Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    harukaze_splash

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 9

    harukaze_splash

    ☆quiet follow

    GW終わったので書いた

    #しきずき

    他人行儀にしないと出られない部屋 意識が引っ張られ、ふ、と目を覚ます。霞がかった視界と頭で、しばらくぼんやりと、頭を動かす事無く、目の前の景色をただの景色として見ていた。段々とノイズが晴れてきて、目の前の景色が何であるかを、脳が理解し始める。
     眩しい程に真っ白な床に壁、それ以外は何も見当たらない。棚も机もベットも何もかもが無い、正真正銘のただの部屋。
     どうやらいつの間にか眠っていたらしい。だからこんな寝起きのような―

    「はァ?」

     自分の考えに疑問の声が出た。「いつの間にか眠っていた」?ありえない、だって俺は今料理をしようと台所に立って―
     反射的にばっと頭を上げながら、がた、とその場に『立つ』。立つ?俺は今座っていたのか?何処に?
     そう思って、ぱ、と顔を後ろに向ければ、目の前には真っ赤な布地が施された椅子、いや、ソファ。そして視界の端に入る、

    誰かの足。

    「はッ?!」

     流石に驚きの声を上げる。自分以外にも誰かいるのか、誰だこいつは、色んな意味で大丈夫なのか。様々な考えが浮かんでは消えるを一瞬で繰り返しながら、ソファに向けていた目線をその足に、その更に上の顔がある場所に向ければ―見知った顔、良く知っている顔、嗚呼そうだ一昨日も昨日も喧嘩した、いつも良く見る、ムカつく奴の寝顔。

     そこにいたのは、紫葵だった。

    「なッ…」

     まさかの人物、そして予測出来たであろう人物が存在している事に、一瞬言葉を失う。
     当の本人は、ソファのもう片方の肘置きにもたれる様にして眠りこけている。規則的な呼吸音が、耳をすませば聞こえるので、生きているのは確定だ。
     しかし、その眠りが一過性のものなのか、永続的なものなのかは、起こさないと分からない。後者の嫌な可能性を潰す為、もしくは自分がそうあって欲しくないと心の中で思っている為。少しだけ強い力で、ばしばしと本人の肩を叩き、「おい紫葵、起きやがれ!」と、少しだけ大きな声で呼びかける。
     その内自分の声に反応し、眉が寄せられ

    「ん゙」

    と呻き声がした。ほ、と胸を撫で下ろすと同時に、手と喉から力を抜いて「起きろって」と言いながら、ゆさゆさと肩を揺らす。
     段々と意識が睡眠から起床に引っ張られて来たのか、閉じられていたまぶたが、じわ、と開き始めた。「ぁ゙…?」と柄の悪い呻き声がを出しながら、ぼんやりと目を薄く開いたまま、寝起きだからだろうか、動きはしない。
     しかし、寝起きだろうと、周りの景色を確認するのは、人間の本来の反応であろうか。眉間にシワを寄せたまま、瞳だけ動かして、周辺を確かめた後、鬼仙の姿を確認すれば、未だ芯の無い、ふにゃふにゃした言葉で

    「みずき…?」 

    と相棒で恋人の名を呼ぶ。
     実を言えば、寝起きで掠れた低い声で己の名前を呼ばれるのが好き、と言う、誰にも、紫葵本人にも言った事の無い癖持ちな鬼仙は、そのたった3文字に、少しばかり嬉しさを感じながらも、今はそんな喜んでいる時では無いと、ちゃんと頭の切り替えを働かせ

    「瑞葵?じゃねェよ馬鹿野郎、さっさと頭しゃかりきに働かせやがれ」

    と言って、軽く肩を、ぺちんと叩く。
     痛みは無い力だが、さっさと起きろと言いたげに。それをスイッチとしたのか、紫葵が、ゆっくり体を起き上がらせながら「あ゙ー…」と寝起きの声を出す。
     しばらく俯き気味にぼんやりしていたが、がしがしと後頭部を掻けば、ゆっくり鬼仙の方に、未だ細められて眼光の鋭い寝起きの表情を見せながら

    「…で?」 

    と、ソファにどっかり偉そうにもたれながら、疑問を口にする。どうして自分はここにいるのか、寝ていたのか、貴方がいるのか、ここは何なのか。全ての疑問を1つに込めたスーパー圧縮言語だが、

