初恋のバラード その音色を、わたしはきらきらと煌めくダイヤモンドみたいだと思った。
見た目はまるで繊細で、でもほんとうは何よりも強くて、ひとたび光を当てれば虹色にだって輝く、ダイヤモンドのような音。
象牙の板を叩くだけで産まれるその音色に、わたしにはどうあがいても手に入りそうにないその音色に、羨望とか嫉妬とか、ありとあらゆる感情を抱いた。コンサートが終わり、帰り支度を始めるざわついた観客席の中で、わたしは誰も居なくなったステージを眺めてさめざめと泣くことしか出来なかった。
◇◇◇
小さいころからわたしは、母に連れられてクラシックのコンサートを聴きに行くことがよくあった。
母は、自分がなれなかった「ピアニスト」という夢をどうにかしてわたしに押しつけたいらしく、プロの演奏をわたしに聴かせてはやれこの人はこういう特徴があるだのこの人は何歳のころにあのコンクールで優勝しただの、わたしが一ミリも興味のない情報をべらべらと喋るのが好きだった。
心底どうでもよかった。時折レッスンにまでついてくる母のことも、うっとうしくてしかたなかった。母には口が裂けても言えないけれど、私はピアニストになりたいなんて思っていなかったし、練習だって、母に気付かれない程度に上手くサボっていた。
今日は、そんなわたしが生まれて初めて心から行きたいと願った演奏会だった。高校生になり、自分でバイトをして得たお金で、チケットの争奪戦にも本気で挑んでようやく勝ち取った大切なS席だった。
人もまばらになってきた観客席のなか、ハンカチで涙を拭ってから、手元のプログラムに書かれた『設楽聖司ショパンコンサート』の文字を撫でる。照明の消えたステージ上で、取り残されたグランドピアノが寂しそうだった。再びじわりと涙が滲む目頭に、わたしは慌ててハンカチを当てた。
設楽聖司は、わたしが唯一自ら好んで聴くピアニストだった。
母はそんなわたしのことを、「どうせ顔で選んでるだけ」とよく言っていた。彼の演奏は、母好みではないらしかった。
まだ三十を迎えたばかりの彼は、事実、いついかなる時でも美しかった。雑誌で特集が組まれれば発売前から予約をしたし、演奏会の情報以外はほとんど更新のない公式サイトだってまめにチェックした。手元にある音源や映像は、脳内再生が容易くなる程度には繰り返し視聴した。身内だけで使用しているSNSのアカウントでは、時折彼のことを呟いたりもした。友人たちは「また出た」「布教活動」と、そのたびに楽しげに反応してくれた。
アイドルを追っかけているときと大して変わらないことをしている自覚はあった。それだけ追っても、プライベートは謎ばかりだったけれど。
それでもピアニストはピアニストだから、と、母はわたしが彼のコンサートに行くのを止めることはなかった。その点についてだけは母に感謝した。
今日は、わたしが彼のことを知ってから初めて行われる日本国内でのコンサートだった。すでに海外に拠点を移して長い彼が日本で演奏するのは数年ぶりのことで、メディアも国民もそれなりにざわついていたようだったけれど、相変わらずメディアへの露出が少ない彼は、真面目な音楽雑誌のインタビューにだけ律儀に答えていた。手短に、久しぶりの日本での演奏が素直に楽しみであること、オールショパンで構築された今回のプログラムには特に思い入れがあることなどを語っていた。
舞台の上に見る設楽聖司は、果たして本当に美しかった。
鍵盤の前に座る姿がこれほど絵になる人がこの世の中に他にいるだろうかと、本気で思った。背筋をぴんと伸ばして、大仰に身体を動かすこともせず、ただただ厳かで、それでいて華やかだった。
けれど、わたしが泣いた理由はそこではなかった。
細かな癖まで覚えてしまうほどに聞き古した、五年前のショパン・バラードの演奏音源。まだ自分では弾きこなせないものも多かったけれど、一番から四番まで、楽譜を眺めては何百回も繰り返し聴いた。
その音源と、今日の演奏がまた少し違っていたから。
リタルダンドが深くなっていたり、フォルテから荒々しさが抜けていたり、ピアニッシモで紡がれる主題がさらに優しく、繊細になっていたりしたから。
その音色に、五年間を感じた。
彼の生きてきた時間を感じた。
言葉にしてしまうと陳腐なのだけれど、彼は現実を生きる人間で、偶像でもなんでもなくて。わたしが崇拝している設楽聖司という存在は、なんでもないような日々の中で笑ったり泣いたりしながら、時を重ねて成長している、わたしと同じ人間なのだと。
