SS草稿(ロミ+ライアリ、075+031)Record:015
あなたは目を開けた。視界が少しくらくらする。スコープから離したばかりの右目と、先ほどまで閉じていた左目。明るさも遠近感もちょっとだけ狂って、いつも慣れない。体を起こして、部屋の中の顔ぶれを確認する。ダ・カーポの白と、妙に落ち着く緑。あとミミックのノッポのほうとノッポじゃないほう。みんな五体満足だ。大丈夫、誰も死んでない。
とはいえ普段よりも大分苦しい戦闘だった。一旦落ち着いて確認しよう、とあなたは思う。次の波が来るまで、それくらいは時間があるはずだ。だったらどっちかっていうと馴染みのある面子にしよう。赤二人は多分勝手にやってる。
ちらりと視線を寄越して予想通りだったことを確認すると、あなたはもう二人の方に歩み寄る。彼らは近づくあなたに気づくと、向きなおって手を挙げた。
「おつかれ!」
「お疲れ様でした」
アンタたちもおつかれ、と三者三様の挨拶を交わしつつ、互いの状況を確認する。顔や手に傷はあるものの、服装の乱れは一切見られない。流石はEGO。やってることが滅茶苦茶だから忘れそうになるけれど、一応みんなしっかり良い装備を貰ってはいる。
「ラインハルトってば、絶対に髪が乱れないよな。オレなんて毎回ぐっちゃぐちゃになるのに」
「母から教わったセット法があるんですよ。今度教えて差し上げましょうか?」
装備の点検もそこそこに、緑二人は身だしなみの話題に入った。乗れそうに無いことを察したあなたは、一息つこうとお湯を沸かすことにした。
「いーよ。どうせめちゃくちゃ手間がかかるんだろ。オレは朝は最後まで寝てたいタイプだから」
「嘘です。この前髪、どうやっても下りないんですよね」
「ゴリラぁ!」
くだらない。本当にくだらない。あなたはティーバッグの袋を取る。
くだらないけど、悪くない。カップを取ろうと手を伸ばした。
「オレ、いい整髪剤知ってるんだ。ここ出たら教えてやるよ」
伸ばした手が止まる。ずっと考えないようにしていた話題が、出た。指先がさっと冷たくなる。
違う。そんなこと気にしちゃいけない。あなたは平静を装って、ティーカップを取り、お湯を注ぐ。
「そういえばここ出た後ってどうするんだ?」
がしゃん。
ロミとラインハルトが振り向く。あなたの茶器が落ちた音だった。
「ごめん」
破片を拾うために床に屈み込む。ついでに浅い呼吸も隠すように。向こうで二人が一歩踏み出す気配がした。
「いい。あたし自分でやるから」
散らばった陶片を引っ掴む。残った欠片と水気は適当に拭く。別に誰も素足になったりはしないし、こんなのでケガするようなヤワな人はいないけど、あたし一人で十分だって見せなきゃならない。もたもたやってたら二人が手伝いに来る。とにかく今は自分を見られたくなかった。
「「アリサさん、/アリサ、」」
「いいって言ってるでしょ!!」
破片をゴミ箱に投げ捨てながら、叩きつけるように答える。二人が黙った。向こうでわしゃわしゃしてた赤二人も黙ってこっちを見た。部屋全体がしん、とした。
やっちゃった。治安の悪いところ、出さないようにしてたのに。みんながあっけに取られてる。あたしを見てる。
割れたカップが目に入ったのか、こちらに駆け寄ろうとするブラウンをノッポが連れて部屋から出て行った。あいつ普段はムカつくのに、こういうとき時々察しが良い。
そうじゃない。部屋にはラインハルトと、ロミと、がさつでぶっきらぼうなあたしが残った。
「関係ないじゃん」
声は震えないように気をつけて付け足した。震えていないはず。震えてないといいけど。巣の出身だったらこういうのも分かってしまうんだろうか。治安が良くて、暴力も無くて、みんながいる場所。あたしの知らない、場所。
握っていた通信端末に都合よく通知が来た。
「あたし、作業行ってくるから」
顔を見ないようにしながら、緑二人の隣を足早に通り過ぎる。通り過ぎてから早歩きになり、我慢できなくなって走り出した。ここはガッコじゃないから怒る人はいない。走ったら危ないとか言っていちいちうるさいロミもラインハルトも、あたしからとおい人だ。
メインルームから出て、どこまでも長い廊下をただただ走る。午後にもなればオフィサーは一人残らず“お掃除”されてるから、ここなら誰もあたしを見ない。ひとりにしてよ、ほっといてよ。嘘。本当はひとりにしないでほしい。あたしはいつだって銃使いだったし今もそうだけど、それでもあの青いやつだけは死ぬほど嫌だった。じゃなかったらあんなレティシアなんて着ない。……ていうか死ぬほどじゃなくて、ホントに死んでたかもしれない。もうあのライフルが支給されることはないから、わかんないけど。