    「見りゃ分かるが、端的に言やぁ変な部屋に閉じ込められた。俺とお前が選ばれた意図は分からんが、どうせ前と同じアレだろ」

    それの意味を理解したかの様に、目の前の相手は淀み無く答えを口にする。
     しかし勿論それだけで納得出来るなら全人類が全ての物事に納得出来なければならない思考回路持ちになる故に「…はァ…?」と言葉を出さざるを得ない。

    「睨むんじゃねぇ俺も分かんねぇよアホ」
     
     訳が分からないので睨んでた様だ。同じ様に睨み返されながら、本当にこちらも訳が分からんと、肩を竦められた。
     その姿を見て、少しだけ肩から力が抜ける。お互いに何が何だか分からないのなら、緊張はしておく事に越した事は無いが、相手に詰め寄るのもまた違う話だ。
     段々と霞が晴れて来た頭で周りを見渡して、ふと気付いた事を口にする。

    「ドアねぇぞ。どうすりゃ出られんだ」
    「知らねぇよ。扉が無ぇのは仕方無ぇ?として、そも誰も何もねぇから分かんね

     鬼仙が言葉を紡いでいた瞬間、それを合図としたのか、ブー…ンと何処からか、何かのスイッチが入った音がした。

    「あっ?」
    「はァ?」 

     その音を同時に聞いて、同じ様に驚きと気付きの声が漏れる。2人して反射で部屋の中を見渡せば「オイ、」と相手を呼んだのはどちらだろうか。
     ともかく相手が呼んだ方向に目線を向ければ、壁の一部がチカチカと光っていた。どうやら電光掲示板が壁に埋め込まれている様で、その様子を見ていると、端からずらずらと文字が流れ始めた。

    『他人行儀にしないと出られない部屋

    ※外の時間はここに居る間止まっています。好きなだけお過ごし下さい※』

     1度その文が全て流れたと思えば、電車内の電光掲示板と同じ様に、また同じ文が流れて来る。それが3回程続けば、最後は「他人行儀にしないと〜」の文だけが流れて来て、掲示板に浮かんで止まった。
     お互いに、その最後の文に辿り着くまで、口を半開きにしたまま、黙って光る文字が流れるのを見ていたが、文字の流れが止まって数秒してから「え?何アレ」と先に鬼仙が疑問の声を出した。当たり前の疑問だろう。

    「知るか」

     勿論何と聞かれた所で何か分からないので、知らないと答えるしか無い。鬼仙の疑問が自分にされた物なのか、独り言の様な物なのかは知らないが。
     急に扉も窓も無い部屋に閉じ込められ、唯一の出られる手がかりがそれだけだとしたら、全人類、同じ事を言うだろう。

    「アレすりゃ出れるって訳?」
     
     信じられん、と言いたげな表情で、掲示板を指差しながら、鬼仙が紫葵の方に顔を向ける。今まで自分達が巻き込まれて来た様々を思い出せば、信じられないと言いたげな表情になるのも、そんな簡単な条件で良いのかと、そもあんな戯言の様な文を信じても良いのかと、様々言いたいであろう。

    「書いてある通りだとそうらしいな」

     掲示板から目線だけを動かして、鬼仙を見る。その表情は、こちらも信じられんと言いたげな、疑いの表情ではあるが。

    「ふーん…」

     鬼仙が、成程な、と言った風な表情で、また掲示板に顔を向ける。その動きを見て、紫葵が、未だソファの背もたれにもたれたまま、今度は鬼仙の方に、顔を動かして「やんのか」とだけ聞く。その問いに「そりゃあな」と簡潔に返事する。

    「やれ書いてるし。やるとしても誰も傷付かねぇ、書いてある通りにして出られるんならそれが良い」
    「…そーかい」

     言いながら顔を動かし、じ、と掲示板を見ながら淀み無く答える相手に、何を思うてか、少しだけやる気の無さそうな声音で返事する。隣で鬼仙が少しだけ咳払いした後。

    「それなら早速やりましょうか、『斧乃木さん』。他人行儀なんて簡単でしょう?最初の頃思い出したらすぐ終わりますよ。縁もゆかりも素性も無かったあの頃の『私』達をね」

     と、紫葵に、にこやかに話しかける。その表情はいつも隣で良く見ていた「よそ行きの笑顔と言葉遣い」。彼は勿論分かっているだろう、そう言われるのは「鬼仙にとって他人」だけなのだと。その言葉に見合った言葉を返せば終わり、その筈なのだが。

