――
日曜日の夜、市民ホールの勝手口を開き控え室へ。
「こんばんは〜!」
「こんばんは!2人とも待ってたよ!」
控え室の老若男女様々な楽器の間を抜け、シグルドとエルトシャンはまだ空いている鏡の前でヴァイオリンケースを開く。
「今日の初通しのソロ楽しみにしてるよ」
「ありがとう。精々努力する」
二人が所属する市民オーケストラは中学生から初老まで、楽器を楽しく演奏する気楽なスタンスの団体だ。とはいえ年一回、活動報告としての定期演奏会を行っている。今年のテーマは「生と死」、その演目のひとつにあるヴァイオリンソロのオーディションで選ばれたのがエルトシャンだった。
「そういえばエルトシャンってこういう曲得意だっけ?」
シグルドの印象では華やかで明るい方が得意な印象だ。今回は華やかではあるものの「死」がテーマにある曲。ソリストの曲解説には「死神のヴァイオリン」ともされているのだ。
「それほどでは無いが……まあ選ばれたからにはやるしかないだろう。」
でも俺は死神には派手すぎるか?と明るい金髪を揺らし、二人で確かにと笑いながらヴァイオリンケースの蓋を閉じた。
「こりゃ派手な死神がいるもんだな」
「俺も思ってるところだ」
基礎練中、練習台の横から茶々を入れてきたのはチェロを弾いているキュアン。彼のショートヘアに茶髪でも他より目立つが、それと比較してもウルフヘアの金髪は随分と派手だ。
「サン=サーンスやるなら私も来年謝肉祭リクエストしようかな」
「白鳥なら頼めば休憩中演奏させてもらえるんじゃないか?」
「まだ何も言ってないだろ!ってまあ白鳥ソロやるつもりだが」
「二人とも、何を話しているんだい?」
ひょこ、と後ろからシグルドが覗いてきた。
「ああそうだ、キュアンが次チェロ組曲やりたいってリクエスト出すんだそうだ」
「そこまで言ってないだろ」
「でもトラバントからファゴット協奏曲のリクエスト来てるぞ」
「はぁあ?ファゴットォ?」
途端キュアンが不機嫌な顔になる。後で曲目決めるからとコンマスでもあるシグルドにリクエストを早口で出した。席に戻ってスマホを出し始め、早速対抗を考えているのだろう。
「もうすぐ合奏始めるので定位置戻ってください!チューニング始めますよ〜!」
シグルドが号令を出し、エルトシャンも定位置へ戻る。普段座る2ndではなく今回の定位置である指揮者の横は少し落ち着かなかった。
「期待している」
「もちろん、オケの事は任せたからな」
後ろからシグルドの声がかかる。しばらくして指揮者があらわれ、構えの指示が出た。
「エルトシャン、気楽に。俺はお前の実力をかってソリストにしたのだから。」
コンマスのシグルドも、ソリストのエルトシャンも20代前半と若い。指揮者は飄々とし話題も幅広いため年齢は分からないが、おそらく自分たちと変わらないくらいだろう。ソロが決まったとき中堅の団員から、若造がしゃしゃり出てと不満が出なかったことがないことは3人承知の上だった。
(ここは墓場、私は死神。真夜中に奏でるのは舞踏の調べ。)
ハープが12回。タクトと楽譜の通りエルトシャンは最初の不協和音を奏でた。
一体、彼の華やかさのどこから「死」の匂いがするのだろう。エルトシャンが大きな怪我も病気もしていないのは長らく隣にいるシグルドは知っている。今の自分たちがいるところは、明日戦争で突然死んでしまうなんて場所でもない。彼の奏でるうたは、まるで優しく冥界を誘うようなワルツだ。
()
一瞬、彼の服が別の――黒い鎧に紅色のマントのような襤褸布を纏った姿に錯覚した。楽器の音は鋼のぶつかる音と怒号のように、目の前の景色は、戦場のように。しかし目の前には、当たり前だが、指揮者と空の観客席と友人のエルトシャンしかいない。
キュアンと共に曲内に隠されたレクイエムを奏で、音楽は佳境へ。派手で美しい、しかし優しく気を狂わせ死の舞踏へと誘う旋律。シロフォンが奏でる骨の音は、まさに彼の手を取りガチャガチャと踊っているようだった。
クライマックスは呆気ない。オーボエの音一つでワルツが止み、「ああ終わってしまった」と言わんばかりのメロディ。ポン、ポンと締めの音が終わる。下ろす合図をしないシグルドを心配した指揮者が名前を呼ぶまで、シグルドは心在らずと弦を握っていた。
「いや驚いた。恐ろしい死神もいたもんだ。」
曲練習はつつがなく終わり、楽器を片付け始める時間になった。気のせいか、皆最初の通しから終わったあとは普段とほんの少し違うような雰囲気で、エルトシャンは度々みなに服装を確認されていた。
「俺は随分楽しかったが……というかキュアンお前も服見るんだな」
「こっちは久しぶりトランスに入ったんだよ。マントとか鎧とかないよな?」
「ない。ないったらない。それ他の奴にも言われたんだが俺をなんだと思ってるんだ?」
調弦変えたのは帰宅してから戻すか、手入れ道具も戻し、ケースに鍵をかける。
「にしてもシグルド戻らないな。あいつ何してるんだ?」
キュアンとエルトシャンは練習終わりにすぐ控え室に戻ったが、シグルドは指揮者と何か話していたようだった。この後ファミレスでも寄ろうかと話していたから、しばらく待つかと長椅子にかけた。お疲れ様ですと帰る人を見送ると、今しがた噂にしたシグルドがふらふらと入ってきた。
「あ!シグルド!お前今呼ぼうか迷ってたところなん……」
「え」
シグルドがこちらを認識した瞬間、無言でエルトシャンへ抱きついた。三人は仲が良いとはいえ、無言でこういったことをすることはない。ましてやエルトシャンは2人よりスキンシップを苦手としているから、肩を組むことさえもほとんど人前ではしないのだ。
「ちょ、ちょっとシグルド!おい!あ、キュアン!シグルドの、壊れるといけないから持っておいてくれ!」
「ええ……」
キュアンが楽器を預かると、シグルドはそのままコアラのようぎゅっと腕を回し始めた。
「エルトシャン、お前なんかしたか?」
「何も。あと撮るな。」
「随分と面白い光景だなって」
「チェロと同じでいいからしまっといてやれよ……これいつ帰れるんだ…………」
数分後。「あれ?」と素っ頓狂な声をして、シグルドは腕を離した。トランスに入ったままだったのだろうか、恐らく今しがた意識を戻したのだろう。
「何……?えっ何この」
「シグルド!早く帰るぞ!」
「え?何で?」
周りを見ると、生暖かい視線と、他所でやってくれという視線と、キュアンを初めとするスマホのレンズがこちらを向いていた。
「えっえっと事情は後で説明するから……」
「キュアン!行くぞ!撮るな!あっご迷惑お掛けしました!お疲れ様でした」
控え室のお疲れ様とお幸せにという声を後目に廊下を早歩きで進む。
そして次の週の日曜。案の定、散々質問攻めにあった挙句、噂好きが友人にいる指揮者からも「程々に」と釘を刺されてしまった。
「馬鹿。シグルドの馬鹿。俺何もしてないのに。」
「すまなかった……」
後日。団員の間と、そして定期公演が終わった後にある噂が広がった。――金髪の、黒鎧に赤い襤褸布を纏ったワルツを奏でる「死神」が見えたと。そして、対の服装をした青い布を纏った「死神」がオーケストラを導いていたと。
――
参考:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/死の舞踏_(サン=サーンス)