「アルフィオ、もう一度聞く。お前はどうしたい?」
緋色の死神が"アルフィオと呼ばれた男"に問う。
地面に這いつくばり、胸を押さえ荒い呼吸を繰り返す"アルフィオと呼ばれた男"に、緋眼の選定者は近寄り静かに問いかける。
しかし、緋色の死神の瞳が"アルフィオと呼ばれた男"を見つめるように、神の眼を担う鳥もまた死神と"アルフィオと呼ばれた男"を天高きところから見つめていた。
「俺の、望みは……」
その事に緋色の死神も"アルフィオと呼ばれた男"も気付くはずもなく、緋色の死神からの問いに"アルフィオと呼ばれた男"は荒い息を交えて答える。
1.
― リィサが……妹が、幸せになればそれで良かったんだ。
暗闇の中からしんしんと、悲痛な声だった。その声にアルフィオは目を覚ます。
上下左右、自身がどこに居るのかわからない。本当は存在していないのではないか?このまま闇に溶けてしまうのではないか?
そんな感覚に陥るようなこの暗闇の中ですぐに「これはもう一人の自分、"彼"の夢だ」と気付く。
すると、一筋の光が目の前を横切った。瞬時にアルフィオは手庇をし目を細め、光から現れた景色に驚く。
そこは幼い頃に住んでいた村の近く、大人達から絶対に行くなと言われていた場所―― 西の丘だった。
辺り一面に真っ白なスズランが咲き空から差す日の光も相まって、まるで天国のような場所だった。
しかし、天国と思わせるような景色の下に咲いているスズランが持つ毒性はヘタをすれば死に至るもので、駆除をしようにも入り込むことができず、村人達は口をそろえて出入りを禁止していた。
アルフィオは周囲を見渡し、懐かしい思いと同時に込み上げてくる罪悪感があった。
スズラン畑の中央に小さい2つの影を見つける。目を凝らしてよく見れば、その影は幼い頃の自分と妹だった。
徐々に毒が回ってきたのであろう幼い自分は重くなった足を引きずり、毒によって侵されほぼ何も見えていない妹の肩を抱いて必死にそこから逃げようとしていた。だが、それも叶わずあと一歩と言う所で倒れ込み気を失った。
夢だと解っていてもアルフィオはその影に手を伸ばす。しかし、そこへ風が吹きスズランの花びらが舞い倒れた2つの影は暗闇の中へと消えていった。
その後、どうなったのかをアルフィオの意志に反して風に舞う花びらが如く次々と流れ込んでくる。
診療所で目を覚ました事、スズランの毒は自分の足に妹の目にと神経に回り機能せず治る見込みがない事を告げられた。
時が流れ、住居の窓際から見えた行商が「良かったら本はいらないか?」と手渡され、読めばその本は錬金術に関する内容だったこと。
そこに記されていた「毒を魔物の血によって相殺させる方法」のひとつ、毒素の均衡を知った事。
自身で小さい魔物を狩り、実験で精製した血清を自身に投与したところ歩けるようになった事。
この薬があれば妹リィサの目も治ると確信し、一種類だけではなく大量の魔物を狩る為、各地に赴く退魔師を生業と始めたこと。
家を出る時、リィサが寂しそうにしていた事。
やっとの思いで完成させた血清をリィサに投与し、自身の人間としての終わりが近い事を悟り家を出た事。
そして―
「リィサ……お前、目が見えているのか……?良かった、薬が効いて……!」
アルフィオの記憶は自分には無い"彼の記憶"が眼前に広がる。
月明かりの下、村中で"彼"を探す声が聞こえる中、対面している妹はただ静かに佇んでいた。
応えない妹に"彼"は怪訝な顔をする。「お兄ちゃん」と静寂を切ったのはリィサだった。
「人を殺したって本当……?」
その言葉は、どの刃より鋭く"彼"の心に突き刺さった。
「兵士さん達の話、聞いちゃったんだ……お兄ちゃんが人を殺したって、領主様を手に掛けたって。」
"彼"の中では事実だった。魔物の血を投与し続けた結果、暴走したのだ。
誰かを手に掛ける前に村を出ようとした時、倒れ込んだ"彼"を領主が偶然にも発見しそのまま館に連れ帰った所を"彼が"手に掛けてしまったのだ。
"彼"自身への才を見出し、魔物の討伐依頼をし「人間」として扱ってくれた数少ない人を手に掛けたその罪は重い。