落ち着け。落ち着け、あたし。魔法の弾丸はもう関係無い。
今だってお世辞にも平穏無事とは言えない日々だけど、裏路地にいた頃もっともっとひどいことはあった。そこにこの翼からの手紙が来て、あたしは一応救われた。
あたしも巣で生まれて、ガッコとかに行ってたらよかったんだろうか。二人の、みんなの「普通」に入れてたんだろうか。知らない。ガッコなんて二人の話で聞いただけだ。走って怒ってくれる人がいるなんて。心配してくれる人がいるなんて。
わかってる。高望みだ。ドブ底で終わるはずだったあたしがここにいて、そしていろんな人と喋って、一緒にいられること自体が奇跡だ。たった50日間だけとはいえ、その50日がどれだけすごいことか。充分喜んだって良いし、実際あたしは嬉しく思ってる。
それでも、寂しい。寂しいよ。
廊下の端について、走る先が無くなった。ぺたんと座り込んで、ぐすぐす嗚咽を漏らす。泣くな、泣くんじゃない。あたし充分幸せだ。
あなたは知っている。裏路地と巣の出身者が共に生きることが、どんなに難しく、また叶わないことか。生まれもった差も、経歴も、生きるか死ぬかの場においては一切無意味なことたちが、一歩この会社を出ればどれだけ重く扱われるか。
あなたの同期たちはそんなもの微塵も気にかけたことなんて無いことを、あなたは知らない。
シンデレラの意義は魔法じゃない。12時の鐘が鳴ったって、誰もあなたを離したりしない。
Record:075
あなたは目を開けた。そろそろ仮眠から起きないとあとに響くことを、あなたは知っている。もうじきに、クリフォト暴走ゲージがいっぱいになる頃合だ。まだなんとなく眠たい意識を覚ますように、頭を振る。
噂を聞いて飛び込んだ「翼」に、身内はいなかった。確かに同じ会社の、同じ支部に来たはずなのに、そこには痕跡すら存在しなかった。
どうしようかしら。あの子を追いかけることで頭がいっぱいだったから、あとのこと何も考えてなかったわ。
なんだかんだ流されやすいあなたはそのまま働き始め、50日間を確かに生き延びた。そして明日の打ち上げのことを考えながら眠りにつき、目を覚ますとそこにはからっぽの会社と、やたらと部屋の増えた廊下があったのだ。
「え、でも確かに見たことあるけどなぁ?」
「うん。歴史の階にいたよね」
あなたの二周目は賑やかだった。以前の人手不足は一体何だったのか、というほどの頭数だった。最大人数を優に超える職員で、それはもうとっかえひっかえで日々が過ぎてゆく。あなたが知るよりも、遙かに騒がしい職場だった。
アタシたち社会科学だったからよく知らないけど。私も技術科学だったのよね。けど、Aのみんなで楽しそうにしてたよ。あとなんか胡散臭い糸目ヤローもいたけどね、多分アレックスちゃんなら大丈夫じゃないかな。あらあらわざわざ不安にさせるようなこと言わなくても良いのに。まぁでも、そうね、アレックスちゃんなら大丈夫よ、アンジュお姉さん。
ありがとうね、とあなたは返事をした。
二周目の勤務も、あなたにはお手の物だった。元より姉であることに定評のあるあなたである。二度目となれば要領も良くなる。業務開始前や終了後の時間を使って、支部のアーカイブを調べたりした。新しく出会った人々だけでなく、元から付き合いのあった同僚からも噂を聞いた。
けれども、可愛い妹の姿は見つからなかった。まるで、彼女のいる時間ごと、きれいに切り取られてしまったかのように。
それでも、とあなたは思う。それでも、良かったと。どこかで、確かに元気に生きている。それだけで充分だ、とあなたはかみしめる。
クリフォト暴走の発生を知らせる警報が鳴った。同時に、あなたに作業命令が通達される。
立ち上がって、襟と裾を整える。くるくると軽く肩をまわして、背伸びをしてすとん、と戻す。
よし。目は覚めた。私、まだまだ頑張れるわ。
足取り軽く、あなたは駆けてゆく。
Additional Record:烏と兎
あなたは背の高い青年とすれ違った。彼も、今周で初めて会った人だった。最近ずっと連勤続きなせいだろうか、青年はいつもどこか疲弊したような表情をしている……が、確かこの表情は連勤前からだったような気もする。あなたはふと、どこか懐かしいような、それでいて知らないような、不思議な感覚におそわれ、我知らず彼を見つめた。彼も、あなたを見た。先に口を開いたのは彼の方だった。
