ほとりの扉を叩いたならば(未完)序.
夜景の見えるロマンチックなレストランでも、映画のように運命的な出来事があったわけでもない。慣れきった日常の、けれども刺激的な一コマに、そいつは平然とした顔で武道の心に訪れた。
訪れた、とは語弊があるかもしれない。
だってあまりにもそれは、自分に自然と馴染んでいた。近すぎて見ようともしなかった、とも言える。
喩えるなら、自身にあるホクロの在処をひとつ残らず覚えている人間はいないだろうし、わざわざ確認する人間も少ないだろう。だから何となしに見つけて初めて、その存在を知る、そんな感覚だった。
困ったなぁと思いこそすれ、嫌でもなし、しっくりくるなぁと納得さえもした。だけれど、ただそれだけだった。
自覚したからといって、今じゅうぶんに心は満たされているから、何をどうこう変える必要はないと思ったのだ。ずっとこのままがいい、そんな感じで。
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