口を開かず、ただ黙って目を背けてしまった"彼"をリィサは同じく黙って肩を震わせる。
「本当、なんだね」
「……っ」
遠くで"彼"を探す声や大勢の足音が聞こえているはずなのに、二人が対峙する空間だけは時が止まったように静かだった。
何も言わない、それでも無言を貫こうとする"彼"にリィサは視線を外さずにいた。
そして、震える声で"彼に"問う。
「私も、お兄ちゃんみたいになっちゃうの?」
その一言に「え……?」と、逸らしていた視線を戻す。
そこには流れる涙を拭う事もせず"彼"を真っすぐに捉え、絶望した眼差しを向けるリィサが居た。
「私の目を直した薬。薄々わかっていたの……お兄ちゃんがそうなった事と関係しているんだよね?」
そうなった事……魔物化した左腕を隠すように庇う"彼"にリィサは続ける。
「だから、だから私も……」
リィサの恐怖に震える声が"彼"の耳にこだまする。
血清は完璧だ、だからリィサだけは自分のようにはならない。なってなるものか、その為に自分は…!
魔物化した左腕を忌々しく見つめる。自身の失態とは言え、たったひとりの家族を妹を失ってなるものか。
怯え、震えるリィサをなんとしても説得しようと視線を戻す
「違う!お前は、お前だけは!絶対に……!」
視線を戻すと、そこにはナイフを握りしめたリィサの姿があった。
涙を流しながら首筋に刃を這わせ"彼"を見つめ、怯え震えている。
「人を……」
「よせ、やめろ!!」
"彼"の言葉も伸ばした手も虚しく、銀色の一閃がリィサの首筋に走りそして。
「殺すなんていやだ……」
無情にも銀色の一閃から赤い花が咲く。
まるで瞼を閉じるように場が暗転する。"彼"の記憶、辿ってきた道。自分の記憶ではない、別の自分の記憶。
胸が痛い、泣き叫びたい。後悔の念がアルフィオの心に否応なしに流れ込んでくる。
「これが、キミの記憶なんだね?」
いつの間にか横に並んでいた"彼"と思わしき影。"彼"の影は憔悴しきったようにひどく、やつれていた。
陽炎のようにゆらゆらと静かに揺れ動いている"彼"にアルフィオは問いかける。
返答がない代わりに"彼"と目が合い、それだけでアルフィオは肯定なのだとわかった。
"彼"の影は何も発さず、ただアルフィオの横に佇みリィサの首から咲き、散り落ちた赤い花を凝視していた。
アルフィオもそんな"彼"にどう声を掛けて良いのかわからず、同様に静かに佇む。
数分、もしかしたらまだ数秒しか経っていないのかもしれない。せめて対話ができないだろうか、とアルフィオは"彼"に向き直る。
気付かぬ間に数センチの距離まで"彼"が接近していたのだ。そして―
「」
アルフィオが避けるより速くズズッと"彼"の左手が、アルフィオの心臓部分に突き刺さる。
"彼"の左手を抜こうと両手で抑えても一向に抜ける気配はなく、それでもと抗うも無駄だった。
次第に"彼"の左手から、どす黒い何かがアルフィオの体を浸食しはじめる。それは両手から両腕、胸元から下へ。自身が"彼"に染まっていくのをアルフィオは感じた。
― クルシイ。
その想いが自分のものなのか、それとも"彼"のものなのか。思考がままならず、抑えていた両手も力なく"彼"の左腕から離れていった。
ついに喉元まで浸食され、アルフィオがもうダメだと思ったその時だった。
足元から蛍のように淡い光の粒子がアルフィオと"彼"を包む。その光の粒子が徐々に形を成し、光の鎖へと変化し
鎖は"彼"の全身に巻き付き、勢いよく締めあげた。
"彼"はその鎖に抗い引き千切ろうとするも鎖が頑丈なのか、一向に抜け出せずにいた。
そのまま鎖はアルフィオと"彼"を引き離すように動き、ズルっと心臓部分に刺さっていた"彼"の左手が容易に引き抜かれ、間一髪のところでアルフィオは浸食を免れた。
引き抜かれた直後の苦しい息遣いの最中、鎖で縛り上げられた"彼"に目を向ければ"彼"はもう抵抗せずにいた。
不思議に思ったアルフィオは"彼"に声を掛ける前に"彼"は光の鎖と共に暗闇へと消えていった。
暗闇へ消えていく最中、"彼"の顔をアルフィオは見逃さなかった。
その顔はまるで何かを諦めているような顔だった。
2.