    「そうさな、『瑞葵』」

     言葉を紡いだ瞬間、ブー!と何処からともなく、大き過ぎて音割れしている不正解の様なブザーが鳴り、2人して肩を震わせる。
     反射的に掲示板を見ると「失敗!」の文字がデカデカと光っており、その文字が消えると次いで「もう1回やり直そう!」の文字が何度かつらつらと流れて来た。しばらくしてその表示が消えれば、掲示板にはまた「他人行儀に〜」の文字が出ている。
     それを呆然と見ていた鬼仙だが、ばっと紫葵の方に振り返れば

    「おい紫葵!何人の事名前で呼んでんだ!他人行儀つったろうが!」

    と突っかかる。それを面倒だと言いたげな表情で受け止めながら、言葉を返す。

    「始めるなら始めるって言え」
    「『斧乃木さん』とか『私』って言った時点で始まってるって分かるだろが耳穴にゴミ詰まってんのか?!鼓膜フィルター交換しろ!」
    「うるせェなァ、1回で終わりじゃねぇんだからキャンキャン喚くな。次始めます〜言って2回目しろよ。さっさと帰りてぇんだろ?無駄はお前が1番嫌うモンじゃねぇのか?」

     最後の言葉に、ぐ、と悔しげに表情を歪ませて言葉を詰める。確かにこうして失敗する度に言い争っていても、時間が止まっていると言われても、それが本当かどうか分からないのならば、不毛な言い争いは極力やめて、成功する事だけを考えて、お互い他人行儀に会話する方が早い。
     効率を重視する鬼仙だからこそ、紫葵の言い分に文句は有れど、意見は無い。己の気持ちを落ち着かせる為に、一旦目を閉じて、眉間にシワは寄せたまま、ふう、と1つ呼吸をすれば、ぱち、と目を開いて紫葵を見やる。当の本人は余裕そうに、いつも通りの涼し気な表情で居る。

    「なら始めっぞ、始めっからな!」
    「2回も言わなくて良いわ」

     その返しに、ぎろ、と視線が紫葵を貫くも、鬼仙から怒りの言葉は発される事は無かった。んん゙、と軽く咳払いしてスイッチを入れると、ふ、と目を細め、口を隠す様に、手を己の口辺りにやる。

    「己の失敗を棚に上げて人様に指図するなんて、全く何て出来たお人でしょう。そうやってずっと重箱の隅をつつく様に人様の揚げ足を取ってきたんですか?ねえ『斧乃木さ―

     瞬間、視界の端から何かが、猛スピードで己の頬に迫って来るのを本能的に感じ取り、目線を向けると同時に腕でガードする。と同じタイミングで、腕に鈍い衝撃が走り、耐えきれず勢いに負け、その勢いのまま、背もたれに倒れ込む。
     何度も食らって来たから分かる、これは紫葵の拳だ―その考え通り、ぱ、と目線を目の前の紫葵に向ければ、そのポーズは、完全に鬼仙を殴った後のモノだった。 
     鬼仙は姿勢を正しながら「だッッッぶねぇな何すんだダボカス!💢」とブチ切れる。

    「普通にムカついた 煽んな」
    「拳で返すな言葉で返せ!💢」
    「拳を返す様な物言いをするテメェが悪い」
    「んだテメ?!」

     言い争いの最中に、またブザーが鳴ったが、勿論2人はお構い無し。暫くの間、喧々諤々と片方が言えば片方が返すを繰り返す。

     殴った時に鳴らなかったのを加味すると、他人行儀に暴力は許されているが、その後「長年の付き合い」の様なやりとりをするのは駄目らしい。

     暫く喧嘩してからクールダウンして、鬼仙が出したのがその答え。言い争って少しだけ疲れた風な鬼仙を見ながら、今度は紫葵から言葉を紡ぐ。

    「3回目しねぇのか」
    「はぁ゙?!」

     お前のせいで中断したのに(鬼仙目線)何をいけしゃあしゃあと?!な表情と雰囲気で、キレながら驚きと呆れの声を出す。

    「やったるわボケナス煽らなきゃ良いんだろ出来らぁ!」
    「つかテメェの物言いが悪りぃ」
    「ハ?!」

     急に駄目出しされ、今度は何が言いたいのだと、喧嘩腰に疑問を口にする。うるせーな、と言った風な表情で、紫葵は鬼仙を見ながらつらつらと言葉を落とす。

    「出会った頃を再現してぇなら、お互いタメ口だろ。テメェ初期敬語とか無かっただろが」
    「…ア〜確かに」

     その言葉に、目線を斜め上にそらしながら考えて、さもありなん、と鬼仙は秒で納得する。先程までの烈火は何処へやら、しかして其処が鬼仙が「頭が良い」と言われる基点ではあるのだろう。そんな相手をじっと見ながら

