会長はキスがお好き会長はキスが好きだ。軽いバードキスも、ほっぺたにちょっと触れるだけのじゃれあい程度のキスも、ちょっと踏み込んだキスも。不意打ちでキスをしたときだって、口ではやめろと言いながらもちょっぴり赤くなった会長の耳は素直だった。拒絶の言葉も、本気ではなく軽口だった――はずだった。
「……すまない、今は、ちょっと……」
まさか、本気でキスを拒絶される日が来るなんて。
▽▽▽▽▽▽
「はあ〜……なんでなんだろ……」
「どうかしたの? ジンペイくん」
「またラントくんと喧嘩でもしたの?」
キスを初めて本気で拒絶された日のことは、ショックのあまり呆然としていた俺に「早く帰れ」と会長の部屋を追い出されたあたりから記憶にない。それからも軽いキスくらいなら許してくれたが、少しでも長くなるとそそくさと離れてしまい、これまでとは一転、恋人同士のふれあいがあまりできていなかった。特に思い当たる理由もないせいで、最近は四六時中頭の中がそのことでいっぱいだ。YSPクラブの活動中――といってもただお喋りしているだけだが――に無意識にため息をついていたのだろう、マタロウとコマくんの視線がこちらに向く。
「またってなんだよ!」
「だってジンペイくん、ほんの一週間前もそんなこと言ってたでしょ」
「違うんだって! 今回のはそれとは全然ラベルが違うんだぞ!」
マタロウの言葉にムッとして言い返すと、それを言うならレベルでしょ、とさらに呆れた顔でたしなめられる。
「じゃあ何があったの?」
「……実は……」
先日起こったことをありのままに話すと、呆れた目を向けていた二人も事態の異常性に気付いたのか神妙な面持ちになる。
この二人に加え、フブキやメラにもジンペイとラントの関係は知られている。と言うのも、自身の抱く感情に気付いた際、どんな顔をすればいいのかわからず互いにギクシャクしていた時期に、早々に指摘されたからだ。あんなバレバレで気付かないはずないわよ、とフブキに呆れられ、他三人にもうんうんとうなずかれたときの気まずさは今でも鮮明に思い出せる。思い出したくはないけど。
結果として、どう見ても両想いだから、と背中を押されたジンペイから告白したことで、以前と関係性は少し変わったもののこれまでどおりの会話ができるようになったのだった。テンションの上がったジンペイが「ヤバいくらいにステキなキューピット……」とラップを披露した途端、歓びに満ちていた彼らの目に呆れの色が浮かんだけど。
ちなみに、ラントがあまり望まないから人目が多いところでキスを迫ったりなんかはせず、おふざけの延長で抱きついたりするに留めていたが、今ではそれも嫌がられている。
「確かに、前ほどベッタリじゃなくなったね……」
「ジンペイくん、なにか思い当たることはないの?」
「それがさあ、全く何もないんだよ! 急にこんなことされるほど変わったところなんて俺にはないし」
「うーん、じゃあ何が原因なんだろう……」
思い当たることがあるならむしろ教えてくれ! と言わんばかりの語気の強いジンペイの返答を聞き、一同がうんうん悩み始める。ただでさえ言葉が少なく表情にも出づらいラントの、こんなにも突拍子のない行動の理由を推察するのは至難の業だ。側から見るとまったく変わっていないらしいラントの表情の変化に気付けるようになったジンペイにも、さすがに理由まではわからなかった。
「ジンペイくん本人にわからないなら、僕達にできることはないよねえ……」
「そんなあ〜……」
「みんなー! 遅くなってごめんね!」
スパーン! と軽快な音をたてて扉を開けた青い髪の少女が、YSPクラブの部室に入ってくる。なんとも重い空気に気がついたのか、首を傾げている。
「フブキさん……」
「何かあったの? またジンペイくんたちの喧嘩?」
「だから喧嘩じゃないって!」
「実はね、ラントくんが……」
先程までの経緯をフブキに説明すると、真剣そのものといった表情でしばらく考え込んだのち、カッと目を見開いてジンペイを見る。
「ジンペイくん……」
「な、なんだよフブキ」
「もしかしたら、倦怠期ってやつかもしれないわね」
「ケンタッキー!? 会長は可愛いけどチキンじゃないぞ!」
「倦怠期、だよ、ジンペイくん。付き合ってるカップルが、なんとなくその関係性に悪い意味で慣れちゃうことだよ」