ふわり、と瞼の裏で光を感じゆっくりとアルフィオは眠りから覚めた。
見慣れた木製の天井に白いカーテン。薬品や応急処置がいつでもできるように仕舞われている簡易棚。
見慣れた風景、ここ数日過ごしていた病室だった。
「気がつきましたか?」
聞き慣れた落ち着きのある声がアルフィオの耳に入る。
頭と視線を9時方向に動かし、ベッドの脇で木製の椅子に座る人物に目がいった。
窓から差し込む光に照らされた透き通るような金髪、皇族と言う立場でありながらも金と紺を中心としたシンプルな色合いの衣装を身に纏った青年、アネリアンがそこに居た。
「具合はいかがですか?」
柔らかい微笑みにアルフィオは見ていた悪夢のような体験から脱したのだと安堵する。
しかし、ふと自身の左腕に視線を落とせば、悪夢から脱しても現実が残っていた。
魔物化は依然、自分の体を蝕んでいる。
「どうして、ここに?」
「貴方の経過を交代で見に来たのと外套を届けてほしい、とソフィアさんから頼まれまして」
「丁度あのあたりに」とアネリアンが指さした先には修理に出していた黒い外套が壁に掛かっていた。
任務で赴いた遺跡で"彼"の一撃を受けた際に致命的な部分が破壊されたはずだったものが、何事もなかったかのように綺麗な状態に修復されていた。
「すいません。お手数をお掛けして……」
「いえ。アルトフェイル……弟がお世話になったので、せめてものお礼に。……ところでアルフィオ」
アネリアンが訝し気な顔をし、周囲を確認するかのように首を動かす。何事かとアルフィオも次いで言葉を待った。
「変ですね……此処にいるのは私と貴方だけなのに。もうひとつの魂を感じます」
アネリアンはアルトフェイルの実兄であり、優れた魔術師のひとりだ。
アルフィオ自身も遠征等で何度か同行した事で知ったが、アネリアンは視力が無い代わりに常人より感覚が鋭い。それ故に人やモノの些細な変化にもすぐ気づく人だ。
そんなアネリアンは「あぁ、だから」と小さく声を漏らす。
「レナスさんやメルティーナさんが我々のように魔術の心得がある者に、この術を教えていたのですね」
「術…?」
聞けば中庭でアルフィオが倒れた際。異世界より来たメルティーナが応急処置として施した術を、ある程度の術を心得ている者に指導したらしい。
その際、アネリアンを含む勘のいい者数名が「この術は一体、何なのか」と問うとメルティーナの圧に押され、誰も逆らえぬまま短時間で覚えたらしい。
「この術が癒しの効果だけではないと薄々感づいてはいましたが、貴方の魔物化と何か関係があるのですね」
「……」
アネリアンだけではない。レナスにクルト、アルトフェイルと自身の魔物化が再発したことにより仲間である皆を巻き込んだ事実がアルフィオの胸に重く圧し掛かる。
「アルフィオ」
アネリアンは優しく安心させるように、アルフィオの名を呼ぶ。
その声はアネリアンが落ち込むアルトフェイルに掛ける声色だった。
「もし良かったら、話していただけませんか?」
「話せる範囲で良いので」と、アネリアンはアルフィオに促し、それに対し顔を上げる事無くアルフィオはポツポツと話し始める。
レナス達と遺跡に任務で赴いた際、もう一人の自分と出会い刃を向けることになった事。
自身は深手を負い、その最中で見た夢はもう一人の自分が辿ってきた道だった事。
そして、目覚めれば魔物化が再発していた事。
「どうすればいいのかわからなくて……"彼"はレナスの言う、もう一人の僕で。"彼"が辿った道は僕とは違うもので。だけど彼も僕で。」