    「何なら殴り合っても良いが」
    「言葉だけで終わる行為に暴力を伴うな!」

    言われた言葉にNOを出す。
     釘を差して置かなければ本当に暴力ありきの対談になってしまう、流石にソレは避けたい、と鬼仙は心の中で考える。
     よしんば出られたとして、それがスクランブル交差点のど真ん中とかだったら、周りの横断している人間からすれば、急にズタボロの男2人が目の前に現れる事になる。目の前に現れただけでも怪奇現象なのに、更にその対象が怪我塗れだったら、恐怖を通り越して、何らかの傷害事件を起こしたのかもと、警察に通報されるかもしれない。
     何なら相手は反社だから警察に通報されるべき存在ではあるものの、それは今では無いだろう。
     よし、と姿勢を正し、紫葵に向き直る。紫葵もそれに合わせて、狭いソファの上で向き直っている。「確認すっぞ」、と、ぴ、と人差し指をお互いの間に立てる。紫葵は指を黙ったまま、じっと見ている。

    「タメ口煽り言葉悪口全部有り。暴力極力無し。暴力したとしても長年の付き合いみてぇなやり取りも、名前呼ぶんも無し。良いか?」
    「良いから早くやれ」
    「やかましわ今からやるんだよ」
     
     さて、と鬼仙が1度首を回せば「そう言や」と何かに気付いたかの様に言葉を零す。紫葵が何だ、と言いたげな目線で鬼仙を見れば「最初に声かけてきたのお前だよな」と返事が来た。

    「最初?…嗚呼、お前と出会った時か」
    「そーそ、お前が何か言って、それに何?みてぇな返事した覚えがある様な…」
    「良く覚えてんな、そんなに自分が負けた思い出が大事か?」
    「今度は勝っても良いんだぜ?」

     言わんかったら良かった、と少しキレ気味に返事すれば「じゃあ俺からやれば良いんだな?」と紫葵が言う。それを断る理由も無いので「頼まぁ」と言えば、ふう、と1つ細い息を吐き、ギラつく眼光で鬼仙を見る。
     抜き身の刀の様な、本当に最初期の頃の様な、そんな鋭い視線で射抜かれ、本能的に、少しだけ体が強張る。それを知ってか知らずか、ずい、と体を前倒し、近付ける。鬼仙の体が、それに合わせて後ろに下がった。

    「逃げんな。今からやり合うんだろうが」

     そう言えば、鬼仙が体を支える為に、ソファに付いていた右手に、己の左手を乗せる。そのまま流れる様に、止まらずに、己と相手の指を絡ませる。

     それはいわゆる、恋人繋ぎの様な。

     瞬間、またブザーが鳴り、今度は鬼仙だけが、驚いた表情になり、肩を震わせる。しかしお互いに視線は外されず、黙って見つめ合う時間が、数秒程発生した。

    「…ぉ」

     先に口を開いたのは鬼仙で。勿論未だ、目線を絡ませ、外さないまま。

    「ぉ、まぇ」
    「何」
    「何、…じゃねぇよ何、…だこれは…」

     驚きの表情のまま、未だ絡んでいる指を少し動かせば、相手は特段驚きも無く、しれっと「気にすんな」とだけ言う。「気にするが?!」と叫んで振り解こうとすれば、相手も長くは繋ごうと思ってなかったのか、するりと簡単に指が離れて行く。それを合図に、慌ててもう片方の、ソファの背もたれを掴んでいた手で、絡ませられた方の手を守る様に包む。
     絡ませた当の本人は、上体を起こしてその様子を静かに見ているだけ。あたふたしている自分がおかしいのか?と流されそうになるも、そんな訳は無いと自我を保とうとする。
     あまりの衝撃で鬼仙は寝転んだまま「ホントに何してんだテメェ…」と声を出す。

    「何って、最初期もこんなんだったろうが」
    「ンっ゙な訳無ェだろうが頭湧いてんか?!最初の方なんぞ手首や胸倉掴んだり首根っこ鷲掴んだりしてたろうが!ンな、こんな!」
    「これからそのスタイルで指折る予定だったんだよ。余計な判定されたから無理なったがな」
    「暴力極力すな言ったばっかだが?!」
    「つまり必要ならやって良いんだろ」
    「広辞苑で意味引いて来い!」

