いいこじゃなくてもいいよ――じょうずにできなくてもいいんだよ、と抱きしめました。
「でも……」
マーヴェリックはカウチソファで後ろからグースに抱きしめられた体勢のまま背中を預けた。視線はローテーブルに置かれた本に注がれたままだ。愛らしい動物の絵が表紙に描かれているそれは、やわらかな親子愛の物語だった。
「上手にできなくても、なんて……。そんなの、嘘っぱちだ」
「なんでだよ。上手にできることだけが全部じゃないだろ。この前なんて、」
ブラッドリーがな、と話すグースの声は、絵本を読み聞かせてくれた声と同様にやさしい色をしていた。話して聞かせてくれた内容は、確かに“上手”ではないブラッドリーのエピソードだった。だからと言ってキャロルと一緒に作ったクッキーがいくらグチャグチャになっても、それは微笑ましい出来事だ。
「ブラッドリーは愛されてるだろ。グチャグチャのクッキーだって、きっとおいしいに決まってる。……おれは、」
マーヴェリックは自身の恐ろしい想像に、いつの間にか拳を握り締めていた。グースの大きな手のひらが握られた手を包む。ほう、と吐息が漏れる。
「…………おれは、上手にできたから。……だから、グースが選んでくれたんだ」
そうだろ?
マーヴェリックは体を捩ってグースの顔を覗き込むようにした。疑問符を浮かべた表情のグースに続ける。
「グースは、おれの操縦が好きだって言ってくれた。これからも、おれの後席に座りたいって。おれの操縦で、グースは選んでくれたんだ。そうじゃなかったら、おれは、グースのそばに置いてもらえない」
もしも今みたいな操縦が出来なくなったら。グースがもっと上手なパイロットを見つけたら。いつかそんな日が来てしまうことに恐怖する。
「マーヴのフライトに惚れたのは事実だけど、それだけでお前のそばにいるわけじゃねぇよ」
ぎゅう、と抱きすくめられて泣きたくなった。グースの腕の中が安心するということは、すっかり頭にも体にも刻み込まれている。まるで今までずっとそうだったかのように、すっぽりと収まる場所だった。
「俺は、お前にたくさん助けられてる。マーヴの存在が、俺の心を救ってくれてんだ」
「ぐーすの、こころ?」
心地よい体温が、恐ろしい想像を溶かしていくみたいだった。ぽかぽかして、
「あったかいんだ。お前のそばは。熱いくらいかも」
「子供体温だから?」
グースにからかわれる体温は、そうは言っても標準的な体温のはずだった。グースより、ほんの少し高いだけで。
「ははっ、まぁ、それもそうかもだけど。お前は、まっすぐだから。マーヴが思ったように行動すんのが、俺にはすげーありがたいことなんだよ」
「……よくわかんねぇ。だって、グースおれのこと叱るもん」
「そりゃ危ないことをしたら叱るけど」
目を細めるグースの笑顔が好きだ。なんだか、愛されているみたいで。
そんなことを考えていたら、頬にやわらかいものが触れた。擦れた髭の感触。グースの唇だ。
「お前のそういう軍人っぽくないところとか、俺は気に入ってる。勿論、プライベートでもな。お前が自分に正直に行動してんの、好きだから」
好き、という何でもない単語を脳内で何度も反芻する。
「だから、俺がマーヴと一緒にいるのは、操縦が上手だとか下手だとかとは別の話。な?」
もう一度近づくグースの唇が今度は額に触れた。
「それでも、おれが、もし、戦闘機に乗れなくなったら、」
「マーヴは俺が戦闘機に乗れなくなったら、用済みだなって思うか? お前のRIOが出来なくなったら、俺はマーヴのそばには居られない?」
「そんなことないっ!」
マーヴェリックはグースの言葉に飛び上がった。力任せに抱きついて、離れまいとした。
グースが許してくれる限りそばにいたいと思っているのに、どうしてそんなことを言うのかと鼓動が激しく鳴った。
「でも、これから先何があるかわかんねぇだろ。俺、上手にRIOが出来なくなるかも」
「上手じゃなくてもいいっ! おれは、上手か下手かでグースのそばに居たいわけじゃ……、……あっ」
「あぁ。俺も。……上手じゃなくてもいいよ」
背中に回された手がぽんぽんと緩やかにリズムを打つ。激しかった鼓動さえ落ち着いて、グースの手のひらに合わせてトクントクンと静かに脈打つ。
――じょうずにできなくてもいいんだよ。
グースに読み聞かせてもらったフレーズが、グースの言葉になって心に沁みていく。
じわりとあたたかなもので身体中が満たされる。ふたりでぎゅうぎゅうに抱きしめあっているからだけではない充足感に、マーヴェリックはもうひとつ腕の力を強めた。