アルフィオは自身でも混乱しているのだと改めて理解する。
この瞬間まで「もう一人の自分」と言う存在を、まさかアルフィオ自身が体験するとは思わなかったであろう。
「どうして彼だったんだろう、どうして僕じゃなかったんだろう。僕であればって……!」
― 苦しみを背負うのは自分だけで良かった。
シーツの上で強く拳を握る。言葉にならない悔しさが腹の底から込み上げてくる。泣き叫びたい、とアルフィオの胸中は激しく渦巻いていた。
しかし、この気持ちはたして「どちらのアルフィオ」なのかアルフィオ自身にも判断がつかずにいた。
そこへ「アルフィオ」と落ち着かせる声と共に、血が滲むのではないかと握っていたアルフィオの拳にアネリアンの手が重なる。
「貴方は優しい。ですが、その優しさも過ぎれば罪です」
諭すように優しく、アネリアンはアルフィオに語る。
アルフィオも握っていた拳を少しずつほどいていった。
「もう一人の貴方が辿った道は我々の想像を超えるものかもしれません。ですが、今の言葉は彼の覚悟も存在をも否定することになる」
その言葉にアルフィオはただ黙る事しかできず、その落ち着いた様子を感じたアネリアンはそっと、重ねていた手を降ろし話を続けた。
「……私も同じでしたから」
「え……」とアルフィオはアネリアンに顔を向ける。
そこには、いつも凛とした表情を見せるアネリアンではなく、ひとりの「兄」が居た。
「アルトフェイルを逃がす為に私は自らを犠牲にした。この世でたった一人の兄弟を守りたい一心でした。弟が選定される際もレナスさんと共に私は弟の死を受け止めた。死の瞬間まで弟の憎悪も痛みも私が代わってやりたかった」
憂いのある顔のままアネリアンは尚もアルフィオに語った。
生まれも育ちも違いはあれど、お互い兄と言う立場であるが故の苦しみも悲しみも無力さも、アルフィオには充分に理解できるのだ。
その事に心が痛む中、「でも」とアネリアンはアルフィオの胸中を読むように続ける。
「それは違ったんです。弟の痛み決意も覚悟も、弟自身が選び望んだこと。それがあって今、我々は此処にいる」
アネリアンは自身の胸に手を当て「応えになったかはわかりませんが……」と苦笑いをする。
そこへ病室の扉が無遠慮に開かれた。
「おい、招集命令だ」
扉から入ってきたのはアルフィオと同じ重戦士を担うバルゴだった。橙色を基調とした甲冑に短く刈り上げられた髪。
その下には細やかな傷がありながらも、戦場を駆け抜けた勇ましい顔があった。
「バルゴ、開ける時はノックをしてくださいとあれ程……」
アネリアンの呆れた声に構う事なくバルゴはアネリアンを支え、慣れた手つきでゆっくりと立ち上がらせる。
傍に立てかけていた杖を手にし、アネリアンはゆっくりとアルフィオに向き直った。
「さてアルフィオ、私はそろそろ行きます。貴方はどうしますか」
アルフィオの鼓動と合わせるように、窓の外で風によって木々が強く揺れる。
「おい」とバルゴの急かす声に構う事なく、アネリアンはアルフィオに続けた。
「心は決まっているはずです。きっと……もうひとりの貴方も」
アネリアンは微笑みアルフィオが返す間もなく、バルゴと共に病室から出ていった。
二人が出ていった扉をアルフィオはしばらく見つめ、窓の外では変わらず風で木々が揺れる。
乱反射した光が室内を飛んでいる中でふと、アルフィオは室内で最も光が当たるところに視線がいった。
