工藤新一および江戸川コナンの休暇🎍
「青子のやつこきつかいやがって……」
大晦日の夜道を歩く。丸一日かけて幼馴染の家のエアコン、レンジフード、換気扇、2階の窓をぴかぴかにし、黒羽快斗はようやく帰路についたところだ。中森警部が買ってきたちょっといい肉のすき焼きをご馳走になってきたが、寒さに負けてふらりとコンビニに立ち寄りピザまんを買う。肉まんとあんまんと迷ったけれど、なんとなくピザまんの気分だった。
さみぃさみぃと言いながら家に入ろうとして、動画の停止ボタンが押されたようにぴたりと動作を止めた。家の中に人の気配がする。家の中の人物は玄関から鍵を開けて入ったらしい。他に侵入の痕跡はない。今日は母は帰らないと言っていたが、気まぐれな人なので予定を変えたのかもしれない。
少し警戒しつつも、何事もなかったように動き出し、家に入る。再生再生。家の中は暖かくてほっとする。何者だかしらないが家を温めてくれたことには感謝したい。
玄関にドアは内側からも鍵を使わないと開けられないようにされていた。やっぱり母だろうか。どういうつもりなのだか。
「よぉ」
はたしてリビングのソファからこちらに片手を上げたのは工藤新一だった。つい先日本来の姿を取り戻したばかりであるはずの好敵手が足を組んで座り、コーヒーを啜りながらくつろいでいる。
「よぉじゃね〜んだよなああーーーーーと、ううーーーーーん、なに?」
「なんかすげー美人のおばさんに誘拐された」
「っ千影さん……!」
***
十二月三十一日。工藤新一は対組織の作戦の中心にありながら、江戸川コナンを終わらせる準備と高校に戻る準備で忙しくしていた。体と頭が忙しい状況はわりと好きなので特に問題なかったのだが、恋人からも相棒からも同志からも親からも心配され、久々に気分転換でひとり散歩に出たところでその女性と出会った。曲がり角でバッタリと向かい合った見知らぬ女性は、工藤の顔を見て親しげに笑い、昔からの知り合いかのように話しかけてきた。
「あらあらあらあら、なんだかあなた疲れてる? 人気者も大変ねえ。いつもうちの子と遊んでくれているお礼に、あなたの優秀な仲間たちをもってしても決して辿り着けない隠れ家と、あなたに対して工藤新一も江戸川コナンも求めない暇つぶしの相手をプレゼントしてあげるわ」
そして気がついたらここにいた。普通の民家に見えるが、窓の外は見えないし、入れないところや開けられないところが多すぎて全く普通ではない。
スマートフォンをはじめ身につけていた通信機器はなくなっている。
「オレが帰りたくなったらオメーがオレんちまで運んでくれるシステムらしーぞ」
「なんで勝手にシステムに組み込まれてんだ」
家の中を一通り探索して、そこかしこの仕掛けに挑んで勝ったり負けたりして、喉が渇いたので勝手にキッチンを漁ってコーヒーを淹れて飲んでいたというわけである。他の事情にとらわれず純粋に謎に対面して知的好奇心のままに動くのは久々で、頭は冴えているのにリラックスできているような不思議な感覚だった。
「それで? もう帰りたいですってか?」
「いや、もう少し居てやってもいいかな」
「なんでだよ」
「ところでキッド」
「なんだよ名探偵」
「そういうことか」
「どういうことだ」
怪盗キッドであろう工藤と同年代の少年がもこもこのダウンジャケットを脱ぎながら首をかしげる。
怪盗キッドにとって工藤は工藤新一でも江戸川コナンでもなくただの名探偵で、彼のいうところの名探偵である自分にとって彼はただの怪盗だ。そこにはしがらみや因縁はなく、あるとすれば、交わるはずのなかった線が運命の悪戯で交わったような、そういう一点の関わりである。ここでどのように振る舞っても、お互いの人生や宿命や使命に影響を与えない。
楽だ。
工藤が元の姿に戻ってから、「工藤新一」としての役割も「江戸川コナン」としての役割も、強く求められ続ける日々を送っている。工藤はそれが嫌ではないし、むしろ嬉しいし、そういう自分が好きだ。けれど好きだからといって疲れないわけではないらしい。
「まあ、いいや」
キッドはさっと背を向けてリビングを出た。見えなくなった後ろ姿に声をかける。
「どこいくんだ?」
「風呂、外さみくて冷えた」
「オレもシャワー浴びてえ」
「オレの後にな」
スウェットを着たキッドがリビングに戻ったの入れ替わりで工藤は風呂をかりた。風呂は蘭の家より広く工藤邸より狭いフツーの風呂だった。風呂の前にはスウェットが置かれていたので遠慮なく着る。リビングに戻ると、キッドはリビングの隣の部屋の炬燵でくつろいでいた。工藤がそこに空間があることは気がついたものの入れなかった場所だ。どうやって扉があらわれたんだ? 面白い。
