僕のものでしょ?彼からの連絡はいつも突然だ。
揺れるスマホを覗けば、表示される名前は五条悟。
[ 今から会えない? ]
ーーいつもの帰り道。
特に断る理由もなくて、指定された待ち合わせの場所に歩いて向かう。
自分から誘っておいて、待ち合わせにはいつも遅刻してくる。
彼を待ちながら、唯は連絡の入らないスマホを確認して溜息を吐く。人混みから少しだけ離れて、壁にもたれ掛かり辺りを見回した。それらしい人はやはりいない。
たくさんの人が行き交う駅の出入り口。人が多いのはたぶん、金曜日の夜だからだろうか。
「お姉さんっ」
声を掛けられて振り返れば、明らかに酔っ払った風の男性が3人。笑顔でこちらに手を振っていた。
「お姉さん、ひとり?待ち合わせ?」
唯は何も言わずに視線を逸らす。
「さっきから見てるけど、全然相手来ないじゃん。そんなヤツ放っといて一緒に飲まない?」
言って逸らした視線に顔を覗き込まれる。
不機嫌を隠す事もなく、怪訝な顔でスマホを確認するが、相変わらず待ち人からの連絡はない。
眉根を寄せて唯は踵を返すが、回り込んだ一人が行手を遮るように立ち塞がる。気が付けば囲まれて、嫌な笑顔で唯を見る。酒の匂いが濃く香る。
「こんな可愛いコ待たせるなんて、そいつどうかと思うよ?近くにいい店知ってるからさ。ね?」
逃げ場なく困り果てて周りを見れば。
どう思われているのか、変わらず道を行き交う人たち。人混みから少し離れて、人気のない場所を選んだのは自分だけど。
唯の身体よりも遥かに大きな男性に囲まれれば。どうして良いのか分からずに恐怖で小さく身体が震えた。
「…どいて、下さい」
勇気を出して、正面にいる相手を真っ直ぐに見て告げる。
「迷惑です」
声が震えているのが自分でも分かる。
本当は、気を抜いたら涙が出てしまいそうで。奥歯を噛んだ。
「ええー?迷惑?折角寂しそうにしてたから誘ってあげたのに」
言って笑い、男が唯の腕を乱雑に掴む。
「……っ!…離して下さい」
「えぇー?ちょっとだけ。あ!じゃあさ、待ち合わせの相手が来るまでっ」
掴まれた腕が痛む。
振り払いたくて力を入れるが、微動だにしない。恐怖に身体が強張るけれど。
「だから、迷惑……っ
「もう来てるけど?」
腕を掴む男の背後には、いつの間にか長身の男性がいた。
唯のよく見知った男性。白み掛かった髪に、整った端正な顔。陽も沈んだと言うのにサングラスを掛けて、口の端は笑顔で結ばれている。
「……さと、る…?」
揺れる瞳で見上げればサングラス越しの綺麗な瞳と目が合って。おまたせ〜っと軽く手を上げて唯に笑んで見せる。
唯の腕を掴んでいた男の手に、悟の大きな手が重なりその手首を握った。
「汚い手、離してくれる?」
口元は笑顔で物腰も柔らかだが、サングラスの奥の瞳は笑っていない。
「汚れちゃうでしょ」
悟はぐぐっと、音が聞こえそうなくらいの力で男の手を握る。
「………痛っ!」
瞬間、唯の腕から男の手が離れて行った。悟は男の手を尚も握る。
「僕一応教師だから、あんまり問題事は起こしたくないんだよね〜」
かと思えば放るようにその手を投げた。笑顔のない悟の顔は、微かに狂気が見え隠れする。
「……二度と近付かないで?」
言われた男達はバツが悪そうに顔を見合わせた。
悟は唯に手を差し出す。唯がその手を掴むと、握り返されたその大きな手は唯の小さな手を包み込み、ゆっくりと引き寄せる。震える唯の身体に腕を回して、悟は男達を一瞥した。その顔は影になっていて見えない。
唯はなすがままその胸に頭を預けると、大きな手がそっと頭をひと撫でした。
「怖かった?遅くなってごめんね」
唯は小さく頷いた。大きな温かい彼の手がまた唯の頭を優しく撫でると、唯の中に安心感が広がっていく。
さて、と悟は唯の身体を解放して。
「じゃ、行こうか。レストラン予約してあるから」
何事もなかったかのように歩き出す。そのまま唯の手を引っ張って促す。握られたままだった手は、大きな掌が唯の掌に触れて重なると、細くて長い悟の指が唯の指に絡めとる。
「…悟さん…、いつも遅刻してくる…」
「伊知地に急ぐように言ったんだけどね〜」
ごめんね、とまた軽く謝るけれど。あまり心はないように聞こえる。たぶんまた、この人は次もちょっと遅刻するんだろう。
ぼんやり考えながらしばらく歩くと、不意にその足が止まった。
「悟さん?」
唯もそれに合わせて立ち止まる。
駅から離れて、人通りも落ち着いたブランドショップが並ぶ静かな通りだった。もう少し進むとレストラン街がある。
キラキラと光るショーウィンドウに、イルミネーションが綺麗に輝く。
悟は唯の手を握ったまま振り返った。
「ねぇ、このまま指輪買いに行こっか?」
絡んだ指を持ち上げる。
「指輪?またいきなり何で…?」
首を傾げると、空いている手でサングラスを外す。握った唯のその手を悟が持ち上げ、絡まった指を一本ずつ解いていく。
「…………?」
親指から順に、人差し指、中指とゆっくり最期の指まで解いたかと思うと、そのままぎゅっと唯の手を握る。
悟は腰を屈めて唯に目線を合わせた。アクアマリンのような綺麗な瞳が唯を映す。目を細めて微かに笑い、唯の手の甲に唇を寄せた。薬指の付け根に、そっと口を付ける。ちゅ、とリップ音が響いて耳に届くと、急に顔に熱が上り真っ赤になる。
「唯のここに付ける指輪」
呟く吐息が指に掛かる。左手の薬指。
至近距離から見つめられれば、その綺麗な顔に。唯の心臓は早鐘を打った。
「の、予約」
「…………?」
きょとんとする唯に、悟は口の端を持ち上げて悪戯に笑う。
「……ょ、…予約?」
「否、僕としては本物でもいいんだけどねっ」
目線はそのままに悟は指先を動かして、小さな唯の指をまた絡めとった。
「本物はまた今度。全部終わったら、ちゃんと用意してあげるつもりだけど」
ぎゅっと唯の手を握り、元々近くある顔を更に近付けた。耳元に顔を寄せて、擦れた低い声が小さく呟く。
「だってもう、僕のものでしょ?」
唯の頬を啄むように口を付けて。
「悪い虫が付かないように」
真っ赤になって動けなくなる唯に、ふっと笑ってから屈めた腰を持ち上げる。サングラスを掛け直して、唯の手を強引に引っ張るようにまた、歩き出した。
拒否権は勿論、ない。
向かう先はたぶん、
レストランじゃなくてーー…
End***