そこにあったのは、いや掛かっていたのはアルフィオの外套だった。アルフィオはベッドから降り、壁に掛かっている外套に近づく。
一見、何の変哲もない黒い外套ではあるが、その裏地には無数の小さな針が仕込まれており、胸辺りを押せば針が自身の体に刺さり
常に携帯している魔物血液精製剤が体に流れ込む仕組みになっている。
「……僕は、どうしたいか」
外套にそっと触れる。"彼"からの一撃で使い物にならない程ボロボロになっていたはず外套が、新品同様に修復されていた。
自身でこの外套を作り上げた時のことをアルフィオは思い出す。
― 妹の為に、自身の身勝手さから不幸にしてしまった妹の為に。たとえこの身がどうなろうと構わない。それが自分にできる妹への罪滅ぼしだ。どれほど傷ついても、傷つけられても恐れられても妹の為に。この世でたったひとりの家族のために。
徐々に自分の手は血に塗れ魔物化し、ヒトの形ではなくなっていった。
最後の別れ際、妹のリィサは「行かないで」と言わんばかりにアルフィオの手を握っていた事を思い出す。
リィサの本当の気持ちをアルフィオは解っていたのだ。一人残されていく妹の気持ちを。
「馬鹿だな、僕は」
別れ際のリィサの顔が脳裏に浮かぶ。自分は結局、妹の本当の望みを叶えてやれなかったのだ。
アルフィオは壁に掛かっている外套に今一度、視線を戻す。
「ねえ、もう一度。僕と一緒にきてくれる?」
乱反射した光を受けて外套が静かに揺れた気がした。
3.
「アルフィオが住んでいた村の近くに居たの?」
足早にエントランスに向かうレナスと並走しながらムニンは問いかけ、レナスは顔を向ける事無く「あぁ」と短く答えた。
いつもならば冷静な表情の彼女も、今回ばかりは険しかった。
なぜならば、渦中の"もう一人のアルフィオ"に対抗する適任者を選出するのが難しいのだ。
速さに対抗しうる者、破壊力に対抗できる者……なにより"仲間とうり二つの者"を手に掛けるのに厭わない者。
対応できる者を連れていくにしても、留守の合間を狙って灰銀の偽神の残党が攻め入ってくる可能性もあるのだ。
全て自分自身が負えればいいのだが女神とて可能な事、不可能な事はある。
自分の不甲斐なさに嫌気がさし、さらにレナスの表情が険しくなった。そこへ ―
「ダメだよ、まだ寝ていないと!」
「そうだぞアルフィオ!」
あと一歩というところで、レナスはエントランスホールの喧噪が耳に入ってくる。
「アルフィオ」と言う名前が耳に入り、レナスは嫌な気配を感じつつ喧噪の中に入っていった。
吹き抜けのエントランスホールは屋外からの穏やかな陽射しが差し、その下には人集りができており
どうやらそこが喧噪の元になっているようだった。
「でも!」
「でもじゃない!傷が完治していないのなら尚更だ!!」
喧噪の中心には聞こえたとおり、既に身支度を整えたアルフィオの姿があり自身よりも身の丈がある髭面の男、カラドックの怒鳴り声に臆さずにいた。
カラドックは今にも手をあげそうな勢いで、そんな彼を弟子である小柄な少女セナが必死に止めている。
彼らを中心に数名が取り囲んでおり、口々に「止めるべきか、否か」またはカラドックを必死に止めているセナに心配の目を向ける者もいた。
「一体何の騒ぎだ」
喧噪の中心で声を上げている者よりさらに声を張るレナス。
その声に気付いた数名が気付き首を向け、その視線は「早く止めてくれ」と言わんばかりだった。
「レナスからも言ってくれんか?」
「アルフィオ、自分も行くって言うのよ……」
