「裏切り者ォ?このLobotomy社を救う正義のヒーローと言って頂きたいね」「ッオイ、クソ姉貴!!そっちはどうなってる、返事しろ!」
青年の怒号が響く。
「やだ、嫌、やめて姉さん!行かないで、戻ってきてってば……!」
「しっかりし、お、落ち着いてください先輩!……っロンドンさん、は、もう…」
啜り泣く女の声が木霊する。
「〈……コントロールチームです。現在一部職員の変質及び未知のアブノーマリティの収容違反を確認しています。各チームはくれぐれも慎重に観察及び鎮圧に当たってください。繰り返します───────〉」
「設計チームと安全チームは半壊、中央本部と抽出チーム、それから情報チームにも被害が及んでいます。……そして、ガブリエラ達コントロールチームにも、っお兄様、後ろ!」
兄妹の影が踊る。
新たに生まれた太陽の如き眩さを放つアブノーマリティに、誰もが釘付けにならざるを得なかった。神のような光を放つソレは絶えず、波動を放ち、職員を死へと導く。
…施設内は地獄絵図と言ってよかった。多数の職員の変貌及びアブノーマリティの脱走。そして、TT2プロトコルへの関与。こんなことは有り得ない。経験を問わず職員たちに動揺が走る中、ただ1人。悲鳴が、怒号が、嗚咽が響く廊下を1人、平然と歩く職員がいた。
職員マックスウェル。先日入社したばかりの新人で、軽い命令違反や作業後不真面目さ、他職員に対する姿勢など、勤務態度にやや問題の多い男だ。今日のこの騒動も、彼が[ペスト医師]に作業を行った直後に起こったものだ。何らかのトリガーを引いたと見て、間違いないだろう。変貌した職員たちのような、しかしまた違う、見慣れない仮面を付け、彼は施設内を歩き出す。まるで行先が分かっているかのように。
ふと、マックスウェルが足を止める。目の前には真っ赤な鎌を持ったアブノーマリティ───────[使徒]、としよう───────が一体、立っていた。
「よォ」
マックスウェルがアブノーマリティに話しかける。
「ちょっと見ねえうちに随分でかくなったじゃねェか、え?なぁ、エンジェル」
返事は無い。彼がエンジェルと呼んだソレは確かに職員エンジェルの面影をかすかに残していた。
「オイオイ無視かよ、つれねぇなァ。お兄様に挨拶も無したぁ、優等生サマが聞いて呆れるね」
「つかお前、本当にエンジェルか?あんなチビのガキだったお前が俺を見下せるほどでかくなるわけ……いややっぱお前だわ、そんだけ貧相でほっせェカラダしてんのはお前ぐらいだからなァ…ッハハ!」
アブノーマリティは意にも介さない。マックスウェルの声に耳を貸すことなく、手に持っていた鎌を振り上げる。
「っは、口も聞きたくねェってか?ほんっとうに…変わってねえんだな。兄妹水入らずの再会だってのに、悲しいね。」
「そら、お前の大嫌いな兄さんはここだよ」
マックスウェルは口元を僅かに歪めて笑う。そして両手を広げて立ち止まった───────かと思えば颯爽と使徒の横を駆け抜けて行った。
「ハッ!馬鹿野郎、遅せぇんだよノロマが!くだらねぇ神に祈ってる暇があンならそこで筋トレでもしとくんだなァ」
吐き捨てるようにそう言ってマックスウェルは廊下を抜けていく。取り残された[使徒]───────エンジェルも、振り返ることなく、廊下を進んで行った。
無機質な駆動音だけを聴きながら、エレベーターを起動する。道中に転がる無数の死体には目もくれず、マックスウェルは目的の部屋へと向かう。
ザ…ザザ…という小さなノイズがマックスウェルの耳を打つ。音のする方へと向かうと、死んだ職員の通信機からだった。まだ僅かに反応していたようで、しきりに何かを発そうとしている。
〈…ルくん!聞こえる、返事して!そっちはだ───────〉
「うるせェな」
ぶつり。通信機を切断して投げ捨てる。そして、なにごともなかったかのように再び歩き始めた。
転がるオフィサーの死体を踏みながら、コントロールチームのメインルームを抜ける。揃いの白いスーツを真っ赤に染めた職員たちも、歩き回る使徒のどれにも、マックスウェルは興味を示すことはなかった。そしてついに、足を止めた。[たった一つの罪と何百もの善]の収容室の前だった。荘厳な音楽に似つかわしいとは言えそうもない、軽薄な笑みを浮かべたまま、職員……[裏切り者]のマックスウェルは座る。
「懺悔、ねェ」
「俺は俺がやりたいようにやった。そこに悔やむことなんて1つもねぇよ」
「でも、それを赦してくれる奴らはいなかった。俺の取り分はぜーんぶ、他の奴らに持ってかれちまった。賭け金はクソ野郎共に、賞賛はエンジェルに、そんでそのエンジェルは…テメェに」
マックスウェルは語る。己の行いを。
「あー、なんだっけ。因果オーホー?よくアイツが言ってたよ、悪ぃことしたら自分の身に返ってくるんだってな」
「俺は取られたぶん取り返すために知恵働かしてるだけだってのになァ?ちょーっと小細工しただけですぐ悪モン扱いだよ。やんなっちまうな、ったく」
「元はと言えばテメェみてえなカミサマのせいだってのに。なァ?」
マックスウェルは吐き出す。己の怒りを。
「なァ、答えてくれよカミサマ」
「なんでアイツを選んだ?」
「なんでアイツがあんなバケモンになって死ななきゃなんねェんだ?アイツはテメェを怖ェくらい信じてたってのに」
「因果オーホー、なんだろ」
「アイツはヘッタクソな笑顔貼っつけて、テメェの為に、自分押し殺して、悪ぃことなんてしてねえじゃねェか」
「なぁ」
「……俺の何がいけなかった?」
マックスウェルは縋る。僅かな光に。
答えは、ない。当然のことだった。アブノーマリティとの対話など上手くいくことの方が稀だ。光がさし、あのアブノーマリティを直に焼き殺すことだろう。
マックスウェルは床に倒れる。薄れゆく意識の中、微かに呟く。
「だからカミサマなんて信じるもんじゃねェんだ」