拝啓
東京は毎日ひりつくような暑さを記録し汗が収まる気配もない、そちらは夏でも涼しいと聞いたが本当だろうか。貴方のことだ、きっともうそちらにも慣れたことと思う。
先日貴方から頼まれたことは全て了解した。弟御たちの身の振り方さえどうにかなれば、とのことだったので、彼らは全員私の養子に迎えることにした。幼くとも貴方のように賢い子たちだ、最初は環境の変化に戸惑うだろうが新しい暮らしをきっと気に入ってくれるだろう。私と妻の間に子が授からなかったのはこうなっては却って幸いというもの、妻も彼らの義母になれる日を心待ちしているのでどうか気に病まれぬよう。お父上には仔細は伏せ、菊田の家も墓もご心配なくとだけお伝えしている。
貴方も気にしていたことだろうから伝えておくが、貞に無事新しい縁談がまとまった。
相手は貴方とはまた違った意味で気難しい男だが、真面目で勤勉で何より貞を心底気に入ってくれている。貞も近ごろは笑顔が戻ってきた。幸せになってくれることを願うばかりだ。
本当は貴方が貞を北海道に連れて行ってくれればと思っていたのだが、兄がああも反対したのでは私も無理は言えなかった。兄は貞にそれほど関心のある父親ではなかったが、さすがに遠くに嫁にやることに寂しさを感じないほどでは無かったらしい。貴方が急ぎで無ければ時間をかけ説得することもできたのだろうが、それはきっと貴方の望むことではないだろう。
縁が無かったのだから仕方がない。
ただ貴方さえよければ、時々あの娘を思い出してやって欲しい。再来月には嫁ぐ女の事を忘れるなとは残酷なことを言うようだが、未練を持ってほしいわけではない。ただ貴方からの破談の申し入れに、菊田さんはどうなるの、と一番に貴方を案じた貞の心根に、ほんの少しだけ応えてやって欲しいだけなのだ。頼む、どうか忘れるまで覚えていてやって欲しい。これは貴方がた二人を引き合わせた私の身勝手な慰めだ。やがて貴方が貞を忘れる日が来たら、貞の傷心は癒え幸福に満たされているのだと、どうか安心して欲しい。
近頃の東京は益々煩くなった、後戻りのできない道を浮足立った足取りで進んでゆく街並みに、私は不安を覚えずにはおれない。貴方の訃報など受け取りたくはないが、せめて貴方が立派に帝国軍人としての使命を全うされることを、一日でも長く生き大任を為し遂げることを心より祈念申し上げる。
敬具
明治三十四年七月
群竹松寿
菊田杢太郎殿