レナス自身も大方そうだろう、と確信してはいた。
軽い頭痛がする中、レナスは「通してくれ」とアルフィオとカラドックの元へ歩を進める。
レナスが来た事に気付いたセナは「先生、ほら!」と、カラドックを後方へと引っ張り下がる。
「レナス……」
レナスはアルフィオの前に立ち止まり、彼を真正面から見つめる。
コートで隠れているが傷は癒えていない、左腕の魔物化はメルティーナの術のおかげで止まっている。しかしいつ、再発するかはわからない。
この状況で状態で戦えば、アルフィオの魂は確実に消滅する。
アルフィオは必要な戦力のひとりだ、ここで失うわけにもいかない。自身でもどう判断を下したものかとレナスが考えている最中、アルフィオはレナスに歩み寄る。
「お願いだレナス。僕も連れて行って」
その一言にレナスは我にかえり、いつの間にか視線を外し俯いていたようで今一度、アルフィオに視線を戻す。
アルフィオが向けた目に、レナスは覚えがあった。
― アルフィオを選定した際、「後悔はない」と言い切った目だった。
レナスは呼吸を整え、口を開く。
「……お前の魂がもう一人の自分に浸食されている。それはわかるな?」
レナスはアルフィオを見つめ、アルフィオもまたレナスを見つめ返す。
アルフィオは静かに頷き、レナスの言葉を待った。
「もう一人の自分に近づけは魔物化も、魂の浸食も早まるかもしれない。― お前はそれでもいいのか?」
凛としたレナスの声がエントランスホールに響く。そこに居る全員はまるで時が止まったかのように静まり返り、呼吸音と鼓動、耳鳴りがする。
誰もがアルフィオの返事を待っていた。
ある者は「ここに残る」と言って欲しいと願い、ある者は「本人の意思を尊重したい」と思っている。
誰もが息をのむ中でアルフィオはレナスに答える。
「……構わない、それでも行きたいんだ」
と、ただ真っすぐに。
それを静観していたアルトフェイルはアルフィオに歩み寄ろうとするも、服の裾を掴まれ歩みを止める。
誰が掴んだのかと振り返れば兄であるアネリアンの姿があり、兄は言葉を発することなく首を横に振った。
アルトフェイルが言葉を続けようとしたその時だった。その一言から数秒、人をかき分けて躍り出た人影。
その人影はアルフィオの肩を掴み、自身へと向き直らせ動けないよう両肩を掴んだ。
「お前が!俺達の知っているアルフィオが!消えるかもしれないんだぞ!?」
「クルト……」
「俺達の敵になるかもしれないんだぞ?お前を撃つことになるかもしれないんだぞ……!」
アルフィオの両肩をクルトの両手がしっかりと掴み、その手に力が入る。
指先がチリチリと痺れているような感覚と掌が熱い。クルトはアルフィオが怪我人だと考慮していても、己の気持ちを抑えきれずにいた。
「それでも良いのかよ、お前は!!」
自分の両肩を掴んでいたクルトの両手が、微かに震えていることにアルフィオは気付く。
考える事よりも力押しで解決しようとする大雑把な人。でも、いつも明るくお調子者で困っている人を見過ごせない熱い人。
そんな彼が今、こうして真正面からぶつかってきている。
だからこそアルフィオ自身も応えようと、肩を掴むクルトの手に自身の手を重ねる。
「……僕の中に今、ぶつけようのない怒りと泣き叫びたい気持ち。それに自己嫌悪。自分の感情(モノ)であるはずなのに自分じゃない、この感覚と気持ちは"彼"のものであって"僕"のものでもあるんだ」