     そうして、やる事は分かっているのに、毎度上手くいかない。原因は分かっている、紫葵が今までの様に、どうにも掲示板の言う事を聞かないのだ。
     喋る度に「瑞葵」だの名前を呼ぶし、掴むや握るでは無い力加減で手を包むし頬に手を置くし、全くもって「他人行儀」なんて言葉では表せない程の親密さを出してくる。
     最初の頃は失敗するたびに鳴るブザーに肩を震わせていたのが、段々と反応が鈍くなり、遂には反応しなくなり、と言うかイライラが募って来ている表情になり始める。
     それとなく注意したとて、はっきりと言葉を選んで怒ったとて、何の反省も見せず、同じ様な動作を繰り返す紫葵に、流石に堪忍袋の尾が切れ始めたのか

    「いい加減にしろよ」

     と、今までとは全く違った、低いドスの効いた声で紫葵に喋りかける。流石の声音の変化に、それまで頬に手を添えていた紫葵の動きが止まった。それでも下から睨み付ける鬼仙の視線をものともせず、黙って、いつも通りの目線で鬼仙を見つめている。

    「さっきから何回同じ事言わせりゃ気が済むんだ?テメェの脳味噌は其処まで働きが足りねェ腐れだったんか?人の言う事聞かねぇで自分の好き勝手するのはさぞかし楽しいんだろォなぁ、精神未熟の紫葵ちゃんよ。俺にゃ幼稚過ぎてその楽しみは永遠に分かんねぇわ」

     冷めた視線で、は、と鼻で笑う。紫葵はやはりまだ黙って見ているだけ、一言も発さない代わりに、すり、と親指が頬を撫でるも

    「触んな」

     ばし、と音を立てて、紫葵の手が跳ね除けられる。跳ね除けた側と、跳ね除けられた側。お互い数秒、その姿勢のまま見つめ合う。冷えた瞳のまま「誰が触って良いつった?」と先に口を開いたのは鬼仙だった。

    「そんなに出たくねぇなら此処に居やがれ永遠に、1人で」
    「…テメェ何でそんな出てぇんだ」

     ぽつ、と言葉をやっと紡いだと思えば、ここの部屋の結果を全否定する様な問いを出され、「はァ?」と鬼仙が心底理解出来ない質問だと、目尻と眉を釣り上げる。

    「やるべき事を成してねェからだよ、当たり前だろうが 考えなくても分かるだろ。嗚呼精神5歳のテメェにゃあそれすら難しい答えだったかな?」
    「外の時間は止まってんだろ。だったら―」
    「『だったら』何だ?ゆっくりたまには休めってか?本当に外の時間は止まってんのか、本当に他人行儀にしたら出られんのか、前提条件を信じて良いかすら、掌の上で転がされてる状況なのに?」

     自分で言っておきながら、段々と不安と怒りがまぜこぜになって来たのか。先程までの冷ややかな視線は消えたものの、今度は本気とも思える怒りの炎を宿した視線で、紫葵を燃やす如く睨み付ける。

    「お人好しに全部信じて良いのは子供の頃だけなんだよ、分かったらさっさと殴るなり何なりしろや!テメェが動かなきゃ何にも進まねぇ、分かってんだろが!」
    「分かってる」
    「なら―」
    「けどテメェと他人になりたくねェ」

     意表を突いた答えだったのだろう、瞬間怒りの表情は消え、驚きと呆れと理解不能が混じった表情になり「あ?」と間抜けとも言えそうな、拍子抜けた声が鬼仙から出た。
     それが紫葵にとっては「それはどう言う意味ですか?」の疑問の声に聞こえたのか、鬼仙が口を開いて次の言葉を発する前に、ぽつ、と喋り始める。同時に、跳ね除けられた手を、相手の手に重ね、また指を絡め合う。

    「演技だってのは分かってる、が、それでも」

     視線を横にずらしたのは、恥ずかしさからか、それともまた別の感情からか。

    「瑞葵。テメェと『こう』まで出来る仲になった、一時だとしても、それが出来なくなるのは、…困る」

     予想していない言葉を聞いて、怒りも冷酷も何処かに飛んだか、消えた様だ。ぽかんとした表情で、鬼仙は紫葵を見ている。しばらく黙って相手を見ていたが、何を言われたのか、じわじわと理解し始めた。と同時に、今度は恥ずかしさ所以の表情で、頬と耳を赤に染め上げながら、紫葵を睨み付けながら