そうなると別れるカップルの方が多いらしいよね、と続いた言葉に、ジンペイの目の色が変わる。会長が自分に飽きてしまう可能性を、全く考えてこなかったわけではない。所詮中学生同士の恋愛にとどまり、いつかは道を分かつときもくるかもしれない、という覚悟くらいはジンペイにもある。だけど、そうなるにはあまりにも突然で、短くて、呆気ない。例えラントが自分に飽きていたとしても、ジンペイは彼に対してそのような感情は抱いていないし、何より諦められない。まだまだ一緒にいたいし、一緒にやりたいこともある。彼の誕生日の直前に名前がついたばかりの関係が、こんなにもすぐに終わりを迎えるとは信じたくなかった。
「ど、どうしよう俺……」
「ジンペイくん……」
「俺、まだ会長に振られたくない〜〜〜!!」
いやいやとみっともなくかぶりを振る俺に、初恋が実らなかった現場を目の当たりにしていたコマくんは憐れみの目を向ける。まだチューまでしか進んでないのに〜! と言えば、さすがにそれは知りたくなかったけど……と苦笑されてしまったが。
そんな俺の様子をフブキも哀れに思ったらしく、再び考え込む。
「ジンペイくん。じゃあ、ラントくんになにか変わった様子はなかった?」
「会長に?」
「そうよ! ラントくん自身の変化が、もしかしたら解決の鍵になるかも。今までなかったものが部屋にあったとか、なんでもいいわ」
「今までなかったもの……」
フブキの問いに答えるべく、必死に最近のラントの様子を思い浮かべる。キスを拒否され、買い物してから帰るから待ってなくていいと言われ――ハッ! と顔を上げるジンペイに、なにかあったの!? と、マタロウが期待に満ちた目を向ける。
「新しいボディソープ、ポケットティッシュ、洗濯用洗剤がヨロズマートの袋に入ってた! 多分最近買ったやつだぜ!」
「えっと……ただの生活用品だね……」
「これじゃあ、手がかりとは呼べないわね……」
「ただ買い足しただけって感じだよね」
口々に返される微妙な反応に、そんなぁ……と項垂れる。このまま終わるしかないのかも、と深く息をつくと、こうなったら……とコマくんが口を開く。
「ジンペイくん、もう覚悟を決めるしかないよ」
「覚悟?」
「うん。直接、ラントくんに理由を聞こう!」
「えー……。俺、何度聞いてもはぐらかされて教えてくれないって言ったじゃんか」
どうにも乗り気でないジンペイに、コマくんはガシッとジンペイの手を握る。
「多分、僕たちだけでずっと考えてても解決しないよ! ほんとうに別れることになってから後悔しても、もう遅いんだよ」
「コマくん……」
「そうね、こうなったら当たって砕けろ! って気持ちで乗り込むしかないわね」
「砕けちゃダメじゃない!?」
「そっか……そうだよな! うじうじ悩んでるなんて俺らしくないし、どうせなら当たって砕けろ! ってほうが後悔しない気がする!」
砕けちゃっていいの!? というマタロウのツッコミを尻目に、「俺、今から会長のとこ行ってくる!」といい残して部室を出た。背後から聞こえる応援の声を胸に廊下を走り抜け、モモに飛び乗る。廊下を走るななんて都合の悪い言葉は聞こえない。向かうは生徒会本部、会長のいる場所だ。
▽▽▽▽▽▽
「モモー!」
「っし、着いたな! サンキュー、デブネズミ!」
「モモンガですねぃ!」
半ばデブネズミ呼ばわりされることを諦めたのか、最近のモモはそれだけ言ってドロンと消えるようになったと言うことは置いておいて。部室を飛び出した勢いのまま会長がいるところまで走り抜ける。
「たのもー!」
「寺刃か」
道場破りのように乗り込めば、書類から顔を上げた会長がこちらに目をやる。聞かなきゃ、聞かなきゃ、でも今振られちゃったらどうしよう、と頭の中にグルグルと不安や焦燥が駆け巡る。
「お前、あれほど何度もドアはちゃんと手で開けろと――」
「会長」
思っていたよりも硬い声が出た。そんな声で会長を呼ぶことなんてなかったから、いつものように小言を並べようとした会長の口はぱくりと開いたままで。その整った口元に触れることが許されない現状が重くのしかかる。
どうせダメなら確かめた方が後悔しない、と思ったのは本当で、実際考えるよりも先に会長のいる場所に文字通り飛んできたはずなのに、これで終わりかもしれないと思うと、バクバクと心臓が鳴り響いて平静を保つので精一杯だ。こちらを見つめる会長の瞳の中の俺は、口を引き結んでいてなんとも怖い顔をしている。突然の俺の行動に瞳がゆらゆらと不安げに揺れていて、そんな顔をさせたくなかったのに、そんな顔をさせるようなことを俺にしていたのも会長で……と、さらに頭の中に言葉がぐるぐると渦巻いてパンクしそうだ。
「……どうしたんだ、寺刃」
