「あにうえ!」
ぽてぽてと効果音がつきそうな歩き方でスタルークが丘を登る。少し寒いブロディアの春を越え、初夏の新芽でふかふかの緑の絨毯が小高い丘に敷かれ始めた頃。スタルークの走って向かう先、長座の体勢で本を読むのは十歳程のディアマンドだ。
(自分がいる?)
成程、これは夢か。この光景は過去の話だ。もうすぐ十五年、いや二十年経とうとするのになお夢で見るのか、とディアマンドは目を細めた。夢とは深層心理に関わると知ったのはどこだったか。少なくとも戦の間に見た、死神が隣で手を握るよう冷えたものでないことに安堵をした。
「スタルーク、こっちに。」
スタルークがディアマンドの手招きした隣に座ると、ディアマンドはスタルークの小さな頭にぽんと花冠を載せた。
「これを作ると母上が喜んでくださるんだ」
「そうなのですね。ぼくも、あにうえから、いただけてうれしいです。」
たどたどしさの残る喋り方をするスタルークはへにゃりと笑った。この笑い方は今となってはほとんど見なくなってしまったが、時折見るこの笑顔は昔から変わっていなくて微笑ましく思う。
「ぼくもははうえにつくりたいです!」
「よし。私もシトリニカに最近習ったばかりなのだ。これを、こうやって……」
昔から自分は不器用だなと、指で紡がれ始めた荒のある花冠のパーツを見る。ああ、通す茎をしっかり引っ張らないと崩れてしまうぞ。指を触れようとしたが、夢と証明するようすうっと指がすり抜けた。
「ううう……」
隣で編むスタルークは指が小さく力が弱いのも相まって茎がスカスカだ。編んだ茎から花が、その花もぽろぽろと紅葉のような手から落ち、さらにそのまま目に溜まった涙も落ちてきそうだった。
「スタルーク、別に花冠だけではないのだぞ。ほら。」
唇をきゅっと瞑るスタルークの右手を取り、薬指にスタルークが落とした花をくるりと一巻、そのままくるくると包帯止めに近い要領で止めると小さな指輪ができあがった。
「よし、できた。」
「ゆびわ!」
エレオスでは「指輪」は特別な意味を持つ。大陸に伝わる紋章士のことも相まってだが、指輪は装飾品として以上にペアリングやエンゲージリングなど、途切れない絆やパートナーとしての証の意味がよく浸透している。幼いスタルークにとっては、指輪と言えばエンゲージリングと思っていてもおかしくないだろう。結婚の意味は理解出来ていなくとも特別なものという印象はありそうだ。
「えへへ……ありがとうございます……!これからもずっと、あにうえのおとなりにいさせてくださいね!」
「もちろんだスタルーク。私もスタルークの隣にいさせてほしい。」
ぼくもつくります!とディアマンドの薬指に花をくるくると巻き付ける。ここを入れて、こうすると、できあがり。この後すぐに解けたものの崩れないように中指で頑張って押さえて、結局最後は城についたとき崩れてしまったのを見たスタルークが泣いてしまったのだったか。
「おやくそくです!」
「ああ。約束だ。」
スタルークの指輪を崩さないよういつも以上に優しく手を繋いで小さな背中の二人は丘を降りていった。そういえばこの花冠も、数日後枯れてしまったんだったな。摘んだ花だから当たり前だが、スタルークが使用人総出でなお泣き止まなかったことも覚えている。比較的大人しいスタルークが扉越しでもわかるほど大声を上げて泣いたのだ。父が生きている間、散々産声以上に泣いていたと言っていたから、父も相当この出来事は覚えていたのだろう。
「…え…、……うえ。兄上?」
スタルークの声ではっと意識が戻る。声は夢の中で聞いたボーイソプラノではなく、成人男性の優しげなテノールだ。
「すまない。寝不足か。」
「忙しいとはいえご無理はなさらず。僕もお手伝いしますから。」
邪竜ソンブルとの戦が終わり、新たなる時代としてディアマンドは国王となった。元からあった国内での問題に加え、新王ディアマンドの施策に反発する貴族への対応、敵国であったイルシオンとの外交問題等々。スタルークもイルシオンから帰宅したのは数日前。荷解きを適当にそのまま議事録に取り掛かり始めた辺りスタルークも忙しいのだろうが、それ以上に多忙を極めるディアマンドのため軽食を持ってきていたらしい。
突っ伏して眠っていたから枕にしていた腕が痺れて痛い。んん、と痺れていない腕で背伸びをすると、スタルークはサンドウィッチの載ったトレイをディアマンドの前に置いた。
「僕、本当は兄上を眠らせるために来たんですよ?使用人の間、いや、アンバーやジェーデからも兄上がいつ眠っておられるのか心配の声が上がっております。」
「それはすまないな。さすがに食事を摂ってから考えよう。」
「兄上、その左手の書類はなんですか?」
ふくれっ面をしたスタルークがディアマンドが片手間に目を通そうとした書簡を取り上げる。そのまま食事を執務机からソファの横のローテーブルに置き、スタルークはソファに手招きした。行儀が悪いが許せ、と右手に食べかけのサンドウィッチを持ったディアマンドはソファに場所を移した。
「あ、そうです、兄上。」
バスケットが空になる頃、スタルークは懐からそっと小さな何かを取り出した。
「それは?」
「ふふふ。兄上、指をお借りしても?」
利き手である右手を取り出すと、いえ左の方をと言われ何事かと左手を出した。
「「どうかこれからも、あなたの隣にいさせて下さい」……どうぞ。」
この言葉に聞き覚えがない訳がない。プロポーズのときにディアマンドがスタルークに贈った言葉で、あの夢で見た幼い頃の誓いだ。
揃いのエンゲージリングの上から花で作られた指輪が差し込まれる。指の太さを考えてか三輪の花で編まれており、指の動きに邪魔にならないよう敢えて少し緩めで作られていた。
「今日たまたまセリーヌ王女から花冠の作り方を習ったことを思い出しまして。驚かせてすみません。」
「そんなことは無い。それにしても懐かしいな、花冠。昔何度か作った覚えがある。」
「僕も覚えていますよ。初めて作ろうとしたときに上手く作れずに泣きそうになって、指輪を作って下さったことと、「あの言葉」をもらったことまで。」
それなりに歳を重ねていた自分ならともかく、まだパンのよう頬がぷくぷくしていたスタルークも覚えていたとは。加えてプロポーズをしたとき、スタルークが返した言葉はたまたまだと思っていたが、意図して返していたと初めて気づいた。ならば、返答はひとつ。
「そうか、ありがとう。「私もスタルークの隣にいさせてほしい」。いや、これからも隣にいよう。」