工藤は炬燵部屋の扉が隠れていた仕組みを解き明かし、推理を朗々と披露して炬燵の中のキッドからおざなりな拍手を頂戴し、湯冷めしてきたので炬燵に潜り込んだ。
「うわっ冷たい空気入ってきた」
「みかん食っていい」
「いいけどオメーメシは?」
「食ってきた」
鼻歌を歌いながらみかんの皮で見事な龍を作り上げているキッドの足をこたつの中で蹴る。
「暇だ」
「かまってちゃんかよ。どうせオメーのことだから書斎はもう見つけてんだろ? 本でも読んでろよ」
「オメー、一度入った炬燵から出られるとでも思ってんのか」
「それは無理だな」
キッドの手のひらにポンッとトランプがあらわれた。
スピード
「流石にトランプの扱いでは負けられねーよ」
「やめだやめ別のゲームやろうぜ」
戦争
「キッドオメーもしかしてめちゃくちゃ運わるい?」
神経衰弱
「作業じゃん」
「作業だな。そんでやっぱオメー運わりーな」
「名探偵が脅威の強運なんだよ!」
「トランプで遊ぶのって難しいな」
「手足の一部くらいに思ってたけど、思い上がりだったかもしれねえ……」
仕方がないのでトランプはやめにしてだらだらと年末の特番を見ていると、寝息が聞こえてきた。怪盗キッドが炬燵で寝た。クールでミステリアスなイメージがガッタガタである。げしげしと足を蹴って起こす。
「んあ?」
「肉食いたい」
まるまって寝ていたキッドが目をこすり、伸びをする。猫みたいなやつだ。
「メシ食ってきたんじゃねーの」
「ゴローさんがステーキ食ってるの見たら食いたくなった」
「しゃあねえなあ。ウーバーすっか」
「作んねーの」
「作るわけないだろ。めんどくせえ……ステーキはやってるとこねえな。ハンバーグか豚カツか唐揚げ」
「豚カツ」
「おっけ。オレも食いたくなってきた」
スウェットで炬燵に入りテレビを眺めながら豚カツを食べつつ、探偵と怪盗は除夜の鐘の音を聞いた。
***
一月一日。昨日の焼き増しかのように探偵と怪盗は炬燵でだらけていた。日本警察の救世主とも言われる名探偵と大胆不敵な大怪盗がこの堕落っぷり。炬燵おそるべしである。
「この家、元旦でも来客とかねえのな」
「名探偵んちはご両親いるときは挨拶にくる人とか多そうだよな。うちは今オメーがいるから外からは留守に見えるようにしてる。あーあ、例年通りなら幼なじみんちのおじさんからお年玉もらえたのによぉ」
なにやらぶつぶつと文句を言っている。
「怪盗キッドがお年玉もらってんのかよ。なんかだせえな」
「人のご厚意はありがたく受け取るもんだろ」
「なんか小腹が減った」
「アイス食べたい」
もちろん二人は炬燵と一体化している。
キッドが握り拳を出した。もちろん拳で勝負だのポーズではなくじゃんけんで勝負だのポーズである。
「どうせオメーのじゃんけんは運じゃなくて動体視力と反射神経だろ。こっちの分が悪いから目を閉じてやれよ」
じゃんけんぽん。
「よっしゃ。そっちは今年も運が悪いみたいだな」
「うるせえ」
のそのそと炬燵を這いでたキッドはピャッと台所へ消えてピャッと戻ってきた。やっぱり猫だな。手にはパピコと雪見だいふく。
「雪見だいふく」
「聞く前に答えるなよ」
特に分け合うこともなく当たり前のように工藤は雪見だいふくを二個とも食べたしキッドはパピコを二本とも食べた。
***
ふと気がつくと、工藤新一は自宅の自室のベッドで寝ていた。端末に表示されている日付は一月二日。あの炬燵は夢ではないらしい。
着信で溢れているかと思ったが、各所に角も波風も立たない説得力のある適切なフォローが入れられており、どこにも言い訳をしなくてすみそうだった。
工藤の持っているものは重荷ではない。全て自分で選んで進んできた。捨てたいものも忘れたいものもない。ただ少し、ほんの少し疲れていた。この年末年始をあらゆるしがらみから完全に切り離された場所で過ごし、その疲れもさっぱり解消された。そしてこれ以上あの炬燵の中にいたいとも思わなかった。たくさんのしがらみはどれも大切で、誇りで、その中にあってこそ工藤新一なのだ。
あのお人好しはライバルが弱っていたことなどなかったことにしてくれるはずだ。つまりここにいるのはただの日本警察の救世主の名探偵工藤新一であり江戸川コナンである。
にっと笑った顔に翳りは一片もない。