『本当は全部知ってるのにね』……業務終了のベルが鳴る。何事もなかったかのように自分たちの持ち場から離れていく職員たちの背中を、職員ジョシュアは眺めていた。
「ジョシュアちゃんっ!」
「あ、アラ。お疲れ様。」
ぼんやりと立っていたところを、同じ記録チーム所属のアラに話しかけられた。笑顔を輝かせているその姿はまさにいつも通りで、その姿がジョシュアを安心させる。
「どうかしたの?もうお仕事おしまいの時間だよ?」
「ううん、何でもない。ちょっとぼーっとしてただけ」
ジョシュアちゃんの変なの!とアラがケラケラ笑う。ごめんごめん、なんて返しながら、廊下を進み、エレベーターで上層へと戻る。他の職員とすれ違えば、「お疲れ様です」「あ、ジョシュアさんだ~。お疲れ様~」なんて、当然のように挨拶される。その一つ一つに「お疲れ様」と返しながら手を振る。なんてことない、いたって普通の、業務終了のワンシーンだ。
「ねね、ジョシュアちゃん明日ひま?」
「え、明日?」
不意にアラがそう切り出す。
「明日も通常業務の日だったと思う、けど……」
「?うん、明日もお仕事の日だと思うけど...」普通じゃないお仕事の日?とアラが首をかしげる。……なんでもない、忘れて。とジョシュアがこぼす。ジョシュアが言ういわゆる「通常業務」ではない日のことを、アラは知らない。正確には、「アラ以外の誰も覚えていない」のだ。TT2プロトコルによる逆行を知っているのは、職員ジョシュアただ一人である。彼女だけが知っているのだ。消えた職員を。この先に起こる戦いを。そして…「って、お仕事のことはいーの!明日、お仕事が終わったら、ジョシュアちゃんひま?」そんなことはつゆも知らないアラが再び問う。彼女にとっては、仕事よりもよっぽど重要なことだったらしい。
「……明日なら、何もないよ」
「よかった~!明日ね、メアリーちゃんとジョージアちゃんがパーティーするんだって!」
「パーティー?」
「明日はジョシュアちゃんのお誕生日だから、みんなでケーキ食べたり、ゲームするんだよ!プレゼントも準備するって……あっ」
そこまで言ってアラは口を覆う。「いいか?この際アイツの誕生日パーティーをやることはばれてもいい。でもアタシ達がこっそりプレゼントを用意してることは絶対に内緒だぞ、アラ」「アラにはこっそりジョシュアが何ケーキが食べたいか聞き出してきてほしいの。私たちは上層所属だから、なかなかタイミングがなくて……」そう言っていた、少し年上の二人の同僚の顔が思い浮かんだ。一人でばたばたと焦るアラを見てジョシュアはいぶかしげな顔をする。
「……アラ?」
「あっあっえっと!!何でもないよ!!」
「まだ何も言ってないんだけど……」
「ななな何でもないもん!あっあそうだ!ジョシュアちゃんはチョコレートケーキとイチゴケーキだったらどっちが好き!?」
「その二つなら……チョコレートのほうが好きかな」
ありがと!!!!と言って猛スピードで駆けていくアラ。取り残されたジョシュアは、彼女の背中を見送りながら、「……相変わらず忙しないなあ」と呟き、自室に戻った。
「『__今日も何事もなく業務が終わった。死者はなし、脱走もなし。今日収容したアブノーマリティは前にも収容したものだから新しい観測情報もなし。』『明日はアラが私の誕生日パーティーを開いてくれるらしい。プレゼント、何か貰えるのかな。なんて_』……いや、これはいっか。えーっと、あとは……いや」いつも通り、ジョシュアは日記をつける。「これでよし、と……」そして最後に、日付を書き込む。
『12/16 業務開始から39日目』
そこまで書いて、そっと日記帳を閉じる。ずらりと並ぶ日記帳の隣に静かにそれを並べて、ベッドに腰掛ける。
「……はぁ」
「明日なら何もない」、なんてのは大ウソだ。明日は業務開始から45日目だ。管理人が「チェックポイント」と呼んでいる日の前であることをジョシュアは知っている。そして、明日は業務が終わる前に管理人が「逆行」してまた41日目からの5日間を始めることにも気づいている。それは、少なくとも明日誕生日パーティーは行われないということを意味していた。
「どうせならチョコレートじゃなくて、チーズタルトとか言ってみればよかったかなあ」
44日目の度に忙しなくパーティーの誘いを繰り返す友人の顔を思い浮かべる。意表をついて慌てる姿がありありと浮かんで、なんとなく面白いと思った。
首元の古い古い傷をそっと撫でて、ジョシュアは静かに眠りにつく。きっといつか来る誕生日パーティーを夢見ながら。
……これは、ジョシュアだけが知っている。消えた職員を。この先に起こる戦いを。そして、今日した約束が、遠い明日に叶うことを。