「初めまして。……あなたも、なんですね」
「あら、初めまして」
あなたは返事をしつつ、少し驚いていた。あなたが彼と直接話すのは、これが初めてだ。それでも同じ会社にいる以上、廊下や控室で何度か見かけたことはある。彼は普段、もう少し、こう……つっけんどんな喋り方ではなかったかしら。それなのに、彼があなたに向ける態度は、奇妙に丁寧なような、どこか親近感を感じているような。少し寂しいような。
「あなたも、というのはどういった意味かしら……?」
「いいえ、深い意味はありません。僕の個人的な……そうですね、敬意のようなものと思ってもらって構いません」
「?」
彼は、あなたを見た。正確にはあなたの頭上を通り過ぎて、ほんのすこし後ろを見ている。あなたも相手の後頭部に目を遣った。聖像画からそのまま持ち出してきたような、赤白と金の輪が浮かんでいる。あなたは、この支部に始めて来た時に見たウサギロボを思い出した。名前にウサギが付いていますが、ニンジンは嫌いです。たまに脱走しますが、それは大好きな人と一緒にいたいがためです。
「そこまで気にしないでください。それに、僕はあなたほど手を尽くす権利も無い」
教育用ウサギロボはあなたが帰ってしまうのをとても寂しそうに見つめてきます。ずっと一緒にいたくて付いて来そうです。
でも配色は赤ではなくて黒だったわね、とあなたは思い出した。
「僕は、身内をなくしたことはありませんから」
「あら、私だって無いわよ」
あなたは思わず青年の話を遮った。自分に見えないだけで、アレックスは元気にしているのだから。あなたはそれを確認できないが、会えないだけで確かにいる人のことを「なくした」と表すのは少し違う気がした。
あなたの反応に、青年は驚いたようだった。
「そうですか」
「それは、とても、喜ばしいことです」
無理をしたような笑み。青年は、あなたを見た。喜ばしい、と言っているのに、彼はこんなに疲れた顔をしている。アレックスほどではないけれど、まだまだ若いというのに。あなたにとって年下というのは、身内も同期も関係無く、気にかけるべき相手だった。
「オーバーワークって大変ね」
「そうでもないかもしれません」
あなたの同情を、青年は意外にも打ち消した。心なしか、言葉端には若干の清々しさに似たものが混じっている。
「『これが私の呪いであっても、私はこの呪いを祝福として愛するでしょう』」
青年は少し自嘲気味に、しかしどこか満足そうに笑って、言った。頭の後ろに浮かぶ輪が、廊下の照明を反射してきらりとひかった。
「身体スキャンは必要かしら?」
「いいえ、胞子はついていませんから」
この施設に、今回はまだ「小さな王子」は来ていない。職員同士ならではのちょっとした冗談を交わして、二人はひっそりと笑った。あなたの後ろでも、そこに無い輪がきらりとひかった。
やがて笑い声が静まった。いくら話に花が咲いたとて、二人しかいないがらんどうの空間だ。青年は思い出したかのように軽く咳払いをして、居心地わるげに言った。
「ありがとうございました。お時間を取ってしまって、すみません」
「いいのよ。知らない人が多くって、みんなとお話ししたいと思ってたから。ええと……」
「ウィルソンです」
「ウィルソンくん。これからもよろしくね」
「ええ」
お互いに軽く会釈をして、各々の方向へと歩き始める。廊下にはまた足音だけが響く。
あなたはそっと足を止めた。
それでも、あの青年は寂しそうだった。彼が言った通り、おそらく自分には何も関係が無いし、してあげられることも無いのだろう。けれどもあなたは、どうしてだか放っておけないような気がした。
あなたは振り向いた。寂しい背中は、もうずいぶんと遠くにあった。やや塵が舞う仄暗い廊下の、奥の角をまがってゆく。
あなたは駆け出した。きっと放っておいてはいけないと思った。鳥が空を目指すように、あの子が外へ出ていったように。あなたにはすべきことがった。
いつだって変わらない。あなたにとって年下というのは、身内も同期も関係無く、気にかけるべき相手だ。
「ウィルソンくん!」
曲がり角に立って、あなたは呼びかけた。少し距離のある青年はゆっくりと振り向いた。
「あなたも、きっと会えるといいわね!」
にっこりとほほえんで、あなたは大きく呼びかけた。青年は手を振って、静かな挨拶をした。あなたも手を振って、音の無い挨拶を返した。