「どうしたもこうしたも……ぜんぶ会長のせいだよ」
「……どういうことだ……?、ッ」
座っているラントは必然的に上目遣いになっていて、珍しくてこれもまた可愛いな、なんてまったく違うことを考えながら、俺の一挙一動すべてに集中しているらしい会長の唇を奪う。虚をつかれてされるがままの彼と、キスをした。
唇が切れると厄介だからとリップクリームを塗っていたはずの会長の唇はかさついていて、それでも久しぶりの彼の体温が愛おしかった。
触れ合うだけのキスを堪能していると、不意に「っ、ふ」という彼の声らしきものが聞こえた刹那、ぐいっと顔を押し返される。
「んぎゅ!?」
「――へっくしゅ!」
「……は?」
ぽかんと立ちほうけている俺に構わず、彼は書類の横に置いてあった、うるおいがあるタイプ! と謳っているティッシュ箱に手を伸ばし、ずびずびと鼻をかむ。
ポケットティッシュ、洗濯用洗剤、長いキスをいやがる――もしかして……。
「会長、花粉症だったのか!?」
「……………………ああ」
三点リーダ何個分かの沈黙を経て、不本意そうに目を逸らしながら是を伝える。なるほど、花粉症であるなら鼻で息ができないから、長いキスができなかったのだろう。でも、それならそうと言ってくれればよかったのに……と思っているのが顔に出ていたのか、はあとため息をひとつついた彼は口を開いた。
「……だって、お前は私が花粉症だと知っても、いつも通りベタベタしてくるだろう」
「え!? それの何がダメなんだよ!? 何も教えて貰えずに避けられるの、結構辛かったんだからな! 俺、会長に飽きられたかと思って……それで……」
ぐず、と花粉症でもないのに涙が滲んできて鼻をすすると、会長にティッシュを差し出された。いや、俺は花粉症じゃないんだけど……みたいな気持ちが少し湧いたが、ありがたく一枚頂戴して鼻をかむ。
「……そうか、勝手にお前のことを決めつけて悪かったな。最初から花粉症だと言えば、お前がそんなふうに思い詰めることもなかっただろうに」
「ほんとにそうだよ! あ〜、安心したら力抜けてきた! 会長、抱きしめさせて!」
「……ぁ、ひッ!?」
返事を待つより先に抱きつくと、彼はびくりと身体を跳ねさせ、可愛い声をあげた。普段はない反応にまたもやきょとんとしていると、ラントは変な声を上げた恥ずかしさからか腕の中でぷるぷると震えている。
「……だ、だから嫌だったんだ」
「は? え?」
「ああもう、 ……花粉の季節は肌が敏感になって! 時折痛かったりもするが! お前に抱きつかれる度変な声をあげそうになるのが恥ずかしいから嫌だったんだ!」
え、え〜〜〜〜〜〜〜!? という俺の声に、耳まで赤くした彼はそっぽを向く。確かに変な声を上げるところなんて人前では見せたくないものだし、甘え下手でプライドが高い彼なら尚更俺にそんな姿は見せたくなかっただろう。
「じゃあ、ボディーソープ新しく買ってたのって……」
「……いつものだと肌が痛くて……」
「は、はえー……」
「なんだその間抜けな声は」
というより、そんなところまで見ていたのか……と若干引き気味の反応に、当たり前じゃん!と返せば、複雑そうな面持ちになった。
「ま、まあ、会長が俺に飽きたわけじゃなくてよかったー!」
「……当たり前じゃないか」
少し拗ねたような目でこちらをじと、と見つめる彼がやはり愛おしくて、そんな気持ちを伝えたくてぎゅうぎゅうとさらに抱きしめていると再び体を押し返される。会長ってば照れ屋だな〜! なんて思って離さないでいたら「へっくしゅ!」と2度目のくしゃみが聞こえる。
「ひぎゃ!?!? 会長の唾とんだ!!」
「……離してくれなかったのはお前だろう。これに懲りたらしばらくは抱きついてくるな!」
「はぁ〜!? 絶対ヤダ!」
再び鼻をかみ終え、使用済みティッシュをゴミ箱に投げ込んだタイミングで、また彼の口に軽く口付けをする。
「おい、私がいつくしゃみするのかわからないだろうが」
「でも、そんなこと気にしてたらイチャイチャできないじゃん!」
「それはそうだが……」
「それに、会長ってばキスするの好きだろ?」
う、とまた言葉につまる会長に気を良くして、今度はほっぺたにキスをした。ニヤニヤと見下ろす俺の視線に耐えられなくなったのか、ぐいっと俺の胸元を引きよせ彼から口付けされる。
「……キス、嫌なんじゃなかったの?」
「『そんなことを気にしてたらイチャイチャできない』……だろう?」
得意げに口角を上げる会長はすっかりいつも通りで。それがちょっぴり悔しくて、またキスをした。