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    既存のキャラクターの死や原作にないキャラクターとの結婚、オリジナルの時間軸などの描写があります。

    こんなもの二度と生まれませんように。主人が亡くなったのは、夕日が穏やかに地球を燃やしていた日のことだった。
    享年八十八歳、老衰だった。
    床に臥せてからは顔も唇もめっきり色を失ってしまったが、主人の寝顔は安らかで、陽の赤がさすと凛々しい瞳がまた瞼から覗くのではないかと錯覚するほどだった。

    主人と知り合ったのは縁談の場だった。
    主人の家系は三百年続く名家で、対して私の家は父の家業が成功しお金にこそ困らなかったものの人脈に欠けていた。
    写真で見た以上に実際に会った主人は美丈夫だった。
    無口な主人の代わりに彼の母親が官僚をしているのだと話した。
    官僚であれば前線に立つことはまずないだろうし、元よりこの太平の世で明日をも知れぬ身になることはそうそう起こり得なかったが、彼の瞳は常に真剣を構えているような静かで鋭い熱を宿していた。
    両家の親が席を外すと、初めて口を開いた主人は自分から断ったことにするから気にするようなことはないとだけ言った。十近く下の女がお家の政略に巻き込まれるのを憐れんだのかもしれない。
    結局私はその申し出を拒んだ。見合い結婚と言っても、夫婦の仲は良好だった。
    初めて手料理を出した際、とぐろを巻くほどマヨネーズをかけられた時は何が気に障ったのだろうと苦慮したが、長男の奥さんがあの子は元からそうだからと笑って教えてくれた。
    主人に恋をしたわけではないが、妻としての役目を務めるうちに家族愛は芽生えた。
    子どもができなかったことも、彼が次男だったこととあまり実家に寄り付かないことが幸いしてほとんど責められることはなかった。私の両親は長く恨み言を言っていた。
    主人はマヨネーズの摂取量を除けば至って健康だったが、なぜか禁煙パイポを愛用していた。
    一度聞いた時、主人は癖なのだと言った。私は主人が喫煙するところを見たことがなかったし、主人からタバコの臭いがしたこともなかった。
    私に気を遣っているのかとも思ったが、主人は単に長く生きたいだけだと笑った。

    葬儀はそう大きなものではなかった。
    主人と実家の関係は良好とは言い難く、孤立する主人を唯一気にかけていた兄は既に亡くなっていたため、参列者は主人の仕事関係の人ばかりだった。
    自ずと式場の年齢層は高く、十代の、それも一人で出席した青年の存在は人目を引いた。一瞬で強烈な印象を残していくような綺麗な子だった。主人とは遠戚だと名乗ったがおそらく私とは面識がなかった。
    主人が孫ほど年の離れた親族と交流を持っていたことに驚いたが、家の外でのことは与り知らない部分も多かったためそのようなこともあるのだなと納得した。
    学生には重すぎる香典を渡され、こんなに貰えない、顔を見せてくれるだけで十分だからと断ったが、恩人なのでそういうわけにはいかないの一点張りで、最終的には押し切られる形で受け取ってしまった。
    明らかに場から浮いている青年をちらちらと見る視線は少なくなかったが、彼は全く意に介していない様子で主人が眠る棺を延々と見つめていた。
    たった一度、弔辞の時に彼は主人から目線を外した。
    弔辞を読んでいたのは主人の元上司だった。主人とは一つ違いで、自宅に訪れることもあったため私もよく知る人だった。
    嗚咽混じりの弔辞を、水平線から覗く山か太陽を見るような遠い目で眺めていた。
    納棺の時、主人の元まで真っ直ぐに歩み寄った彼は、何の躊躇もなくその唇にキスをした。
    全員が呆気にとられる中、彼だけが淀みなく動きそのまま式場を去っていった。
    足が動いた時には青年の姿はどこにもなく、彼の香典が重々しく佇むばかりだった。
    煙に巻かれたというには、主人にさされた紅が青年の唇で艶めく様子はあまりに生々しかった。

    主人の骨は自宅から十五分ほど歩いた先にある霊園に納められた。
    主人の実家は先祖の名が連なる大きなお墓を持っていたが、そこに入るつもりはないようだった。故郷に執着がない主人は私にお墓選びを一任していた。
    管理が苦にならないよう歩いて行ける場所という理由は、本当だったが全てではなかった。
    その霊園は区画の隙間を埋めるように緑が生い茂っていた。暖かくなると野鳥が歓談をしに集まる様は墓所にもかかわらず快活な気持ちにさせられる。たくさんの部下に囲まれ、大所帯で過ごした時間が長かった主人によく合っていると思った。
    綺麗好きの主人のため定期的に掃除に訪れては、お墓に上がる階段に腰を下ろし植物が映す季節の色を眺めていた。
    その間隔が徐々に開いていったのは、十月も下旬に入ろうとする日のことだった。
    寒さで軋んだ肺がすっかり満足に動く頃には、風が新しい季節を連れてきていた。
    快気祝いに貰った花束が飾っておくにはもったいないほど綺麗で、直接見てもらおうと主人の元を訪れた。
    主人はいなかった。
    納骨室の蓋が開いていて、中はただ空洞が顔を覗かせるだけだった。
    私が最後に訪れてから四ヶ月が経とうとしているのに、納めるものがなくなったお墓は虚しいほど綺麗だった。
    墓石にはタバコが一箱置かれていた。
    パッケージに印刷された赤を見て、私はあの美しい青年の唇を思い出していた。
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