「バケモンだらけでほーんと、やんなっちゃうったらないわ」白い外套に輝く白い羽根。灰色の仮面の下には文字通り何もない、空洞。
「……聞いてた話とちげーんだけど……」
職員シャオは一人ぼやく。彼は今、[ペスト医師]の作業室に入ったところだ。
優しいお医者様がいる。自分たちをきっと救ってくれる存在がいらっしゃる。心穏やかで、とてもアブノーマリティとは思えない。まるで神様のような、そんな方が──。
(神様、ねぇ)
そんな話を聞いてこの収容室に来たのだが、実のところシャオはその話を信じてはいなかった。神なんているはずがない。いるのであれば、文句の一つでも言ってやりたいぐらいだった。こんなところで何してるんだ、と。どうしてあんな化け物を生んだのか、と。
そんなこと考えるだけ無駄か、と切り捨てるシャオに、声が響いた。
──────なぜあなたはその傷を治療しないのですか?
「……オマエ、こんなところで何してるノ」
「ん~?待機中。管理人から次の命令が来るまで待ってるように言われちゃったから」
そういって小さく肩をすくめる。長い髪と短いスカートがわずかに揺れた。
…作業命令が入る少し前のこと。シャオは所属する情報チームのチーフであり、入社以前からの顔見知りでもある職員ハオと話をしていた。
「アタシだって好きで暇してんじゃなーいの。ここって変な奴らとバケモンばっかりだし下手に余計なことするもんじゃないでしょ?」
「それはそうだけど。こんなとこで管巻かれても正直邪魔ネ。…というか」
ひっどーいなんて笑うシャオを見上げ、ハオははぁ……とため息をつく。
「その恰好何ネ!!?オマエいつの間に趣味変わったアルか!!?」
「まさか!管理人に渡されたから着てるだけに決まってるでしょ」
「...の割には髪型まで変えてノリノリだケド?」
「そりゃ、こんなところだもの。オシャレしたっていいじゃない」
「そもそもその喋り方何アル!?久々にあったと思ったら全然知らない喋り方するし別人かと思ったネ!!」
「しょうがないでしょ?この喋り方にしてからだいぶ経って馴れちゃったんだもん。今更変える気にもならないわよ」
「嘘ツケ!!!オマエのことだからどうせワタシやビー嬢をからかいたいだけアル」
「あはっ、せいかーい♡流石じゃん、ハオ先輩♡」
「ヤメロ気色悪い!!!」
けらけらと楽しそうに笑うシャオを見て、ハオはげんなりしていた。変わったようで何も変わってない。面倒で、厄介な友人である。
「ハァ……もういいアル。どうせ何言っても無駄ネ」
諦めたようにハオはもう一度溜息をつく。
「つか俺あとどんだけ待たされればいいわけ?マジで暇なんだけど」
「ウワ急に戻るなヨ」
「はぁ?お前が気色悪いって言ったからわざわざ戻したのに。我が儘なチーフ様だなぁ」
うるさいナ...とだけ返し、ハオは自分の手元の資料を見る。あらゆるアブノーマリティの情報を確認しては、脱走したらどうしよう、できれば対峙したくはない……などと、ぐるぐる思考を巡らせる。
「あんだけ化け物どもにビビってたお前がチーフやってるとかいまだに信じられないけどな」
「ワタシだって好きでやってるわけじゃないアル。管理人に言われたから仕方なく、ネ」
「そういうオマエこそこういう怪物は嫌いダロ。よくまあ愚痴も言わず……」
「そりゃ天下の翼に入れるのに好き嫌いがどうこうとか言ってられないだろ。そもそもこんなバケモンだらけの場所とは知らないわけだし。それに、」
「あ、いたいた!シャオさーん!」
明るい声がシャオを呼ぶ。目を向ければ同じく情報チームの職員ウェザービーが呼びに来ていた。
「管理人が連絡したいことあるって!次の作業のことだっていってたよ」
「りょーかい、わざわざありがと!」
それじゃアタシ戻るわね~といいながらへらへらと手を振って出て行った。
そして……
そして、冒頭に戻る。
──────なぜあなたはその傷を治療しないのですか?
「…は?何言って、」
[ペスト医師]の問いにシャオは疑問で返す。傷も何も、先ほどまでメインルームにいたシャオはケガなどしていない。していたとしてもとっくに回復している頃合いだ。
「もしかしてコレのこと言ってんの?」
そう言いながら長い前髪をあげる。ずいぶんと前についた痛々しい傷と、見えなくなった右目があらわになった。
「これは別にもう治るもんでもないし。それとも何?お医者サマが治してくれるって?」
それはかつて、自分が遭遇した化け物につけられた傷だ。いくら目の前のアブノーマリティが医者を名乗っているからと言って治せるはずがない。そもそも自分はそれを望んでいない。もう片目の生活には慣れてしまったし、何より……化け物と出会った日のことを忘れるわけにはいかないからだ。
──────私は病気を治療するためにここにいます。
「だから何?別に俺はそんなこと頼んでないし、そもそも病気じゃ……」
そういって収容室を後にする。いや、後にしようと、した。しかし、忌み嫌う化け物の一種であることに変わりはないのに、なぜか目が逸らせない。ぞっとするような安心感。不安になるような優しさ。くぎ付けにされたように、動けなかった。
──────あなたのあらゆる病を治し、あなたを治療しましょう。
はっとして我に返り、収容室を出る。暗い地下のはずなのにやたら眩しい。狭苦しいはずのエレベーターが、広く感じる。
「……マジで言ってんのかよ」
否応なしに認めざるを得なかった。自分の右目が、治っている。それだけじゃない。自分の背にあの羽根と同じ、光る祝福の証があるのが分かった。自分の姿を見ろと言わんばかりに羽根を広げた、不気味なほど穏やかだったカミサマの姿を思い出し、はは、と小さく笑う。
「...気色わる」
化け物に助けられているのも、自分自身がそれに近づいていたのも。本当に反吐が出る。