●CHOICE ガイア
誰だって初めは選択肢がないものだと思うが、生きていくうちに選択肢はたくさん増えていくものだろう?
迷うというのは、どちらにしてもメリットがあってデメリットもあるということだ。
片方がメリットだらけでそれを選ぶのに躊躇することはない。
まあ、そこに柵がある場合には話が違ってくるだろうけれどな。恩があるとか、使命があるとか———総じて他者との因果が深く関係する場合‥‥‥。
俺の実体験というよりは、よくある話をしただけだ。
選択肢を選ぶのに迷うのであれば、どちらで苦しみたいかを考えるといい。
いずれにせよ苦しむのであれば、苦しむのが堪えられる方を考えると、おのずと答えは出てくる筈だ。
状況が許さないといって、選びたい方を選択しないのは、苦しみの連鎖の中に自分を陥れる。そして、選びたかった選択肢を無視したことで、更に自分を追い詰めていってしまう。
選びたいものを素直に選べば、意外になんとかなるものなんだけれどな。どうしてもそれはできないと頑なに信じているのなら、止めはしない。そのように信じている場合に、本来の選択肢を選んだところでうまくいかないだろうから。
随分いい加減だって?まあ、所詮は他人事だしなあ。薄情だと言ってくれても構わないぜ。
それに、何事もうまくいかないと思っていれば、うまくいきっこない。人生というのは、そういうものじゃないか?
もし、答えが出ないのであれば、選ばなければいい。選ばないというのも、見えないだけで選択肢の一つだからな。
●FREEDOM ウェンティ
不自由だと嘆いてみて、誰かからの救いを待つのもいいけれど、そうしているうちに簡単に歳月は経ってしまうよ。
自死というのも、堪え難いと思い込んでいる生から逃れられる一種の祝福ではある。
けれど、そうしてしまえば、君は苦しむために生きたという証左を残してしまう。
せっかくこの世に生まれたのだから、この生は楽しみに変えるべきだ。
君はただ、不自由という枷を自分で作っているにすぎないのだから。それを世間や世界が作ったものだと思い込んでいるだけなんだよ。
その枷は、実はいつでも取り外せる。君自身の手で。
いったい、深刻に考えるのが偉いのだと誰が言い出したんだろうね?それを信奉する人が多いことに驚くばかりだよ。
雲が風に流されていくように、ただ心地良い風に身を委ねて生きていけばいいのに、
とかく人は簡単なものを難しくして、問題じゃないのに問題たらしめて自らを追い詰めていくんだ。
自縄自縛というやつだね。
そんなところからは一歩離れてみなよ。
悲しい時にはおいしいお酒を飲んで、無理にでも愉快な気分になってごらん。歌をうたい、ダンスをして、みんなと笑い合ってみて。それが嫌なら、自分が好きなことをとことんやればいい。
人生は謳歌するべきものだ。だけど、君がどうしても悲しみや不幸に浸っていたいというのであれば、それでもいいよ。
意志はいつだって自由なのだから。
●RELAXZATION リサ
ずっと何かに打ち込んで、同じテーマを考えていても、堂々巡りになってしまって行き詰まることはよくあるものよ。
物事に重要性や意義をふんだんに与えるごとに、それは却って成就が難しくなるというもの。
だから、成功とか失敗とか他人からの評価であるとか、そういうことは考えずに、ただ淡々とやって、こうしてゆっくりとティータイムを取るのが、案外大切なのよ。
リラックスしている時こそ、智慧は降りてきて、手を進めさせてくれる翼となってくれるもの。
これは、お姉さんの体験談よ。