カウントダウン ぎゅうっと手の力を強めると、繋がれたグースの手のひらが呼応するようにぎゅっと力を込めてくれる。手のひらにグースの力が伝わるたびに嬉しくて、おれは何度もそんなことを繰り返していた。だけど意識的な行動をしなくたってグースの手のひらが離れることはなくて、その事実に心があたたかくなって、そうしているうちにグースの手の力がおれより先にきゅっと強くなることもあった。
ひとつになっているグースとおれの手のひら。
喜びに弾む気持ちはグースの手のひらにしっかと受け止められている。
初めてグースと手を繋いだのは、プライベートの外出時に人混みで離れ離れに直後だった。
おれを見つけたグースが両腕を広げたのは、もしかしなくてもハグをしようとしたのだろうと今なら思う。けれど当時は――今もグース以外にはそうだけれど――スキンシップに慣れていなくて、戸惑うことしかできなかった。どうするべきかわからずに佇むおれの右手を、グースは優しく微笑んでひと回り大きな手のひらで包んでくれた。反射でぎゅうっと握り返した。正解かはわからなかった。グースは「お前すぐどっか行っちまうから、はぐれないように。な?」と繋がれた手と手を軽く持ち上げた。
実のところおれからしたらグースの長身は人混みの中でもちゃんと認識できていて、だから手を繋がなくてもはぐれることはないはずだった。でも、「こうしてると安心するから」と言ったグースの言葉が、おれの腹にストンと落ちた。納得せざるを得ない。グースの言う“安心”は単におれが一人で勝手に問題を起こさないための“安心”だったのかもしれないけれど、おれもグースの手のひらの温度に安心しているのは確かだった。
手を繋ぐという行為が安心感をもたらすのか、或いはグースの手のひらだから安心するのかは、他人と距離を置いて過ごしていたおれには知る由もなかった。後者なら良いと思った。他の誰かとこんな風に手を繋ぐことを考えてみようとしてやめた。グースの手のひらの感触は、想像上だって誰にも上書きされたくない。
手を繋ぐのは専らグースからだった。
年越しのカウントダウン花火の鑑賞スポットとなっている広場は人の海で埋め尽くされていた。花火に負けまいと輝きを増すイルミネーションがあたりを照らす。賑やかな音楽が鳴り響き、ボリュームを競って会話する人々。立ち並ぶフードトラックから香ばしい匂いが漂う。真夜中の空腹は周囲の音がかき消してくれている。
ブラッドショー家は年の瀬の今宵も常と変わらず仲の良い家族だった。寄り添うグースとキャロルに挟まれたブラッドリーの手には、クリスマスのプレゼントに贈った飛行機のおもちゃが握りしめられていた。不意に後ろを振り向いたブラッドリーが睦まじい二人の間を割いておれの隣にくっついた。
「マーヴ、これ! カッコイイでしょ!」
クリスマスからもう何度目かわからない誇らしげな自慢。チープなおもちゃに夢中なブラッドリーが愛らしくて、おれは進んでブラッドリーがおもちゃを持っているのとは反対の手を握っていた。
「そうだな。すげー格好いい」
小さな手のひらは無垢だった。
「あっ!」
新年を迎えるまで10分を切った頃、ブラッドリーはそこかしこに並ぶフードトラックから気になる食べ物を見つけたようだった。
「おっ、美味そうだな!」
その日、グースの手のひらはキャロルの腰を抱いていた。当然だった。おれはそれを当たり前のように見ていて、笑い合う二人の姿を目にするたびに、繋いでいる幼子の手のひらの純粋な柔らかさを感じた。仄かに瞳が潤む。ぎこちない胸の騒めきがあった。
「ブラッドリー」
「ダディ!」
「何か美味そうなもんでも見つけたのか? パパと一緒に買いに行くか~?」
「えっとね――」
いつの間にかキャロルから離れていたグースの手のひらが、今はブラッドリーの髪の毛をくしゃくしゃにしている。イルミネーションを反射して煌めくライトブラウン。
「グース、お前はキャロルといろよ。もうすぐ年越しだろ。間に合わねぇかもしれねーからさ」