    「馬、ッ鹿じゃねェの…」

    絞り出す様な声で、どうにか言葉を紡いだ。その言葉を聞いて、反らしていた紫葵の瞳が鬼仙に向き直る。お互いの視線が絡んで、今度はどちらも逸らさない。

    「馬鹿でも良い。お前との関係が消えるよかマシだ」
    「演技だって自分で言った癖に…」
    「演技でも嫌つったろ」

     にぎにぎと、柔い力で自分の手を紫葵に握り返され、どう反応して良いのか分からなくなったのか、今度は鬼仙が視線を横に反らし、もにゃついた表情でいる。困った風な雰囲気で、そんな表情でいる時は、少しの困惑と焦りと呆れと、そして特大の照れが混じっているのだと、紫葵は今までの経験から分かっている。勿論、赤に染まった表情が、照れている事を、目に見えて表現しているのだが、それを含めての話。
     いつもなら其処で何か軽口をいうのだが、今はその表情をまだ見ていたくて、言葉を封印している、いや、行うと言う考えが無い。目の前の恋人の表情を愛おしいと思うばかりで、其処まで考えが追い付かないと言い換えた方が良いのだろう。

    「それに、お互い仕事が忙し過ぎて、しばらく会えてなかったじゃねェか。時間が止まってるって信じて、少しくれぇはここに居ても良いだろ」
    「ぃ、…」

     鬼仙が未だに視線を横にそらしたまま、言葉に詰まる。いつもならすぐ答えか煽りかを返しに来る相手が、こうして頑なに言葉を失うのは珍しいと思う。ふとその答えかもしれない行動に思い至った。
     
    「そう言やお前、随分出たがるよな。何でだ」
    「…」
    「…俺にゃあ言えねぇ事か」

     自分でも分かる、沈んだ低い声が出たと。自分だってそうだが、相手に言えない事なんぞ幾らでも有る。それでも目の前のこの男の事だけは、どんな些細な事でも知っておきたい。それが最初期からの独占欲からか、この関係に成ってからの感情なのか、理解は出来ないけれど。

    「…仕込み…」
    「あ?」

     ぽつ、と零した3文字を、聞き逃してはいないのだが、あまりにも場違いと言うか、普段あまり聞かない言葉故に、つい聞き返してしまう。それでもその言葉を皮切りに、堰を切った様に、ぽろぽろと相手が言葉を流し始める。普段より小さい声の為に、一言一句聞き逃さない様に、少し顔を近付ける。

    「仕込み、終わってねぇ…」
    「…何の」
    「料理…」
    「良いじゃねぇか別に―」
    「お前用だし…」
    「は?」

     最後に爆弾発言された気がして、流石に聞き返してしまった。コイツは今何を言った?と言う表情で、紫葵は鬼仙を見ている。
     当の本人は恥ずかしい事を言ったと自覚してしまったのか、ほぼ俯き気味に顔を傾けて、それでも止まらなくなった口が、ぽろぽろと言葉を落とす。

    「久しぶりにウチ来るって言うから、テメェが前に気に入ってたモン作ってやろうと思って…味染み込ませたら前より美味しくなる奴だから、今日仕事休みだし、今から仕込んでおこう、と、思って、て…」
    「………」

     どちらもこちらも言葉が失われてしまって、しばらく無言の時間が続く。
     鬼仙は恥ずかしさがMAXに達したのか、隙間から見える耳も首も赤に染まっており、表情は確認出来ない程に、俯いている。
     それでも表情を確認するより前に、どうにも衝動が止まらなくなって、握っていた手から己の手を外すと、そのまま両腕で目の前の人物をがっしと抱き締めた。抱き締められた鬼仙が「ひゎ、」と小さく悲鳴を上げる。

    「かわいいなお前…」
    「キャラ崩壊してんぞ馬鹿野郎…」
    「テメェ抱き締める方が大事だ」
    「こっ恥ずかしい事言うんじゃねえよ…」

     顔は見えないにしろ、抱き締めている体から、上がった体温が自分の方に移って来るのが分かる。抱き締められて固まっていた腕が動いて、己の背中に添えられたのを、感覚で知る。しばらく黙ってお互いがお互いを抱き締めていたが、不意に紫葵が

    「出なきゃ食えねえんだよな」

    肩で言葉を零す。「当たり前だろ」と返事すれば「じゃあ出るか」と返事される。「最初からそう言ってんだよ俺は」と文句を言いながら軽く背中を掌で叩けば「…」それへの返事は無い。

    「何」
    「やっぱもうちょっとだけ居ても良いか」
    「掌返し過ぎ」
    「時間止まってっから良いじゃねぇの」
    「だぁらそれ真実かどうか分かんねんだって」
    「俺の腕時計ここに来た時から時間進んでねぇんだよ。それじゃ証拠にならねぇか?」
    「そ、それ先に言え馬鹿野郎!」

