ」
そんなこと知ってる。
けれど俺が聞きたいのは、そんなありきたりな答えなんかじゃない。
それをわかっていながら、都合がいいように話を逸らす。兄貴お得意の悪癖を浴びて心底辟易とした。
「実のところ俺に損は無いんだよね。良守が誘いに乗っても乗らなくても」
「は?それってどういう意味」
さっき、俺が夜行に入るのは困るって言ってたじゃねえか。舌の根も乾かぬうちに、コイツは何を言い出すんだ。
「実際お前がいればかなり助かるよ。結界術は何かと重宝するし、その実力は申し分ないレベルだし」
急なおべっかに困惑してしまう。ますます、何が困るのか分からなくなるじゃないか。コイツは曖昧なことばかり言って肝心なことを濁すから嫌だ。
嘘は言わない、けれど本音も言わない。そんなやつ、どうやってまともに相手しろって言うんだよ。
真っ当な俺の苛立ちを、兄貴は静かに笑って受け止めた。
「でも良守こそ、わかってたんじゃないの」
「なにが」
「あれだけ露骨にアプローチしたんだぞ?」
「だから、さっきから兄貴が何言ってんのか全然…」
「俺とお前の答えは、繋がっているってこと」
そう言って俺を見つめた兄貴の表情は、今まで見たことがないくらい柔らかくて、心が傷んだ。
「…良守が仲間になってくれたら、俺はすべてに区切りをつける覚悟ができる思ってた」
なにも言えなかった。
「お前の言う通り、俺は部下には手を出さない。それはどんな理由があっても曲げるつもりはない信条だ」
「だったらなんで、俺が仲間になったら困る……とか言うんだよ」
どう転んでも兄貴にとって損はないから、この作戦を決行したんじゃないのか。
「それは……このやり取りが終わって欲しくなかったからだよ」
は?
「馬鹿みたいだろ。お前が誘いを断り続ける限り、俺はお前を好きでいても許されるような気がして……そんなわけ、ないのに」
嗚呼。お前は、なんでいつもそうやって。どうして自分の感情を押し殺すような顔を平気でするんだ。
「でも、もうお終い。お前は俺の仲間になるって答えを出してしまった」
その通りだ。俺はこれまでされてきた兄貴の求愛に嫌気がさして、逃げ出したいから兄貴の信条を利用した。夜行に入る、仲間になると言えば「兄貴は諦める」と思ったから、誘いに応えた。
「あーあ。振られちゃった」
お前ってホントどこまで不器用なわけ。ほとほと呆れてものも言えなくなってしまった。
「腑抜けかよ……」
「え?」
俺は口をへの字にして、ついでに腕を組んで舌打ちをする。
「言っとくけど。俺、軽はずみに仲間になるって答え出したわけじゃねえから」
「別に取り消していいぞ。本気で言ってないし」
「……てめぇ俺の話聞いてたか?男の覚悟を何だと思ってやがる!」
弟だからって舐めるのも大概にしとけよ、このハゲ。
「じゃあ教えてくれよ。お前の言う覚悟ってなに?俺をもっとこっぴどく振るつもり?」
「ッ振るも何も、まず告白されてねえし!」
「は?毎日愛情表現、欠かさなかっただろ」
「セクハラしてただけじゃねえか!」
「……正気か?もしや俺に好きって言わせたいわけじゃないよな、気持ちに応える気もないのに?」
「なんッでテメーはそうやって弄れた考え方しか出来ねえんだよ!」
本当に同じ親から生まれてきたのだろうか、この朴念仁は。
「同じ想いを返してくれないなら、そういう言葉は軽はずみには言いたくない」
「は?」
「生憎、俺はお前ほど神経太く出来てないって言ってんだよ」
「マジでうるせぇな!なに逃げてんだ、この意気地無し!こっちだって、ジメジメ思い縋られても困るんだっての!」
「ホント酷いやつ…」
「〜被害者面すんな!」