お目当てのフードトラックには人だかりができている。人混みを掻き分けてトラックまで行って、順番を待つうちに新年を迎えそうだ。
カウントダウン花火とともに大切な人と迎える新年の口付けは定番だった。ロマンチストなキャロルのために、きっとグースはそういったことをしてやるのだろう。容易に想像が出来る、幸福に満ちた瞬間。その時を逃させるのは気が引ける。おれはこの場から逃げようとしているけれど。
「年越しなのはお前もだろ」
「そういう意味じゃなくて」
年越しの瞬間にキスするんだろ、と直接的に言及することはなんとなく憚られて、もごもごと口の中で言葉を持て余した。だって、だから、と口の中で戸惑う言葉は一向に外に出ようとしない。
「あら、私が連れて行くわよ。ダーリンはマーヴとここにいて。すぐ戻ってくるわ」
「マミィ!」
小さな手のひらが手の中からすり抜けた。柔らかなぬくもりを持つ小さな手は、キャロルに抱きついている。ぎゅうっと音が聞こえてきそうだ。
「それは危ないだろ。おれがブラッドリーと行くから、キャロルとグースはここで……」
「でも、この子離れなくなっちゃったし。大丈夫よ」
仕方がない子ね、と優しく頭を撫でるキャロルの手は優しい慈愛に満ちていた。
「わかった。皆で行こう。そうすれば問題ないだろ?」
「さすがダーリン! ナイスアイデアだわ!」
大輪が咲き誇る笑顔がグースに向けられた。おれまでつられて笑顔になる。
行きましょ、とブラッドリーの手を取ってキャロルが促した。逸る気持ちを抑えきれない様子で体を弾ませるブラッドリーと、その手のひらを握って歩くキャロル。
二人を見守るみたいにして、おれはその後ろをグースと連れ立って歩いた。
手のひらが、グースに握られている。
「人、多いから」
おれはいつだって、手を繋ぐタイミングがわからずにいた。二人きりで出かけた時も、今日は手を繋がないのだろうかとソワソワしてしまう。自分から握ればいいのだろうけれど、それは困難なことに思えた。頭の中でああでもないこうでもないと悩んでいるうちに、グースはおれの手を握っている。いつもそうだった。
今日だって、そうだ。
いよいよカウントダウンを迎えるその瞬間、キャロルたちはフードトラックの前でメニュー表を指差しながら、それでも夜空を見上げていた。彼女の隣にいるのはブラッドリーだった。おれの隣にはグースがいた。
10……9……8……
おれの手のひらを包んでいるのはもふもふミトンではなかった。グースと二人きりで外出するときに身に着けるそれは、キャロルやブラッドリーがいる今夜は自宅で待機している。
5……4……
きゅっ、と指先が絡まった。恋人同士の手の繋ぎ方だ、なんて、いつかの日に羨ましがったことを思い出した。
3……2……
誰もが空を見上げていた。
おれも、空を見ていた。
「ハッピーニューイヤー、マーヴ」
「…………はっ、ぴ、にゅー、いやー……」
「ダーリン! マーヴ! ハッピーニューイヤー!」
声の方を振り向く。キャロルとブラッドリーはまだフードトラックの前にいて、カウントダウン花火の終わりと共に働くのを再開した店員からいくつかのスナックフーズを受け取っているところだった。
人ごみをかき分けて近づいてくる二人。
おれの指先はまだ、背中のほうでグースと絡まっている。
「年越しの瞬間に大切な人とキスするのって、定番だろ」
絡まった指がほどけ、手のひらが離れた。
ブラッドリーが小さな手に握ったポテトスティックをこちらに差し出した。たどたどしい発音でコールサインを呼ばれる。邪気のない好意に、おれは上手く笑えているのだろうか。
「どうせだから四人分買ったの。皆で食べましょ! はい、ダーリンも!」
あーん、と口に運ばれたポテトスティックをグースの唇が食んだ。
こめかみに触れた唇を、キスと呼ぶのかはわからなかった。だけど確かにあの瞬間、カウントダウンはゼロを告げていた。