     今度は恥ずかしさより驚きの衝撃の方が勝ったらしく、がば、と体を離される。少し残念だと片方は思っているが、片方からすれば何でそんな重要情報すぐ言わねえんだ馬鹿野郎の気持ちの表情だ。

    「何でそんな重要情報すぐ言わねンだテメ」
    「気付いたのがさっきなんだよ。掲示板で時間は止まってる云々て流れた時に時間確認して、んでさっき、たまたま時計に目ェやったら、最初に確認した時間と同じだった。だから時間が止まってるってのは本当だと思うが、オイどうした」
    「緊張と力抜けたんだよ馬鹿野郎…」

     目の前の体から力が抜け、ずる、とずり落ちる様に、紫葵にもたれかかる。当のもたれかかられた本人は少し驚き焦ったが、すぐに平常心を取り戻し「だから平気だろ」と繰り返す。お前は平気でも、と言葉を紡ぎたかったが、緊張がほどけ、急な疲れが出たのか「ぁ゙〜…」とYESともNOとも取れる、意味の無い言葉が漏れただけだった。

    「で、マジでお前が満足するまでここに居んのか?」
    「満足基準で言うなら永遠に出れねぇぞ」
    「それは流石に勘弁してくれ」
    「冗談だよ」
    「冗談に聞こえねんだわ」

     お互いに抱き合ったまま、いつも通りの雑談をだらだらと。しばらくそうして過ごしていたが「やっぱ仕込みしてェな」と鬼仙が零し、それに紫葵が反応する。

    「時間止まってるっつったろうが。食材が腐る訳でもねぇし」
    「それと俺のやりてぇ欲が有るのは別だろ」
    「そりゃまあそうだがよ」
    「このままで居て、俺のやる気が無くなっても良んなr「良かねぇな」変わり身早え〜」

     けらけらと笑いながら、紫葵の一言一言に反応する。その他愛無い笑顔を可愛らしいと思うのは、彼の魅力に魅了的されていると認めざるを得ないのだろうか。笑顔をじっと見ながらそんな事を考えていれば「あんだよ」と見ている本人から指導が入る。

    「いや…テメェのやる気が無くならねぇ内に帰らねぇとなと思ってな」
    「そんならまずはこの体勢やめなきゃなァ。体勢込みで判断されてんだ。距離取れ距離」
    「あー…」
    「渋がるな。帰ってから幾らでも出来んだろ」
    「その言葉忘れんなよ」
    「脅すモンじゃねぇんだよな」

     帰る気が有るのかどうか分からないままに、2人して何とか試行錯誤して、何度目かのチャレンジが終わった時に、ぱんぱかぱーんと気の抜けるファンファーレが鳴って、瞬間上に引っ張られる感覚と共に、周りの景色が軽く白く発光する。

     気付いた時には、鬼仙は先程まで居たキッチンに立っていた。

    「…帰って来た…」

     その場で、キッチンの壁を見ながら呆然と事実を口にすれば「だな」と後ろから聞き覚えのある声がした。驚いて振り向けば、リビングから紫葵がのそりとこちらに歩いてくる。

    「えっ何で(テメェがここに居る)?!」
    「知るか、こっちが聞きてぇよ。

    で?それがさっき言ってた仕込みの材料か?」

     間髪入れずに答えと新たな疑問を浴びせられ、視線と顔が自動的にそちらへ向く。その隙、と言えば良いのだろうか。自分から視線が外れたのを良い事に、距離を詰めれば、そのまま後ろから、己より一回り小柄で小さな体を抱き留める。
     「ひゃ、」と驚いた声が小さくしたが、気にせずその姿勢のままでいる。離せとも言わないし、離れろとも暴れない。それなら姿勢を保ったままでも文句はあるまい。ぽす、と鬼仙の肩に己の頭を乗せる、額をくっつける。

    「何、」
    「帰ってからやるつったろ」
    「今じゃなくても良いじゃねぇか、これじゃ仕込めねェ」
    「このまますりゃ良い」
    「刃物使うんだよ、危ねえ」
    「動かねぇから」
    「俺は動く」
    「材料とか言えば持ってくる」
    「その度にこの姿勢無くなるけど良いんか」
    「…」

     論破され、黙ってしまった紫葵を、首を動かして見ながら、鬼仙が、ころ、と笑う。その振動が、肩を伝って額に響く。下に向けていた顔を動かして、肩から鬼仙の顔を覗き見る形にする。其処には彼にしか見せない、気の抜けた柔らかい笑顔が合った。