浸食されないよう術が掛けられているはず、であるのに今この瞬間も魂が浸食していくような感覚がアルフィオにはあった。
いま、この瞬間の想いは「アルフィオ」であるはずだ。しかし「本当に自身の想いなのか」と疑ってしまう自分も居るのだ。
「僕は彼で、彼も僕なんだ」
重ねられた手にクルトも気付く、アルフィオ自身も震えている事に。
クルト自身も分かっているのだアルフィオだってひとりの人間だ。自分がどうなるのか分からない事、その恐怖は本人が一番感じているはずなのだ……しかし。
それでも、と自らの手で決着をつける道をきっと選ぶとクルトは薄々わかっていたのだ。
「だから僕は、彼を助けたいんだ」
アルフィオは自身でも理解している、これはただの自己満足でエゴだという事も。
しかし自分は、アルフィオというひとりの人間は。
レナス・ヴァルキュリアのエインフェリアであり、選定された一つの魂なのだ。
アルフィオの応えに最早、誰も異を唱える者はいなかった。そこへ ―。
「まーったく!どこの世界にも頑固な奴はいるのね!」
静まり返ったエントランスホールに女性の声が響き、声がした方へ一斉に視線が集まる。
「メルティーナ」
そこに居たのは、異世界より来たアーリィの仲間であるメルティーナだった。
彼女は腰に手を当て、呆れたと言わんばかりに盛大に溜息を吐き、もう一度息を吸う。
そのままエントランスホールの中心に集まっているレナス達の許へと大股で歩み寄る。
「何をしに来たんだよ」
先程までアネリアンと共に並んでいたアルトフェイルが、メルティーナの前に立ちはだかる。
しかし、そんな彼をものともせず「ちょっと退いて」とアルトフェイルを除け、アルフィオとクルトの前に出る。
クルトに「離れて」と目配せをし、クルトもそれに素直に従った。
メルティーナは自身の武器である杖―の先をアルフィオに向け呪文を唱える。すると、フワリと蛍のような淡い光がアルフィオの左腕に集まっていく。
「……っ!」
ズキ、と魔物化は止まっているものの左腕が微かに反応する。何事かとアルフィオは右手で触れようとするも「我慢して」とメルティーナは制止する。暫くして光は鎖となり2重、3重と上腕部まで巻き付きそのまま消えた。
「さっき掛けたものより強力よ。でも、無理はしない事ね」
アルフィオは左手を握ったり、軽く動かしたりとするも魔物化していること以外、何の変哲もない自身の腕を見る。
そして「ありがとう」とメルティーナに小さく微笑んだ。
「ほらレナス。ちゃっちゃと行かないとターゲットが逃げるわよ?」
早く行きなさい、とメルティーナは手でレナスに促す。
「すまない」とレナスは言葉短くメルティーナに返し、自身はエントランスに集まったエインフェリア達に向き直る。
メルティーナはレナスのその後ろ姿に小さく微笑むと、その輪から離れ近くに立っている柱の影に目をやる。
柱にもたれかかる様に立っていたのは、濡れ羽色の髪に金色混じりの甲冑、そして4枚羽根を有した戦乙女アーリィだった。
おおかた、レナス達の事を心配しに来たのであろう。もし、何かあれば彼女がレナス達に代わりターゲットを追っていたのかもしれない。
もし、それが事実ではないにしてもアーリィのある種の面倒見の良さを垣間見たようで、メルティーナは一層口元をほころばせた。
「ここにエイミが居なくて良かったわ。あなたもそう思うでしょ?アーリィ」
「…フンッ」
メルティーナは彼女からの応えを彼女なりの照れ隠しと受け取り、濡れ羽色の戦乙女に微笑んだ。
to be continued.