それを自覚した途端、彼の奏でる音色にその人生の重みを感じて、どうしようもなく泣けてきて止まらなくなってしまったのだった。
◇◇◇
ちらちらとわたしを気にするスタッフの姿で、ホールから自分以外の観客がほとんどいなくなってしまっていたことに気付いた。慌てて席を立ち、目が合ったスタッフにぺこりと軽くおじぎをして、わたしはホールをあとにした。
コンサート後のサイン会には、すでに長蛇の列が出来ていた。サイン会などをなかなかすることのない見目麗しいピアニストが出てきているのだから、当たり前のことだ。見れば、わたしとそう年齢が変わらないような女子もたくさんいて、わたしはなぜだか無意識に奥歯を噛み締めた。
CDを購入してからしばらく並んでいると、彼の対応が見える位置にまでやってきた。
百人をゆうに超えているであろうこの列を捌くにはそれなりのテンポは必須で、サイン会は言葉どおりほぼサインのみの対応のようだった。ひと言、ふた言投げかける人はいるものの、設楽さんはというと、ただひと言「ありがとうございます」と発するに徹していた。
わたしもなにか声を掛けようか、それとも黙ってサインだけをお願いしようか迷っているうちに、いつのまにかわたしは設楽さんの目の前に立っていた。
綺麗にセットされたグレーの髪が、ほんの数本だけ汗で額に張り付いているのを見て、わたしの心臓がどくんと跳ねた。サインをする手は骨張っていて大きく、凜としたその風貌よりもいくらか男らしさが強く出ていて、そこにもまたドキドキしていると、次の瞬間、下を向いていた設楽さんが突然ぱっと顔をあげた。
目が合ったその瞬間、言葉は、考える間もなくわたしの口をついて出た。
「あの……、バラードの一番が、初めて聴いたときから大好きです。ずっと好きです」
そのとき―――ただの記憶違いかもしれないのだけど―――設楽さんの両目が、ほんの少しだけ見開かれたような気がした。
「……そうですか。ありがとうございます」
スタッフに促されて慌てて差し出した自分の右手が、設楽さんの大きな手に一瞬だけ包まれた。
一瞬、本当に一瞬だけ、ぎゅっとわたしの右手に力が伝わって、そして次の瞬間には離されていた。サイン済みのCDを手渡されると、スタッフに誘導されるままにわたしはその場を後にした。
わたしの右手に伝わったぬくもりは、コンサート会場を出るころには消えかかっていた。
が、その切なさよりも、遙かに気になることがあった。
設楽さんがわたしの手を握ったときに、わたしは見てしまった。
握手をしていないほうの彼の手の薬指に、シンプルな指輪が光っていたのを。
そのせいなのか、心臓がさっきからどくんどくんと跳ねていて、とてもうるさい。
どくん、どくん、どくん。
あのデザインで、あの指であれば、あれは間違いなく結婚指輪なのだろう。
どくん、どくん、どくん。
今までそんなのしてたっけ。見たことない。少なくとも私の手元の動画には、どれだけ直近のものでも映っていなかったはず。
どくん、どくん、どくん。
演奏中はやはり外していたのだろうか。舞台上ではさすがにそこまでは見えなかったけれど、そう考えるのが妥当だろう。結婚したなんてプレスリリースが出ていた覚えはなかったけれど、そもそも彼はアイドルでも芸能人でもないのだから、そんな報告、なくたって当然なのだ。
どくん。
自分がなんでこんなに動揺しているのか、自分でもよくわからなかった。身体全体が脈打っているのではないか、心臓発作でも起こしてしまうのではないか、そう錯覚するほどだった。
けれど先程聴いた彼のバラード一番は、五年前の演奏とは明らかに違っていて。
そこに加わったものが彼の五年間の重みなのだとすれば、もしかしたら恋だって、結婚だって、その一部だったのかもしれない。特別な誰かと重ねた時間が、あの素敵なバラードを生み出したのかもしれない。
そう考えたとたん、なにかに頭をがつんと殴られたような、そんな気になって、わたしはその場に呆然と立ち尽くしてしまった。
しばらくしてから、わたしはバッグの中からスマートフォンを取り出して、演奏会のために切ったままだった電源を入れた。
SNSを開いて新規投稿のボタンをそっと押すと、たった一言だけ打ち込んだ。
『失恋したわ』
それからわたしはそのまま道ばたにしゃがみこんで、今度はおそらく別の理由で溢れてくる涙をどうにか隠そうと顔を伏せた。