結局のところ、最後に浮奇を手に入れたのはスハだった。
都心から離れた静かな町で、小さな家を買ってふたりで暮らす。木の温もりに溢れた一軒家は浮奇の整えた内装とわたしが整えた庭のある、それは美しい家になった。
落ち着いたら大きな犬と小さな猫を一匹ずつ飼おうね、なんて話をして暮らし、手を繋いで町を歩く。穏やかで、満ち足りた、幸福な生活。
初めの頃はわたしたちの仲の良さを近所の人達に冷やかされたりもしたけれど、気づけばそれもなくなって、当たり前のものとしてわたしたちは町に馴染んでいった。
昼夜が逆転しがちなわたしたちは、昼より少し早い時間に目を覚ます。
浮奇にキスをしてベッドから出て、ふたり並んでキッチンに立つ。
ご飯を作るのは浮奇の役割。珈琲を淹れるのがわたしの役割。フレンチトーストが焼けるまでの間、眠そうな浮奇はわたしに寄りかかって目を擦る。美味しそうなバターと珈琲の香りに満たされながら、ふたりでゆっくりと今日を始めるのだ。
昼はお互いの部屋で作業を行なって、夕方には買い出しに出かける。
付き合っていた頃はわたしが持っていた買い物袋をふたりで分け合うようになったのはいつからだっただろう。
買い物袋を揺らしながら歌を歌えば、浮奇も真似して外側の袋を揺らす。今度は浮奇が歌うから、声に合わせて握った手を振れば、くすぐったい程優しい声で浮奇が笑った。
浮奇が配信をしている間に、スハが夕食を作る。一緒に夕食を食べて、今度はスハが配信をする。
そうして、配信を切ったあとで、スハはリビングのソファで目を瞑るのだ。
2階にある物置で、浮奇が何か話しているのが聞こえてくる。
内容は聞こえてこない。聞きたくはない。
数年前に電源が切れたファルガー・オーヴィドは、今の科学技術ではもう動かせないらしかった。
ファルガーが止まった時のことを思い出す気はない。あの時の浮奇は、もう見ていられない程に憔悴をして、可哀想なほど震えていた。本当は回収されなければならない未来技術のサイボーグがこの家にあるのはハーレムたちの功績であったし、偏にフォルガーの身体からしがみ付いて離れない浮奇のためだった。
今でも時折ハーレムにいた男たちから、スハ宛に連絡がくる。
皆それぞれの人生を生きている。スハが浮奇との生活を手に入れられたのは、ただ、わたしが一番諦めが悪かっただけなのかもしれない。何も食べようとしない浮奇の口に食べ物を運び続け、震えた声でファルガーの名前を呼び続ける浮奇を抱きしめ続けた。
あんな浮奇を独りにするぐらいなら、わたしの心が傷ついた方がましだった。
スハが物置と呼ぶその部屋を浮奇は「ふーふーちゃんの部屋」と呼んだし、彼の家にあった本やPCなどの私物は全てその物置に詰め込まれている。もしかすると浮奇はまだ、フォルガーが目を覚ますのを待っているのかもしれなかった。
時折、研究所から連絡がくる。代わり映えのしない『サイボーグの研究に進展はない』という内容の連絡。わたしはそのたびに安堵で息を吐く。
「スハ〜?こんなとこで寝たら風邪ひくよ」
目を開ければいつも通りの浮奇がわたしを見上げて首を傾げる。
あの頃から何年も経って、お互いに歳をとった。それでも浮奇は綺麗だったし、キスを落とした額は暖かい。
「浮奇のいないベッドは、寂しいじゃない」
「ふふふ、スハはいつまで経っても可愛いね」
「かっこいいって言ってよ」
カッコよくて可愛いよ、と笑った浮奇に手を引かれて寝室に戻る。
抱きしめた身体はもう震えてはいないから、安心する。抱きしめ返してくれる暖かさに、安心する。
「ねぇ、浮奇はいま幸せ?」
月明かりのさすベッドの中でそう訊ねれば、眠そうな浮奇が瞬きをして不思議そうに笑う。
「スハがいてくれるから、おれは幸せだよ」
変なスハ。不安になっちゃったの?と、また小さく笑った浮奇が頭を撫でてくれるから、とりあえず今夜もスハは眠りにつける。
本当は物置には鍵をかけてしまいたい。二度と目覚めないよう壊してしまいたい。
それでもスハがそうしないのは、二度と浮奇に悲しい顔をさせたくないからだし、わたしの名前を呼ぶ声が確かにわたしを愛してくれているからだ。
浮奇が幸せなら、スハはそれで十分だった。
手を繋いだままふたりは今夜も眠りに落ちる。
少なくとも今夜の浮奇も、スハのものなのだ。