蛍光灯「哥哥?」
謝憐のアパートのドアを開けた花城は、明かりのついていないリビングに向かって声をかけた。うす暗い室内に、人工的な光がせわしなくまたたいている。謝憐は部屋にいるはずだ。なぜ電気をつけていないのだろう。
リビングに入ると、ソファに座っていた謝憐が振り向いた。
「三郎、おかえり」
「ただいま、哥哥。どうして暗いままテレビを?」
「蛍光灯が切れているんだ」
花城は入口の脇にある室内灯のスイッチを二、三度押した。
「本当だ。買ってこようか?」
「いいや、来週から近所のホームセンターでセールが始まるから、その時に買うよ」
「そう。でも哥哥の目が悪くならないか心配だ」
「少しくらい平気だよ」
ホームシアターみたいでいいだろ、と謝憐が笑うので、花城はそれ以上何も言わずに笑みを返し、夕飯の支度をしようとキッチンへ向かった。
テレビの明かりで夕食をすませ、あらためて二人並んでソファに腰を落ち着ける頃には、花城もうす暗い部屋にすっかり慣れていた。そして、慣れてしまえばやることはひとつである。しかし、リラックスした様子で体重をあずけてきた謝憐の唇に自分のそれを重ねようとした瞬間、むに、とやわらかい手のひらが花城をはばんだ。
「ま、まだ早いよ、三郎」
「そう? 暗いから時間がわからないな」
「時間ならテレビでわかるだろ」
可愛らしく口をとがらせて言い返してくる。ふむ、と一瞬考え込んだ花城は、おとなしく身体を引くと、小首をかしげて謝憐の顔を覗きこんだ。
「ね、何時ならいいの?」
「っ……ええと、じゃあこの番組が終わったら」
「わかった」
番組が終わる時刻だって、いつも二人がベッドにもつれ込む時間よりはずっと早い。花城は喉の奥で小さく笑いをもらして、謝憐の肩に手を回した。
(どうしよう……緊張する……)
花城の肩に頭をあずけながら、謝憐はどんどん速くなっていく鼓動にうろたえていた。部屋の暗さで視界が制限されているからなのか、相手の息づかいや体温をいつもよりずっと近くに感じてしまう。ゆっくりと上下する肩や、時おり頭の上をくすぐっていく吐息。肩に回された手がいつくしむように髪をなでるたびに、体の奥がじわじわと熱くなる。
(番組が終わったら、なんて言うんじゃなかった……)
さっきはとっさにキスを防いでしまったけれど、謝憐としても拒みたいわけではなかった。それならさっさと受け入れてしまえば、こんな緊張を覚えることもなかったのに。
だいたい、何度も抱き合っているはずなのに、今さら暗い部屋で寄り添って座っているだけで意識してしまうなんて思わなかった。普段と違うシチュエーションのせいなのだろうか。たかが電気がつかない程度のことで。
額の上あたりに視線を感じて顔を上げると、こちらを見つめる花城と目が合った。気が変わった?とでも言いたげににやりと微笑まれ、あわててテレビに視線を戻す。番組の内容なんて何も頭に入ってこなかった。ただただ心臓の音と足の間のうずきを勘づかれないようにと祈るばかりだ。
番組終了のテロップが流れると、花城が謝憐の片手を取って自分の太ももに導いた。耳に熱い息がかかり、低いささやきが鼓膜をゆらす。
「時間だ。哥哥、いい?」
「……うん」
最後の画面が消えた瞬間、謝憐は唇をやわらかくふさがれ、体ごとゆっくりとソファに押し倒された。
翌日。花城が帰ってくると、リビングは明るかった。
「あれ? 蛍光灯買ってきたの?」
来週まで待つって言ってたのに、と怪訝そうに言う花城に、謝憐がじとりと視線を投げる。
「……たまたま近くまで行ったから」
というのは嘘で、わざわざホームセンターまで買いに行ったのだ。
昨日は電気がつかないのをいいことに早く始まり、いつもより長い時間をかけて身体の隅々までねっとりと愛され、何度も果てて、最後のほうはもうよく覚えていない。
(来週までこれでは身がもたない……!)
だが決して花城のせいだけではないのが、頭を抱えるところだ。途中うっすらと覚醒した意識で時計を見て、何度かしたのにまだこんな時間だ……などと思いながら花城にねだったのは、ほかならぬ謝憐である。長い夜を求め合いながら楽しみたいのは、結局二人とも同じだった。
ただしそれでも疲労は残る。謝憐の体を一番に考える花城が無理をしいることなど絶対にないのだけれど、自分が求めずにいられる自信がなかった。
花城との夜を楽しみたい。でも疲れすぎるのは困る。せめて明かりはつくようにしておこう……。
そんな葛藤の末に蛍光灯を買いに行った謝憐の気持ちを知ってか知らずか、花城が軽口をたたいた。
「哥哥、今日は明るい場所でしようか?」
「三郎?!」
「はは、冗談です」
本当に冗談だろうな。心の中でつぶやいて、謝憐は眉間を揉んだ。