    「どう足掻いたってお前の負けだよ。隣に居るのは許してやらぁ」
    「何様だよ」
    「お前が他人になりたくない様かねぇ」
    「うるせぇな」
    「自分で言った癖に照れんじゃねぇよ。ホレ退きな。食いたくねぇn「食う」食い気味に言うんじゃねぇよ」

     はは、と破顔して笑うその表情に釣られたのか、紫葵も軽く、ふ、と微笑む。抱き留め交差させた腕を、鬼仙の指先が、軽くぺしぺしと叩く。その合図に従って、紫葵は随分素直に腕を解いて、鬼仙の隣に移動する。
     それを見て「さて」と一言発すれば、部屋に飛ばされるまでに用意していた包丁と、シンクの中に転がっていた濡れた野菜を手に取れば、皮を手際良く剥き始める。紫葵は黙ってそれをじっと見ていたが、ふと鬼仙が言葉を零す。

    「お前、明日も休み?」
    「おう。泊まるわ」
    「なら(服は)いつものトコな」
    「ん」

     相手の休みが連続している時に、昔から時々行っていた位の頻度だった物が、今では毎回のやり取りと化してしまっているのが、淀みない質問と答えから良く分かる。
     普段ならそれで一旦終わって、他愛無い話を、料理が出来上がるまでだらだらと話し合っているか、お互い料理やテレビに向き合って、出来上がるまで無言の時間が続くかのどちらかなのだが。
     今回はその2つとは違う様で。鬼仙の皮剥きの手は淀みなく、視線も野菜と皮を剥く手から離れず、ブレてもいないのだが、何かを言い淀む様に、少し口が開いたが閉じた。

    「言いたい事有るなら言えよ」

     それでも彼氏はその行動を見逃さなかった。ここでその行動を無視したり見逃してしまったりすれば、大体美味しいタイミングを逃したと言う不利益が来る。
     鬼仙が言い淀む時は、大概、鬼仙自身が恥ずかしいと思っている事を言うか言わまいか迷っている時なので、そうして自分がきっかけを与えて無理矢理にでも言わせないといけないのだと、今までの経験から学んでいる(勿論タイミングを間違えばただの喧嘩に発展してしまうので、見極めが大事なのだが)。
     暫くの間無言が続いて、野菜の皮を剥くシャリシャリと言う音しか聞こえて来なかったのだが。

    「…俺も明日休み…」

     その皮剥きの音に溶かす様に、ぽつりと小さな言葉が混じり合う。部屋で素足の時は、いつもより鬼仙の身長が低いので、斜め上から見下げた表情しか見えない。故に今しがた隣から見えるのは、ほんのりと赤に染まった首後ろと耳。
     しかしそれだけで紫葵の心は大洪水を起こしている。ぐっと全ての衝動を堪らえる様に、眉毛を寄せて目を閉じて、細い深呼吸をする。シンクに置いていた手を握り締めたので、少しだけ軋んだ音がしたかもしれない。

    「………後で薬局行く」

     暫く黙った後に何とか絞り出した言葉はとても下世話であったが、今の紫葵にはその言葉以外紡げない。ぐちゃぐちゃになる寸前の頭の中をどうにか落ち着かせようとしたのに

    「…………………もう有る」
    「、」

    何が、を聞くのは野暮と言うもの。鬼仙の最後の小さな小さな爆弾で、先程より赤が濃くなった首筋と耳を見て、流石に絶句してしまった。

    「…」
    「…」
    「…何か言えや」
    「ッ……、……今からでも良いか」

     沈黙に耐えきれなくなった鬼仙が発言を促すも、衝撃に耐え、やっとこさ紫葵から出て来た言葉は、普段なら今この場でぶん殴られても仕方無い程に、欲を孕んでいる。
     しかし、一体いつから相手も心の内で欲を孕んでいたのだろうか。それに対する返答が
     
    「…………これ、終わって、から、なら…」

    であるならば。

    「手伝う。さっさと終わらせろ(前に料理中に手を出そうとしたら包丁持ったまましこたま怒られた経験があるので)」

     欲望の為に手伝いを申し出るのも、やぶさかでは無いし、必要な事だろう。そんな紫葵を、いつの間にか、恥ずかしさを内蔵してはいるものの、呆れた表情で見ている。

    「あからさまに声色と目の色変わってんじゃねぇかダボ 現金野郎」
    「何とでも言え。俺は何すりゃ良いんだ」
    「じゃあ俺切るから皮剥いてくれや。ピーラー其処にあっから。手の皮削るなよ」
    「そん時はそん時だ」
    「やっぱお前見てるだけにしてくれんか?」

    ー終ー
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    related works

    recommended works