どれだけ声を荒らげても、兄貴は不貞腐れたのか何も言わなくなった。そんな態度が気に食わなくて、腸が煮えくり返ってくる。
「あのな!俺だって兄貴のこと、すげー大事に思ってる…けどそれ以上の気持ちは湧かないんだよ」
「そんなの知ってる」
「それに、仲間になるって決めたのは……兄貴のちょっかいに嫌気がさしたのも理由の一つだけど。なんつーかその根本は、敬意を表した結果でもある」
「なに?俺、回りくどいのは好きじゃないんだけど」
「じゃあハッキリ言うけどいいか」
「……いやちょっと待て。頼むからオブラートには包んでくれ。なるべく俺に配慮はしろ、失踪しない程度の心傷に止めろよ」
ゴタゴタうるせえな。
「今うるせえって思ったろ」
「勝手に心を読むな!」
まったく、俺の兄貴は本当にめんどくせぇやつだ。愛想なんてとっくに尽きてる。どれだけの人に尊敬されていようが立派と思われようが、めんどくせえやつだってことには変わりない。
俺はコイツの嫌なところ全部、他の誰よりも知っている。生まれてこの方ずっと墨村正守という人間を追いかけてきたんだから、当然だ。
「でも良守は、俺を好きになってくれないんだろ?」
「嫌いじゃねえよ。べつに」
「それは好きじゃないってことだ」
「いちいち揚げ足取るな…」
「じゃあ本当になるのか、俺の仲間に」
「なる。ただし夜行には入らない」
「は?」
「だから厳密に言うと仲間じゃなくて、味方だ」
俺は家の事もあるし、軽率に兄貴の組織へ属すことはできない。そもそも話を持ち掛けられたときから大前提が現実的じゃなかった。
だが、仲間ってのは別に組織に入らなくたってなれるんじゃねえの?口約束だろうが何だろうが、要は手を組んでいればそれは仲間ってことだろ。
「無茶苦茶だな…」
「お前にだけは言われたくねえ」
「その理屈で行くじゃ、俺の味方にはなるけど部下にはならないってこと?」
「そうだ」
頷く俺を兄貴は笑った。
「それ、ちゃんと意味わかってんの」
「なにが?」
「部下じゃないなら、俺は手を出しても構わないよね」
「あー」
確かに。それは、そうだ。
「まぁ……そこは今後の兄貴の腕次第じゃねえの?」
「えっ」
「まずは対等な関係から始めよう、ってことでどうだ」
これが俺の答え。
兄貴にウンザリしてモヤモヤして、でもその手を振り解けない俺なりの応急処置。俺は何よりも、兄貴との関係が崩れてしまうことを内心では危惧していた。だからこれが最善の手打ち所ではないかと思うのである。
「あ、でも今までみたいなセクハラはナシな」
「えっ」
「あとそれ以上近寄らないで」
「あ?」
正守が放つ、甘い気配を察知して釘を刺す。
「今絶対キスしていい流れだったよな…」
「どこが!?抱きしめるくらいに留めておけ!」
「抱きしめていいんだ?」
「ち、ちがっ!!」
「なるほど。ありがとう」
「おわ!!」
と、思ったときには強い力で抱擁されていた。視界が真っ黒で何も見えない。兄貴の体温を感じて、何故だか心臓がギュッと辛くなる。
「暑いから離せ」
「突き飛ばしていいよ?」
「腕がんじがらめにしてよく言う…」
「イッヒッヒ」
「悪魔みたいに笑うな〜」
自由のきく頭で兄貴を攻撃する。兄貴は嫌がる素振りもなく、甘んじてそれを受け止めていた。
「良守攻略の道は長そうだな」
「されるつもりはサラサラねえよ」
「そ。じゃあこれからも宜しく、兄弟」
「…程々に頼む」
兄貴を抱きしめ返すことは無い。けれど、そっと寄りかかってみる。真っ黒で暖かい、その胸に。
どうやら俺の受難は、まだ終わりそうにないらしい。
兄貴が兄貴でいる限り、俺が俺である限り。この関係性は一生続くんだろう。
そう思ったら少しだけ口元が綻んだ。
もちろん、兄貴には見せてやらないけれど。
終