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今日は散々だった。湿気で髪がしなりヘアピンが上手く止まらない。学校に行く途中で横殴りの雨で鞄の中身まで湿ってしまっていた。授業では湿気ったプリントに消しゴムをかけた拍子に真っ二つに破ってしまい、ロッカーを開けると上のロッカーを開けた人から落下物がたまたま頭に落ちてきた。最後に追い討ちのよう駅から家までの道で、車道から離れていたにも関わらず、それ以上に大きな波で水をかけられた。普段多少不運である自負はあるものの、今日は特に「何をやっても上手くいかない日」というやつだ。
「ただいま戻りました」
スタルークは扉を開けると玄関まで特徴的な匂いが漂っている。先程まで下降しきっていた気分が上向きになった。
「カレーだ……!」
スタルークは夕食のカレーが好きだ。
別にカレー自体が凄く好きな訳ではない。(シーフードが入れば別だが)しかしカレーの日には、夕食に全員食卓に揃うという意味もあるのだ。それを示すよう玄関口には、自分のものより大きなスニーカーと、更に大きな革靴が並んでいた。
「軽くシャワー浴びてきます」
制服もそうだが何よりも靴の中までぐっしょりと濡れてたところが気持ち悪く、スタルークは真っ先に靴下を脱ぎ捨てた。スリッパを放置し、そのまま行儀は悪いものの少し湿った脚で電気も付けずに脱衣場へ急ぐ。先に濡れたものを脱いでタオルを巻いて寝巻きの体操着でも持ってこよう。
「うわ、下着まで濡らされてる」
洗濯機にインナーシャツを入れ、上着とスラックスは洗濯方法が違うから横に避ける。下着も先に脱いでから取りに行くか、寒いし、と浴室に入ろうとしたとき、電気の付いていない浴室が勝手に空いた。
「えっ」
「……あ」
水音もせず、電気も付けず。兄弟揃って、誰もいないと思っていたのだ。
「……一緒に入るか?」
「えっあっ…はい」
「遅くなりまして申し訳ございません」
部屋着に着替えたディアマンドとスタルークはダイニングに揃って入った。頭はドライヤーをかけたものの湿ったままだ。ソファで経済新聞を読む父が顔をあげた。
「大丈夫だ、風邪を引く方が良くない」
スタルークはちらりと時計を見ると、帰ってから1時間近く経っていた。父は冷えたからだを温めていたと思っているだろうが、実際風呂での出来事は何も言うまい。お互い一緒に風呂に入る時点で何となく雰囲気は察していたが、強いて言うならばスタルークがくしゃみをしたことと、これ以上「進んだら」父をあまりに待たせて、さすがに疑われてしまうとあがってきたのだ。スタルークは先程までの痕を隠すよう、寝巻きにしている兄の使っていた学校のジャージのジッパーを首元まで上げた。
「母上は」
「夜勤だそうだ」
「そうですか……」
スタルークはせっかく全員揃うのにと少し落ち込む。食卓には「カレーを食べたら冷蔵庫にいれてください」と書置きがあった。
「そういえばスタルークはカレーが好きだったか」
「はい」
正確には、家族みんなが揃うからカレーが好きなだけだ。今日は残念ながら母がいないが、昔は全員揃って食卓について食べたものだ。ただスタルークが段々成長するにつれ、家族が全員揃う日が少なくなった。両親は共働きだから、正確には幼かったスタルークのため皆集まっていたのかもしれない。
「そういえばスタルークがディアマンドのカレーを食べたときは随分面白い顔をしていな」
「またその話ですか」
スタルークは笑いながら父親に大皿を渡す。この話はスタルークがカレーの話をする度に言われるのだ。
スタルークがカレーを食べられる頃には、兄は親と同じ大鍋の中辛のカレーを食べていた。1人だけ別の小鍋で作られた、キャラクターが書かれた甘口のなかの甘口のカレーを食べていた幼いスタルークは、一緒が良いと駄々を捏ねたのだ。しょうがないからと兄のカレーを1口貰ったが……とオチがわかりきった話だ。十年も優に超える前の出来事だが、あの顔も、みんなの笑い声も、全員が全員鮮明に覚えていた。
「僕だってもう高校生ですからね」
スタルークは湯気の立つルーを入れる。今は家の中で1番大きな大鍋一つに、辛口が混ざった中辛のカレーが作られている。ちなみに中辛が混ざっているのは、母親が辛口だけだと辛すぎると、また三人もこれくらいが1番食が進むとなった結果だ。
「あんなにご飯があったのに炊飯器空っぽですね……」
スタルークが釜を覗くと五合炊かれた米は底をついていた。ディアマンドとスタルークは段々成長をしているからいつかと考えていたが、ついに初めて三人で釜を空にしてしまったのだ。
「そんなに減ったのか!」
「父上がよそいすぎなんですよ!」
「兄上も相当入れられてますよ……?」
「まずスタルークも充分な量が入っていないか?」
三人の皿にはカレーライスかライスカレーか、とにかく山盛りの食事がある。皆同じじゃないかと3人で笑いあった。
「「「いただきます」」」